***
《騒動……か》
「はい。確か、参加していた子どもが一人、見当たらなくなった……とかで……」
ふいにずきんと痛む頭。事故の後遺症か、思い出そうとすると急に霞みがかったように記憶に靄がかかり、その先の言葉に詰まる。
神様が訝しむように首を傾げる気配がしたが、どうしても言葉が見つからなかった。
「ごめんなさい、その……。みんなで探さなきゃって騒ぎ始めて、その後、突然天気が崩れて大雨が降ってきたところまでは覚えているんですが……」
その先が、どう頑張っても思い出せないのだ。
唇をかみしめながら必死に記憶を辿ろうとすると、神様が宥めるような声色を挟む。
《無理して語らんでもよい。事故の後遺症なのだろう?》
「はい……。どうしてもそこから先が思い出せなくて」
《気にするな。だが、それならなぜ、おぬしが母親を殺したとそう断言できるのだ?》
「それは……」
神様に問われ、俯く。
事故に関する記憶はほとんど飛んでしまっているが、辛うじて覚えている断片的な映像が一つだけあった。
「ほんの一部だけ、今でも時々フラッシュバックするんです。事故の直前、大雨の中で、『危ないからそこにいなさい!』って道の反対側で怒鳴る母を無視して、私が道路に飛び出してしまうところを……」
結果、猛スピードで走ってきた車にはねられてしまった。
私が――、ではなく、私を庇うために咄嗟に飛び出した母が――、だ。
「どうしてあの時、私は母のいうことを聞けなかったんだろう」
《……》
「喧嘩のせいで反発していたのか、それとも母と仲直りがしたくて無我夢中でした行為だったのか。そのどちらでもなかったのかもしれませんし、記憶が不鮮明で今でもその答えはわからないままなんです」
《……ふむ》
「いずれにしてもあの時、私が母の言うことを聞いてさえいれば事故にはならなかったのかもしれないって、それで……」
《なるほど。それゆえ自責の念から、自分が殺したとそう結論づけるようになったのだな》
「はい……」
《話はよくわかった。しかし、真理もわからぬまま自分に枷をはめて、自身を憎んで過ごすというのは賢明な生き方とは言えぬぞ。それこそ命を賭してまでお前を守り、生かそうとした母があの世で泣く》
神様に諭され、はっとする。
「そう、ですよね……」
心情的に自己嫌悪を完全に拭い去ることはできないが、神様のいうこともごもっともだと理解はできた。
きっと母は、私が責めを負うことを望んでいない。
それはわかっているのに、どうしても気持ちの整理がつかなくて複雑な面持ちで思案していると神様はさらに仰った。
《あいにく私には過去を変えるような力はない。だが、この界隈に縁のある仏であれば融通がきかんでもないからな。おぬしが日々の歩みに努力を怠らないというのなら、あの世にいる母親に、おぬしの気持ちを伝えてやってもよい》
「ほ、本当ですか⁉」
《ああ。おぬしが後悔していたと、そしていかに母親を慕っていたかを伝えてやろう。だからおぬしはもう下を向くな。前を見よ》
「は、はいっ!」
願ってもみない申し出に、つい前のめりになって返事をする。
神道と仏道の関係性がどうなっているのかはよくわからないものの、まさかこんな形で母への想いを多少なりとも浄化することができようとは。
もちろん、だからといって母への罪滅ぼしが済んだとは思わないが、まるで闇の中に一筋の光がさしたかのように前向きな気持ちが湧いてくる。
「私、使命を果たすまで、最後までがんばりますっ」
《使命、か。……ふっ。まぁ、それでよい》
「あ、でも。約束を果たすにはあと半分の閊えが残ってるって先ほどおっしゃってましたよね。母やバイト先への挨拶以外に、あと何をすれば……」
そこであらためて考えたが、叔母一家との確執、山川さんの件、母の件、バイト先の件――。自分の中ではこれ以外に思い残している節がなかった。
腕を組んで真剣に考えていると、やれやれといったように神様が助け舟を出してくれる。
《もう少しよく考えてみよ。おぬしにはまだやり残しがあるだろう》
「母の件以外ですよね? ええと……あ、もう失恋しちゃってますけど、設楽先輩の――好きな人の件でしょうか?」
《……まぁ、それもないとは言えぬが、そんな野暮な閊えよりもっと根本的なものだ》
「根本的な閊え……」
そう言われて今一度よく考える。
――ふと、あることが脳裏をよぎった。
「もしかして。父のこと……でしょうか?」
潜めていた息を吐き出すようにそう呟くと、神様はやや間をおいた後に神妙に頷く。
《ようやく気づいたか。先ほどおぬしも『聞きたいのに聞けない』『ストレスだった』といっておっただろう。知りたくはないのか?》
ストレートに問われ一瞬言葉に詰まる。けれど、隠しきれない胸の内を正直に答えた。
「もちろん知りたいです。ですが叔母から、私の父は子どもを作った責任を一切取らず、他に女を作って蒸発した最低な男だったと言い聞かされています。探したところで認知もしないし迷惑なだけだろうってそう言われてきたので……」
《だとしたらそれを、己の目で確かめるべきではないのか?》
「……っ」
間髪入れずそう返され、虚をつかれたような気持ちになる。
振り返って神様のお顔を見上げると、神様はこちらをまっすぐに見据えたまま、その先を続けた。
《本当はおぬし、自分の父はそんな人間ではないと、そう信じているのだろう?》
「……」
しばしの間を置き、正直にこくん、と小さく頷く。
《ならばなおさら確認が必要だろう。真実とは己の目にしか映らない。他人の目で見たものの中に真実を見出そうとしてはならぬ》
「神様……」
そのお言葉の中には、不思議なほど強い力があるように感じた。
そうだよね……。知りたいと願いながらも真実を知るのが怖くて、ずっと考えないようにしてきたけれど、いくら私が現実から目を背けようとも、その事実や父の存在が消えてなくなるわけではない。見えないところで存在は続いているのだ。
「私、父に会いに行ってみます」
ぎゅっと拳を握りしめ意を決してそう告げると、神様は力強く頷いて見せた。
《それがよい。それがおぬしにとって大きな清算の一つとなるであろう。だがしかし、会いにいくと言っても、居場所を知っておるのか?》
「実は……母の形見の手帳に、一件だけ不自然に記されている電話番号があるんです」
そう告げると、神様は《ほう?》と言って続きを促した。
「気づいたのはだいぶ前のことだったんですけど、その時は深く考えずに放置してて。家出の際に持参したのを機に今一度よく調べてみたら、その電話番号は隣町にある小さなお弁当屋さんのものでした。最初は単にお気に入りのお店なのかなと思ったんですが、さらに詳しく調べるとそのお弁当屋さんは近隣の企業や工場向けの販売しかしていないそうなので、個人で利用していたというわけではなさそうなんです」
《ふむ》
「おまけに母には叔母の他に親族と呼べる人間もいないですし、友達か仕事がらみの友人のお店なら店名や友人の名前も一緒に書くんじゃないかって思いますし……。何より、調べたお店の名前が『月華亭』っていうんです」
《月華亭――》
「はい。私の母の名前が『月華』なので、もしかしたらこれは、父の経営するお店なんじゃないかなって……直感ですがそう思って」
その結論に辿り着いた理由を冷静にそう分析すると、神様はたいそう驚きながらも満足そうに頷き、
《なるほど。悪くない推察だな。手帳に記すということはそれなりの理由があるはずだろうし、それこそ己の目で確かめる価値がある。見て参るがよい》
――と、そう背中を押してくれた。
この電話番号の先にどんな結末が待っているかもわからないから、不安がないとは言えないが、それでも神様が背を押してくれただけで見違えるほど心が軽くなったし心強くもなった。
深く頷きを返すと、しっかり自分の足で立ち上がる。
「はい、そうします。色々話を聞いて下さってありがとうございました。明日にでもそのお店に行ってみますね」
陽はすでに沈みかけている。行動は明日にする旨を伝えてお別れの挨拶とお辞儀をした私は、夕焼けに照らされて紅く染まる細い石段を弾むように駆け下りた。
《騒動……か》
「はい。確か、参加していた子どもが一人、見当たらなくなった……とかで……」
ふいにずきんと痛む頭。事故の後遺症か、思い出そうとすると急に霞みがかったように記憶に靄がかかり、その先の言葉に詰まる。
神様が訝しむように首を傾げる気配がしたが、どうしても言葉が見つからなかった。
「ごめんなさい、その……。みんなで探さなきゃって騒ぎ始めて、その後、突然天気が崩れて大雨が降ってきたところまでは覚えているんですが……」
その先が、どう頑張っても思い出せないのだ。
唇をかみしめながら必死に記憶を辿ろうとすると、神様が宥めるような声色を挟む。
《無理して語らんでもよい。事故の後遺症なのだろう?》
「はい……。どうしてもそこから先が思い出せなくて」
《気にするな。だが、それならなぜ、おぬしが母親を殺したとそう断言できるのだ?》
「それは……」
神様に問われ、俯く。
事故に関する記憶はほとんど飛んでしまっているが、辛うじて覚えている断片的な映像が一つだけあった。
「ほんの一部だけ、今でも時々フラッシュバックするんです。事故の直前、大雨の中で、『危ないからそこにいなさい!』って道の反対側で怒鳴る母を無視して、私が道路に飛び出してしまうところを……」
結果、猛スピードで走ってきた車にはねられてしまった。
私が――、ではなく、私を庇うために咄嗟に飛び出した母が――、だ。
「どうしてあの時、私は母のいうことを聞けなかったんだろう」
《……》
「喧嘩のせいで反発していたのか、それとも母と仲直りがしたくて無我夢中でした行為だったのか。そのどちらでもなかったのかもしれませんし、記憶が不鮮明で今でもその答えはわからないままなんです」
《……ふむ》
「いずれにしてもあの時、私が母の言うことを聞いてさえいれば事故にはならなかったのかもしれないって、それで……」
《なるほど。それゆえ自責の念から、自分が殺したとそう結論づけるようになったのだな》
「はい……」
《話はよくわかった。しかし、真理もわからぬまま自分に枷をはめて、自身を憎んで過ごすというのは賢明な生き方とは言えぬぞ。それこそ命を賭してまでお前を守り、生かそうとした母があの世で泣く》
神様に諭され、はっとする。
「そう、ですよね……」
心情的に自己嫌悪を完全に拭い去ることはできないが、神様のいうこともごもっともだと理解はできた。
きっと母は、私が責めを負うことを望んでいない。
それはわかっているのに、どうしても気持ちの整理がつかなくて複雑な面持ちで思案していると神様はさらに仰った。
《あいにく私には過去を変えるような力はない。だが、この界隈に縁のある仏であれば融通がきかんでもないからな。おぬしが日々の歩みに努力を怠らないというのなら、あの世にいる母親に、おぬしの気持ちを伝えてやってもよい》
「ほ、本当ですか⁉」
《ああ。おぬしが後悔していたと、そしていかに母親を慕っていたかを伝えてやろう。だからおぬしはもう下を向くな。前を見よ》
「は、はいっ!」
願ってもみない申し出に、つい前のめりになって返事をする。
神道と仏道の関係性がどうなっているのかはよくわからないものの、まさかこんな形で母への想いを多少なりとも浄化することができようとは。
もちろん、だからといって母への罪滅ぼしが済んだとは思わないが、まるで闇の中に一筋の光がさしたかのように前向きな気持ちが湧いてくる。
「私、使命を果たすまで、最後までがんばりますっ」
《使命、か。……ふっ。まぁ、それでよい》
「あ、でも。約束を果たすにはあと半分の閊えが残ってるって先ほどおっしゃってましたよね。母やバイト先への挨拶以外に、あと何をすれば……」
そこであらためて考えたが、叔母一家との確執、山川さんの件、母の件、バイト先の件――。自分の中ではこれ以外に思い残している節がなかった。
腕を組んで真剣に考えていると、やれやれといったように神様が助け舟を出してくれる。
《もう少しよく考えてみよ。おぬしにはまだやり残しがあるだろう》
「母の件以外ですよね? ええと……あ、もう失恋しちゃってますけど、設楽先輩の――好きな人の件でしょうか?」
《……まぁ、それもないとは言えぬが、そんな野暮な閊えよりもっと根本的なものだ》
「根本的な閊え……」
そう言われて今一度よく考える。
――ふと、あることが脳裏をよぎった。
「もしかして。父のこと……でしょうか?」
潜めていた息を吐き出すようにそう呟くと、神様はやや間をおいた後に神妙に頷く。
《ようやく気づいたか。先ほどおぬしも『聞きたいのに聞けない』『ストレスだった』といっておっただろう。知りたくはないのか?》
ストレートに問われ一瞬言葉に詰まる。けれど、隠しきれない胸の内を正直に答えた。
「もちろん知りたいです。ですが叔母から、私の父は子どもを作った責任を一切取らず、他に女を作って蒸発した最低な男だったと言い聞かされています。探したところで認知もしないし迷惑なだけだろうってそう言われてきたので……」
《だとしたらそれを、己の目で確かめるべきではないのか?》
「……っ」
間髪入れずそう返され、虚をつかれたような気持ちになる。
振り返って神様のお顔を見上げると、神様はこちらをまっすぐに見据えたまま、その先を続けた。
《本当はおぬし、自分の父はそんな人間ではないと、そう信じているのだろう?》
「……」
しばしの間を置き、正直にこくん、と小さく頷く。
《ならばなおさら確認が必要だろう。真実とは己の目にしか映らない。他人の目で見たものの中に真実を見出そうとしてはならぬ》
「神様……」
そのお言葉の中には、不思議なほど強い力があるように感じた。
そうだよね……。知りたいと願いながらも真実を知るのが怖くて、ずっと考えないようにしてきたけれど、いくら私が現実から目を背けようとも、その事実や父の存在が消えてなくなるわけではない。見えないところで存在は続いているのだ。
「私、父に会いに行ってみます」
ぎゅっと拳を握りしめ意を決してそう告げると、神様は力強く頷いて見せた。
《それがよい。それがおぬしにとって大きな清算の一つとなるであろう。だがしかし、会いにいくと言っても、居場所を知っておるのか?》
「実は……母の形見の手帳に、一件だけ不自然に記されている電話番号があるんです」
そう告げると、神様は《ほう?》と言って続きを促した。
「気づいたのはだいぶ前のことだったんですけど、その時は深く考えずに放置してて。家出の際に持参したのを機に今一度よく調べてみたら、その電話番号は隣町にある小さなお弁当屋さんのものでした。最初は単にお気に入りのお店なのかなと思ったんですが、さらに詳しく調べるとそのお弁当屋さんは近隣の企業や工場向けの販売しかしていないそうなので、個人で利用していたというわけではなさそうなんです」
《ふむ》
「おまけに母には叔母の他に親族と呼べる人間もいないですし、友達か仕事がらみの友人のお店なら店名や友人の名前も一緒に書くんじゃないかって思いますし……。何より、調べたお店の名前が『月華亭』っていうんです」
《月華亭――》
「はい。私の母の名前が『月華』なので、もしかしたらこれは、父の経営するお店なんじゃないかなって……直感ですがそう思って」
その結論に辿り着いた理由を冷静にそう分析すると、神様はたいそう驚きながらも満足そうに頷き、
《なるほど。悪くない推察だな。手帳に記すということはそれなりの理由があるはずだろうし、それこそ己の目で確かめる価値がある。見て参るがよい》
――と、そう背中を押してくれた。
この電話番号の先にどんな結末が待っているかもわからないから、不安がないとは言えないが、それでも神様が背を押してくれただけで見違えるほど心が軽くなったし心強くもなった。
深く頷きを返すと、しっかり自分の足で立ち上がる。
「はい、そうします。色々話を聞いて下さってありがとうございました。明日にでもそのお店に行ってみますね」
陽はすでに沈みかけている。行動は明日にする旨を伝えてお別れの挨拶とお辞儀をした私は、夕焼けに照らされて紅く染まる細い石段を弾むように駆け下りた。