わたしの名前は芹沢凛。
高校を卒業したばかりの十九才で、いまはこのランドールで働いている。

ランドールはカウンター席のみなのでとても狭い。
食事を出すこともないので、マスター以外の従業員と呼べるのはわたしだけ。

マスターはコーヒー作りやその管理に専念しているから、お掃除や会計はすべてわたしの仕事となる。

「いらっしゃいませ」

お客さんがお店に入ってきたときの挨拶もわたしの仕事。
今日やってきたのは二人組の女子高生。事前に佐伯さんから連絡があったので、その二人が誰なのかはすぐにわかった。

「佐伯明日美さんと片岡茜さんですね」

「はい、おじいちゃんに言われてここに来たんですけど」

「うかがってます。まずはこちらに」

わたしがカウンターまで二人を連れていき、スツールに座らせる。

目の前に立つマスターを見たとき、二人はしばらく固まっていた。
本当にこの人がマスター?と目が問いかけている。
カフェのマスターというイメージよりも若かったからかもしれないし、端正な顔立ちに見とれていたからかもしれない。

マスターはまだ二十代の中盤で、あどけなさの残る顔は学生でも通じるくらいだけど、落ち着いた雰囲気を醸し出しているから、そのギャップに戸惑っているのかも。

「はじめまして。わたしは春日部尊といいます。佐伯明日美さん、片岡茜さんで間違いありませんね」

マスターがそれぞれを手で示して確認すると、二人は頷いた。

「では、目覚めを希望しているのは片岡茜さんのほうということですね」

「はい、わたしです」

明日美さんと茜さんは対照的な二人だった。

明日美さんは長髪でスレンダーな体型、茜さんは小柄で短髪。

マスターから見て右側に座っているのが茜さんで、緊張しているのか、小さな体をさらに縮こまらせているようにも見えた。

「ここはカフェですから、本来であればお望みのコーヒーを提供するべきですが、まずは片岡さんの状態を確認したいと思います。よろしいですか」

「状態を確認、ですか」

「片岡さんに魔法の才能があるのかどうかを調べたいのですが」

「あ、はい」

茜さんは素直に手を前の方に向けた。
マスターはその手に自分の手を重ねるようにした。

一定レベル以上の魔法士は、他人の魔力も感じ取ることができる。相手の手に触れるだけでも可能。

「……片岡さん、直近の適正検査は入学前のことですか?」

「はい、三月ですけど」

「そうですか。では、この三ヶ月の間に変化が生まれたのでしょうね」

「え?」

「片岡さん、あなたはすでに魔法士として覚醒していますよ」

「本当ですか?」

魔法士の適正検査というのは学校では定期的に行われるけれど、それでも数ヶ月に一回くらいのペース。

前兆みたいなものはあまりないから、検査直後に力が判明することだってある。

「全然気づきませんでした」

「そういうものですからね。自覚のある人の方が珍しい。性質についても知りたいですか?」

「それもわかるんですか?」

高位の魔法士は、その人がどんな魔法が得意かも知ることができる。マスターもそのひとりだ。

「ええ、一応結婚士としても認定を受けていますから」

結婚士、それは魔法士同士が結婚するときに仲人として証人となる人物のことだ。

この国では魔法士は勝手に結婚することはできない。

二人の相性を診断し、それが適切なものかを調べる必要がある。

なぜかというと、組み合わせがよくない場合には夫婦の間に出来た子供が魔法の能力を受け継がない可能性が高くなるから。

魔法士はいまや、国力の象徴でもある。

魔法士の数が国の盛衰を左右するとも言われるほど。だから結婚士による証明を求められる。この二人の間に出来る子供は確実に魔法士である、と。

「じゃあ、もしわたしが相性診断をお願いしたら、調べてくれるんですか?」

「お相手がいるんですか」

「え、その」

言い淀む茜さん、明日美さんはその肩を軽く叩くようにした。

「この子にはいま同じ学校の彼氏がいるんですけど、その人も魔法士なんですよね」

「なるほど、だからわたしを頼ったんですね」

「もちろん、まだ結婚を考えるような年齢じゃないんですけど、うちの学校には面倒な規則があるんですよ。魔法士同士じゃないと交際は認められないという」

魔法士と一般人の交際や結婚は必ずしも無理、というわけではない。

ただ、政府はより優秀な魔法士が生まれやすい魔法士同士の結婚を推奨していて、学校のなかにはそれに則った制度を適用しているところがある。

「ちなみに、その彼氏のタイプはわかっているのですか?」

「攻撃系です。炎使いのようです」

魔法士は大抵の場合、ひとつの能力に特化している。
複数の魔法を使うことができる人もいるけれど、それはあくまでも稀なケース。

「では、その方とのお付き合いは難しいかもしれませんね」

「え?」

「片岡さんも炎使いのようですから」

同じ属性での結婚、これはなかなか難しいとされている。

個性が打ち消し合うため、子供にはなんの能力も受け継がれないことが多いから。

魔法士の生まれる確率がゼロではないらしいけれど、とても低いことは研究で明らかになっているとか。

「……やっぱり」

茜さんがぽつりとそう呟き、マスターは怪訝そうな表情を浮かべた。

「やっぱり?」

「あ、いえ、以前に遺伝的な要因で能力が決まると聞いたことがあるので」

茜さんの家系は炎使いがよく生まれるという。
夫婦の組み合わせがすべてではなく、遺伝的なものが能力を左右する場合もごく稀にあると言われている。

「では、両親のどちらかが炎使いということですか」

「はい。父がそうでした。お母さんは一般人でしたけど」

「炎使いは魔法士のなかでもポピュラーなもののひとつで、受け継がれやすい性質もあると言われています。相手が一般人の場合でも変な干渉は受けないとされていますから、遺伝はあまり関係ないかもしれませんね」

「じゃあ、茜は彼と付き合えないじゃないですか」

明日美さんが本人かと思うくらいにガッカリした様子で言う。

「そんなに厳格なシステムなんですか?」

わたしが二人にそう聞いたのは、わたしの母校ではそこまでの縛り付けはなかったから。魔法士か一般人に関わらず、交際程度なら報告の義務はなかった。

「うちは北黎なんです」

その名前はわたしも知っている。

この辺りだけじゃなく全国的にも有名な私立で、学業やスポーツはもちろん、魔法士の育成でもトップクラスと言われる高校。

それだけに相性の面でも厳しく管理しているようだ。

「それなら、仕方ないですね」

「でも、二人はお似合いだし、茜はバイトをしてまで北黎まで来てるから、うまくいってほしいんです」

北黎は名門だから、全国から生徒が集まる。

茜さんもそのひとりらしく、いまは親元を離れて独り暮らしをしているという。

茜さんが暮らしているのは、明日美さんの親が管理しているマンションで、そこがきっかけで二人は仲良くなったらしい。

「二人の関係を申告しなかったらいいんじゃないですか?」

学校に何も言わずに黙って交際をすることもできるんじゃ、とわたしは思った。
友達か恋人かなんて判断は他人には難しいわけだから。

「それがばれたら退学処分もあり得るんですよ。密告制度もあるから、隠れて交際も難しいんですよね」

そもそも、北黎では魔法士と一般人の間には大きな壁があり、とくに男女だと友人関係だけでも注意をされることがあるらしい。

学生に立場の違いを理解させることで、魔法士としての責任の大きさを自覚させることが目的だという。

だからこそ、茜さんは早く魔法士として目覚めたかったということのようだった。

「じゃあ、いまはその彼とはまだ、遊びに行ったりはできないんですね」

「好きな気持ちは確認しあってるんですよ。でもいまのままじゃ校内で話し合うことも難しくて」

ね、と明日美さんが茜さんに確認するように言う。
茜さんはおとなしい性格らしくて、さっきから話を進めているのは明日美さんのほうだった。

「なら、マスターにお願いしたら、いいんじゃないですか」

わたしがそう提案すると、二人は首を傾げた。

どうやらその辺りの事情までは知らないらしい。

ここに来たのはあくまでも魔法士としての覚醒だけが目的だったみたい。

「マスターは特別なエンチャンターなんですよ」

エンチャンターは付与魔法士のこと。
自分以外の誰かに魔力のベールをかけ、能力を強化することができる。

「でも、エンチャントは表面的なものですよね。それでどうするというんですか」

「だから、特別だと言ったんです。マスターは魔力がブレンドされたコーヒー、ミストを作ることができるんです」

エンチャントは明日美さんが言ったように表面的なもので、その性質を変えるのではなく、あくまでも付与。

本人の能力を上げることしかできない。

でも、マスターの作るミストは違う。

コーヒーを通して内部にまで入り込み、魔法士の本質と言われる霊魂に作用する。

魔力のベールで霊魂を包み込み、一時的ではあるけれど、性質を変化させる。

マスターはあらゆるエンチャントを習得しているので、様々な性質に対応をすることが出来る。

「本当、なんですか」

ミストは誰にでも作れるものじゃないから、一般的には知られていない。

二人ともまだキョトンとした顔をしている。

わたし自身、マスターと出会うまではこんな能力があるだなんて知らなかったから、その気持ちはよくわかる。

「ええ。エッセンスならいますぐにでも試すことができますよ」

エッセンスはミストを弱体化したもの。

その人と同じ性質を付与することにより、内部から活力を刺激して相手にエネルギーを与えるというもの。

能力の覚醒の場合もこちらを使用する。

ここにはサイフォンもあるけれど、マスターがミストを作るときは必ずドリップ方式を採用している。

ペーパーとネルを使い分けることに意味があるから。

本格的な性質変化を起こす場合のミストは目の細かいペーパーを、軽くエネルギーを与えるだけのエッセンスならネルを使うようにしている。

お湯を注ぎ、ネルを通して液体が落ちていく間、マスターは魔力を注ぎ続けている。

わたしにはよくわからないけれど、お湯の量や注ぐタイミングを微妙に調整しているらしい。

「ブラックのままですか?」

出来上がったコーヒーを目の前に置かれたとき、二人は戸惑った様子だった。
女子高生はブラックには慣れていないのも当然かもしれない。

「そのほうが効果が高いですから」

柔らかいエッセンスは、健康な人だとハッキリとそうだと感じるものじゃない。

実際にコーヒーを飲んだ明日美さんは若干首を傾げるようなしぐさを見せた。

「すいません、よくわからないんですけど」

「体調によっても違いますからね。明日の寝起きなら実感できるかもしれませんね」

これが肉体労働をしている人や病で衰弱した人なんかだと反応も違う。

体が一瞬で軽くなったような感覚になり、表情もパッと明るくなる。
だからバイトをしているという茜さんには効果があったようだ。

「わたしはなにか感じます。体の奥から熱が沸いてでてくるような、そんな感じがします」

「アルバイトは辛いですか?」

「はい。でも、自分で決めたことなので、弱音を吐いている場合じゃないんですけど」

「そこまでして北黎に通いたい理由ってなんなんですか?」

わたしがそう聞いた。
北黎はたしかに名門だけれど、そこでしか学べないというものもない。

わざわざ独り暮しをしてまで通う理由がなんなのか知りたくなった。

「その、親が北黎出身なので、自然と行きたいなと思うようになって」

「そうですか。いいところだと聞かされたのですね」

「はい」

「実はわたしも北黎を卒業しているんです。後輩のためなら、一肌脱ぐのも良いかもしれませんね」

「え?」

「どうしてもその彼と付き合いたいというのなら、本格的なミスト、試してみますか?」

「いいんですか?でもわたし、お金とか余裕はないんてすけれど」

「お金は元々頂きませんよ。ミストはあくまでもサービスですから」

ここを訪れる人はみな運命に導かれてやっくるのだと、以前にマスターから聞いたことがある。

だからミストではお金は取らないと。
そういう人の悩みに向き合うのが自分のまた、運命でもあるからと。

「じゃあ、お願いできますか」

「ええ。ミストは長続きするものではありませんから、定期検査の直前にもう一度ここを訪れる必要はありますけど」

やったね、と明日美さんが茜さんの肩を叩くようにした。

茜さんはうなずき、はにかむような表情を浮かべる。