「ありがとうございました。無事に学校の適正検査は受かりました」

後日、茜さんはランドールを訪れ、マスターへの感謝の言葉を伝えた。
放課後のことで、適正検査は今日行われたばかりらしい。

「では、橘さんとの交際も?」

「はい。ミストのおかげで、相性のほうも問題がないと言われました」

本来であればバッティングしてしまう炎同士の相性。

マスターはそれをミストを使って一時的に変化をさせた。今回は茜さんを水の性質に変えたらしい。

炎と水は相性はよくなさそうなイメージだけれど、子供が生まれる場合はむしろお互いを補完するような感じになるとか。

「それはよかったですね」

「はい。マスターのおかげです。明日美ちゃんも喜んでくれていました。マスターに直接お礼を言いたいとも言ってたので、後で連れてきますね」

今日は茜さんはひとりだった。
マスターが報告をしに来るときは、誰も連れてこないようにと言っていたから。

「どうして明日美さんが先なんですか?」

「え?」

「こういう場合、彼氏である橘さんの名前を真っ先に出すのが普通だと思うのですが」

確かにそうだ。今度一緒に挨拶にくるのなら、優太さんであるべきなのに、茜さんはなぜか明日美さんの名前を出した。

「それは」

「とりあえず、椅子に座ってください」

茜さんはマスターに言われた通りにスツールに腰かけた。

「片岡さん、あなたは親元を離れて一人暮らしをしていると言っていましたが、実際には孤児ではありませんか」

茜さんの表情が緊張で強張るのがわかった。
その反応を見て、マスターの指摘が事実なのだとわたしは知った。

「親の後を追って北黎に入ったとあなたは言いましたが、あの高校ができたのはいまから十五年前のことです。高校生の親が通っていたというのは、現実的とは言えません。その時点でわたしはあなたに疑いを持ち、関係者を通じて調査を行いました」

「……」

「あなたの両親はすでに亡くなっている。
いまから十年ほど前、特務部隊によって殺害された。違いますか」

マスターは事件の概要について説明した。

茜さんのお父さんは魔法士であり、特務部隊にも所属していて、その地区のリーダーを任せられるほどに優秀だった。

でも、あるとき、重大な疑いがかけられた。

それは外国の政府と繋がりがあるのではないのか、というもの。

特務部隊が共有している機密が外部に漏れた疑いがあって、それを辿っていくと茜さんの両親にたどり着いたという。

二人は事情聴取のため、本部のある中央へと移送されることが決まった。
アクシデントが起こったのは、その途中でのこと。車が何者かの襲撃にあったという。

敵国のスパイが、茜さんの両親を取り戻すために襲ったのだ。そして。

「あなたの両親は戦闘の結果亡くなった。あなたは孤児となり、施設へと預けられることになった。事件が事件であったためにあなたは名前も変えられることになり、片岡茜として新しい一歩を踏み出すことになった」

茜さんはいまだに何も言わない。スツールに座ったまま、うつむくようにしている。

「戦闘が起きたとき、現場の指揮を取っていたのは護衛目的で派遣されていた橘さんのお父さん、橘海斗さんでした。対処に当たったのは複数の魔法士でしたが、あなたにはリーダーであるその名前だけが深く刻まれ、憎しみを募らせていった」

マスターの言いたいことは、さすがにわたしにもわかった。
茜さんが優太さんに近づいたのは、復讐のためであると、そう言っている。

「橘家は血族として、全国に知られる存在です。その子供がどこの高校に進学したのかも、調べるのは簡単です。あなたは橘さんに近づくために北黎に入学し、偶然を装って交際を開始した」

「……」

「どのように復讐をするのか、あなたには具体的な計画はなかったのかもしれない。それでも、何もせずにはいられなかった。橘さんに接近させすれば、どうとでも出来ると思ったのかもしれない」

「……ずっと辛かったんです」

茜さんは語った。自分の生い立ちと、その時々に感じていた感情を。

マスターの言ったことはやはり事実で、茜さんの両親は優太さんのお父さんによって殺害されていた。

茜さんは人生の大半を施設で過ごし、その不遇さから橘家を恨まざるを得なかった。

「わかっています。わたしのこの感情は逆恨みでしかないとうことは。でも、この気持ちはどうすることもできないんです。わたしにとって両親は優しくて、とてもテロリストと内通しているようには見えませんでした。心のどこかで国が嘘をついてるんじゃないか、橘家が功績をあげるために罪を捏造したんじゃないか、そんな風に思ってしまうんです」

わたしの頭には部屋の片隅で孤独に震える少女の姿が自然と浮かんでいた。

仮に名前が変わって周囲の誰もその過去を知らなくなっても、茜さんの記憶から消えることは決してない。

「いまもその気持ちに変わりはないんですね」

茜さんはうなずいた。

「ではひとつ、あなたにとっておきの復讐方法を教えてあげましょう」

茜さんが顔を上げて、マスターを正面から見た。

「橘さんと結婚をすること、これがあなたにできる最大の復讐です。二人の間に出来る子供は、一般人である可能性が極めて高い。橘さんには兄弟はいませんから、それで血族の歴史を終わらせることができる。橘家にとってこれほどの苦痛はないでしょうから」

「で、でも」

「確かにこの国では相性の悪い二人は結婚をすることは難しい。しかし、海外ならどうでしょうか」

「海外?」

「結婚士による仲人制度は、海外では採用していない国も多い。どこかの国に二人で留学をしてそのまま結婚すれば、あなたの復讐は完了するのではないですか?」

「優太さんは」

海外での就職を考えていますよ、そう言おうとしたけれど、マスターがわたしの発言を遮るように手で制するしぐさをしたので、わたしは言葉を止めた。

「あなたがもし、橘優太さん個人に憎しみを感じているというのなら、その生活は苦痛の連続かもしれない。しかしそうでないのなら、あなたにとっては最適な選択になると思うのですが、どうでしょうか」

「……」

茜さんは言った。いまも復讐する気持ちには変わりはないと。

でも、わたしが見る限り、茜さんの目は決して憎しみに染まっているわけではなかった。

そこにあるのは迷い。両親への想いと、彼への気持ちに揺れている。

「わたしは橘さんの気持ちを代弁するつもりはありません。彼の気持ちはあなたが一番良くわかっているでしょう。ただひとつ先輩としてアトバイスするのなら、人と人の心が通じ合うとき、そこに必要なのは必ずしも前向きな感情だけではないということです。片岡さん、あなたの負の側面を理解してくれるのは、もしかしたら彼だけかもしれませんね」