坂道をあがると夕焼け公園の向こうに夕日が見えた。
 どちらからともなく公園に足を踏み入れると、私たちはベンチに腰をおろす。
 まるでそうすることが自然な行動に思えた。

「風邪、大丈夫?」

 やっと聞けた質問を、大雅は笑顔で受け止めてくれた。

「ありがとう。もうすっかりいいよ。月曜日からは学校に行けそう。はい、これ」

 手渡されたのは少しぬるくなったペットボトルのスポーツドリンク。

「って、悠花が買ってきてくれたやつだけど。本当にありがとう」
「ううん」

 夕日に目を向けたのは視線から逃げるため。
 続く会話が思いつかず透明色のスポーツドリンクを飲めば、いつもより塩味を感じた。

「知登世に会ったのって初めてだよね?」
「うん」
「引っ越ししたあとに産まれたから、悠花に会うのは初めてだもんね。よく話をしててさ、『いつか会いたい』って言ってたからちょうどよかった」

 妹の話をする大雅の目がやさしい。

「なんか失礼なこと言われなかった? 知登世のやつ、いつもああなんだよ」
「全然。でも、すごくしっかりしてるよね」

 会話を思い出し、少し笑ってしまう。

「こないだなんて、引っ越し業者に値切りの交渉を勝手にしてたみたいでさ。営業所の所長さんから『これ以上は勘弁してください』って電話があって発覚したんだよ。昔から家族の誰よりもしっかりものなんだけど、やりすぎなところがあって困ってるんだ」

 そう言いながらもうれしそうに笑い、大雅は空を見た。
 夕暮れはどんどん濃くなり、真上には夜の藍色が広がっている。

 あ、また星が光っている。

 いつも最初に光るあの星は、なんていう名前なのだろう。

「こういう日は、残念ながら雨星(あめぼし)は見られないんだよね」
「え、なに? 雨星?」

 尋ねると、大雅はなにかに納得したようにうなずいた。

「昔の記憶がないんだもんね。僕ら、昔はよくここに座って雨星を探していたんだよ。お互い門限があって、探せる時間は短かったけどたのしかったなあ」

 私のなかに残っていない記憶を覚えている大雅。
 そもそもどうして私は昔のことを覚えていないんだろう。

「雨星って星の名前のこと? 流星雨のことじゃないの?」

 流星雨は、流星群がふるときによく使われる言葉だ。
 星が雨みたいになって夜空に流れることだと、流星群が来たときに耳にしたことがある。

「あー」

 子供みたいに口を大きく開けて笑う大雅が、首をかしげた。

「雨星ってのは僕が作った言葉なんだ。意味は、また一緒に見られるときが来たら教えてあげる」

 あれ……。

 雨星という単語を遠い記憶のなかで聞いたことがある気がした。
 ふわりと浮かんだ記憶は、つかもうとするそばからバラバラに崩れていく。
 なんとか形にしようと記憶を覗きこんでみても、真っ暗な闇がぽっかり空いているだけ。

「心配しないで」

 大雅の声に顔を向けた。

「昔のこと、ムリして思い出さなくてもいいよ」

 前も同じことを言ってくれた。でも……。

「大雅が引っ越してきて改めて、私には昔の記憶があんまりないんだ、って思ったの。ひょっとしたらずっとコンプレックスだったのかもしれない」

 特に大雅の記憶はすっぽりと抜けている。茉莉にもバレてしまったし、ちゃんと思い出したい。

 大雅は立ちあがると、前方にある手すりに腰をおろしふり向いた。

「思い出すことで傷つくこともあるかもしれない」

 どうして? と尋ねたいけれどやっぱり言葉は口から出てくれない。

「記憶を押しとどめているということは、思い出したくない理由があるのかもしれないから」

 大雅の言うことはもっともな気がした。
 自らの意思で忘れた記憶なのだとしたら……。そう考えると急に怖くなってくる。

 なのに、
「大丈夫だよ」
 と、大雅が笑うから、それだけで胸が少し軽くなる。

 たったひと言で元気にしてくれる魔法使いみたい。

「僕がそのときは守ってあげる」
「え……あ、うん」

 照れたように空に目をやる大雅に、私は目を閉じた。

 もう認めよう。


 私は……大雅に恋をしているんだ。