今まで沈黙を保っていた王妃が声を荒げた。宰相以外は初めて見る王妃の激昂した姿に驚いていた。王妃の顔が良く見える場所にいたセリーナは、話の中盤から顔を伏せ怒りに震える姿が見えていた。謝罪もなしに解散を告げる夫に怒りは最高潮に達したらしい。
「グ、グレイス…?」
長年夫婦でいた国王も腰が引け、王妃の名を呼ぶだけになっていた。何とも情けない姿だったが。
「もう我慢なりません。陛下、貴方の目は節穴ですか?節穴ですよね?そうに違いありませんわ。だって、私がセリーナ嬢とお茶をしたという話も聞いておりませんでしたもの。あら?目の他に耳も悪いんですのね。最悪ですわ」
「な、な、な………っ!」
「王妃殿下とはいえ言葉が過ぎますぞ!」
憤慨して言葉が紡げない国王と、それを庇うホライズン侯爵。
「お黙りなさい。ホライズン侯爵、私がいつ…発言の許可を出したのかしら?」
冷ややかな視線をホライズン侯爵に向けた。冷ややか過ぎるその視線に肩を震わせる。
「このような些末な無礼は良いですわ。貴方には他に罪状がありますものね、たっぷり《・・・・》」
先程の冷ややかな視線とはうって変わり、にこやかに笑みを浮かべた。後ろに控える宰相は知っていたのだろうか…眉間に皺を寄せ怒っているようだった。
「でも先に…ヒューベルト・フォン・マクギリス、ミリアリア・ホライズン、前に出なさい。セリーナ嬢はご家族と共に立ち会ってくださいね?」
ヒューベルトとミリアリアに話す声色とセリーナに話し掛ける声色が全く違っていた。その違いに気付いたらしいヒューベルトとミリアリアの顔色は真っ白だ。
「何故二人が前に呼ばれたか理解して《わかって》いますか?当然理解っていますよね?お互いに婚約者がいるにも係わらず、何故学園内や社交の場、剰《あまつさ》え王城内で必要以上に接しているのですか?」
「それは!本来ならセリーナではなく、ミリアリアが私の婚約者であるべきだからです」
王妃の問いにヒューベルトが答えた。ミリアリアもその横で頷いている。薄く開いた瞳でそれを聞いている王妃。
「流石、国王《二重苦男》の息子だわ。自分の言い出したことを綺麗さっぱり忘れているのだから」
「忘れている…?」
「セリーナ嬢と婚約したいと言い出したのは貴方ですよ、ヒューベルト。そんな大切なことを忘れたのですか!?」
「え!?……………え?」
演技ではないヒューベルトの驚き方に王妃は盛大に溜め息を吐いた。
「全く以て遺憾です。『セリーナと結婚できないなら、王子なんて辞めてやる~』でしたか?あんなことを言われては陛下も『仕方ない。話を纏めよう』と返すしかありませんものねぇ」
次第に思い出したのか真っ赤に顔を染めるヒューベルト。国王は真っ青から真っ白に顔色が変わっていた。ヒューベルトの隣のミリアリアは真っ青になっている。(わぁ、顔色が変わっていく様は面白~い)と、セリーナは現実逃避を始めた。
まだまだ王妃の無双は終わらない。ミリアリアに向き直った。
「ホライズン侯爵の王家と縁続きになりたいという希望通りにフェリクスの婚約者にしたというのに…。第二王子では不満だったのですね。婚約者の兄に鞍替えしようとは」
「っ、ぐす…そんなことしてません。酷いですわ、王妃様ぁ」
甘ったるい声色で瞳を潤わせたミリアリアがヒューベルトに泣きついた。ここまで言われても婚約者のフェリクスではなく、ヒューベルトに泣きつける根性にセリーナはある意味感心してしまう。
「………?ヒューベルト様?」
直ぐに王妃に反論しないヒューベルトを不思議そうに見上げるミリアリア。ヒューベルトは真っ青な顔で汗をかいて微動だにしない。
「あらあら、ホライズン侯爵家では他人の婚約者に媚びを売りなさいと教えているのかしら?」
くすくすと笑う王妃。その言葉にミリアリアは顔を真っ赤にしてキッと王妃を睨む。しかし、睨むだけで反論はできない。
「何か言いたげね。いいわ、発言を許可しましょう」
自分を睨むミリアリアに優しく微笑んだ。
「私は幼少期より父にヒューベルト様の婚約者に相応しい教育を受けていました。ですのに、ですのに!」
ミリアリアはセリーナを睨んだ。
「たかが《・・・》伯爵《・・》家《・》の《・》令嬢《・・》が何故私を差し置いてヒューベルト様の婚約者に収まったのですか?おかしくないでしょうか?」
「たかが《・・・》、ねぇ。伯爵家の令嬢がお相手になるのは恥ずかしいことなのかしら?」
「教育も行き届いてませんでしょう?」
王妃の問いに鼻で笑ったミリアリア。その様子に王妃は見惚れてしまいそうになる笑顔を向けた。
「それはホライズン侯爵家のお考えかしら?」
「勿論ですわ」
ホライズン侯爵は娘の発言に首を振った。しかし、ミリアリアは追い討ちをかけるかのように「いつもお父様が仰ってますものね」とホライズン侯爵に振り向く。王妃はそのやり取りすら冷ややかな視線を向けていた。
「ですので、ヒューベルト様には私のような高位貴族の娘が合うのですわ」
胸を張りミリアリアは演説を終えた。どうでした?と言わんばかりの表情でホライズン侯爵に向き直った。流石にこの場で怒りや呆れを露骨に露にすることはなかったが、こめかみや片頬が引き攣っており、この場をどう覆すかと思案しているようである。
「王妃殿下…」
「素敵なお考えね」
「ありがとうございます」
ホライズン侯爵が口を開いたが、王妃が先にミリアリアに話し掛けてしまった。しかも、王妃の皮肉が理解できていないらしい。ホライズン侯爵がフォローしようとしたが、一寸遅かった。
「私の生家も伯爵位《・・・》なのよ。あら?ホライズン侯爵家の教えでは、私も王妃になってはいけないのよね?ねぇ、ホライズン侯爵」
ホライズン侯爵は王妃が伯爵令嬢だったことを失念していたようだ。ミリアリアと共に真っ青になっている。
「い、いえ…そのようなこと、は…決して…」
「取り繕わなくて良いわ。もう調べは付いてますから。貴方が陛下やヒューベルトに何度も偽りの記憶を話していたことは諜報員が確認しております。ミリアリア嬢には素敵《・・》な教育をしてましたわね」
宰相が王妃にそっと紙の束を渡す。その一部を王妃は国王に投げつけた。残りはホライズン侯爵に、だ。
「い、いつから…」
「いつから?先程セリーナ嬢も言っていたでしょう?婚約《・・》成立《・・》時《・》からよ。ホライズン侯爵…貴方はどうも《・・・》キナ臭かったから、特別に私が諜報員を付けたのよ。当時、陛下も許可されたわ。だから合法よ?」
にこりと優雅に微笑む王妃。ホライズン侯爵は報告書を読み、がくりと崩れ落ちた。
「陛下、ヒューベルト。やるべきことはわかっているわよね?」
「ホライズンを犯罪者として連れていけ。ミリアリア嬢も王妃を侮辱した罪で連れていくのだ」
国王の声に合わせ衛兵が謁見の間に雪崩れ込んできた。
「や、やめんか!離せ!無礼者!畜生ぉぉぉぉぉおおお」
「きゃ、触らないで!やだ、ヒューベルト様、ヒューベルト様ぁぁぁぁぁあああ」
ホライズン親子の悲鳴等が木霊して消える。セリーナは一連の出来事を呆気に取られてみていた。
「さて、セリーナ」
「は、はい」
「この度はいらぬ心労を掛けました。私共王族の失態です。申し訳ありません」
「え?いえ…」
王妃が非を認めセリーナに頭を下げた。国王もヒューベルトも一瞬ぎょっとしたが、下から睨む王妃に怯み、各々セリーナへと頭を下げた。
「願いはありますか?」
王妃にそう問われたセリーナは遠慮がちに…けれど、はっきりとした口調で願いを伝えた。それを聞き、国王とヒューベルトは顔を真っ赤にしたが、王妃が睨み開きかけた口を閉ざした。
「わかりました。仮に陛下がそのような失態《・・》を犯したら、私もそうしたくなります。全く…世の殿方は女性をなんだと思っているのでしょう?飾りか人形かしら、ね?」
にこりと笑う王妃に国王は必死に弁明していた。その間も王妃は静かに微笑み、感情を一切表に出すことはなかった。
「陛下、提案があります。一旦ヒューベルトを王太子の地位から外し、フェリクスと二人、王太子候補としましょう」
「代々長子もしくは一番目の男児が国王となると…」
「その男児がこの体たらくだから提案してるのです。あんなホイホイ家臣に丸め込まれるようでは、国が滅びます。陛下は国民の為に最善を尽くさないおつもりですか?」
国王ははっとして俯いた。伝統を重んじるのも大切だが、上に立つ者は下に付いてくれる者がいてこそ成り立つ。国民を軽んじれば、すぐに反乱が起き、処刑されてもおかしくないのだ。それを理解し、王妃の提案に頷いた。
はっとしたのはヒューベルトもだった。今までの行いを思い出し、自分のことを考える。思い出すのは最近の記憶ばかり。ミリアリアやホライズン侯爵の話ばかりで、まともにセリーナと話をしたのが何時なのか…思い出せない。ぐっと拳を握り締めヒューベルトは両親である国王と王妃に向き直った。