(……っ! 影亮くんの体が……)
《……》
しげしげと両手を見つめた影亮くんは何かを悟ったように苦笑すると、意を決したようにすっと前を向き、口を開く。
《月乃ちゃん。光亮の手、握ってもらえる?》
「え?」
《先輩幽霊に聞いたんだ。そうすれば光亮にも俺の姿が視えるようになるはずだから》
「……!」
《もうあまり時間がないみたい。だから……急いで》
そういえば以前、設楽先輩に携帯電話を返してもらおうとしてお互いの手が触れそうになった時にも、そんなことを言われたっけ。
こくりと頷き、顔に疑問符を浮かべている設楽先輩の顔を見上げる。
「先輩」
「ん?」
「そ、その、失礼しますっ」
「……っ⁉」
有無を言わさず先輩の手をとり、ぎゅっと握りしめる。
大きくて、がっしりしていて、温かい手。
「ちょ、七瀬さ――」
先輩は耳まで顔を真っ赤にして驚いたように私をみたけれど、すぐさま私の背後に視線が移り、その表情が驚愕を超え唖然としたものに変わる。
「え、な……」
《……》
「影……亮……?」
想定外の邂逅を果たす設楽兄弟。
絶句するように固まる設楽先輩を見やり、影亮くんは俄かに苦笑する。
《……おう。なんだよそのバケモンでも見るようなツラ》
「なん……、え、ちょっ、待っ……どういうこと? バケモンじゃなかったらなんなんだよ……幽霊?」
《なんだっていいだろ。悪いけど光亮に説明してる時間はねぇ。いいからお前は大人しくそこで俺の生き様を見とけ》
「は? 意味わかんね。おまえ死んでんだろ。っていうか化けて出るならきちんと説明ぐらい……」
あの普段は落ち着いた雰囲気の設楽先輩がかなり取り乱しているのは目に見えて明らかだったが、一方の影亮くんも、別の意味で余裕がないようだった。
彼を纏う淡い光が徐々に強さを増し、全身を隈なく包み始めている。
「え、影亮くん! どうしよう、体がっ……!」
《月乃ちゃん》
今一度、私の名前を呼ぶ影亮くん。
返事をする代わりに反射的に彼を見上げると、目があった。
影亮くんは躊躇うように何度も口をまごつかせていたし、目を逸らしてはまたこちらを見て、小さな深呼吸を繰り返したりもしていたけれどなかなか言葉が出てこないようで。
やがてぎゅっと拳を握って震える唇を開く。
《俺……月乃ちゃんが好きだ!》
「……!」
直球で飛んできた言葉に目を丸くする私。
影亮くんは私の耳にも、設楽先輩の耳にもしっかりと届くよう、胸を張って、まっすぐにこちらを見て、今一度はっきりと自分の想いを吐露する。
《俺、十二年前のあの日からずっと、君のことが好きだった》
「……っ」
体の中の勇気を全てかき集めて、惜しげもなくそれを差し出すように。
《本当は俺が君を幸せにしてあげたかったのに……何もできないまま死んじゃって、神様にもなりきれない、ただのなりそこないで、本当にごめん》
兄の目の前で正々堂々とそう告げる影亮くん。
「そんな、私は……」
――どうか、そんな顔をしないでほしい。
どんな事情であれ、私にとっての彼は確かに神様だった。
いつ消えるかわからない不安な気持ちや様々な思いを抱きながらも、ずっと私を見守ってきてくれた彼の不器用な優しさには深い感謝しかなくて、火照るように胸と目頭が熱くなる。
「わ、たしは……」
影亮くんは設楽先輩に配慮する私の視線に気づいているようで、俄かに苦笑すると気持ちの整理をつけるよう重ねて言った。
《あー……大丈夫。言わなくても君の気持ちはわかってる。ただどうしても最期にそれを伝えたかっただけだから》
「影亮くん……」
《ったく、光亮も光亮だよなー。月乃ちゃんにこんな顔させるなんてさあ。俺に遠慮でもしてたつもり? 本当はお前だって月乃ちゃんのこと――》
「ちょ、おい影亮っ」
《はは。やっぱ図星か。お前も俺を見習ってさっさと告っとけよ。月乃ちゃんを幸せにしてあげられるのはお前しかいねえんだから》
「……っ」
「な……」
真っ赤に染まった顔を見合わせる私と設楽先輩。そんな私たちを見て、影亮くんは羨むように目を細める。
そしてふいにくるりと踵を返した彼は、私たちに背を向けて言った。
《さてと――。鈴も返せたし、告白もできたし、未練も晴らせたし、余計なお節介もぶっこめたし。もう悔いはないかな》
「え、ちょ、待っ……」
《悪いけど俺、そろそろ行くね》
影亮くんの言葉に青ざめる私。
いやだ。せっかく彼の正体を知って、感謝の気持ちを募らせて、まだ話したいことがたくさんあるというのに。
「いやだ、待ってよ影亮くん! 私、まだ影亮くんと話したいことがたくさん……」
声を張り上げて必死に抗おうとしたけれど、みるみるうちに影亮くんの体が金色の光に包まれていき、蒸発でもするかのように全身の輪郭が掠れていく。
「や……」
「影亮っ!」
握っていた手が強く握られ、設楽先輩の毅然とした声が寂れた境内に響き渡る。
影亮くんは背を向けたまま、兄の声に耳を傾けた。
「影亮……ごめん。あの日、俺がお前を誘わなければきっとこんなことには……」
《ばーか。お前のせいじゃねぇよ。俺、祭り好きだから誘われてなくても多分一人で行ってたし。そもそも俺が浮かれて会場周辺をふらふらしてなけりゃ遭わなかった事故だしな》
「影亮……」
《だからまじで、もうそんな顔すんなよ。俺と生きた十八年間、辛い思い出より楽しい思い出で埋め尽くして、俺の分まで笑って生きてくれ》
「……」
《俺……お前と双子に生まれて、本当によかった》
優しい声色が私の胸にまで響く。
設楽先輩は唇をかみしめて俯くように頷き、堪えていたのだろう涙をポロポロとこぼした。
先輩のそんな姿を見てしまったらもう我慢なんかできなかった。
鼻の奥がつんとして、目の奥がちりちりして。熱くなった瞼から涙がぼたぼたこぼれ落ちていく。
「影亮くん!」
《……っ》
「ありがとう。私、あなたに出会えてよかった」
《月乃ちゃん……》
「なりそこないなんかじゃない……あなたは私にとって充分立派な神様だった。私、影亮くんのこと、絶対忘れないから!」
ありったけの感謝を込めて、力一杯声を張り上げる。
《……》
影亮くんはすぐには何も返事をしなかったけれど、やがて腕でごしごし顔を拭ってから、こちらを振り返った。
《こちらこそありがとう。向こうで君のお母さんに会ったらちゃんと君の気持ちを伝えておくから。光亮のこと……よろしくね》
屈託のない笑みを顔いっぱいに浮かべて、兄を託すようにそう告げた影亮くん。
微かに赤らんだその頬には、乾き切らない涙が幾重にも連なって筋を作っていた。
――やっとありのままの彼に出会えたと思ったのに。
もう会えなくなるだなんて身が引き裂かれそうなほど辛い。
私の頬を幾重もの涙がこぼれ落ちていく。それでも――。
彼に心配をかけないよう。
彼に未練を残させないよう。
彼の優しさに応えるよう。
「うん……!」
歯を食いしばって、笑顔で頷いてみせる。
――満足そうに頷く影亮くん。
すると、よりいっそう強い光が彼を包み、輝きが辺り一帯に広がっていく。
本当は誰よりも別れが辛いはずだろう影亮くんは、最後の最期まで笑顔をたやすことなく大きく手を振って、やがて粒子となって大気に溶けるよう私たちの目の前から散っていった。
のちに残されたのは、さわさわ揺れる草木と、手を繋いだままいつまでも影亮くんとの別れを惜しむ私と設楽先輩。それから秋風に靡いて揺れる本坪鈴の音と、そして……手の中に握りしめたままの硝子の小鈴。
まだ夏の香りが残る、高校二年の秋――。
そうして私となりそこないの神様の物語は、静かに幕を閉じたのだった。
《……》
しげしげと両手を見つめた影亮くんは何かを悟ったように苦笑すると、意を決したようにすっと前を向き、口を開く。
《月乃ちゃん。光亮の手、握ってもらえる?》
「え?」
《先輩幽霊に聞いたんだ。そうすれば光亮にも俺の姿が視えるようになるはずだから》
「……!」
《もうあまり時間がないみたい。だから……急いで》
そういえば以前、設楽先輩に携帯電話を返してもらおうとしてお互いの手が触れそうになった時にも、そんなことを言われたっけ。
こくりと頷き、顔に疑問符を浮かべている設楽先輩の顔を見上げる。
「先輩」
「ん?」
「そ、その、失礼しますっ」
「……っ⁉」
有無を言わさず先輩の手をとり、ぎゅっと握りしめる。
大きくて、がっしりしていて、温かい手。
「ちょ、七瀬さ――」
先輩は耳まで顔を真っ赤にして驚いたように私をみたけれど、すぐさま私の背後に視線が移り、その表情が驚愕を超え唖然としたものに変わる。
「え、な……」
《……》
「影……亮……?」
想定外の邂逅を果たす設楽兄弟。
絶句するように固まる設楽先輩を見やり、影亮くんは俄かに苦笑する。
《……おう。なんだよそのバケモンでも見るようなツラ》
「なん……、え、ちょっ、待っ……どういうこと? バケモンじゃなかったらなんなんだよ……幽霊?」
《なんだっていいだろ。悪いけど光亮に説明してる時間はねぇ。いいからお前は大人しくそこで俺の生き様を見とけ》
「は? 意味わかんね。おまえ死んでんだろ。っていうか化けて出るならきちんと説明ぐらい……」
あの普段は落ち着いた雰囲気の設楽先輩がかなり取り乱しているのは目に見えて明らかだったが、一方の影亮くんも、別の意味で余裕がないようだった。
彼を纏う淡い光が徐々に強さを増し、全身を隈なく包み始めている。
「え、影亮くん! どうしよう、体がっ……!」
《月乃ちゃん》
今一度、私の名前を呼ぶ影亮くん。
返事をする代わりに反射的に彼を見上げると、目があった。
影亮くんは躊躇うように何度も口をまごつかせていたし、目を逸らしてはまたこちらを見て、小さな深呼吸を繰り返したりもしていたけれどなかなか言葉が出てこないようで。
やがてぎゅっと拳を握って震える唇を開く。
《俺……月乃ちゃんが好きだ!》
「……!」
直球で飛んできた言葉に目を丸くする私。
影亮くんは私の耳にも、設楽先輩の耳にもしっかりと届くよう、胸を張って、まっすぐにこちらを見て、今一度はっきりと自分の想いを吐露する。
《俺、十二年前のあの日からずっと、君のことが好きだった》
「……っ」
体の中の勇気を全てかき集めて、惜しげもなくそれを差し出すように。
《本当は俺が君を幸せにしてあげたかったのに……何もできないまま死んじゃって、神様にもなりきれない、ただのなりそこないで、本当にごめん》
兄の目の前で正々堂々とそう告げる影亮くん。
「そんな、私は……」
――どうか、そんな顔をしないでほしい。
どんな事情であれ、私にとっての彼は確かに神様だった。
いつ消えるかわからない不安な気持ちや様々な思いを抱きながらも、ずっと私を見守ってきてくれた彼の不器用な優しさには深い感謝しかなくて、火照るように胸と目頭が熱くなる。
「わ、たしは……」
影亮くんは設楽先輩に配慮する私の視線に気づいているようで、俄かに苦笑すると気持ちの整理をつけるよう重ねて言った。
《あー……大丈夫。言わなくても君の気持ちはわかってる。ただどうしても最期にそれを伝えたかっただけだから》
「影亮くん……」
《ったく、光亮も光亮だよなー。月乃ちゃんにこんな顔させるなんてさあ。俺に遠慮でもしてたつもり? 本当はお前だって月乃ちゃんのこと――》
「ちょ、おい影亮っ」
《はは。やっぱ図星か。お前も俺を見習ってさっさと告っとけよ。月乃ちゃんを幸せにしてあげられるのはお前しかいねえんだから》
「……っ」
「な……」
真っ赤に染まった顔を見合わせる私と設楽先輩。そんな私たちを見て、影亮くんは羨むように目を細める。
そしてふいにくるりと踵を返した彼は、私たちに背を向けて言った。
《さてと――。鈴も返せたし、告白もできたし、未練も晴らせたし、余計なお節介もぶっこめたし。もう悔いはないかな》
「え、ちょ、待っ……」
《悪いけど俺、そろそろ行くね》
影亮くんの言葉に青ざめる私。
いやだ。せっかく彼の正体を知って、感謝の気持ちを募らせて、まだ話したいことがたくさんあるというのに。
「いやだ、待ってよ影亮くん! 私、まだ影亮くんと話したいことがたくさん……」
声を張り上げて必死に抗おうとしたけれど、みるみるうちに影亮くんの体が金色の光に包まれていき、蒸発でもするかのように全身の輪郭が掠れていく。
「や……」
「影亮っ!」
握っていた手が強く握られ、設楽先輩の毅然とした声が寂れた境内に響き渡る。
影亮くんは背を向けたまま、兄の声に耳を傾けた。
「影亮……ごめん。あの日、俺がお前を誘わなければきっとこんなことには……」
《ばーか。お前のせいじゃねぇよ。俺、祭り好きだから誘われてなくても多分一人で行ってたし。そもそも俺が浮かれて会場周辺をふらふらしてなけりゃ遭わなかった事故だしな》
「影亮……」
《だからまじで、もうそんな顔すんなよ。俺と生きた十八年間、辛い思い出より楽しい思い出で埋め尽くして、俺の分まで笑って生きてくれ》
「……」
《俺……お前と双子に生まれて、本当によかった》
優しい声色が私の胸にまで響く。
設楽先輩は唇をかみしめて俯くように頷き、堪えていたのだろう涙をポロポロとこぼした。
先輩のそんな姿を見てしまったらもう我慢なんかできなかった。
鼻の奥がつんとして、目の奥がちりちりして。熱くなった瞼から涙がぼたぼたこぼれ落ちていく。
「影亮くん!」
《……っ》
「ありがとう。私、あなたに出会えてよかった」
《月乃ちゃん……》
「なりそこないなんかじゃない……あなたは私にとって充分立派な神様だった。私、影亮くんのこと、絶対忘れないから!」
ありったけの感謝を込めて、力一杯声を張り上げる。
《……》
影亮くんはすぐには何も返事をしなかったけれど、やがて腕でごしごし顔を拭ってから、こちらを振り返った。
《こちらこそありがとう。向こうで君のお母さんに会ったらちゃんと君の気持ちを伝えておくから。光亮のこと……よろしくね》
屈託のない笑みを顔いっぱいに浮かべて、兄を託すようにそう告げた影亮くん。
微かに赤らんだその頬には、乾き切らない涙が幾重にも連なって筋を作っていた。
――やっとありのままの彼に出会えたと思ったのに。
もう会えなくなるだなんて身が引き裂かれそうなほど辛い。
私の頬を幾重もの涙がこぼれ落ちていく。それでも――。
彼に心配をかけないよう。
彼に未練を残させないよう。
彼の優しさに応えるよう。
「うん……!」
歯を食いしばって、笑顔で頷いてみせる。
――満足そうに頷く影亮くん。
すると、よりいっそう強い光が彼を包み、輝きが辺り一帯に広がっていく。
本当は誰よりも別れが辛いはずだろう影亮くんは、最後の最期まで笑顔をたやすことなく大きく手を振って、やがて粒子となって大気に溶けるよう私たちの目の前から散っていった。
のちに残されたのは、さわさわ揺れる草木と、手を繋いだままいつまでも影亮くんとの別れを惜しむ私と設楽先輩。それから秋風に靡いて揺れる本坪鈴の音と、そして……手の中に握りしめたままの硝子の小鈴。
まだ夏の香りが残る、高校二年の秋――。
そうして私となりそこないの神様の物語は、静かに幕を閉じたのだった。