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 「やり直したい瞬間」というのは、日常の中に無数に存在しているものだということを、愛梨は魔法の薬を使うようになってから改めて意識するようになった。
 あと数分早く家を出ていれば一本早いバスに乗れたのに、だとか。つい先ほど買ったリップよりもかわいいものを別の店で見つけてしまった、だとか。
 ただまあ、その程度のことは自分の中で「仕方ない」と片付けられる。
 それができずにいつまでももやもやとしたものを抱えてしまうのは、やはり人間関係に関することだった。
 自分の発言で苛立たせてしまったかもしれない。変にでしゃばりすぎてしまったかもしれない。逆に、あのときはもっと積極的に言うべきだったかな……。
 そんな不安が、常につきまとっている。
 そして、「これを抱え続けていくのはしんどいな」と思ったときに、愛梨は魔法の薬を使うようにしていた。

「交友関係を維持するってのも大変だね」
 愛梨から話を聞いた夏帆は、興味があるのかないのかよくわからない、いつもどおりの無感情な様子でそう言った。
 月曜日の朝、週明けの最もだるい登校時間である。家が近いふたりは、魔法の薬のことをきっかけに、こうしてたまに一緒に登校することがあった。
 そして愛梨が最後に魔法の薬を使ったのは、日曜日の夜。土曜日の昼頃に、いつものグループチャットで「遊びに行こう」という誘いがあったものの、日曜日は家族で隣県の親戚のところへ行く予定になっていたので、断ったのだ。
 しかし日曜日の夜になって、後悔した。その日にあったことを楽しそうに話し合うグループチャットに、途方もない疎外感を覚えてしまい、結局愛梨は時間を巻き戻して土曜日の昼へと戻った。
 家族には「お腹が痛い」と嘘をついて、二回目の日曜日は友人たちと楽しく遊んできた、というわけだ。
 そのことを夏帆に話すと、先程のような言葉が返ってきたのである。
「まあ、わたしがもっとうまくやれればいいだけの話だと思うんだけどね」
「十分うまくやってると思うけど。中学の頃からずっと上位グループにいるし」
「そんなことないよ」
 とっさにそう返したものの、愛梨自身にもその自覚はある。おしゃれが好きで流行に敏感な子たちと一緒にいるうちに、自然と学年の中で目立つグループに属するようになっていたし、そのことを心地いいとも感じていた。
 自分たちは一目置かれている、とわかるのは、正直に言って気分が良い。
 だからこそ愛梨は、いつも密かに必死だった。変なことをして、グループから外されないように。
 上位グループにいるからこそ、そこから外れて「ぼっち」になったときのことを考えると、とても怖い。
 隣を歩く夏帆の横顔に、ちらりと目だけを向ける。
 教室でひとり静かに本を読んでいるときも、ひとりでご飯を食べているときも、いつも涼しげな顔をしている夏帆。

 うまくやっている、と彼女は言うけれど。
 愛梨からしてみると、必死になって立ち位置を保とうとしている自分の方が滑稽で、ひとりで過ごしていても平気そうな夏帆の方が、よほどかっこよく見える。

「……あ、そういえばさ。時間が巻き戻るときって、そっちはどんな感じなの?」
 ずっと気になっていたことを尋ねてみる。夏帆も記憶を保持しているということは、当然「時間が巻き戻った」ことも認識しているはずなのだが、その巻き戻る瞬間、夏帆の意識はどうなっているのだろう。
「眠りに落ちるときみたいな感じ。意識がぼんやりして、『ああ、巻き戻るのか』ってわかる」
「ああ、じゃあ薬を飲んだ本人と似た感じなんだね」
「そう。でも、なんの前触れもなくその瞬間が訪れるから、ちょっとびっくりはする。一回目の日曜日とか、お風呂に入ってるときに巻き戻ったから」
「……なんか、ごめん」
 確かに風呂に入っている最中に時間が巻き戻り、素っ裸の状態からいきなり別の時点へ飛ばされるのは、驚くだろう。
 軽く申し訳なくなって謝罪すると、「いいよ、別に」と受け流された。そのさらりとした態度に、罪悪感がすっと薄れていく。
 ……きっと愛梨は、夏帆のこういったところに甘えている。