「みんなで仲良く暮らしましたとさ」

 私は絵本を閉じた。
 読み聞かせは人生初めてで緊張はしたけれど、みんな喜んでくれた。

 「ねぇねぇ、おかあさんってなぁに?」

 子どもたちから質問が飛んできた。

 私もなぜこんな絵本が置いてあるのか疑問に思っていた。ここには当たり前のように母親が描かれていた。
 両親の存在を知らない彼らにとって、この話がどう映っているのか分からない。

 「お母さんって言うのはね、オルド先生やおひさま園にいる先生たちみたいな人だよ」

 子どもたちが知っている言葉を並べてそれっぽく説明してみた。

 「先生がお母さん?」

 きっと彼らにとっての親はオルド先生だろう。そうなると、町の人たちが色々なことを教えてくれる先生のようにも思える。

 「じゃあアカリちゃんのお母さんは?」

 私のお母さん……。
 本当のことを言うのはやめておこう。いない、なんて答えは求められてないだろうから。

 そんな時、ある記憶が頭の中で再生された。

 「私にはね、二人いるんだよ~」

 この話を誰かにするのは初めてだ。

 「オルド先生が二人?変なの!」

 子どもたちの反応に思わず笑ってしまう。二人というのは、私の両親のことだ。

 「うん、お父さんって言うんだけどね」

 そして、私は閉じていた記憶のページをそっと開いた。





 私には父親がいない。

 『灯ちゃんの髪型可愛いね』
 『お母さんが結んでくれたんだ』

 子ども同士がする在り来りな会話。その中で聞かれたこと。

 『じゃあ、灯ちゃんのパパはどんな人?』

 質問に対して特に何とも思っていなかったから当然のように答えた。

 『お父さんはいないんだ』

 私が生まれてからすぐに亡くなってしまったから、私の記憶にお父さんはいない。

 感覚的には一+一=二と同じ。なぜ二になるの?と問われても答えることは難しいけれど、それが二になることは当たり前に思うのと同じだった。

 『そうなんだ、寂しいね』

 いないことが当たり前だった私にとって、いない=寂しいにはならなかったから、その言葉は意外だった。

 悪気はなかったとはいえ友達に悲しい顔をさせてしまったから、この話はもう誰にもしないと決めた。


 その日、家に帰ってお母さんに話を聞いた。

 『お父さんはね、優しくてかっこいい人だよ』

 お父さんの話をする時、お母さんは幸せそうな顔をする。
 そして、私とお母さんのことが大好きだったこと、私の花嫁姿を見たがっていたこと、一生をかけて見守りたかったと言っていたこと、色々教えてくれた。

 『そうだ!これを灯に渡してほしいって言われてたんだった』

 そう言ってお母さんから手渡されたのは、ある花のイラストが書かれた栞だった。

 『お父さんが、灯が小学校に入学したら渡したいって言ってたんだけど叶わくて。私も渡すのが遅くなってごめんなさいね』

 それから、預かっていたメッセージも受け取った。

 『お父さん、本を読むのが好きで灯にも好きになってほしいからって。この花は、勿忘草。「俺がいたことを忘れないでほしい」って言ってた』


 あぁ、だから勿忘草だったんだ。花を持っていた夢は、その話を聞いた直後だったのかもしれない。
 クラネスさんが持ち帰った勿忘草は、お父さんからの、最初で最後の贈り物。


 誰にもしないと決めていた話を引っ張り出したのは、もう仕舞っておく必要はないと思ったから。
 過去の自分だったら隠したまま話さなかっただろう。でも今の私なら、父親の生きた証を話せると思った。


 「私のお父さんはね、遠くでお仕事してるの」

 私は父親のことをあまり知らない。

 「どんなお仕事?」

 残っていたのは勿忘草の栞。

 「本を読むお仕事だよ」

 優しくてかっこいい、ちょっぴり寂しがり屋な家族思いの人だから、私が忘れちゃだめなんだ。

 「本を読むことがお仕事なの?」

 「そうだよ」

 私は今、お母さんがお父さんの話をする時と同じような顔をしている気がする。


 「じゃあもう一人のお母さんは?」

 「私のお母さんはね、明るくて元気な人だよ。あと、歌がとっても上手なんだ」

 私の話を聞いていた子どもたちが期待の視線を寄せる。

 「アカリちゃんのお歌聞きたい!」

 なんとなくこうなるのは予想していた。

 「じゃあ、少しだけ」

 私はあの歌を口ずさんだ。

 母親は、太陽のような人だった。そんな人に私もなりたい。
 あの人は、私に笑ってほしくてこの歌を歌っていた。聞いた私が笑顔になれたように、この子たちにも笑顔になってほしい。それがずっと続いてほしい。そう願って歌った。

 「お姉ちゃん上手だね!」

 歌い終わると拍手を贈られた。小さな発表会みたい。

 「ありがとう!」

 目の前にいるみんなが笑ってくれている。
 それが嬉しくて、見ている私も心が温かくなるのを感じた。


 「素敵ですね」

 教室の外に出ていたオルドさんが帰ってきた。
 私の声が聞こえてたのだろうか。

 「そうだろ?」

 すると私の後ろから得意気に話す声が聞こえてきた。

 「え!?クラネスさん、いつからそこにいたんですか?」

 私の立っている位置から、ちょうど死角になる場所から出てきた。

 「ずっとここにいたぞ?灯が気づいていなかっただけで」

 ずっとって……オルドさんが出て行ったのは読み聞かせが終わる少し前。その時からだとすると、私の両親の話も聞いていたということになる。別に聞かれて困ることではないけれど、自分の鈍さに嫌気が差す。


 そんなやり取りを見ていたアズキちゃんが口を開いた。

 「クラネスさんは、アカリお姉ちゃんのこと好きなの?」

 「えっ、ちょっ!?」

 引き止めたかったけれどもう遅かった。
 子どもの純粋さは可愛らしいけれど、時に恐ろしい武器になるのだと理解した。
 次第に子どもたちの視線がクラネスさんに集まっていく。でも彼は特に焦っている様子もなかった。

 「そうだな、好きだぞ」

 真っ直ぐすぎる答えに一瞬ドキッとしてしまった。

 「……本心です?」

 「なぜそこで疑う」

 そりゃ、子どもの前で好きじゃないなんて言えないだろうから仕方ないけれど。あまりに直球すぎる。

 「じゃあアカリは?」

 「あ、えっと」

 どうしよう、今度は私が標的に……。

 「はいはい、みんなそこまで。アカリさん困ってるよ」

 子どもたちを止めてくれたオルドさんの方を見ると、クラネスさんと視線を合わせ合図を送っていた。
 これからまた何か話すのかと思っていたら、私もオルドさんと目が合った。

 「アカリさんもよければ」

 「え、私もいいんですか?」

 「はい。お話したいこともありますので」

 私もそこに同席させてもらえることになった。
 少しの間だからと子どもたちは年長組に任せて、談話スペースに案内された。