俺は今朝も社内でノートPCを開き、業務用のメールをチェックしていた。まだ会社に出勤している社員の人数も少なく閑散としていた。
 俺は他の社員がこちらを見ていないことを確認すると再びメールのチェックをする。Jからの連絡はまだ来ていない……
 他の社員がこちらに近づいてくる。俺は直ぐ様メールソフトを閉じた。他の社員が後ろを通り過ぎると俺は溜め息をつく。俺は常に必死だ。
 俺の正体を知る者は誰もいないだろう。俺は某組織に所属している。俺は某組織の人間としてあまり目立たないように三流私大から今の会社に勤務している。勤務してからまだ半年ぐらいしか経っていない。他の社員からすれば何の取り柄も無い新入社員にしか見えないだろう。
 俺は組織からこの会社の取引先の会社の情報を探るように指示されている。ここ半年いろんな手で調べてみたものの何の成果も上げられていない。
 気がつけばほとんどの社員が顔を出していた。PCで時刻を見ると8時半になっていた。もうすぐ朝のミーティングの始まりだ。
 朝のミーティングといっても大したことをするわけじゃない。朝の挨拶的なやつと連絡事項、それともう一つ、ラジオ体操だ。
 毎朝ラジオ体操なんてっていつも思う。健康管理ぐらい子どもじゃないんだから各々でやればいいと思うのだが……さぁさて、今日も退屈な日常の始まりだ。
「おい◯◯、ちょっとこっち来い!」
 朝っぱらから営業担当の先輩に呼び出される。その先輩は俺よりも二回りも上だ。身長は150前半ほどしかなく、いつも不機嫌そうな顔をしている。
「おい、お前!〜(以下省略)!」
 本当に全くうるさい奴だな。いつもそんなに怒ってるから髪もこんなに少なくなるんだ。もう赤ちゃんの産毛のようだぞ。まぁ、赤ちゃんのほうがよっぽど可愛いが。
 俺はこの先輩に毎回怒鳴られる。つまり僻んでいるんだ。自分より若い奴に対しての嫉妬ほど見苦しいものはない。この国は老害という病に侵されている。そんなこと大方若い世代には分かっていると思うのだが、意外にも海外に出る若者は少ない。
 もう10分も経ってるのにまだ怒鳴ってる。何なんだこいつは?お前は使えないだの何だの抜かしてるが、それは目立たないように組織に命じられてるからだ。正体に気づかれては終わる。気づかれた時には俺の人生の終わりだ。それを考えればこんな激しい叱責も全然我慢出来る。
 俺はこんな感じでちびの中年に怒られながら得意先を回っていく。得意先ではこのちびは俺に対する態度とは打って変わってニコニコと愛想笑いをする。本当に気持ち悪い奴だ。俺は得意先でこの先輩と取引先の会社の人との話を聞いているのだが、毎回の如く頭にほとんど入らない。
 こんな感じで今日もほとんど終わっていく。会社に戻るとほとんどの社員が残業を終えて退社しようと席を立っていたところだった。あのちびの先輩も俺に書類を押し付けた後、上司のご機嫌を取りながらどこかへと消えていった。
 気づいた時には俺一人になっていた。俺はノートPCを開きメールをチェックする。Jからの連絡は……まだ来ていない。
 俺はPCを閉じると会社近くの喫茶店に入った。喫茶店でコーヒーを注文すると、ノートPCを開き闇サイトで入手した不正プログラムを使い自社と取引先の情報を流出させていく。これも任務の一つだ。
 情報流出が一通り完了した辺りで俺は急に怖くなった。どうしてなのだろう?なぜか頭の中で設定という言葉が浮かんでくる。
 俺は小走りで自分の家まで向かう。心拍数がどんどん上がっていくのを感じる。自宅のアパートまで辿り着くとドアを開けた。
 いつも社内の情報を流出させると怖くなる。これが任務なのだから仕方ない。ただ、いつも家に帰るとこの恐怖も途端に消える……そのはずだ……
 ドアを開けて灯りをつけると玄関に誰か人が倒れている。俺は恐る恐る倒れている顔を見ると、それは今日一緒にいたちびの先輩だった。額を撃ち抜かれたような傷があり、目と口を大きく開いていた。息もしてる様子も無い。
 俺は恐怖で身体が震え上がった。声を出そうとするものの上手く声が出せない。
 外に出ようと玄関のドアノブを回そうとする。その瞬間、部屋の奥から何者かの足音が聞こえて来る。振り返ると黒スーツを着た二人組の男が立っていた。そのうちの一人が俺に何やら呟く。俺はその言葉に段々と意識が遠のいていった。

 次に目が覚めるとそこは知らない部屋だった。病室?……いや、それにしてはどうも壁が薄汚く感じる。
 外から何か音がする。俺は恐る恐る鉄格子の窓から外を見る。すると、大勢の同じ服を着た男たちが施設内で暴れ回っている。放火、器物破損、暴力など、本当にめちゃくちゃな状態だ。
 俺は外がこんな状態なのになぜか冷静だ。うん?口の中に違和感がある。俺は口の中に手を入れて何かを取り出す。針金だ。なぜか針金が奥歯に巻き付いていたのだ。
 俺はドアのほうに行き針金を鍵穴に押し込んだ。早くこの部屋から出なくては……
 あの死体といい、この場所といい、一体俺の身に何があったんだ?もしかしたら、ここからが本当のミッションの始まりなのかもしれない。