◇
季節は巡り、翌年の夏――。
影亮くんの一周忌に参加した私は、一通りの法要を終えるとご家族の方と挨拶を交わし、再び影亮くんの墓前へ向かった。
「それにしても驚きました。隣町にある影亮くんのお父さんが経営する会社、うちの父の弁当屋の取引先だったんですね」
たっぷりの水が入った手桶を片手に、隣を歩く設楽先輩を見上げながらそうこぼすと、彼は微かに笑みを浮かべて言った。
「……うん。俺もあいつが死んでから知ったんだけど、親父が綾原さんの店の大ファンだったらしい。うちと違ってあっちは男二人家族だから三食月華亭の弁当だったことも珍しくなかったとかで、顔馴染みの綾原さんとプライベートなことを話すうちに、彼が『ツキノ』っていう高校生ぐらいの子を探してるって情報に辿り着いたみたい」
あれから一年が経ち大学生となった先輩はぱりっとした白シャツに黒ネクタイ、ブラックスーツのパンツを穿いていて、いつも以上に大人びて見える。
「そっか……。それで影亮くん、『自分の目で確かめてこい』だなんて言って、私と父を引き合わせたんですね」
「……ん?」
「あ、いや、こっちの話です」
「そう? まぁ、あいつもあいつなりに気にはなっていたんだろうけど、確証はないし、そもそも知り得たところで七瀬さんとも接点がなかったし、迂闊に他所の家庭の事情には踏み込めないしね。遠回りにはなっちゃったけど、結果的に七瀬さんがお父さんと再会できて本当によかったよ」
「はい。本当に……。私たちを引き合わせてくれた影亮くんには心から感謝しています」
素直な気持ちでそう述べると、設楽先輩はそっと目を細める。
やがて見えてきた影亮くんのお墓には、先程あげたばかりのお線香が和の香りを漂わせながら空に向かって滑らかな煙を上げていた。
真夏の日差しを浴びて汗ばむ墓石に水をかけ、持参した彼のお気に入りである缶のスポーツ飲料を添える。
次にここに来るまで少々期間が空いてしまうかもしれないから、入念にお墓の周りを掃除したり除草したりしてから改めて手を合わせ、彼を偲ぶ。
「もう一年か……」
ふいに設楽先輩がぽつりともらした。
「早いですよね。影亮くんとの出会いも奇跡的だったけど、彼が遺してくれたこの一年間も、私にとっては奇跡の連続でした」
顔をあげ、この一年の出来事を思い返す。
影亮くんと別れた後――。
父のお店が繁盛し、今や企業向けだけでなく一般販売も再開できたこと。
また、数ヶ月後には陽菜から連絡が来て、叔母さんが順調に環境改善プログラムを実施したおかげで帰宅できる目処がついたと嬉しそうに報告してきたこと。
その陽菜と、今は前以上に親身になって従姉妹付き合いをしていること。
山川さんや長谷川さんの他、前向きになった私に、次々と新しい友達ができたこと。
それから……。
「一年前、私にとっての設楽先輩は雲の上の存在でしかなかったのに、今や普通に隣を歩いたり携帯で連絡を取り合ったりする仲ですもんね」
――告白こそなかったけれど、友達以上恋人未満な設楽先輩とはぐんと距離が縮まったこと。
「雲の上って……俺、どんだけ凄い人なの」
顔を顰めた設楽先輩にくすくす笑いを漏らすと、彼は大袈裟に「はぁ」とため息をついてから、影亮くんのお墓をじっと睨んだ。
「影亮が余計なこと言うから、肩に変な力入って進めるもんも進められなかったんだぞ……」
「え?」
「あ、いや。こっちの話」
「……?」
どこか怨みがましい目で墓石を見ていた先輩は、
「でももう喪明けもしたしな。今日は影亮がそこで俺の生き様を見とけ」
どこか挑発的に付け足してから僅かに微笑んで、そっと瞳を閉じる。
しばし、何かを思い馳せるような黙祷。
大切な兄弟のことを思い浮かべているのだろうか。
やがて彼はゆっくりと瞳をあけ、強い意志に満ちた眼差しでこちらを見た。
「七瀬さん」
「……?」
「今から大事なこと言うね」
「? ……はい?」
「俺……好きだよ、七瀬さんのこと」
「……!」
ふいうちで告げられた言葉は、淀みなく私の心を貫く。
「もう遠慮はしたくないし、これからは友達としてじゃなく彼氏として七瀬さんと一緒にいたい。だから……」
「先輩……」
ずいぶん遠回りをしてきた私たち。
でも、歩んだ道に何一つ無駄なものなどなかった。
「俺と付き合ってください」
その一言が、ようやく私たちを繋ぎ合わせる。
そよぐ夏風が二人の頬を撫でていき、爽やかな青葉の香りが鼻腔をくすぐった。
驚きと、喜びと、命の重みをしっかりと味わいながら強く唇を噛み締める。
まさかこんな日が来るなんて、一年前の私は思いもしなかった。
あの時、死ななくてよかった。
生きていて本当によかった。
ありがとう、影亮くん。
ありがとう、設楽先輩。
ありがとう、私と関わり、私を変えてくれた全ての人たち――。
気がづけば目の前の視界が歪んでいて、私の涙腺、ずいぶん脆くなったなあなんてぎこちない笑みを浮かべて目を擦る。
「……」
「……」
「俺じゃだめ?」
「先輩『じゃなきゃ』駄目です」
「……。じゃあ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
深々とお辞儀をしてから顔をあげる。
目が合うと、先輩は少し照れたように頬をかきながらも嬉しそうに笑ってみせた。
――世界に色が灯る。
澄み渡る空の青さ。
揺れる若葉の緑。
咲き誇る木槿の白に赤。
樹木の合間を縫うように舞う琥珀色の蝶。
羽ばたく鳥たちの雀色――。
世界はどこまでも色彩豊かに広がっている。
「じゃあ、行こうか」
「……はい」
影亮くんの墓前で操を立てるよう、手を繋ぎ合わせる私たち。
夏疾風に弄ばれてそっと寄り添えば、太陽の光に照らされた墓石が私たちを祝福しているかのようにきらりと輝いた。
「いつものところ寄ってく?」
「もちろんです。借り物の小鈴も返さないとですし、ご縁を結んでくれた成外内の神様にもお礼と報告しなきゃ」
「……だな。近いから七瀬さんのお母さんのお墓にも寄って行こう」
「はい」
胸の中に、影助くんとの思い出をしっかり刻みこんで。
右手には、ようやく届いた大切な人の手。
左手には、永遠に色褪せることのない透明の小鈴を大切に握りしめる。
そうして私と設楽先輩は、成外内の神様が待つ小高い丘を目指し、色付いた世界を踏みしめたのだった。
―なりそこないの神様・完―
季節は巡り、翌年の夏――。
影亮くんの一周忌に参加した私は、一通りの法要を終えるとご家族の方と挨拶を交わし、再び影亮くんの墓前へ向かった。
「それにしても驚きました。隣町にある影亮くんのお父さんが経営する会社、うちの父の弁当屋の取引先だったんですね」
たっぷりの水が入った手桶を片手に、隣を歩く設楽先輩を見上げながらそうこぼすと、彼は微かに笑みを浮かべて言った。
「……うん。俺もあいつが死んでから知ったんだけど、親父が綾原さんの店の大ファンだったらしい。うちと違ってあっちは男二人家族だから三食月華亭の弁当だったことも珍しくなかったとかで、顔馴染みの綾原さんとプライベートなことを話すうちに、彼が『ツキノ』っていう高校生ぐらいの子を探してるって情報に辿り着いたみたい」
あれから一年が経ち大学生となった先輩はぱりっとした白シャツに黒ネクタイ、ブラックスーツのパンツを穿いていて、いつも以上に大人びて見える。
「そっか……。それで影亮くん、『自分の目で確かめてこい』だなんて言って、私と父を引き合わせたんですね」
「……ん?」
「あ、いや、こっちの話です」
「そう? まぁ、あいつもあいつなりに気にはなっていたんだろうけど、確証はないし、そもそも知り得たところで七瀬さんとも接点がなかったし、迂闊に他所の家庭の事情には踏み込めないしね。遠回りにはなっちゃったけど、結果的に七瀬さんがお父さんと再会できて本当によかったよ」
「はい。本当に……。私たちを引き合わせてくれた影亮くんには心から感謝しています」
素直な気持ちでそう述べると、設楽先輩はそっと目を細める。
やがて見えてきた影亮くんのお墓には、先程あげたばかりのお線香が和の香りを漂わせながら空に向かって滑らかな煙を上げていた。
真夏の日差しを浴びて汗ばむ墓石に水をかけ、持参した彼のお気に入りである缶のスポーツ飲料を添える。
次にここに来るまで少々期間が空いてしまうかもしれないから、入念にお墓の周りを掃除したり除草したりしてから改めて手を合わせ、彼を偲ぶ。
「もう一年か……」
ふいに設楽先輩がぽつりともらした。
「早いですよね。影亮くんとの出会いも奇跡的だったけど、彼が遺してくれたこの一年間も、私にとっては奇跡の連続でした」
顔をあげ、この一年の出来事を思い返す。
影亮くんと別れた後――。
父のお店が繁盛し、今や企業向けだけでなく一般販売も再開できたこと。
また、数ヶ月後には陽菜から連絡が来て、叔母さんが順調に環境改善プログラムを実施したおかげで帰宅できる目処がついたと嬉しそうに報告してきたこと。
その陽菜と、今は前以上に親身になって従姉妹付き合いをしていること。
山川さんや長谷川さんの他、前向きになった私に、次々と新しい友達ができたこと。
それから……。
「一年前、私にとっての設楽先輩は雲の上の存在でしかなかったのに、今や普通に隣を歩いたり携帯で連絡を取り合ったりする仲ですもんね」
――告白こそなかったけれど、友達以上恋人未満な設楽先輩とはぐんと距離が縮まったこと。
「雲の上って……俺、どんだけ凄い人なの」
顔を顰めた設楽先輩にくすくす笑いを漏らすと、彼は大袈裟に「はぁ」とため息をついてから、影亮くんのお墓をじっと睨んだ。
「影亮が余計なこと言うから、肩に変な力入って進めるもんも進められなかったんだぞ……」
「え?」
「あ、いや。こっちの話」
「……?」
どこか怨みがましい目で墓石を見ていた先輩は、
「でももう喪明けもしたしな。今日は影亮がそこで俺の生き様を見とけ」
どこか挑発的に付け足してから僅かに微笑んで、そっと瞳を閉じる。
しばし、何かを思い馳せるような黙祷。
大切な兄弟のことを思い浮かべているのだろうか。
やがて彼はゆっくりと瞳をあけ、強い意志に満ちた眼差しでこちらを見た。
「七瀬さん」
「……?」
「今から大事なこと言うね」
「? ……はい?」
「俺……好きだよ、七瀬さんのこと」
「……!」
ふいうちで告げられた言葉は、淀みなく私の心を貫く。
「もう遠慮はしたくないし、これからは友達としてじゃなく彼氏として七瀬さんと一緒にいたい。だから……」
「先輩……」
ずいぶん遠回りをしてきた私たち。
でも、歩んだ道に何一つ無駄なものなどなかった。
「俺と付き合ってください」
その一言が、ようやく私たちを繋ぎ合わせる。
そよぐ夏風が二人の頬を撫でていき、爽やかな青葉の香りが鼻腔をくすぐった。
驚きと、喜びと、命の重みをしっかりと味わいながら強く唇を噛み締める。
まさかこんな日が来るなんて、一年前の私は思いもしなかった。
あの時、死ななくてよかった。
生きていて本当によかった。
ありがとう、影亮くん。
ありがとう、設楽先輩。
ありがとう、私と関わり、私を変えてくれた全ての人たち――。
気がづけば目の前の視界が歪んでいて、私の涙腺、ずいぶん脆くなったなあなんてぎこちない笑みを浮かべて目を擦る。
「……」
「……」
「俺じゃだめ?」
「先輩『じゃなきゃ』駄目です」
「……。じゃあ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
深々とお辞儀をしてから顔をあげる。
目が合うと、先輩は少し照れたように頬をかきながらも嬉しそうに笑ってみせた。
――世界に色が灯る。
澄み渡る空の青さ。
揺れる若葉の緑。
咲き誇る木槿の白に赤。
樹木の合間を縫うように舞う琥珀色の蝶。
羽ばたく鳥たちの雀色――。
世界はどこまでも色彩豊かに広がっている。
「じゃあ、行こうか」
「……はい」
影亮くんの墓前で操を立てるよう、手を繋ぎ合わせる私たち。
夏疾風に弄ばれてそっと寄り添えば、太陽の光に照らされた墓石が私たちを祝福しているかのようにきらりと輝いた。
「いつものところ寄ってく?」
「もちろんです。借り物の小鈴も返さないとですし、ご縁を結んでくれた成外内の神様にもお礼と報告しなきゃ」
「……だな。近いから七瀬さんのお母さんのお墓にも寄って行こう」
「はい」
胸の中に、影助くんとの思い出をしっかり刻みこんで。
右手には、ようやく届いた大切な人の手。
左手には、永遠に色褪せることのない透明の小鈴を大切に握りしめる。
そうして私と設楽先輩は、成外内の神様が待つ小高い丘を目指し、色付いた世界を踏みしめたのだった。
―なりそこないの神様・完―