イナハタは、いつも本を読んでいて大人びた物言いをした友人だった。

 ミサナは、アパートに住んでいた私が大好きだった女の子。

 私はよく待ち合わせに遅刻した。その二人とよく一緒にいたのは、人見知りだけれど足がとても速くていつも私と勝負していた『マチダ君』だった。彼女が行方知れずになった後、電車事故で死んだ男の子が彼だった。
 

 私――『ハヤミ』には確かに娘はいたが、成人はしていない。

 まだ記憶が混濁しているようだ。
 うまく思い出せない。

 どこかへ行かなければと、車を走らせていた途中からの記憶がなかった。

 そう思った私は、そこでふっと目を開けた。鬱蒼と茂った暗い森が見えた。背後にはあの【家】があって、私は今、開けられた玄関前で森を向いた状態で横たわっていた。

 あの【家】を背に、胎児のように膝を抱えた姿勢でじっとしている。

 一体いつから、こうしているのか分からない。

 ただ、眼球も動かせない私の脳裏に、一つの鮮明な光景が映し出された。

 この【家】の長い廊下の奥から、四つん這いになった女が、四肢を振り乱して恐ろしい形相で駆けてくる光景だった。ボロ衣のようなワンピースからは、痩せた長い手足が伸び、黄色く分厚い爪の先には湿った黒い土が挟まっている。

 まるで異形の生き物のようだった。四肢を振り乱して激しい足音を立てながら、その女は物の数秒で廊下を走り抜ける。そして玄関に辿りつくと、立ち上がり、首をゴキリと回して膝を抱えて横たわっている私を見下ろした。

 その視線が定まった瞬間、女が大きく歪に笑んだ。高笑いするかのように「だって、一度入ったら出られないよ」と低い濁声が発せられる。

 直後、その両手が鞭のように動いた。
 女は私の頭部を掴むと、一気に捻じり上げ、ボキリとへし折った。


 私の視界は、あっけなく、ぐるんと回って暗転した。



                  了