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 翌日、朝早くから始まったお寺のお掃除と座禅、それから朝食作りと実食の時間を経てからお寺を出る。

 時刻はまだ八時ちょっとすぎ。

 本日突撃する予定の『月華亭』は十時からの営業らしいので、お寺を出てすぐのところにある寂れた公園に立ち寄って、ブランコに腰掛けながら青空を仰ぎ清々しい朝の空気を吸う。

 かなり早起きをしたにも関わらず、体の調子はすこぶるよい。

 規則正しい生活ゆえか、それとも毎朝胃が痛くなるほど小言をぶつけてくる叔母や、同じく毎朝無神経な弄りを見舞ってくる陽菜と顔を合わせなくて良いという解放感からか。いずれにしてもストレスなく朝を迎えられるってこんなに素晴らしいものかと鼻歌を口ずさみたくなるほど気分がよかった。

(あの時死んでいたら、こんな気持ちは味わえなかったんだよな)

 そう考えると今さらながら震えるような気持ちがわいたけれど、下を向いてばかりはいられない。きゅっと口を引き結んで気持ちを切り替え、肩にかけていた鞄から母の手帳を取り出す。

 母のおおらかな字で書かれた一つの電話番号。

 もしこれが本当に私の父のお店の電話番号だったとして、父はどんな気持ちで母と同じ名前の『月華亭』をオープンしたのだろう。

 店にとって大事な看板や名前に起用するってことは、少なからず母に対して好意的な意味合いがあったと考えるのが妥当だよね?

 でも、叔母さんが言うには、父には他に女がいて責任を取らずに蒸発した――と。

 蒸発したのに、母の名前でお店を出店したりする?

 叔母さんが嘘をついてる可能性は?

 なくはないけど、叔母さんは好きで私を引き取ったわけじゃないから『押し付ける相手が一人いなくなった』ところで得だってしないだろう。

 やはり父とは関係ないお店なのかな?

 そもそも一体母はどういう経緯でこの番号を手帳に記したのだろう。

 ――あらゆる想像と可能性を巡らせて、心の準備を整える。

 考えごとをしているうちにあっという間に時間は過ぎ、バスの時刻が迫った。

 手帳を鞄にしまって公園を後にすると、細い道を蛇行するようにのんびりやってきたバスに飛び乗り、隣町を目指した。