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《――それで、飛び出した君を庇おうとした月乃ちゃんのお母さんが、事故にあったんだ》

「……」

《君は自分が母親を殺したって言ってたけどそれは違う。あの時俺が横断歩道に飛び出そうとしていなければ鈴が転がることもなかったし、事故が起きることもなかった》

 見上げるほどに大きくなった影亮くんは、積年の後悔を懺悔するよう深く頭を下げる。

《謝ったって取り返しはつかないけど、ずっと……ずっと謝りたかった。君のお母さんを死なせて本当にごめん》

「そんな……。影亮くんは悪くない。だからお願い、謝らないで」

 首を振って必死に彼の言葉を否定する私。

 やっとその時のことを思い出して言い知れぬ感情が沸き上がり、胸が詰まる。

「私の方こそ、なんで今までそんな大事なことを……忘れて……」

 自分を責めるようにそう呟くと、彼は私に向かい徐ろに手を差し出してくる。

「……?」

《記憶がないのは事故の後遺症だし仕方がないよ》

「でも……」

《それより、手、出して?》

「え……?」

 目があうと影亮くんは穏やかに微笑み、おずおずと差し出した私の手の中にそっと小鈴を転がした。

 ――りん、と微かに鳴る鈴の音。

 良質な硝子で出来た透明の鈴は、確かに硬くひんやりとしてそこに存在していた。

「これ……」

《それはね、事故現場で拾った月乃ちゃんの鈴なんだ》

「え……?」

《俺のはその時の事故で車に轢かれて壊れちゃったけど、君の鈴は無事だった。でも……月乃ちゃんは事故の怪我とショックでしばらく伏せっていて面会もできないような状態だったから、ずっと返しそびれたままになってて……》

「そうだったの……」

 手の中の小鈴をそっと握りしめる。

 きっと、私の代わりに彼がこの鈴を肌身離さず持ってくれていたおかげで、私は父に会うことができたのだろう。

 感謝と労りの気持ちを込めて小鈴を胸の前でぎゅっと抱き締めると、影亮くんは苦笑しながら補足した。

《本当はね、君が病院から退院したって聞いた時にすぐ鈴を返しに行こうとしたんだけど、親に止められたんだ。事故は脇見運転をしていた運転手の過失で処理されているし、なんとか落ち着きを取り戻した月乃ちゃんに今さら事故の話しを蒸し返して精神的な負担をかけるのも好ましくないって、それは医者にも言われていたみたいで》

「そう……」

《うん。だから俺や、俺から話を聞いて一部始終を知っていた光亮も、事故のことはむやみに口にしないよう充分に気をつけてた。光亮なんかは月乃ちゃんと同じ学区内だから学校で会っても極力近づかず、他人のフリをして過ごしてたはずだよ》

 その通りだ。記憶が抜け落ちてる保育園時代は別として、先輩とは小中高とずっと同じ学校だったにも関わらず、親密に接触する機会なんて一切なかった。

 他の女子生徒たちと同様に、中学生ぐらいから私も先輩に憧れを抱くようになってはいたが、面と向かってまともに話せるようになったのは高校に入りアルバイト先が偶然一緒になってからだった。

「気にせず話しかけてくれればよかったのに……」

《そういうわけにはいかないよ。ふとした瞬間に、もし君が事故のことを思い出して苦しむ結果になってしまったらそれこそ居た堪れないし》

「影亮くん……」

《だから、俺は遠くから君を見守ることに専念して、同じ学校に通う光亮に協力を仰いで月乃ちゃんの様子を気にかけてもらってた。きっと、する必要のないアルバイトを始めたのも、月乃ちゃんとより親密に接する機会を作りたかっただけだと思う》

「……っ」

 その言葉にどきりとして、慌てて目を逸らす。

「そ、そんなことないよ。それはただの偶然だよ」

《どうして?》

「だって私、設楽先輩にはフラれてるもの」

《知ってる。言ったでしょ? その現場を偶然コンビニ裏で見かけたって》

「あれ、本当だったんだ……」

《はは。まぁね。とにもかくにも、それに関しては……俺に遠慮してただけだと思う》

「え?」

 微かにくすりと笑みをこぼした影亮くん。

「それってどういう……」

「七瀬さん!」

「……っ‼」

 疑問を挟もうとしたところで、背後から聞き覚えのある声がして心臓を飛び出しかける。

 驚いたように私の背後を見る影亮くんにつられて振り返ると、鳥居の向こう側には長い石の階段を上がってくる設楽先輩の姿があった。

「し、設楽先輩⁉」

「いた……。やっぱりここだったか……」

「ど、どうしてここへ?」

「急に走り出すから気になって追いかけてきたんだけど途中で見失っちゃって……。でも、多分ここじゃないかなって……。大正解だったね」

 私の側までやってきた設楽先輩は、軽く息を整えながらそう言った。

 影亮くんは兄との再会に面くらいながらも、達観したような表情で苦笑している。

 二人を見比べるが、やはり設楽先輩には影亮くんの姿は見えていないようだ。

「先輩、あの……」

《月乃ちゃん》

 この状況をどう説明しようか迷った私は、ひとまず話題をそらして様子を見ようと思ったのだが、影亮くんの声に遮られた。

「はいっ」

「……ん?」

「あ、いや……」

 設楽先輩にはやはり彼の声も聞こえていないようで、不審な私の独り言に首を傾げている。

 少しの間、逡巡するよう俯いていた影亮くん。

 しかしその時――、ふいに彼の体の一部が柔らかく光を帯び始めた。