「私は王太子を辞し、セリーナ嬢との婚約を解消したいと思います」
突然ヒューベルトが申し出た。国王はびっくりした顔で見たが、王妃もフェリクスも表情を変えなかった。
「そなたは何をするのですか?」
「許されるのであれば爵位を賜り、フェリクス王太子を補佐できれば…と思っております」
「貴方を担ぎ上げ王太子に推す者、暗躍し王太子にしようとする者が現れたらどうしますか?」
「それ、は…っ」
セリーナはヒューベルトを見た。しどろもどろになりながら、何か発言しようとするが何も言葉は出てこない。深く考えもせず留意するよう言ってもらえると思っていたようだ。
「男爵位だ、それ以外は認めん。そして、当人及びその子孫も王族復帰は原則認めない。良いか?」
ヒューベルトは視線を彷徨わせたが、力なく項垂れ頷いた。「それで構いません」と。セリーナはヒューベルトへ(考えも覚悟も甘いのです。大公にでもしていただけるとでも?)と冷ややかな視線を送っていた。
「アドリアーナ嬢、此度のこと誠に申し訳なかった。私もヒューベルトもホライズン侯爵にこうも容易く唆されてしまうとは…情けない。アドリアーナ家からの婚約破棄として手続きしよう」
国王が改めてそう宣言した。ほっとしたのかセリーナははらはらと涙を流した。
「も、申し訳、ございません」
「良いのですよ」
涙を無理に止めようとするセリーナに王妃は優しく微笑んだ。
「父上、母上…お願いがございます」
今まで無言を貫いてきたフェリクスが口を開いた。
「幼少期より私はずっとセリーナを愛してきました。兄上の婚約者になってからもずっと。セリーナの気持ちがまだ私にあるのなら、私はセリーナと添い遂げたいと思います。叶わぬのであれば、賜姓降下も受け入れます」
王妃は満足そうに微笑んだ。国王もヒューベルトもぽかんと口を開いたままだった。サイフォンとシグルドは小さな二人が惹かれ合い、婚約の約束までずっと見てきた。そしてヒューベルトとの婚約成立時や、その後のヒューベルトとミリアリアからの理不尽な振る舞いに泣き暮らした日々も…ずっと。
仮にセリーナがフェリクスの求愛を断っても何とかしてやると、サイフォンもシグルドもそうできるよう行動を起こしていた。それが必要かはこの後の会話で決まるのだが。
「アドリアーナ嬢だと!?し、しかし…だな…」
国王は黙ってしまった。王妃は夫の采配を測っているような態度で黙って見ていた。しん―――と静まり、そこにいる全員が国王を注視している。
(やはり、いきなり慣例を無視したりするのはできない…か)
沈黙を保つ国王を見やり深く溜め息を吐いた。見切りをつけようかと口を開きかけた、その時―…。
「幼少期と言っていたが真か?」
「はい。七つの頃に将来を誓いました。その後すぐに横取りされましたが…」
フェリクスはギロリとヒューベルトを睨む。その視線の鋭さ、冷たさにヒューベルトは恐れ怯んだ。セリーナもフェリクスの表情に驚きを隠せなかった。
その冷めた視線がトラウマを刺激し、 全身から血の気が引いていくのがわかったセリーナ。指先が冷え、喉が渇いていく。頭がガンガンと痛みだしていた。
「そうか…よかろう。フェリクスとアドリアーナ嬢の婚約を認め…」
「お待ちください!」
国王がそう宣言しようとしたが、セリーナがそれを遮った。
「御言葉を遮るという不敬な対応をお許しください。私は…伯爵家の娘です。王族の方との婚姻に何も後ろ楯を御用意できません。ですので、私ではなく他の有力な後ろ楯のあるご令嬢をお選びください。申し訳ございません」
肩を震わせながらそう伝え、セリーナは深々と頭を下げた。フェリクスはセリーナの申し出に信じられないと目を見開き茫然と立ち尽くしている。
「セリーナ、どうして…?」
絞り出すように問うフェリクスに胸が痛むセリーナ。しかし、ぐっと堪え儚く微笑んだ。
「ヒューベルト様に向けられたフェリクス様の視線が…私が長年ヒューベルト様やミリアリア様から向けられていたものに感じてしまい、私には耐えられそうにないのです。いつか自分にそれが向けられるのではないか…と。ですから、フェリクス様は…もっと高貴な、王妃として申し分ない方と添い遂げてくださいませ」
王妃は天を見上げ、フェリクスは膝から崩れ落ちる。国王もヒューベルトも何も言えず沈黙を保っていた。
「わかった…ヒューベルトとアドリアーナ嬢の婚約はアドリアーナ伯爵側からの婚約解消とする。また、フェリクスとホライズン家との婚約は破棄とする。以上だ」
国王はフェリクスの落ち込み様を見て思うところがあったようだが、私情は挟まずに息子達の婚約を解消または破棄とする通達をして解散を宣言した。