好きだ、好きだと僕は泣いた

 まるで分刻みのスケジュールを設けているみたいに、両親の食事はかなり早く終わる。父はきっかり八時前に家を出て、母も八時に自身が経営している美容会社へと出かけていった。

 一人残された彼方は、残りの料理を味も分からぬままのろのろと胃に詰めた。満腹を不快に感じながら食卓の上を片付け、それから一人ぼんやりとテレビを眺める。見慣れたニュース番組は、今日の天気と運勢を伝えたあといつものニュース放送を始めた。

 事件事故で誰々が亡くなった。どこどこの県で自殺した高校生の遺族が、学校側を相手に裁判を起こした。そんなニュースが流れ、彼方はテレビ画面の中で涙する人々の顔を眺めた。

 漠然と死について考えた。喪失感、悲壮感。それでも変わらず生活(じんせい)は続いていく。誰にでも死は訪れ、誰もが死に関り、毎日何十何百という死が続いていく。

 思い返せば、彼方は祖父が亡くなった時も、彼らのようにして涙する事はなかった。涙する母に不思議に思って「どうして泣いているの」と幼心で尋ねたのを思い出す。


――『知って、理解して、受け止めているからよ』


 当時、そう答えてきた母の言葉が、彼方の頭を何度も行き来した。