「斎王」という天皇にとって権威を保たせる役割を担っていた存在だけでは、天皇の立場を脅かす怨霊や祟りを鎮めることは難しかった。
それを補うために本当の力を持つとされた「闇夜姫(やみよひめ)」の功績は、そのような事情から公にすることは出来なかったのであろう。
「表の斎王」と「裏の闇夜姫」
彼女たちの人生は時代の波に流されつつ、どちらも崇高な存在としてあり続けた。
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カタカタと部屋に響いていた音がピタリと止む。
男はキーボードから手を放すと、丸まった背中を伸ばすように両手を挙げて伸びをした。
元は真っ白だったであろう部屋の壁は薄いグレー。
研究室のエアコンは既に十年を経っているせいか効きが悪い。
二月に入ったが埼玉の奥地という場所柄もあってか底冷えする寒さで、いい加減エアコンが突然死しない前に買い換えて欲しいものだ。
急に寒さを感じてぶるりと身体を震わせると、近くの椅子に放り投げていた白衣を取るため立ち上がって乱雑に取り腕を通す。
放置しっぱなしだった白衣は冷え切っていて、着るのは間違いだったかもしれない。
白衣は科学の研究をしているからでは無く、ただ洋服に無頓着な男にとってとりあえず羽織っておけば良いという便利さから着ているため、むしろトレードマークになっている。
カーテンを閉めていない窓を見ると既に外は真っ暗で、パソコン横に置いてある時計の文字盤は夜の六時過ぎを示していた。
不意にドアをノックする音がして、男はどうぞと声をかける。
「やはりまだ居たんだね。
良かった、朝日奈君に折り入って話があるんだよ」
入ってきたのは髪の毛が六十%以上白髪、あとはグレー色になった朝日奈宏弥(ひろや)の恩師でありこの研究室の教授、林田だった。
この時期に折り入って話がある、もう内容の予想は付いていた。
本来ならとっくに終わっているはずの助手契約の更新が無かったからだ。
国から大学へ支出される研究費用は年々大幅に減らされ、特に国文学科への費用など恐ろしいほどに削られている。
まだ大学院を卒業して一年だが、まさかもう肩たたきにあうとは思わなかった。
だがこれが現実、仕方が無い。
資料を乱雑に広げていたものをとりあえず横にどけて、テーブルの半分にスペースを作る。
窓側横のテーブルに置いてある粉のインスタントコーヒーを宏弥は作って、既にオフィス用の椅子に座っていた林田の前にそのマグカップを差し出せば、ありがとうと丸い顔の林田は笑った。
「何もかもわかったような顔をしているね」
テーブルを挟み、相変わらず表情をあまり出さない教え子に林田は苦笑いする。
目の前で猫背になりコーヒーのマグカップを持つ教え子は、少し猫っ毛な長い黒髪はいつ切ったのかわからないほどぼさぼさで、黒縁の大きな伊達眼鏡をかけている。
その理由を林田は知っているために、不衛生で無ければと宏弥のそういう姿を林田も学校側も許容していた。
「覚悟はしていましたので」
低い声の割に張りのある声。
林田は若いのに達観したようなこの若者を気に入っていた。
「『蓮華(れんか)学院女子大学』は知っているかね」
「東京の名門女子大ですよね」
『蓮華学院女子大学』
歴史ある女子大学だが、昔は良家の子女を通わせる学校の一つであり、今も品の良い女子大として卒業後見合いの際での肩書きに役立つと言われている。
場所は東京の早稲田にあり、隣には中高一貫の女子校もあってそのままエスカレーターで大学にあがる場合が多い。
「そこの学長とは友人でね、国文学科で教える人材を探していると先日食事をした際に聞かされたんだよ。
学生を教えられるとなれば最低でも助教以上でなければならない。
彼は長年勤めてくれる人を探しているようだったんで、朝日奈くん、私は君を推薦したんだ」
宏弥からすれば驚きの話だった。
まだ大学院を卒業してろくな研究結果もだしていないので肩書きは助手、ようは林田の手伝いをしていて授業など受け持っていない。
共著で書籍は何冊か出したが、そもそも本来研究したい内容が内容、どう考えても推薦に値する立場では無いはず。
ただ恩師にそう言ってもらえた、それが恩師なりの最後の気遣いだとしても、してもらえるだけ有り難い。