ほかの人より声が大きく、少しずれたことを言ってしまう穂花は、良くも悪くも人より目立ってしまう。そうなると、当然穂花を良く思わない連中も出てくるわけで、簡単に嫌がらせを受けてしまう。

 確か、小学五年生の時だったはず。

 初めは通り過ぎる度に椅子の足を軽く蹴る程度だった。その時穂花は無視を選択した。けれど無視という選択肢は懸命な判断とは言いにくい。当事者を諦めさせるか、逆に煽り立てるかだ。

 残念ながら穂花の場合は後者だった。

 その頃から穂花は悪い意味で人を寄せ付けてしまうらしく、一部の奴らが発案した通り際に椅子の足を蹴るゲームの被害者にされていた。

 徐々に蹴る勢いが強まっていき、終いには穂花が座る直前に椅子を思い切り引かれようになっていた。その度に穂花は何度も尻もちをついて周囲の期待通りの反応をした。

 それでも穂花は気丈に椅子を元に戻し、無視を貫き通していた。一人で抵抗していた。

 その時僕含めた何人かが穂花を護ろうとしていたけれど、力を持っていない僕らはまとめて嫌がらせの対象となった。

 ある日、決してやり返さないことに気が付いた奴が、穂花が椅子に座っているにも関わらず、力一杯椅子を引いた。穂花は勢い余って後ろに倒れ、その拍子に床に後頭部を強打し救急車で運ばれた。

 そこでようやく穂花に対する嫌がらせが終結した。

 取り返しがつかないところまで行き着いて、ようやく事態は終息する。

 教室中に響いた鈍い音は、さっきタブレットのガラスが割れるような音に近い。

 幸い穂花に大きな怪我はなかったが、あれ以来誰かが後ろを通ると、反射的に身体をこわばらせるようになった。

 さっき僕が穂花の近くにいった時にびくついたのは、その時の後遺症に違いない。穂花の身体には見えない傷が刻み込まれている。

 そのことを、柿谷さんや栗林さんや荒木先生、それに今のクラスの奴らが知る由もない。

 あの時僕らは徹底的に戦えば良かったのだろうか。

 たぶんそれは正解じゃない。きっと同じ結末を辿るはずだ。

 一度でもああなると、教師の力を持ってしても、どうすることができないだろう。それを避けるためには、あらかじめ標的とされない立ち位置を勝ち取るしかない。

 幸い僕は高校進学という絶好の機会に、優等生というポジションを得ることができた。残念ながら穂花は何者にもなれなかった。

 「無理すんなよ」

 そう言ってから、自ら放った言葉に苛立ちを覚えた。

 僕は一体何様のつもりなのだろう。

 たった数ヶ月前まで穂花と変わらない立ち位置だったのに、安全な位置を得た途端にこれだ。本当に何様のつもりなんだろう。

 「楓ってさ、最近めっちゃ変わったって思ってたけど、やっぱ昔のままだよね」

 「どういう意味だよ」

 「別に。楓と一緒のクラスで良かったってこと」

 自己嫌悪に陥っていると、穂花は僕の顔を不思議そうにじーっと眺めて言った。

 ズレているようでいつも核心をつく言葉を無神経に言い放つ。そういうのが敵を作ると思うし、そんな穂花を助けたくもなる。

 「あっそ。何かあったらーー」

 「安心して。学校では楓に絡まないから」

 言い切ることは許されなかった。危ない。

 どこかで頼られたいと思う自分がいた。匂わせる言葉をあいつに投げられたものだから、つい思い上がってしまった。

 「もう行くよ、タブレット本当にごめん」

 「もう良いって。またね」

 これ以上話を長引かせるのは危険だ。

 僕はすぐに自分の机を漁り、たまたま手に取ることに成功した社会の資料集を強引に引っ張り出し、逃げるようにそれを持って教室を出る。

 同じクラスなのだから明日も明後日も顔を合わせる。でも、僕たちは高校に進学してから、なるべく接点を持たないようにしていた。
 きっと穂花も僕らが住む世界が変わってしまったことを認識しているはずだ。

 だからこそ、さっき面と向かって会話を交わしたことや、またねと言われたことが素直に喜べない。

 教室を出る間にもう一度振り返る。穂花は何事もなかったかのように、ひび割れたタブレットの画面に集中していた。

 既に別の世界の中にいるようだった。