しばらくして、彼女はスケッチブックから顔を上げた。真っ直ぐ見つめ返してきた表情は笑っていて、微塵の疑いもない強気に満ちていた。

「あなたは『知らない』『分からない』と言うけど、じゃあ、どうしてあなたの絵の中の人は、皆違う表情を見せているの? あなたはね、きっと人が見せる一瞬一瞬が好きで仕方なくて、それでいて誰よりも凄く興味を持っているのよ。じゃないと、こんな絵は描けない」

 彼女は自信たっぷりに「間違いないわ」と言い、強い眼差しで見据えてきた。

 どうしてこんなにハッキリ言えるんだろう。僕の何を知っているというんだ、と思いながら黙って見つめ返していると、こちらの回答を諦めた様子で恵が強気な姿勢を解いた。出会ってから初めての、どこか可愛らしい笑みを浮かべて肩を竦めてみせる。

「ほんと。あなたって、とんでもなく捻くれ者だわ」

 言いながらスケッチブックを返されて、彼方はそっと受け取った。それをじっと見下ろし、一度ゆっくり瞬きをして浅く息を吸い込むと――。


「僕には、よく分からないよ」


 そのまま新しいページを開いて、スケッチブックを立て掛けた。