窓の外を浮かない顔で見つめる女性が一人。名をセリーナ・アドリアーナ。アドリアーナ伯爵の末娘だった。彼女はこの国の王太子である、ヒューベルト・フォン・マクギリスの婚約者である。
最近、婚約者に付いて周っているご令嬢がいる。彼女の名はミリアリア・ホライズン、ホライズン侯爵令嬢だった。しかし、彼女は第二王子であるフェリクス・フォン・マクギリスの婚約者である。
第二王子殿下の婚約者が王太子と恋仲ではないか…と社交界では専ら噂が立っている。ミリアリアの家柄を考えれば、アドリアーナ家よりは釣り合いが取れていた。
しかし王命の為、婚約者が好き勝手していようがセリーナから婚約を破棄するとは出来ない。その事実が余計にセリーナを苦しめていた。
「はぁ、今日も見せつけられるのかしら…」
重い腰を上げセリーナは親友である、ユーフェリア・ノクターの家が主催する舞踏会が行われる予定がある。セリーナは勿論のことその婚約者であるヒューベルトも招待されていた。
となると…ヒューベルトはミリアリアをエスコートして登場するのだろうと容易に想像が出来、セリーナの胃をキリキリと痛めてくる。しかし、行かないわけにもいかずセリーナは一人馬車に乗り込んだ。
セリーナがユーフェリアに連れられ会場に入る。仲の良い令嬢達が集まり話に花が咲いた。こっそり周りを見回し、ヒューベルトがいないことに胸を撫で下ろす。
ユーフェリアはその顔に気付きセリーナを気遣った。他の令嬢もセリーナの憂いに気遣っている。セリーナは大丈夫だと笑ってみせたが、親友であるユーフェリアには無理していること等お見通しで通じなかった。
「ヒューベルト様も酷い方ですよね。自分からセリーナと結婚したいと駄々をこねて婚約者にしたというのに…」
はぁ…とユーフェリアは大きな溜め息を吐いた。そう、女性の間ではこれは有名な話だったのだ。ミリアリアも知っている筈なのだがそれは気にならないのか全く動じてなかった。
「それに、ミリアリア様も第二王子殿下の婚約者であらせられるのに…」
「それは仕方ないわ。元々ミリアリア様がヒューベルト様の婚約者候補筆頭でしたのに、王命とはいえ私が横から拐っていったのだから…」
「セリーナ…」
例え敵対関係にある相手すら悪くは言いたくないセリーナ。ユーフェリアは彼女の優しさが大好きであった。それを害する者には容赦しない…と心で誓わせる程に。
「ヒューベルト・フォン・マクギリス王太子殿下及びミリアリア・ホライズン侯爵令嬢のご入場です」
会場に響く来訪者を知らせる声。セリーナの憂い通り、ヒューベルトとミリアリアは連れだって現れた。周りのざわめく声や好奇の目に胃が痛くなる思いでセリーナはそこに立っていた。
(恥も外聞もなく好き勝手するんだから…)
出そうになる溜め息を飲み込み、セリーナは非難の目を向ける友人達にフォローを入れる。ユーフェリア達もセリーナを哀しませたくはないので、色々言ってやりたいと思う気持ちをぐっと堪えた。
「フェリクス・フォン・マクギリス第二王子のご入場です」
次に聞こえた案内。当然それにも会場はざわめいた。ミリアリアがヒューベルトにエスコートされ入場してすぐ、フェリクスが入場した…ということは、彼等の寄り添う姿を間近で見ていたということになる。
セリーナは胃だけでなく頭まで痛くなる。ヒューベルトもミリアリアも何を考えているのだと。特にヒューベルトにはさっさと婚約解消を申し出て欲しいくらいだ。
フェリクスとミリアリアの婚約解消は難しいかもしれないが、少なくとも自分とヒューベルトに限っては、ヒューベルトの一言で終わる関係なのだから。このことを考えなかった日はないくらい、悩んで考えていた。
「ユーフェリア嬢、本日はお招きいただき感謝する」
低めの甘い声が響きセリーナの胸はときめいた。
「フェリクス殿下、こちらこそお越しくださりありがとうございます」
ユーフェリアがフェリクスと挨拶を交わし、その視線をセリーナへ移す。
「セリーナ嬢、久しいな」
「お久しぶりでございます」
セリーナもフェリクスと挨拶を交わしたところで、ユーフェリアは唐突に挨拶周りに行かなければとその場を離れる。去り際にウインクを飛ばしながら。
「ユーフェリア嬢も相変わらずだな」
「えぇ…そうですね、殿下」
フェリクスはセリーナから殿下と呼ばれたことに一瞬だけ瞳を閉じ眉を寄せたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。鋭く自分を睨む視線に気付くセリーナ。
ふと視線を向ければ、何故かこちらを睨むヒューベルトとミリアリア。その鋭い視線の意図がわからず困惑する。
そんな二人はセリーナとフェリクスとの距離を縮めてきた。
「フェリクス、久し振りだな」
「兄上、お久し振りです。ミリアリア嬢も息災そうでなりよりです」
「あ、はい」
婚約者同士の会話ではあるが、事務的な会話であることにセリーナは気付いた。自分とヒューベルトはさておき、フェリクスとミリアリアはもう少し体面を気にしているのだと思っていた。
そう考えセリーナは頭を振った。体面をきにしていたら、ミリアリアはこうもあからさまにヒューベルトと親しげにしない筈だ。それに、もしそうであればフェリクスももっとミリアリアを諌めた筈である。
望まぬ婚約であるが故、セリーナ同様フェリクスも婚約者を好きにさせているのだと。そうセリーナは結論付けた。
二言、三言、言葉を交わしフェリクスとミリアリアは去っていく。どうやら二人の思惑通りに事が運ばず、苛立っているようにセリーナには見えた。彼等の思惑がどうだったか等些末な事は考えるだけ無駄だと思い、セリーナはただ二人を見送った。
「セリーナ嬢、一曲お願いできないだろうか?」
フェリクスから唐突に出された手に戸惑いながらも、セリーナは自らの手をその手に重ねた。
ダンスホールで優雅に踊るセリーナとフェリクス。お似合いの二人だった。ホールにいる人は二人を羨望の眼差しで見つめ、踊るのを止めてまで見始める。負けじとヒューベルトとミリアリアも踊っているが、躍りの技術では引けを取らない。―――が、二人の日頃の行い故か誰も羨望の眼差しを彼等には向けなかった。
ギリギリ…と聞こえそうなくらい歯を噛みしめ、ヒューベルトは憎々しげにセリーナを睨んだ。
「セリーナから婚姻を望んだ癖に…!」
そう呟いていた。その姿を切なそうに見つめるミリアリア。その瞳はずっとヒューベルトを映していた。