デイブレイク・ムーン




 「えぇ!?記憶がない?」

 モモさんの家に来て早々、昨夜の話題になった。
 リィンさんに手紙で呼び出され、目が覚めたらベッドにいて、お酒を飲んだ後の記憶が消えていたという一連の流れを説明した。

 「リィンとの約束なんて無視すればいいのに」

 私は「次誘われたら断りますよ」と笑って見せた。



 午後からお茶会をしようと誘われたのが先週。今日はモモさんお気に入りのガトーショコラと紅茶が並べられている。
 一口食べると、しっとりとした食感に濃厚なチョコレートが口に広がった。

 「これ美味しいです!」

 「気に入ってもらえてよかったわ」

 この町でも有名なケーキショップのもので、特に人気のガトーショコラは不定期に販売されるにも関わらず、あっという間に売り切れてしまうらしい。

 モモさんの零れる笑顔が可愛らしい。
 彼女の入れてくれた紅茶も味わいながら、ある人のことを聞いてみた。

 「モモさん。クロム・ランナイトという方を知ってますか?」

 ここへ来る前にクラネスさんから聞いた四人目の持ち主。

 「ええ、とても優しい方よ。柔らかい雰囲気で話し方も穏やかで。一度しかお会いしたことがないけれど、少し不思議な感じだったわ」

 不思議。私からしてみたら、ここにいる人たちみんなそうなんだけどな。

 「それにしても、よく彼のことを知ってたわね」

 そう話すモモさんは驚いていた。

 「え、そんなに変わってる方なんですか?」

 「変わっているというか、この町で彼のことを知っているのは私とクラネスくらいよ?」

 会ったことがあるのではなく、知っている人が二人しかいない。この町はあまり大きくないし、ずっと住んでいるなら一度くらい会っていてもおかしくない気はする。
 もしかしてクロムさんは、滅多に外に出ない人なのだろうか。

 「研究の手伝いで会うことになったんです。だから、どんな方なのかなって」

 「あぁ、クラネスの。私もあいつの紹介で一度服を仕立てたの」

 モモさんの話によると、初めて来店した日にクロムさんのことを知ったらしい。

 「詳しいことは分からないけど、アカリなら大丈夫よ」

 「そうですかね……」

 思わず不安が顔に出てしまった。一人で交渉に行くこということがプレッシャーになっているのかもしれない。
 それを見たモモさんは二コッと笑った。

 「いい?自分の選択次第で、自分は変えられるのよ。アカリの信じるアカリがいるなら、その思いに真っ直ぐ向き合うの。そうすればどんなに不安でも、きっと道は開けるわ」

 彼女の力強い言葉が私の背中を押した。
 モモさんの前向きなところは私も見習いたい。
 自分を変えるのは、自分しかいないんだ。

 「ありがとうございます、モモさん。私頑張ります!」

 ネガティブ思考を吹き飛ばすように声を上げた。
 それに応えるようにモモさんは「頑張ってね!」と手を握ってくれた。


 今日はクラネスさんと一緒に朝市へ来ていた。
 カラフルなテントの下に並ぶ野菜や果物、花や雑貨など様々な品。飛び交う声の中にいると、こちらまで楽しくなる。

 キツネに魔女に半魚人、のっぺらぼうに鬼。天狗にカッパに、洋服を着こなすガイゴツ。
 私の目に映るのは、人が見る夢に出てくるキャラクターたち。

 「ここって種族問わず様々なキャラクターたちがいる物語の交差点みたいですよね。色んな場所へ行き来するための通過地点。こんなことを言うのは無責任かもしれませんが、素敵な場所ですよね」

 呟くとクラネスさんが私の方を向いた。

 「灯、コンタクト……」

  そんな驚いたように不安気な顔をされても困る。
 今まで多くの人が集まる場所でコンタクトをつけていなかった私のせいでもあるけれど。
 一度に多くの刺激を受けるとどうなるか分からなかったので今日まで避けていたけれど、もう大丈夫だ。

 「実は今つけてます」

 そう言って目元を指した。そこに映るクラネスさんの姿はいつもと変わらない。

 彼は私を見て笑っていた。

 「灯の考え方はメルヘンチックだな」

 「うるさい」

 「ここがそんなに素敵な場所に見えるのか?」

 「私、嘘は嫌いなので」

 半分苛立ち気味で答えた。
 そんなやり取りをしていた時。

 「クラネス」

 目の前にいた人に声をかけられた。

 「クロムか。声をかけてくるなんて珍しいな」

 この人がクロムさん。
 身長はクラネスさんよりも少し高い。トレンチコートを着て、帽子を深々と被っているため顔がよく見えない。

 「君がクラネスの言っていた助手の子かな?」

 「あ、アカリと言います」

 モモさんの言っていた通り、柔らかい雰囲気で穏やかな話し方をする人だ。

 「今日の午後だけど、図書館にある談話室に来てくれるかな?」

 交渉の件、場所は図書館というのは聞いていた。クロムさんは図書館の関係者なのだろうか。

 「はい、分かりました」
 
 話が終わるとクロムさんは町の中へ消えていった。

 「よかったんですか?話さなくて」

 二人は一言言葉を交わしただけで、それ以外は何も話していなかった。

 「今更話すようなことはないな」

 「そんなに長い付き合いなんですか?」

 「それも全部クロムが話してくれるだろ」

 クラネスさんの口からクロムさんのことは何も聞けなかった。

 先程クロムさんに声をかけられた時、クラネスさんは珍しいと言っていた。それは、よく朝市にはいるけれど声をかけることは滅多にないということ。タイミング的に私たちのことを前から見ていたようにも思う。
 それでも私は全く気づかなかった。声をかけられるまで、クロムさんがいることに。


 不思議な人。確かにあの感じだとその言葉が合うのかもしれない。
 約束の時間まで、私はクロムさんのことを考えていた。
 町では正午を知らせる鐘が鳴っている。

 『あまり気負わなくていい』

 クラネスさんにアドバイスを求めると、それだけ言われた。
 そしてもうひとつ。コンタクトは、つけない。

 ゆっくりと深呼吸をする。

 「よし!」

 私は図書館の前の階段を一気に駆け上がった。


 館内の一階には何室か談話室がある。
 言われた場所のドアを叩くと中から声が返ってきた。

 「失礼します」

 部屋の真ん中にはテーブルとソファー。壁側にも小さめのテーブルとイスがあり、本やノートが広げられていた。

 「いらっしゃい。クロム・ランナイトです」

 朝市で会った時には見えなかった顔が見える。
 今は帽子もトレンチコートも着ていない。服はカッターシャツの上にカーディガンを羽織り、黒縁メガネをかけている。

 「アカリです。よろしくお願いします」

 こんな形で挨拶をすると緊張してしまう。
 いきなり本題に入ってもいいのだろうか。モモさんやリィンさんの時の雰囲気とは違って、次に話す言葉が浮かんでこない。
 焦燥に駆られる私とは対照的に、クロムさんは落ち着いていた。

 「クラネスから話は聞いていて、灯さんのことは知っているんだ。別の世界の住人だろ?」

 「……はい」

 なるほど。クロムさんは知ってる側の人なのか。
 正体を知られているなら私が身構える必要ないんだろうけど、緊張は解けてくれない。

 「クラネスが今やっている研究のことも知ってる」

 それなら話は早い。早速譲ってもらえないか交渉をしよう。

 「少し、僕の話をしてもいいかな?」

 「え?あ、はい」

 なんだろう。さっきからクロムさんのペースに流されている気がする。この感じ誰かに似ている。
 それから一呼吸おいてクロムさんは話し始めた。

 「クラネスと僕は十八年ほどの付き合いで、僕が初めて出会った見える人だった」

 「見える人?」

 十八年ということはエイトさんよりも長い。

 クロムさんは視線を上げて私と目を合わせた。
 少しだけ、その瞳は霞んでいるように見えた。

 「僕はね、透明人間なんだよ」

 透明人間。本で見た。
 伝説妖怪族と呼ばれ、この世でたった一人しか存在しないとされている者。というのは単なる言い伝えであり、本当に会った者はいないと書かれていた。
 透明人間は妖怪であるが、一人しかいないため伝説族となっている。しかし透明であるがゆえ、誰からも見えないし、誰にも知られていない。

 「本物、ですか?」

 クロムさんの言葉を疑っているわけではない。しかし言い伝えであると書かれている人が、今目の前にいることも信じられなかった。

 「それなら、これをかけてごらん」

 そう言ってクロムさんは手元にあったケースからメガネを取り出して私に渡した。

 「あ……」

 渡されたメガネをかけると、目の前にはイスに座っている服と宙に浮いているメガネだけが残っていた。
 顔が見えない。私は急いでメガネを外した。
 そこにはちゃんとクロムさんがいた。

 「このメガネって」

 「これは僕が作ったんだ。見えないものを見えるようにするメガネ。これに似たものを、灯さんは知っているんじゃないかな?」

 見えないものを見えるようにする……。

 「コンタクト」

 クラネスさんからもらった真実を映すコンタクト。私が見えていない町の人の本来の姿を映すもの。

 「彼が僕を見つけてくれた時に作り方を教えてもらったんだ」

 それからクロムさんは、クラネスさんと出会った時のことを教えてくれた。
 


 クロムが自らを透明人間だと理解したのは、目が覚めたのと同時だった。生まれてすぐの記憶はないため、自分が自分であると認識した二つの時。他の者たちと自分は何かが違うのだと悟った。
 自分には世界が見えているのに、周りに自分は認知されていない。それは自分が透明人間であるからだと本で初めて知った。
 鏡に映らない、水溜まりに映らない、ガラスに映らない、誰の目にも映らない。この世にいても、いない存在。

 自分が触れたものは透明にならないが、身につけたものは透明になってしまう。だから服も帽子もメガネも、周りからは見えない。
 体があって顔がある。目もあって口もあるのに、声は届かない。それが透明人間だ。

 何をしても気づかれない。犯罪まがいなことをしようがバレない。そんなことする気は毛頭ないが、誰かのために何かをしても気づかれないということ。

 クロムは子どもの頃から科学に興味があった。実験、研究、発明。気になることは何でも調べた。
 町の灯や噴水は彼が作ったものだ。などと言ったところで誰が信じるのだろう。皆口を揃えて言うのが、気づいたらそこにあった。誰が作ったかなんて気に留めない。その程度のことだ。


 そんな彼が十の時。いつものように町を歩いていた。たまに空なんか見上げながら。当然誰とも目は合わないし、話しかけられもしない。そのはずだった。

 「お兄さんそこで何してるの?」

 立ち止まっていたところを、見知らぬ少年に声をかけられた。
 辺りを見渡しても自分以外誰もいない。彼が声をかけたのは紛れもなく自分だった。

 「君、僕が見えるの?」

 そう聞くと彼は喜んでいた。

 「えぇ!?じゃあ本当に成功したんだ!」

 何をそんなに嬉しそうにしているのか訊ねると、それは彼が持っていた万華鏡のようなものに理由があった。

 「これは見えないものを映す鏡なんだ。初めて作ったんだけど、成功してた」

 見えないもの。ここしばらく自分が透明であることを忘れていた。見えないことが当たり前だったから。

 「でもどうしてお兄さんは鏡越しじゃないと見えないんだろう」

 彼は不思議そうに万華鏡を覗いたり外したりして、クロムの方を何度も見ていた。どうやら透明人間を知らないらしい。

 「僕は透明人間で、普通の人には見えないんだよ。君、凄いね。こんなもの作れるんだ」

 「実験とか発明が好きでやってたらできたんだ。俺ってすごくね?」

 もしも本当に彼が作ったのだとしたら。自分のことが見えているのだとしたら。
 クロムの中に微かな希望が生まれた。

 「良ければ作り方を教えてくれないか?」

 「いいよ!」

 その日、クロムは生まれて初めて人と会話をした。


 クロムが住居として借りていたのは図書館の一室だった。どうせ姿が見えないのだからと、使われていなかった部屋を借りていた。万が一のことを考えて、ドアには関係者以外立ち入り禁止のプレートをかけている。

 「お兄さんの部屋すごいね。何でもあるじゃん」

 発明に興味があるというのなら、自分に対してすぐに心を開いてくれるだろうと部屋に招いたが予想通りだった。

 「君、名前は?」

 「クラネス。お兄さんは?」

 「クロムだ。よろしくねクラネス」

 それからクラネスが作った鏡の仕組みを説明してもらい、自分も同じように作っていった。

 「これだと手が塞がってしまったり、落としてしまうと大変だから、メガネ型にするのはどうかな?」

 「確かにそうだな。でもメガネだと分厚くなるかもしれない」

 「それならこの材料を……」

 気がつけば何時間も作業をしていた。試行錯誤し、ようやく完成させたのが見えないものを映すメガネ。
 しかしそれはクロムには必要のないもの。なぜなら彼自身が見えないものだから。

 「これは僕には必要ない。だからクラネスが持っていてくれ。そしてこれに代わるものができたら返してくれないか?」

 そのお願いにクラネスは頷いてくれた。

 「それじゃあ次はメガネがなくても、みんながクロムのことが見えるようになるものを作るよ」


 その日からクラネスは時々クロムの部屋を訪ねてくるようになった。
 新しいものを生み出した時、発明のヒントが欲しい時、遊びたい時。
 些細なことでも「クロムー!」と名前を呼んでくれた。

 当時クラネスは六歳だった。育ち盛りで活発な子が自分なんかと一緒にいて楽しいのかとクロムは思っていた。

 「クラネス、僕といるより友達といた方が楽しいんじゃない?」

 「誰かといるより、俺はクロムといる方が楽しい」

 その言葉が何よりも嬉しかった。こんな人とは、もう二度と出会うことはないと思った。

 「そうだ。今度みんなにクロムのこと紹介したいんだ。町にこんなすごい人がいるんだって」

 「それはやめておいた方がいい」

 彼は初めて出会えた見える人で、自分と一緒にいることを選んでくれた人。だからクラネスにも自分はいないものと思ってほしかった。

 「どうして?」

 「僕は透明だから。周りの人には見えない」

 「だけどこのメガネを使えば……」

 「クラネス。僕には君がいてくれるだけで十分なんだ。だから僕のことは誰にも言わないでくれる?」

 透明人間は見えないのが普通。それなのに周囲に気づかれてしまえば、それはもう透明人間ではなくなる。自分の存在価値がなくなってしまう。そうなると本当に消えてしまう。それを恐れたクロムは、自分の存在は隠すべきだと思っていた。

 納得できないと不満気な表情を浮かべるも、クラネスは分かったと言ってくれた。


 ――


 それからしばらくして、クロムはあるものを作った。

 「コンパス?」

 「ただのコンパスじゃない。過去と未来が見えるコンパスだ」

 「何それかっこいい!」

 名目ばかりは洒落ているが、見た目は針一つ入っているだけの丸い物体。中には特殊な歯車が入っているが、外からは見えない。

 「とは言ってもまだ形だけで、昨日試したけど上手く作動しなかったんだ」

 「えぇ。じゃあ上手くいったら見せて!」

 「あぁ」

 だが、このコンパスをクラネスに見せることはなかった。
 昨日試した時点で、ちゃんと作動していた。問題はそこに映っていたものだ。

 クロムはコンパスと同時進行で、あることを調べていた。
 この世界は何のために存在しているのか。ここで生活している者たちなら一度は考えるであろうことだ。

 人の夢に入り、集めたカケラがなければ町が成り立たない、そんな世界の在り方が理解できなかった。
 町の者たちは皆、嫌われ役だと言っている。なぜ自らの存在を否定してまで生き続けなければならないのか、その理由はどこにあるのかを考えた時に歴史を遡ればいいと思った。そして生まれたのがこのコンパスだ。

 コンパスを覗いて見えた過去の世界。それは何十年、何百年遡っても全て同じ光景だった。
 図書館には鏡の部屋があり、そこから人間の夢へと入る。その繰り返し。
 初めは失敗したのだと思っていた。
 そこで試しに未来も覗いた。何十年、何百年先の未来。……何も変わっていなかった。

 「本……この世界に関する本は……」

 ここは図書館。クロムは隅々まで歩き回って本を探した。
 そしてたった一冊だけ、この世界に関することが記されていた本を見つけた。著者も書かれていない、たった数ページの本。
 そこに書かれていたのは《この世界は人間の誕生と共に始まり、人間が生き続ける限り終わらない》。
 それ以外は当時の写真が貼られているだけだった。町の形も今とほとんど変わらない。

 クロムはこの本を誰にも見つからないように、鍵のついた引き出しに閉まった。
 もしも誰かが自分と同じようなことを考えた時、絶望しないように。

 クラネスと出会ってから十年以上が経ったある日。

 「クロム。今時間いいか?」

 クラネスが部屋を訪ねて来た。幼かった頃と比べるとその頻度は減ったが、自分のことは変わらず覚えてくれていた。

 「あぁ、大丈夫だよ」

 そう言って連れ出されたのは一軒の仕立て屋だった。
 服を仕立ててほしいなんて一度も言ったことはないが、生きていくために必要なものだからと強引に説得された。

 「いらっしゃい」

 店に入ると可愛らしい女の子が出迎えてくれた。しかし彼女にクロムの姿は見えていない。

 「クラネス……何しに来たのよ」

 彼女はクラネスのことを見て、あからさまに嫌そうな顔をしていた。

 「服をいつくか仕立ててもらいたいんだが……まずこのメガネをかけてくれるか?」

 そう言ってメガネを渡していた。確かあれは初めて会った時に作ったもの。
 戸惑いながらも彼女はメガネをかけた。

 「あれ?クラネスの隣に誰かいる」

 目が合った。これで二人目だ。

 「実はこいつの服を仕立ててもらいたいんだ。この通り透明人間だから普通の者には見えない。だから、この薬品を生地に混ぜて作ってくれないか?」

 クラネスは透明な液体の入った容器を見せた。

 「えぇ、いいけど……透明人間?」

 彼女も透明人間を初めて知ったのか、言葉に迷いがあった。
 そこで今度はクロムが言葉を発した。

 「初めまして。クロム・ランナイトと申します」

 これを聞いた彼女は、仕事モードに入ったようで目つきを変えた。

 「モモ・カーネットよ。何か希望はあるかしら?」

 「生憎ファッションの知識はなくてね。任せてもいいかな?」

 「もちろん」

 そう言うと彼女は生地を持って、行ったり来たり。クロムの体に合わせてどのようなものがいいか吟味している。

 「よし、大体は決まったわ。完成したら連絡するから取りに来てもらえる?」

 「あぁ、ありがとな」

 仕立て屋を出るとクロムは気になっていたことを聞いた。

 「あの液体は?」

 「以前作った見えないものを見えるようにするメガネ。あれを液体化した。モモの作る服に染み込ませることによって、服だけでも見えるようになればと思ってな」

 クラネスの評判は耳にしていた。依頼したものがそのまま完璧に再現できる天才、この手のプロフェッショナル、彼に作れないものはない、と。この時から町中の者たちが彼の名を知っているくらいには有名な発明家になっていた。

 「モモなら心配いらない。透明人間に会ったからって言いふらすような子じゃないからな」

 クラネスがそう言うと、クロムは「そうか」と安堵の声を零した。


 ――


 数日後、完成した服を持ったクラネスが再びクロムの部屋を訪ねていた。
 これまでのものは身につけると身体と一緒に透けていたが、彼女に作ってもらったものは特殊加工が施されているため、服だけはちゃんと見えるようになっていた。

 「これでメガネがなくとも見えるようになったな。でもまだメガネに代わるものはできていないから返せないぞ?」

 これで自分は透明人間ではなくなってしまった。クラネスと仕立て屋の彼女には申し訳ないけれど、これは受け取れない。

 「透明人間だからって必ずしも全てが透明でなくてはならないと誰が決めたんだ?」

 「え?」

 クロムの心を見透かしているかのようにクラネスは言った。

 「服を着たところでクロムは透明人間だ。その事実は変わらない。それに見えていないのはクロムの外側であって、クロム自身はこの世界にいるんだ。今までと何も変わらないじゃないか」

 この子はいつの間にこんなに大きくなっていたんだろうか。彼の言葉や行動に何度も背中を押されてきた。
 周囲から見える服を着ていても、クロムがこの世界に存在する透明人間であることは変わりない。

 「いつからそんな口が聞けるようになったんだ?」

 「お前が部屋に閉じこもっている間に成長したのでな」

 そんなやり取りにお互いおかしくなって笑っていた。



 「それで本題なんだが、クロムに相談がある」

 クラネスはいつになく真剣な顔をしていた。和んでいた空気がピリつく。
 そして一番聞きなくなかったことを、一番聞きたくない人から告げられた。

 「俺は、この町を変えたいと思っている」

 知っていた。彼ならそう言うであろうと、そんな気がしていた。何なら確かめもした、あのコンパスで。そうしたら今、全くその通りになっている。十年以上経った今でもあれは壊れていなかった。

 「誰も嫌われ役を望んでいるわけではないし、怖がらせたいわけでもない。ただ必要なものを探しに行ったら怖がられてしまった。中にはこの生活に慣れている者もいるが、それ以外の方法でもこの町は成り立つと思うんだ」

 芯のある真っ直ぐな声を、今はただ聞くことしかできない。

 「別のエネルギー源を作る方法を見つけたんだ。だからクロム、協力してくれないか?」

 熱のこもった言葉を投げられ、自分の中にある答えを探す。背中を押すべきか、やめろと否定するべきか。どちらが正しいのか分からない。
 少しの間沈黙が続き、クロムは答えを決めた。


 「それは、やめたほうがいい」

 その声はいつもと変わらない穏やかなものだった。

 「なぜ?」

 「前に話したコンパス、本当は動いていたんだ。過去と未来がちゃんと見えていた。……僕だって、クラネスと同じようにその未来を変えようとした。でも何度やっても変わらないんだ。どんなに未来に抗おうとしても失敗してしまう。未来を変えることは、できないんだ……!」

 クロムは初めて声を荒らげた。
 いくら才能があるクラネスだって、百年以上も続く歴史を変えることは不可能だと思った。
 それにこの方法にはいくつか必要なものがある。その中のひとつに。

 「誰か宛はあるのか?」

 最も入手困難なものがある。

 「あぁ。彼女なら大丈夫だ」

 「例の子か……」

 例の子と言うのは、クラネスが夢で何度も出会う人の子。
 話は聞いていた。二度目の出会いが存在しない夢の中で不思議なことが起こるのだと。クロムにもその理由は分からなかった。

 「そんなに思い入れのある子を選んで、本当にできるのか?優しいクラネスのことだ。ギリギリになってやっぱり無理だった、なんてことは……」

 「やるさ」

 その一言で重く沈んでいた空気が一気に軽くなった。

 「もう決めたんだ。それに、いつまでも迷っているのは性に合わない」

 真っ直ぐに前を見つめる瞳がクロムを突き刺す。

 初めて出会った時に感じていたもの。
 もしも本当に彼が作ったのだとしたら。自分のことが見えているのだとしたら。
 彼なら、やってのけるかもしれない。自分じゃ成し得なかったことを。

 「分かったよ。君を信じよう」

 僕にできるのは、君の作る未来を信じることだ。



 「これは?」

 クロムさんの話を聞いている途中、テーブルの上に何かを置かれた。

 「コンパスだよ」

 これが過去と未来が見えるコンパス。

 「壊れてしまったけどね。少し前までは動いていたんだ」

 「故障ですか?」

 「いいや、もう直らない。未来が変わってしまったからね」

 未来が、変わった?

 「クラネスが灯さんをここへ連れて来た、それが何よりの証拠だよ。本来人間が住んでいる世界とこちらの世界を行き来できる鏡なんて作れない。だけどそれを、クラネスはやってのけた」

 私がここに来たことで未来が変わった。あの人、そんなすごいことやってたんだ。
 何も言わずに誘拐みたいな形で連れて来られた時は何考えているか分からない人だったのに、その後ろでこんな大きなものを抱えていたなんて気づけるはずがない。

 「灯さんが持っているそのメガネ。それはクラネスから返されたものだよ」

 「もしかしてメガネに代わる別のものって、私のコンタクトだったりします?」

 あの時は試作品だと言われていた。これをつけて効果を確かめられるのは私しかいなかったから。

 「正解、そうだよ。完成したからってアポを取るついでに返された」

 そう話すクロムさんは嬉しそうだった。

 そして彼はクラネスさんの研究を手伝っていた。エネルギー源に必要な材料がどこにあるのか調べ、探し出す。材料の持ち主全員を見つけられたのはクロムさんのおかげらしい。


 「このコンパスの歯車を君に預ければ、僕の役目は終わる」

 四つ目の材料、それはクロムさんが持っているコンパスの中にある歯車だった。

 「信じると言ったけど、本当は怖いんだ。優しくて臆病なクラネスにやらせてよかったのかと……だから灯さん、最後まで彼を見守ってあげてほしい。僕は陰から見ていることしかできないから」

 「陰から?どうしてですか?」

 クロムさんは静かに下を向く。

 「カーネットさんが仕立ててくれた服を着ていても、周りの人たちがクロムという存在を認識しなければ、僕は見えない。僕のことが見えるのは、クロムの存在を認知した人だけだから。できるだけ人前に出ることは避けたいんだ」

 だから私はクロムさんと初めて会った時、話しかけられるまで気づかった。目の前にクロムという()()()()がいることに。
 クロムという透明人間がいるということを知っている人にしか彼は見えない。しかしクロムさんは自らを知られるようなことは避けている。


 「結果さえあればいいんだよ」

 「え?」

 その声は、ひどく落ち着いていた。

 「僕の場合は、その結果でさえ気づかれないけど」

 急に何を……と思ったけれど、彼からすればこんな話は急でもなかったのかもしれない。

 「皆が見るのは結果だけ。それさえしっかりしていれば後はどうでもいいんだ。結果の過程なんて面白味のない部分を見たって仕方がない」

 「そんなことは……」

 「君は、リレー大会の決勝で優勝した人の練習と決勝に出られなかった人の練習、どちらを知りたいと思う?実際前者には才能があってあまり練習しなかった。後者は毎日実りのある練習をしていたが、決勝に出られなかった」

 結果を見た上で判断するのであれば前者かもしれない。後者のことを考えるきっかけなんてどこにあるのだろう。その人のことを知っている人以外は考えない気がする。
 あ、そうか。そういうことか。

 「僕が何かを作った場合、役に立つものができたとしても、皆が求めるのは見えない過程や結果ではなく、確かな結果だ」

 その言葉は、これから起こりうる未来のことを言っているようにも聞こえる。
 クラネスさんの研究が上手くいったとして、結果として残るのはクラネスさんが成し遂げたという事実。クロムさんの存在は誰も知らないし、どこにも残らない。これまでも、これからも……本当に?

 彼との出会いがなければ、鏡の効果は分からなかった。あの出会いがなければ、クラネスさんが今も研究を続けていたか分からない。そんな、始まりの存在がいつかは消えてしまう。

 「そんなことありません。私はちゃんと聞きました、クロムさんがやってきたこと。何を思って、何を願ったのか。それは、私の記憶に残ります」

 拳を握りしめ、自分の中にある悔しさを押し殺しながら話す。

 「たとえ見える結果でしか判断されなくても、クロムさんの存在は私の中に残ります!それはクラネスさんだって同じです!だからクロムさんも、クロムさんのことを信じてあげてください。クロムさんは見えない存在じゃありません。ちゃんとここにいるんです」

 どうか、自分の存在を否定しないで。見てくれている人は、必ずいるから。
 静かな時の中で、そっと息を吐く音が聞こえた。

 「そうだね。僕を信じてくれる人が信じるものを、僕が否定してしまうのは違う気がする。僕は僕らしく、これからも信じてくれる人のために生きるよ」

 その笑顔にはまだ迷いが残っていたけれど、瞳には光が見えていた。

 「それにしても不思議だね。クラネスにも君と似たようなことを言われたよ。やっぱり一緒にいると考え方も似てくるのかな?」

 「えっ」


 私には彼の気持ちを理解することは難しいのかもしれない。何も知らないくせに、そう思われても仕方がないと思っていた。だけど今日初めて会った私の言葉に耳を傾けてくれた。それだけで十分だった。
 本当はもっと知りたいことがあるけれど、これから先クロムさんの近くにいられるのは私じゃない。

 「今までそんなこと一度も口にしなかったのに、俺がいないところだと簡単に吐いてしまうんだな。何か隠していると思ったらそういうことだったか」

 「クラネスさん!?いつからそこに?」

 ドアを開けて入ってきたのはクラネスさんだった。話を聞いていたのか、あまりにもタイミングが良すぎる。

 「クラネスには消えても言えないと本能的に思っていたのかもしれないね。君の前では強がっていたかったのかも」

 クロムさんは驚いていなかった。もしかして気づいていたのかもしれない。


 「いい人を見つけたね」

 今度は私の方に笑顔を向けてくれた。

 「灯は自慢の助手だ」

 その言葉に照れくさくなって、私は話を逸らした。

 「クロムさんは、どんな世界を望みますか?」

 彼に訊ねたのは未来のこと。

 「この世界は完成されているように見えるけど、実際は何か抜け落ちている未完成な世界。完全に完成されたものなんてこの世にはないけど、完成させるためにはどうすればいいか悩み続けられる世界であってほしいな」

 完成を求めるのではなく、その過程を考え続けられる未来を望む、クロムさんらしい答え。


 「ありがとう灯さん。君に会えてよかったよ」



 クロムさんに別れを告げ、クラネスさんと帰り道を歩いていた。

 信じるか。思いを伝えるのに必死だったとは言え、あれはブーメランだった。
 自分より少し前を歩く、見慣れた背中を見つめる。
 私も信じて、聞かなければならないことがある。
 あのリストのこと。
 彼は私に答えをくれるだろうか。
 一番下の塗りつぶされた項目。ライトに照らした時、見えた文字は。


 【持ち主、有明灯――必要なもの……歌声】


 私は動かしていた足を止めた。
 クラネスさんもそれに気づいて、合わせて止まってくれた。

 「クラネスさん。聞きたいことがあります」

 家に帰った後、私は作業部屋に来ていた。
 テーブルの上にはエネルギー源の材料リストが置いてある。私がそれを見たことをクラネスさんは知っていた。恐らくシュベルトさんに聞いたのだろう。


 夕日に染る町、その空間に声を指した。
 聞きたいことがあると言った私の言葉に、クラネスさんの表情は変わらなかった。

 『帰ったら全て話す』

 全て知った気でいたけれど、私にはまだ知らないことがあるんだ。


 「このリストに書かれてあるのは事前にクロムが調べてくれた必要なもの。一番下のもの以外はな」

 「どういうことですか?」

 「最後の項目は俺が見つけて書き足したものだ」

 私の歌声はクラネスさんが見つけてきた、最も入手困難と言われていたもの。

 私がいた世界とこの世界を繋ぐ鏡を作り出してまで会いに来た。
 歌声なんていつでも手に入れることはできたはずなのに、今まで一度も歌声に関することは口にしなかった。
 私は必要な材料を集めるための交渉役。多分これは嘘だ。クラネスさんならこんなこと一人でやってのけるはず。

 「塗りつぶされたものは、必要なものですか?」

 クラネスさんに訊ねた。そんなこと分かりきっているのに。
 必要なものを書いてあるリストの中で黒く塗りつぶされていた項目。これは必要ないからではなく。

 「皆さんが、優しいからとか臆病だからと言っていたのは、クラネスさんが私の歌声を奪うことに抵抗があるからですか?」

 「そうだ」

 「……!」

 その答えは迷うことなく飛んできた。
 あまりにも素直な言葉に、一歩足を引いてしまう。
 私のことなんかで躊躇う必要ないのに。

 「どうして」

 そこに優しさなんて必要ないのに。

 「灯はただ歌えばいいだけと思っているのかもしれないが、エネルギー源に必要なのは歌の声。つまり歌声を奪えば、灯はもう二度と歌えなくなってしまう」

 「え……」

 歌えなくなる?

 「声そのものを奪うわけではないから、普段話すのに支障はないし会話もできる。ただ……灯にとって歌は、特別なものではないのか?」

 その声は胸を締つけるほど優しい。

 私にとって歌は、母親の記憶を繋ぐ大切なもの。一度は思い出したくない記憶に塗り替えてしまったけれど、本当は大好きなんだ。

 「何も言わずに持って行ってくれればよかったのに」

 ぽつりと零れる言葉。

 「この世界のことを知り、この町の者のことを知っている。そして強い願いがある人の歌声しか、エネルギー源には使えない」

 それが、私がこの世界にいなければならなかった理由。人と関わらなければならなかった理由。

 まるで道具みたいだ。それなら道具らしく心もなくなってほしかった。空っぽだったら、こんな思いもしなかった。

 どうしよう。感情が溢れて止まらない。同情なんていらない。私の声がいるなら早く持って行ってほしい。歌えなくなるのが嫌だと思うのは、私だけで十分だ。

 「何も言わずにただ歌えと言ってくれれば歌いました。この町を変えたいのは私も同じなんです!歌が歌えなくなったって、私は!」

 「俺は灯が大切だから」

 「あっ……」

 その言葉に、息が零れるだけだった。

 「大切な人を傷つけたくないし、その人にとって大事なものは奪いたくない。そう思うのはだめなのか?」

 私に優しく問いかける。
 本気だ。この人は本気で言っている。
 クラネスさんにとって私は、いつからそんな風に映っていたのだろう。
 胸が、今までとは違う痛みに襲われる。

 「なんで今そんなこと話すの……私の歌声と町の未来を天秤にかける……そんな、答えなんてすぐに決められるでしょ」

 それに対して、クラネスさんは困ったように笑った。

 「この町へ連れて来た時の灯のままだったら、なんの迷いもなく歌声を手に入れていたかもしれない。でも、色んなものに触れて、感じて考えて、前を向いて進んでいる灯を見ていると……一緒にいる時間増えた分、愛おしさが増してしまったのかもしれないな」

 ここへ最初に来た時。

 『私帰りたいんですけど』
 『これは夢です。だからここから飛び降りれば目が覚めると思います』
 『こんなよく分からない場所、さっさと出たいんですけど』

 そうやって、あからさまに拒絶する態度をとり続けていたら奪えていたのかもしれない。

 考えが変わるのを待つ?ううん。きっと彼は時間が経っても優しいままだ。引き伸ばすと今よりも困らせてしまう。
 奪いたくないと思わせてしまったのなら、私にも責任がある。それならちゃんと説得しないと。私の歌声を受け取ってもらえるように。私がここにいる役目は、初めから変わらないのだから。

 それに私にも迷いはある。自分から好きなものが消えるというは、どういうことなんだろう。本当に、消えていいものなのか。そのモヤモヤが解決しない限りは先に進めない。

 「……そんなこと言われたら歌う気なくなりました」

 顔は俯いても、言葉だけは前に届くように。痛む胸を抑え込んで言葉を続ける。

 「もう二度と歌えなくなる、正直そんなリスク負いたくないです。でも答えはちゃんと出しますから、次の交渉が終わるまで待ってください。そこで私の決めた答えを尊重すると約束してもらえませんか?」

 クラネスさんが作り上げてきたものを、私の歌声がないという理由で無駄にしてしまうのは嫌だ。

 「私のことが大切なら、私の気持ちを優先してくれますよね?」

 彼は優しいから、この意志を聞いてくれるはず。そこに確信はあった。

 「これは一本取られたな。仕方がない、考えておこう」

 そう言ったクラネスさんは笑っていた。


 この町へ来て三週間が経とうとしている。たったこれだけというか、もうこんなにというか。私もこの町の暮らしに随分と慣れたものだ。

 「アリナさん、おはようございます」

 「アカリちゃんおはよう。この間は助かったわ、シチューもとっても美味しかった」

 「困った時はお互い様ですよ、また何かあれば声かけてくださいね」

 朝市で会ったアリナさん。怪我をしていて料理が作れないと困っていたので、荷物運びを手伝った後、シチューを作らせてもらったのだ。料理はお菓子作りより得意ではないけれど、基本レシピ通り作ればなんとかなる。

 「アカリちゃん!気になってるって言ってたカップ入荷したよ」

 「アカリさん、今度家でとれたお野菜持ってくね」

 「アカリちゃーん!」

 すごい、私の名前を呼んでくれる人たちがいる。
 少しずつではあるけれど、町の人たちに積極的に声をかけるようにして数日。

 「いつかの俺みたいになってるな」

 「クラネスさんより全然ですよ。だけど嬉しいですね、名前を呼んでもらえるのは」

 知らない人に囲まれて困り果てていた頃が嘘みたいだ。
 この町は私に、顔を上げなければ見えないものもあると教えてくれた特別な居場所。だから今日も前を向いて歩く。


 「ここが例の場所ですか?」

 私たちはある建物の前に着いた。二階建てで、入口の横には[おひさま園]と書かれてある。

 「あ!クラネスだ!」

 中から明るい声が聞こえてきた。

 「クラネスさんと、あと誰かいる!」

 二人の子どもがこちらに駆け寄って来る。

 「今日お前たちと一緒に遊んでくれるアカリお姉さんだ」

 クラネスさんが私を紹介してくれた。段取り通りの言葉とはいえ、お姉さんは慣れないな。
 私は彼らの前にしゃがみこんで挨拶をする。

 「よろしくね。カイくん、アズキちゃん」

 私の言葉に二人は目を輝かせていた。
 するとまた一人、建物から出てきた。

 「クラネスさん、アカリさん。今日はよろしくお願いします」

 「こちらこそ、忙しいのに悪いなオルド先生」

 先生と呼ばれるこの人は、おひさま園の主任オルド・ジェイス。本来の姿は幽霊。人間の姿だとエプロン姿が印象的な優しい先生だ。
 訪ねた理由はもちろん材料の交渉であるけれど、今回はそれだけではない。

 「いえいえ、助かりますよ。子どもたちも楽しみにしていましたから」

 「私も楽しみです!」

 今回の私の役目は、おひさま園にいる子どもたちと一緒に遊ぶこと。