ユーフェリアの家のダンスパーティーから数日、セリーナは妃教育の為登城した。一通りいつもの課程をこなし、後は帰るだけ―――そのときに王妃からお茶に呼ばれた。呼びに来たメイドの案内で王妃の元へ向かう。

「王妃殿下、お誘いくださりありがとうございます」
「セリーナ嬢…突然ごめんなさいね」

セリーナが席に付くと王妃付きの侍従一人残し、他のメイド達は皆下がった。王妃は驚くセリーナに「内密に話したいことがあるの」と申し訳なさそうに眉尻を下げた。その姿にフェリクスが重なり、セリーナは少しだけ動揺した。

「最近のヒューベルトはどうかしら?」
どう(・・)とは…?」
「あの子、自分が懇願して貴女と婚約したのに…」

言葉を濁しながら王妃は「やはり教育係のホライズン侯爵に吹き込まれたのね」と呟いた。そんな王妃の言葉を聞きながら、セリーナは過去に想いを馳せた。





 幼き―――3歳になったばかりの―――セリーナは父、サイフォン・アドリアーナに連れられ王宮の騎士団の詰所にいた。サイフォンはセリーナに彼女の兄である、シグルド・アドリアーナの姿を見せたかったのだ。

「チグルドお兄たま!」

少々舌っ足らずな喋り方をするセリーナに、父であるサイフォンはもちろん、年の離れた兄であるシグルドもメロメロだった。足元に走り寄るセリーナを破顔しただらしない顔で抱き上げるシグルドに、同僚は動揺を隠せずにいた。

「今日はフェーはいるの?」
「あぁ、居るぞ」

シグルドはセリーナを抱っこしながら、小さな騎士の所へと連れていく。

「フェー!」
「シェリー!」

小さな騎士はセリーナに呼ばれ、持っていた木剣の素振りを止めた。シグルドに下ろしてもらったセリーナは小さな″三歳の″騎士――フェリクスに駆け寄る。そして、二人は手を取り合い微笑んだ。

「本当にセリーナはフェリクス殿下が好きなんだな」

兄に対してよりも嬉しそうに微笑むセリーナに、シグルドは少々拗ねた様子で告げた。

「ぼくたち、けっこんするの。ねー?」
「ねー?」

にこにこと屈託なく笑うセリーナとフェリクスの爆弾発言に固まる人物が二人。サイフォンとシグルドだった。そして、何よりいつの間にかセリーナはフェリクスと結婚の約束をしていたことに驚愕する。

しかし、アドリアーナ家の爵位は伯爵。いくらフェリクスが王位継承権が第二位の王子でも、婚約者になることは難しい相手だった。それもサイフォンとシグルドは理解しており、幸せそうな笑みを浮かべる幼子(おさなご)二人に、何とも言えない表情を向けた。





 セリーナとフェリクスはそれからも王宮騎士の詰所で幼いながらも確実に愛を育んでいた。

「フェリクス様、いつも鍛練お疲れ様です」

にこりと笑いセリーナは手にした水を差し出す。フェリクスもそれを受け取り微笑んだ。二人は七歳になっていた。

「そろそろ私も婚約者を決める頃合いになったようだ」
「そう、ですか…」

セリーナとフェリクスは芝生に腰を下ろし会話を始めた。フェリクスの言葉にセリーナは暗い顔をする。それを横目で見ながら、フェリクスは言葉を選び続けた。

「私はセリーナ・アドリアーナ伯爵令嬢を父上に推すつもりだ」
「はい………え?あ、え?」
「幸いにも私は王位継承権第二位。相手が高位貴族でなくても許される」

真っ直ぐセリーナを見つめるフェリクス。セリーナはその瞳から視線を逸らせずにいた。

「セリーナ、私の妃になってはくれないだろうか?」

フェリクスからのプロポーズにセリーナは瞳に涙を溜めて頷いた。

「はい、私はフェリクス様と共にいたいです」
「ありがとう、ありがとう、セリーナ」

セリーナの返事にフェリクスは安堵の表情を浮かべ、すぐに笑顔になりセリーナを抱き締めた。びっくりするセリーナだが、すぐに柔らかい表情を見せ、フェリクスの背に手を添えた。



 しかし、そんな幸せな時間はすぐに終わりを告げた。珍しく首都にある屋敷の書斎で書簡を見ていたサイフォンは、セリーナを呼び出した。そのときに書簡について話、セリーナが驚愕の表情を見せる。

「お父、様…今、何と…?」

震える身体をそのままにセリーナは口を開いた。サイフォンはそんな愛娘の姿に心を痛めながらも再度書簡の内容を伝える。

「王位継承権第一位、ヒューベルト・フォン・マクギリス王太子殿下の婚約者と決定した…」

遂にセリーナは耐えられずその場に崩れた。サイフォンは更に王宮内で見初められたこと、ヒューベルトの強い希望により国王が折れたこと、フェリクスが反発したが王位継承権第二位の彼では阻止できなかったこと、それらがしたためられていた。そして、王妃からも阻止できず申し訳ないと書いてある。サイフォンも手を尽くしたが、伯爵位では王命を覆すことはできなかった。

セリーナは顔合わせまでの間、ずっと泣き暮らした。三歳でフェリクスと出逢い、四年…静かに確かに愛を育み歩んできたのだ。それが顔を遠目でしか見たことのない、フェリクスの兄と婚約とは…泣き暮らすには十分な理由だった。



 気持ちが晴れないままセリーナはヒューベルトとの顔合わせに挑んだ。セリーナよりも一つ年上のヒューベルトは顔を真っ赤にしながら自己紹介をし、セリーナにたどたどしくも懸命に庭園や温室を案内している。

「我が儘を通してセリーナ嬢と婚約出来て良かった。風に靡くプラチナブロンドの髪も、光輝くアメジストの瞳も本当に綺麗で…。それに聞いたところによると、マナーも同年代より完璧だとか。私はそういうのが苦手なので、好感が持てます」

紅く染めた頬のまま話すヒューベルトに、本当に少しだけ好感を持ち始めたセリーナ。フェリクスのことはゆっくり忘れ、ヒューベルトを支えていこうと決意したのだ。

セリーナがヒューベルトの一挙手一投足に笑みを浮かべ相槌をしている同時刻―――庭園を見下ろせる場所にフェリクスはいた。





視線の先には愛しき少女。彼女は兄の婚約者になってしまった。無気力感に襲われていたが、今日はセリーナが登城すると聞いて遠巻きからでも彼女を見たかったフェリクスは、庭園を見下ろしていたのだ。

セリーナは兄―――ヒューベルトを見て微笑んでいた。言い様のないどす黒い感情がフェリクスを支配する。そして、フェリクスは決意した。いつか自分が王位に就き、セリーナをヒューベルトから奪い返すと。

そのためにフェリクスはセリーナを瞳に焼き付け、その場を後にした。兄より優秀であるために。





 ヒューベルトが十五歳になり、王立学園へ通うことになった。セリーナは十四歳なので、学園へ入学するのは来年になる。婚約時から7年の間、セリーナは登城し妃教育を受ける日々を送っていた。その間、ヒューベルトはホライズン侯爵に政策や外交等について教育を受けていた。正確には婚約が成立し2年経過してからだけれども。それはヒューベルトが十歳、セリーナが九歳のときだった。

教育が始まってから3年、次第にヒューベルトがセリーナに対しての態度が変わってきていた。

「何だ、まだ居たのか?」

冷ややかに睨まれ、セリーナは言葉を失った。しかし、聞き間違いの可能性もある、そう自身に言い聞かしヒューベルトに声を掛ける。

「殿下?いかがなさいました?」
「煩い!俺に気安く話し掛けるな!」
「……………申し訳、ございません」

目を吊り上げ唾を飛ばしながら話すヒューベルト。昔―――婚約したばかりの頃とは人相も変わってしまったようで、穏やかな顔で笑っていた彼とは全くの別人のようだった。

怒鳴るように話すヒューベルトに、真っ青な顔で謝罪をし、「御前を失礼します」と粗相のないように細心の注意を払いセリーナはヒューベルトの執務室を後にした。



 その日邸宅に帰宅したセリーナは、疲れからかすぐに眠りについてしまった。今日のことは夢か何かではないかと思いたかった。(忘れましょう、きっと殿下の虫の居所が悪かっただけなのだから)そう割り切り瞳を閉じた。

しかしセリーナの願いは届かず、あの日以降ヒューベルトと会話をすることも、顔を見ることもできなくなってしまった。うっかり顔を合わせれば、「媚でも売りに来たのか?お前の実家は所詮伯爵家だもんな」と言われる始末。ヒューベルトの嫌味にも唇をきつく結び耐える。セリーナは誰にも相談しなかった。相談したとして、婚約が破談になれば良いが婚約破棄されてしまえば、アドリアーナ家はその地位を失う場合もある。その可能性を恐れ、ひたすら耐え忍んだ。