ここのところずっと雨が降っている。

 放課後になっても変わらない天気は、雨量に比例して私の気持ちを重くする。
 こういうときはぼんやりしがちで、一旦帰途についたものの忘れ物を思い出して、教室に戻って来たところ。
 誰もいない教室は、雨が浸食しているみたいに重苦しい。
 きっと、私の心が反映されているのだろう。

 自分の席に座り、ガラスに伝う雨を見た。
 流れて、ほかの雨粒と同化して、また離れていく。
 大雅の席を見る。
 最近はクラスで顔を合わせても、前より話す機会が減っている。
 伸佳と一緒にいることが多く、休み時間も男子グループのなかにいることが多い。

 避けられているのかな……。

 私の片想いが大雅に伝わってしまったのかもしれない。
 恋の幸せな時期は過ぎ、今じゃ毎日苦しくなることのほうが多い。
 思い出せることなんてなにもない。彼との思い出を失った私には、恋をする資格なんてないのかもしれない。
 こんなネガティブな性格じゃないのに、最近の私はヘンだ。

「雨星……」

 ガラスの向うで降る雨につぶやいても、答えなんて出ない。
 私が思い出すことを快く思っていない人たちがいるこの現状は、いったいなんなのだろう。
 大雅が私にしたひどいことって、いったいなに?
 ため息は雨の音に負けて、自分の耳にも届かない。

「雨星が降る日に奇跡が起きるんだよ」

 この間聞こえた声を言葉にしてみる。
 あれは昔、大雅が教えてくれた言葉なのかな。
 ふん、と鼻から息を吐く。
 謎だらけの毎日に引きずられるように暗くなるなんて私らしくない。気持ちが雨に負けないように深呼吸してみる。
 そうだよ。考えても答えの出ないことでウジウジするのはやめよう。

 ガタッと音がして顔を向けると、
「あれ、悠花」
 大雅が教室に入って来るところだった。

 驚く私に、大雅は自分の机のなかを漁ると、教科書を一冊取り出し見せてきた。

「課題明日までだったの忘れてて取りにきたんだ。悠花は電気もつけずになにしてたの?」

 あなたのことを考えていた、とは言えず肩をすくめた。

「私も同じ。すぐ帰ろうと思ったんだけど、雨が激しいから雨宿りしてたところ」

 本当は家に帰りたくないから、という理由も大きい。
 最近は食卓での会話もうまくできていない。
 もっぱらお母さんが話題を提供し、それにみんなが乗っかっている状態。
 誰もが大雅の話を避けているのは明らかだった。
 茉莉や伸佳も同じ。私たち四人の思い出話はせず、テレビとか芸能人の話ばかりをふってくる。

「ねえ」と言いかけた口を閉じた。
 こっちの席まで歩いてくる大雅に、どうやってごまかそうか考えて、やめた。
 いつもどおりの私でいればいいんだ。

 伸佳の椅子にこっち向きで腰をおろした大雅は、新しい環境にまだ慣れないのか、少し疲れた顔をしている。

「今日は雨星は見られないの?」

 何気なさを装って尋ねると、あっさりと大雅はうなずいた。

「だね。こういう日は、雨星は降らないね」
「あのね、大雅。私、やっぱりちゃんと教えてほしい」
「雨星のこと?」
「違う。大雅と私のこと。私はなにを忘れているの?」

 大雅は答えずにじっと私を見てくるだけ。
 みんなそう。肝心なことは言わず、遠巻きに私が思い出さないように見張っているみたい。

「きっと小学三年生のときになにかがあったんだよね? だったらちゃんと教えてほしい」
「自分で思い出さなくちゃ意味がないんだ」
「ひどい」

 なにに対しての言葉かわからないままつぶやいた。
 いつもの笑顔は意識しても出てこなかった。
 不機嫌になった、というよりこれが本当の私にすら思えてしまう。

 ひょっとしたら私は、家でも学校でも『明るい私』を演じていたのかな? 
 まさか、漫画じゃあるまいし、そんなに長い時間演じることなんてできない。

「やだなあ。思い出せない私もイヤだけど、みんなで隠しごとをされているのがつらすぎる」

 すねた顔をする私に、大雅はやさしくほほ笑んだ。

「大丈夫って言っただろ」
「まあ、ね」

 ふと、目の前が翳ったと思ったら、頭の上に大雅の大きな手があった。

「もっと自分のことを信じてあげて。記憶を閉じこめたのは悠花自身の決断なんだから」

 悲しい瞳に雨が映っているみたいに思えた。

「お母さんが言ってたの。昔、大雅は私にひどいことをした、って。それは本当のことなの?」

 ふっと、置かれた手が離されると、ぬくもりも一緒に消えた。
 大雅は苦しげに眉にシワを寄せてから、うなずいた。

「僕が君を傷つけたことは本当のこと。そのせいでつらい思いをさせた」

 ――ザーッ。

 雨の音がさっきよりもすぐ近くで聞こえた気がした。
 私と一緒に空が泣いているみたい。

「私は平気。だって、今は傷ついてなんかいないから。大雅とまた会えたこと、すごくうれしく思ってるんだよ」
「僕もだよ」
「だったら教えて。いったい私たちになにが――」
「悠花のことが好きなんだ」
「……っ」

 口をぽかんと開けたままの私に、大雅はさみしそうに笑うと立ちあがった。

「だからこそ傷つけたくないんだよ。二度も嫌われるのは耐えられそうもないから」
「大雅……」

 今、大雅は私に告白をしたの?

 もう雨の音も聞こえない。なにもわからない。

 通学リュックを背負うと、大雅は言った。

「返事はいつか聞かせてくれればいいから」
「あ、うん……」

 気づけばまたひとり教室に取り残されていた。
 胸の鼓動音は、まるで雨のように激しくなっている。