◇
「ねえ、君たちこんな時間まで何してるの、高校生〜?」
妙になれなれしい口調が聞こえ、山川さんと同時に振り返る。するとそこには、いかにも軽薄そうな身なりをした二十歳過ぎくらいの二人組の男性が立っていた。
「……っ」
「ねぇねぇ無視? 今暇っしょ〜? 隣街にいいカンジのクラブがあんだけど、オニーサンたちと一緒に行かない?」
露骨に顔を顰めた山川さんと私に構わず、二人組のうち口に煙草を咥えた金髪の男が山川さんの肩に腕を回す。
「ちょっとやめてよ。興味ないし行かないし」
山川さんが即座に拒絶を示すが、金髪男はにやにやと歪んだ笑いを浮かべるだけ。
「またまたぁ。本当は興味あるお年頃のくせに〜」
「嫌って言ってんじゃん、離してよっ」
山川さんは冷や汗を垂らしながら距離を取ろうとするけれど、金髪男は執拗に彼女に絡みついて離そうとはしなかった。
「山川さ……きゃっ」
防衛本能が働き、慌てて彼女の身体を手元に引き寄せようとしたが、もう一人、坊主頭に鼻ピアスをした男の人が、今度は私の腕を引っ張った。
「おっと、君の相手はこっち。って……君さあ、この眼鏡だっさくね? ない方がいいよ絶対」
「なっ、ちょっと、か、返してください!」
「ほら。やっぱこっちの方がイイじゃん。クラブ着いたら安くコンタクト譲ってくれるヤツ紹介してやるからさあ、早く行こうぜ」
「け、結構ですっ、眼鏡返してくださいっ」
震える声で必死に抗うけれど、強い力で掴まれた腕はどう頑張っても振り解けないし、眼鏡を取られてしまったせいで視界も悪い。
「向こう着いたら返してあげるって。そんな遠くないし、俺らの車、すぐそこだから」
なんて強引な奴らなんだろう。
どうしよう。このままでは強制的に連行されてしまう。
怖くて身は竦んだままだけれど、ふと脳裏にある考えが過ぎった。
もしかしたらこれも、神様が動かしたご縁なのだろうか……?
「……」
「ほら、はやくぅ」
よく考えれば、私はすでに義家族に対する蟠り、そして山川さんとの蟠りも自分なりに消化している。
対価として新しい自分に生まれ変われるタイミングが今なのだとしたら、万が一ここで危険な目にあっても――それこそ命を落とすようなことでも――望み通りの展開にたどり着いたというだけで、結果的に悪いようにはならないのではないだろうか。
極論だけどあながち的外れでもないような気がして、強引にそう結論づけるとなんだか無性に力が湧いてきた。
よし、大丈夫。
だって……今の私には神様がついている!
「……れか……」
「あん?」
「だっ、誰か、誰か助けてえええええーーーー!」
「⁉」
勇気を振り絞ると、おもむろに夜のしじまを切り裂くよう大声を放つ。
「誰かあああ! わーわーわああああーーー!」
それも絶やすことなく延々と。
「ちょっ、てめっ……」
驚いた坊主頭の男は慌てて私の口を手で塞ごうとしたけれど、それより早くそいつの足を思いっきり踏みつけた。
「いっづ!」
「わーわーわーわーわあああーーー! 助けてーーーー!」
「お、おいっ!」
「そ、そうよ、痴漢よ‼ たっ、助けてっっ、誰か! 痴漢、変態ーーーーっ!」
それまで怯えたような表情をしていた山川さんもハッと自分を取り戻し、便乗するように大きな声をあげる。すると、しんとしていた広場にはたちまち二人分の叫び声がこだまするように広がって、少し離れた大通りの方まで響いていった。
道ゆく人が何人か怪訝そうに足を止め、こちらを凝視している。
「お、おい、やべえぞ人が……」
「くそっ。逃げんぞ!」
すると途端に顔色を変え、慌てて引き上げていく二人。
いともあっさり引き上げていった、ということは、存外いけないことをしようとしていたという自覚があったのかもしれないし、あのまま連れて行かれていたら想像以上に危険だっのかもしれない。
とにもかくにもなんとか事なきを得、ぜぇぜぇと息を整えながらその場にぺたりと座り込む。山川さんは額に浮かんだ大量の汗を腕で拭いながら、私を見て言った。
「あっぶな……。危うく変な奴らに連れ去られるとこだった……」
「うん……急だったからびっくりしたし、すごい怖かった。山川さんが一緒に叫んでくれてよかったよ」
「いや、七瀬さんのおかげだって。っていうかあの状況でよく叫べたよね⁉ 今の時代凶器隠し持ってたりとかしてもおかしくないってのに、怖くなかったの?」
「あー、いや、はは。もちろん怖かったよ。ほら、手に汗びっしょりだし」
さすがに神様の存在をちらつかせるわけにはいかないし、いくら神様がついているとはいえ、怖かったのも事実だ。
汗ばんだ手のひらを見せると山川さんは、
「やべ。マジでびっしょりだし。びびりのわりに勇気あるとかウケる」
そう正直な感想を述べて、吹き出して笑った。
それまでずっと元気がないようだったから、彼女の笑顔が見れてちょっとホッとする。 しばらく二人で膝を抱えて「怖かったー」とか、「あんなの初めて」とか、乱れた心を落ち着かせるように他愛もない言葉を交わしていると、ふと、目下にある山川さんのズボンの裾が目に入った。
ゆったりとしたつくりのそのパンツの裾は整った形の折り返しになっていて、思わず「あっ」と声をあげる。
「ねえ、もしかして」
「……ん?」
ちょっとごめんね、と断りを入れてから山川さんのズボンの裾――くるぶしあたりの折り返し部分を指でつまみながら探る。すると、コツンと指が何か硬いものに触れた。
「!」
「なになに?」
折り目にそっと指を入れ、慎重にその硬いものを引き上げる。胸の前で手を広げて見せると、
「あっ!」
「あったー!」
やっぱりそうだ。探していたピアスの片割れだった。
「うっそ⁉ マジで⁉ まじでなんでこんなところから出てくんの⁉」
「実は私も前にさ、レジの現金点検やってる時にうっかり床にお金落としてバラバラにしちゃって、十円足りなくなったことがあったんだよね。散々探した結果、その時はズボンの裾の折り返し部分から出てきて……」
「何それウケるんだけど……って、あーもう、マジでよかった……」
小さなハート柄のピアスをそっと山川さんの掌に乗せると、彼女はそれを大切そうに抱きしめて、半分涙声で安堵の呟きをこぼした。
「ありがとう、七瀬さん」
「ううん。役に立ててよかったよ」
本当によかった。これで彼女も安心して家に帰れるだろう。
立ち上がって荷物を拾い、地面に投げ捨てられていた眼鏡も回収する。あーあ。レンズにヒビ入っちゃってるけど仕方ないか。命あっての物種だしね。
図書館はもう閉館時間になってしまうだろうからとりあえず今日のところは近場の公園にでも身を寄せよう。
そう思って踵を返そうとしたところ、
「え、ちょっと待ってよ」
「……わっ」
荷物の入った鞄をぐいっと引っ張られる。
思わずよろけつつ、どうしたの? と首を捻ると、山川さんはさも当然な疑問だとでもいうように尋ねてきた。
「どこいくつもりよ、七瀬さん。家出してんでしょ?」
先ほどは半信半疑で聞き流していたように見えたが、今回は妙に改まった口調だ。
「え? あー、うん。図書館はそろそろ閉まっちゃうだろうし、交番脇にある公園にでも行こうかなって……」
隠しても仕方がないので正直にそう述べたところ、彼女は持ち前の気の強さを取り戻したようにずいと身を乗り出しながら言った。
「はー⁉ だめだめ、ダメに決まってんじゃんそんなの! さっきの奴らみたいなのがまた来たりでもしたらどうすんの⁉ 危ないでしょ⁉」
「うっ、それはそうだけどでも、他に行く場所が……」
「そんなのうちに来ればいいじゃん!」
「えっ⁉」
「家で何があったのか知らないし、さっきは半信半疑だったから特に何も口出さなかったんだけど、うち、すぐ隣にあるおじいちゃんの家がお寺で、参拝者が泊まれる宿坊っていうのがあるんだよね。中にはワケアリの人とかも抱えてるみたいだし、行く宛がないなら七瀬さんも相談してったらいいじゃん」
「え、本当⁉ いいの……?」
「当たり前でしょ⁉ これでもかってぐらい助けてもらったんだから、むしろお礼の一つでもしないと気が済まないんですけど!」
山川さんはそういうと、戸惑う私の鞄を問答無用で掠め取り、自分の肩にかける。
「ほらこっち。絶対野宿よりはマシだから。早く」
言うが早いか、踵を返してすたすたと歩き出す山川さん。
詳しい事情も聞かず、こちらが遠慮する隙すら与えないのはきっと彼女なりの気遣いの現れだろうと思う。
「……うん。すごく助かる。ありがとう」
胸の中にじわりと灯る、人の温かさ。
ゆっくりと深呼吸をすると、しっかり前を向いて。星空の下を爽やかな夏風のように歩いていく山川さんの後を追いかけた。
「ねえ、君たちこんな時間まで何してるの、高校生〜?」
妙になれなれしい口調が聞こえ、山川さんと同時に振り返る。するとそこには、いかにも軽薄そうな身なりをした二十歳過ぎくらいの二人組の男性が立っていた。
「……っ」
「ねぇねぇ無視? 今暇っしょ〜? 隣街にいいカンジのクラブがあんだけど、オニーサンたちと一緒に行かない?」
露骨に顔を顰めた山川さんと私に構わず、二人組のうち口に煙草を咥えた金髪の男が山川さんの肩に腕を回す。
「ちょっとやめてよ。興味ないし行かないし」
山川さんが即座に拒絶を示すが、金髪男はにやにやと歪んだ笑いを浮かべるだけ。
「またまたぁ。本当は興味あるお年頃のくせに〜」
「嫌って言ってんじゃん、離してよっ」
山川さんは冷や汗を垂らしながら距離を取ろうとするけれど、金髪男は執拗に彼女に絡みついて離そうとはしなかった。
「山川さ……きゃっ」
防衛本能が働き、慌てて彼女の身体を手元に引き寄せようとしたが、もう一人、坊主頭に鼻ピアスをした男の人が、今度は私の腕を引っ張った。
「おっと、君の相手はこっち。って……君さあ、この眼鏡だっさくね? ない方がいいよ絶対」
「なっ、ちょっと、か、返してください!」
「ほら。やっぱこっちの方がイイじゃん。クラブ着いたら安くコンタクト譲ってくれるヤツ紹介してやるからさあ、早く行こうぜ」
「け、結構ですっ、眼鏡返してくださいっ」
震える声で必死に抗うけれど、強い力で掴まれた腕はどう頑張っても振り解けないし、眼鏡を取られてしまったせいで視界も悪い。
「向こう着いたら返してあげるって。そんな遠くないし、俺らの車、すぐそこだから」
なんて強引な奴らなんだろう。
どうしよう。このままでは強制的に連行されてしまう。
怖くて身は竦んだままだけれど、ふと脳裏にある考えが過ぎった。
もしかしたらこれも、神様が動かしたご縁なのだろうか……?
「……」
「ほら、はやくぅ」
よく考えれば、私はすでに義家族に対する蟠り、そして山川さんとの蟠りも自分なりに消化している。
対価として新しい自分に生まれ変われるタイミングが今なのだとしたら、万が一ここで危険な目にあっても――それこそ命を落とすようなことでも――望み通りの展開にたどり着いたというだけで、結果的に悪いようにはならないのではないだろうか。
極論だけどあながち的外れでもないような気がして、強引にそう結論づけるとなんだか無性に力が湧いてきた。
よし、大丈夫。
だって……今の私には神様がついている!
「……れか……」
「あん?」
「だっ、誰か、誰か助けてえええええーーーー!」
「⁉」
勇気を振り絞ると、おもむろに夜のしじまを切り裂くよう大声を放つ。
「誰かあああ! わーわーわああああーーー!」
それも絶やすことなく延々と。
「ちょっ、てめっ……」
驚いた坊主頭の男は慌てて私の口を手で塞ごうとしたけれど、それより早くそいつの足を思いっきり踏みつけた。
「いっづ!」
「わーわーわーわーわあああーーー! 助けてーーーー!」
「お、おいっ!」
「そ、そうよ、痴漢よ‼ たっ、助けてっっ、誰か! 痴漢、変態ーーーーっ!」
それまで怯えたような表情をしていた山川さんもハッと自分を取り戻し、便乗するように大きな声をあげる。すると、しんとしていた広場にはたちまち二人分の叫び声がこだまするように広がって、少し離れた大通りの方まで響いていった。
道ゆく人が何人か怪訝そうに足を止め、こちらを凝視している。
「お、おい、やべえぞ人が……」
「くそっ。逃げんぞ!」
すると途端に顔色を変え、慌てて引き上げていく二人。
いともあっさり引き上げていった、ということは、存外いけないことをしようとしていたという自覚があったのかもしれないし、あのまま連れて行かれていたら想像以上に危険だっのかもしれない。
とにもかくにもなんとか事なきを得、ぜぇぜぇと息を整えながらその場にぺたりと座り込む。山川さんは額に浮かんだ大量の汗を腕で拭いながら、私を見て言った。
「あっぶな……。危うく変な奴らに連れ去られるとこだった……」
「うん……急だったからびっくりしたし、すごい怖かった。山川さんが一緒に叫んでくれてよかったよ」
「いや、七瀬さんのおかげだって。っていうかあの状況でよく叫べたよね⁉ 今の時代凶器隠し持ってたりとかしてもおかしくないってのに、怖くなかったの?」
「あー、いや、はは。もちろん怖かったよ。ほら、手に汗びっしょりだし」
さすがに神様の存在をちらつかせるわけにはいかないし、いくら神様がついているとはいえ、怖かったのも事実だ。
汗ばんだ手のひらを見せると山川さんは、
「やべ。マジでびっしょりだし。びびりのわりに勇気あるとかウケる」
そう正直な感想を述べて、吹き出して笑った。
それまでずっと元気がないようだったから、彼女の笑顔が見れてちょっとホッとする。 しばらく二人で膝を抱えて「怖かったー」とか、「あんなの初めて」とか、乱れた心を落ち着かせるように他愛もない言葉を交わしていると、ふと、目下にある山川さんのズボンの裾が目に入った。
ゆったりとしたつくりのそのパンツの裾は整った形の折り返しになっていて、思わず「あっ」と声をあげる。
「ねえ、もしかして」
「……ん?」
ちょっとごめんね、と断りを入れてから山川さんのズボンの裾――くるぶしあたりの折り返し部分を指でつまみながら探る。すると、コツンと指が何か硬いものに触れた。
「!」
「なになに?」
折り目にそっと指を入れ、慎重にその硬いものを引き上げる。胸の前で手を広げて見せると、
「あっ!」
「あったー!」
やっぱりそうだ。探していたピアスの片割れだった。
「うっそ⁉ マジで⁉ まじでなんでこんなところから出てくんの⁉」
「実は私も前にさ、レジの現金点検やってる時にうっかり床にお金落としてバラバラにしちゃって、十円足りなくなったことがあったんだよね。散々探した結果、その時はズボンの裾の折り返し部分から出てきて……」
「何それウケるんだけど……って、あーもう、マジでよかった……」
小さなハート柄のピアスをそっと山川さんの掌に乗せると、彼女はそれを大切そうに抱きしめて、半分涙声で安堵の呟きをこぼした。
「ありがとう、七瀬さん」
「ううん。役に立ててよかったよ」
本当によかった。これで彼女も安心して家に帰れるだろう。
立ち上がって荷物を拾い、地面に投げ捨てられていた眼鏡も回収する。あーあ。レンズにヒビ入っちゃってるけど仕方ないか。命あっての物種だしね。
図書館はもう閉館時間になってしまうだろうからとりあえず今日のところは近場の公園にでも身を寄せよう。
そう思って踵を返そうとしたところ、
「え、ちょっと待ってよ」
「……わっ」
荷物の入った鞄をぐいっと引っ張られる。
思わずよろけつつ、どうしたの? と首を捻ると、山川さんはさも当然な疑問だとでもいうように尋ねてきた。
「どこいくつもりよ、七瀬さん。家出してんでしょ?」
先ほどは半信半疑で聞き流していたように見えたが、今回は妙に改まった口調だ。
「え? あー、うん。図書館はそろそろ閉まっちゃうだろうし、交番脇にある公園にでも行こうかなって……」
隠しても仕方がないので正直にそう述べたところ、彼女は持ち前の気の強さを取り戻したようにずいと身を乗り出しながら言った。
「はー⁉ だめだめ、ダメに決まってんじゃんそんなの! さっきの奴らみたいなのがまた来たりでもしたらどうすんの⁉ 危ないでしょ⁉」
「うっ、それはそうだけどでも、他に行く場所が……」
「そんなのうちに来ればいいじゃん!」
「えっ⁉」
「家で何があったのか知らないし、さっきは半信半疑だったから特に何も口出さなかったんだけど、うち、すぐ隣にあるおじいちゃんの家がお寺で、参拝者が泊まれる宿坊っていうのがあるんだよね。中にはワケアリの人とかも抱えてるみたいだし、行く宛がないなら七瀬さんも相談してったらいいじゃん」
「え、本当⁉ いいの……?」
「当たり前でしょ⁉ これでもかってぐらい助けてもらったんだから、むしろお礼の一つでもしないと気が済まないんですけど!」
山川さんはそういうと、戸惑う私の鞄を問答無用で掠め取り、自分の肩にかける。
「ほらこっち。絶対野宿よりはマシだから。早く」
言うが早いか、踵を返してすたすたと歩き出す山川さん。
詳しい事情も聞かず、こちらが遠慮する隙すら与えないのはきっと彼女なりの気遣いの現れだろうと思う。
「……うん。すごく助かる。ありがとう」
胸の中にじわりと灯る、人の温かさ。
ゆっくりと深呼吸をすると、しっかり前を向いて。星空の下を爽やかな夏風のように歩いていく山川さんの後を追いかけた。