蒼緋蔵家の番犬 2~実家編~

 普通の休日を過ごす家族の中にいるのが、なんだか落ち着かない。

 蒼緋蔵家の広大な敷地内にある広々とした原で、妹の緋菜と訪問客のアリスが、楽しそうに花冠を作る様子を眺めながら、雪弥は引き続き乗馬を楽しんでいる亜希子達の賑やかさを耳にして、そう思った。


 大事な家族の、穏やかで楽しげな空気が周りに溢れているのに、すぐにでも離れたいような居心地の悪さを覚えてもいた。楽しげに触れあう両家の人間を前にすると、どうしてか自分だけが、場違いな場所にいるように思えて不安になるせいだろうか。

 緊迫もない時間ばかりが流れている場所に自分がいて、なぜ一本一本の花が千切れてしまわないよう、繋いでいっているのかも分からない。お互いの首に花飾りを掛けあった緋菜とアリスが、嬉しそうな顔で笑うのを見て戸惑う。

 なかなか力を調整出来なくて、雪弥の花飾りの作業はあまり進まなかった。茎が千切れ、繋ごうと結び目を作ろうとしても上手くいかない。
「お兄様って、意外と不器用なのねぇ……ちょっとびっくり」
「ごめん……。というかさ、男はあまりやらない事のような気がするんだけど」
「あら。蒼慶お兄様、とっても上手なのよ」
「!? ――げほっ」
「どうしたの? 大丈夫よ、ほら、私がやってあげるから」

 緋菜がそう言って、アリスと共同作業で、雪弥の『花のネックレス』もあっさりと作り上げてしまった。

 花飾りは、アリスが怖い夢を見ないように、という緋菜の提案で作る事になったものだった。それは蒼緋蔵邸の広大な庭先の一つである、広がった緑地帯の一部を覆い咲く白い花が使われた。

 小さな白い花だった。名前はあるが、雪弥はそれを知らなかった。幼い頃に初めて見た時、どこかで見た事がある風景だと、そんな事を感じたのを覚えている。

 雑草の一種だという良い香りがするその花で出来た飾りは、すべてアリスの小さな身体につけられた。一つだけ、いびつな繋ぎ目を作った花のネックレスを抱き寄せて、彼女は本当に嬉しそうな顔をして「雪弥様、ありがとう」と言った。
 その少しあとに、乗馬を終えた亜希子達がやってきて、蒼慶と桃宮も合流し、宵月がサンドイッチの入った大き目のバスケットを持って来た。

 全員が緋菜達に習うようにして腰を下ろし、蒼慶も敷物の有無も訊かず顰め面のまま、さも当たり前のようにサンドイッチを口にした。


 時間がゆっくりと流れている穏やかな空気の中、雪弥は落ち着かずに何度も身体の位置を変えた。ここに自分が居て、こうして彼らと一緒になって座っているのが慣れなかった。

 普段は自分がいないはずの場所だった。それなのに、亜樹子と緋菜が普通に笑い合っていて、宵月が当然のようにこちらにも気を配ってくる。蒼慶も一方的な嫌味も言ってこないまま、時々「食え」とサンドイッチを寄越して来て、桃宮一家を交えたお喋りに参加したりしていた。

 急きょ始まったピクニックのような時間が終わったのは、午後四時を回った頃だった。雪弥は、ぼんやり非日常な休日について考えていたから、誰が解散の一声を上げたのかは分からなかった。
「先に、書斎室へ行かれますか? これから、雪弥様に蒼慶様からお話しがあるようですが、まずは一旦、桃宮様と奥様達をご案内しなければなりません」

 そう宵月に声を掛けられて、ふっと我に返った。

 目を向けてみると、立ち上がる面々のそばで、宵月がこちらを覗きこむようにして背を屈めていた。そのまま共に移動するか、訪問客の対応をこのまま一旦蒼慶達に任せてしまうか、来客対応に不慣れなこちらの気を遣ってくれているらしい。

 兄にしては、珍しい計らいのような気もするが、雪弥はそれを有り難く思った。「そうさせてもらいます」と答えると、誰よりも早くその場から離れた。

 屋敷の本館に入った際、何人かの使用人達と擦れ違った。彼らが思わずと言った様子で立ち止まり、目を向けてくるのには気付いていた。けれど自分を見送ったその視線に、どんな感情が含まれているのか、幼い頃の記憶が蘇って確認する勇気は出なかった。

 ああ、きっと、迷惑がられているに違いない。愛人の子、私達が尊敬している蒼慶様の立ち場を危ぶませる子供……そんな過去を思い返しながら二階へと上がり、彼らから自分の姿を隠すように、蒼慶の書斎室に入った。
 雪弥は扉を後ろ手に閉めると、室内に少し入った場所で立ち尽くした。開かれている窓から覗く、木々の葉と青い空が、整然とした書斎室によく合っている。

 上質な革で作られた、応接席に設けられている黒いソファ。焦げ茶の滑らかな光沢を放つ、四つの足に支えられた重々しいガラスの長テーブル。正面にある窓の前には、立派な書斎机があって、廊下とは色の違う室内の床も、そこに立ちこめる匂いも自分の知らないものだった。

「…………そもそも、僕が大人になった兄さんの仕事部屋を『知らない』のも、当然だっけ」

 幼い頃にあった専用の部屋は、勉強部屋だった。そう思い返した雪弥は、佇んだまま室内の様子をぐるりと見渡した。これからどんな話を聞かされるのかよりも、事を済ませたら、速やかにここを出なければならない事を考えてしまう。

 長居は出来ない。だって、やはり自分がいたらいけない場所なのだ。大切な家族だからこそ、あの穏やかで温かな日常に水を差してしまうような、分家や使用人達の反感だったり余計な騒ぎを、発生させてしまいたくない。
 どれくらいそうしていただろうか。
 一歩も動けず、ただ窓から吹き込む風を、ぼんやりと受けながら眺めていたら、扉の向こうから二組みの足音が近づいてまるのが聞こえてきた。

 雪弥が振り返った目の先で、ノックもなしにその扉が開かれる。

「話がある」

 目が合ってすぐ、この部屋の主である蒼慶が、相変わらず鋭い眼差しを向けてそう言った。その後ろで、宵月が静かに扉を閉めた。

             ※※※

 雪弥は、蒼慶に指されてソファに腰を落ち着けた。宵月が扉の前に控え立つ中、兄が向かい側に腰を下ろすのを見届けた。

「我々のように古くから続く家系の中には、『特殊筋』と呼ばれ、分類されている一族がある。一部の文献の中では、その呼び名については『遺伝的な奇病持ちの血族』であったとも記されている」

 組んだ足の上に手を置いてすぐ、蒼慶がそう切り出した。

 雪弥は、聞き覚えのある言葉だと気付いて、つい「特殊筋?」と訊き返すように口の中で反芻していた。先日の学園任務で遭遇した、恐らくは同一人物だろうと推測される、新聞で見た『夜蜘羅』という男の写真を思い返してしまう。
「説は様々あるが、そういった一族には、外的な奇形、もしくは言葉を理解しないといった者が生まれたとされている。実際はどうだったのかは知らん。私が注目しているのは、特殊筋と呼ばれている一部の武家の名家に残された文書によると、そんな者達が『戦場に駆り出されていた』という記述だ」

「それは穏やかな話じゃないですね。そこに『捨てて』きたわけですか?」

「勘違いしているようだが、彼らは決して弱者ではなかった、とされている。つまり『殺される側』の戦士ではなかったという事だ。何せ、『人間の形をした恐ろしい化け物が、戦場を暴れているように見えた』という一文も残されているくらいだからな」

 とはいえ詳細は分からん、と蒼慶は言う。

 雪弥は、手足が伸縮し『痛覚に異常のある』先日の異形の戦闘相手を思い返していたから、疑問に疑問を重ねるような問いは返さなかった。兄が語った『心身的に異常を持った戦闘能力の高い標的』には、少なからずエージェントの仕事で遭遇した事が思い出されて、集中がチラリとそれてしまう
 そもそも、戦闘能力が異常に高く『教育』された暗殺者や、肉体改造タイプの暗殺者も多くいる。殺す事に対して、自身の理由や辻褄を考えた事がない雪弥は、標的への関心を覚えず兄の話に意識を戻した。

「特殊筋という記述が登場するのは、三大大家、表十三家が確立した以降だ。戦争が絶えなかった時代背景のせいか、その言葉は、武家において天性の才を持った子がよく生まれる一族を示していた言葉ではないか、という説もある」

「それって、武家とか陰陽道とか、色々あったとかいう大貴族だった家々ですよね? 100年に一度の武才と言われるような人間が、その一族内にチラホラ出て有名だった家もあるって、兄さん昔言ってましたけど、それもまた特殊筋と一括りされていたと?」

「そうだと推測されるが、その言葉を正確に解説した書などは残されていない。だから、それゆえ定義は曖昧だ。西洋でいう魔術的な伝承が、そこから一気に増えるせいか、それとも意図的か。言い表しが曖昧なものが多く、事実なのかどうかも線引きが難しい」

 そう話しながら、蒼慶が思案顔で腕を組む。
「当時、特殊筋と呼ばれた不特定多数の一族によって、領土の奪い合いがなされていたという記録については、私が調べられた名家のもとには共通して残されている。ほとんどが『戦争の記録』で、そちらに関しては、ほぼ事実だろうと私は踏んでいる。――その光景を、地獄絵図と題して描いた男の画がある」

 そう告げた蒼慶が、顎を少しくいっと上げて指示する。その視線を受け取った宵月が、棚に用意していたらしい一冊の本を取って、テーブルの上に該当するページを広げて置いた。

 雪弥は、それを覗きこんだところで眉を寄せた。気のせいかな、と一度目を擦り、それでも確認せずにいられず蒼慶へと目を戻した。

「……兄さん、これ、どこかの教科書とか本で、見かけた覚えがあるんだけど」
「当時の絵の特徴、または画家の紹介などで、チラリと載ってもいる。これがその全貌画だ」

 その本のページいっぱいに印刷されていたのは、古い日本画だった。地獄を描いた創作絵画のように見え、中央では鼠のような顔をした男がいて、眉を寄せた虚ろな垂れ目で、こちらを恨めしそうに睨みつけている。