気がつけば、私は帰り支度をして大通りを歩いていた。
何をどうやって来たのか、全く記憶にない。家路ではなく、今週、巡回のために訪れていた繁華街だ。楽しそうに笑う人々の横を通り過ぎると、今までの自分がすべて間違っていたようで、のどの辺りが重くきしむ。
うちの学校の生徒ともたまにすれ違った。私はただ制服でそうと判断するだけだが、会長ならば彼らの名前もわかるのだろう。
――私と会長との間には、一体どれだけの差があるのか。
一緒に働く役員のみんなを、私は信じていなかった。そんなの、上に立つ者失格ではないだろうか。
「…………」
知らず知らずのうちに歩みが遅くなり、とうとう立ち止まってしまった。
顔を上げると、目の前には、明日、見回る予定の本屋があった。誘われるように足を踏み入れ、棚の間を目的もなく歩く。
あの人に、勝てる気がしない。
選挙戦で負けたのは、偶然でもまぐれでもなく、当然のことだったのだ。
このまま生徒会に居続けても、もう意味はないのかもしれない……。
そのとき、視界の端で誰かの手が不自然な動きをしたように見えた。
いつの間にかコミックコーナーに迷い込んでいたらしい。そこには、大きな学生鞄を肩から提げた男子生徒がたたずんでいる。男子の詰め襟姿はどこも似ていて判別付かないのだが、顔の幼さからすると中学生かもしれない。
レジからも出入り口からも死角に当たる場所。周囲をそっと伺うような視線。
それとなく遠くから様子を気にしていると、手に持ったコミックを素早く鞄に押し込むのが見えた。
(――万引き……!)
なんでよりによってこんな日にと一瞬思ったが、見回りのない日だからこそ、なのかもしれなかった。彼はさらに二、三冊鞄に入れると、ファスナーを閉めて出口へと向かう。
落ち込んでいる場合ではない。私はすぐにあとを追った。
店員に知らせることは頭になく、本屋から出た所で背後から腕を捕まえる。男子生徒がびくっとしてこちらを見た。
「万引きは犯罪です。誰にも見られていないと思いましたか」
詰問すると、驚愕で目を見開いていた男子学生は、手を振り払って逃げようとした。予想していたので、再度捕まえて後ろ手にひねり上げる。学生は痛みにうめき、大人しくなった。
そこで油断してしまった。失敗に気づいたのは、頬に衝撃を受けてからだ。背後から顔を殴られ、衝撃でたたらを踏んだところを、三人の学生達に囲まれた。
頬の熱さに意識が持っていかれて、頭がうまくまわらない。男子生徒達は色々叫んでいたが、「ふざけんな」や「なんだこの女」という切れ切れの言葉しか聞き取れなかった。仲間を連れて逃げればいいのに、怒りのままさらに襲ってくるつもりのようだ。
(まずい……)
さすがに三人を同時に取り押さえる技術は持っていない。完全に私の失策だった。幸い周囲の人たちがこの事態に気づき始めたので、もう一発くらいは殴られる覚悟で助けを求めようとしたとき、ひときわ背の高い男子がこちらに走り寄ってくるのが見えた。
(――あれは、亜樹先輩……!?)
なぜここに。
思考停止している間に、亜樹先輩は私を囲む輪の中に突っ込んできた。かばうように背を向けて立ちはだかり、一喝する。
「何をしてるんだ!」
普段の彼からは想像もできないくらい迫力のある声だった。万引き犯達はその勢いにひるみつつも、線の細そうな外見に安心したらしい、目配せをして対象を先輩に定めた。
「一対多で卑怯だろう。しかも、女の子相手に手を上げるなんて、男の風上にも置けないと思わないか!」
先輩は完全に頭に血が上っているらしく、古めかしい言葉で怒りを表している。
空手部だから普通の人より腕に自信があるのだろう。が、それでも一度に三人の相手は無茶だ。
大体、部活の試合と実戦は違う。私に一言も言い返せない気弱な人がケンカなんてできるのか。助けに来てくれたのはありがたいが、不意を突いて一緒に逃げる方が得策だったのではないだろうか。
……だが、その心配は杞憂だった。本当に、瞬きを数回する間の出来事だった。
一人目の学生が殴りかかってきたのをかわしたと思いきや、その生徒は悲鳴を上げて地面に沈んだ。先輩はほとんど動いていない。片手で手首の辺りをつかんでいるだけだ。
詳しくは知らないが、人体には強く指圧されると立っていられないほどの激痛を引き起こす場所があると聞いたことがある。無造作につかんでいるように見えて、正確な位置に指を押し当てているのかもしれない。
亜樹先輩は騒ぎを聞いて駆けつけた店員にその身柄を引き渡すと、二人目三人目も同じように取り押さえ、野次馬らしき男性達に後をゆだねる。
あまりにもあっけない展開に、私は見ていることしかできなかった。
野次馬達も何が起きたか理解していない。私が我に返ったのは、息一つ乱していない亜樹先輩がこちらへ足を踏み出したのがわかったからだ。私を見る目がつり上がっている。
ああ、これは……雷が落ちる。
「三澄さん! 君……」
「――先輩、急いでこちらへ!」
先輩の言葉を遮り、腕をつかんで走り出す。
この場へ長居するのは得策ではない。店員達が呼び止める声と亜樹先輩の驚いた声を背に、猛スピードで大通りを駆け抜けた。
何をどうやって来たのか、全く記憶にない。家路ではなく、今週、巡回のために訪れていた繁華街だ。楽しそうに笑う人々の横を通り過ぎると、今までの自分がすべて間違っていたようで、のどの辺りが重くきしむ。
うちの学校の生徒ともたまにすれ違った。私はただ制服でそうと判断するだけだが、会長ならば彼らの名前もわかるのだろう。
――私と会長との間には、一体どれだけの差があるのか。
一緒に働く役員のみんなを、私は信じていなかった。そんなの、上に立つ者失格ではないだろうか。
「…………」
知らず知らずのうちに歩みが遅くなり、とうとう立ち止まってしまった。
顔を上げると、目の前には、明日、見回る予定の本屋があった。誘われるように足を踏み入れ、棚の間を目的もなく歩く。
あの人に、勝てる気がしない。
選挙戦で負けたのは、偶然でもまぐれでもなく、当然のことだったのだ。
このまま生徒会に居続けても、もう意味はないのかもしれない……。
そのとき、視界の端で誰かの手が不自然な動きをしたように見えた。
いつの間にかコミックコーナーに迷い込んでいたらしい。そこには、大きな学生鞄を肩から提げた男子生徒がたたずんでいる。男子の詰め襟姿はどこも似ていて判別付かないのだが、顔の幼さからすると中学生かもしれない。
レジからも出入り口からも死角に当たる場所。周囲をそっと伺うような視線。
それとなく遠くから様子を気にしていると、手に持ったコミックを素早く鞄に押し込むのが見えた。
(――万引き……!)
なんでよりによってこんな日にと一瞬思ったが、見回りのない日だからこそ、なのかもしれなかった。彼はさらに二、三冊鞄に入れると、ファスナーを閉めて出口へと向かう。
落ち込んでいる場合ではない。私はすぐにあとを追った。
店員に知らせることは頭になく、本屋から出た所で背後から腕を捕まえる。男子生徒がびくっとしてこちらを見た。
「万引きは犯罪です。誰にも見られていないと思いましたか」
詰問すると、驚愕で目を見開いていた男子学生は、手を振り払って逃げようとした。予想していたので、再度捕まえて後ろ手にひねり上げる。学生は痛みにうめき、大人しくなった。
そこで油断してしまった。失敗に気づいたのは、頬に衝撃を受けてからだ。背後から顔を殴られ、衝撃でたたらを踏んだところを、三人の学生達に囲まれた。
頬の熱さに意識が持っていかれて、頭がうまくまわらない。男子生徒達は色々叫んでいたが、「ふざけんな」や「なんだこの女」という切れ切れの言葉しか聞き取れなかった。仲間を連れて逃げればいいのに、怒りのままさらに襲ってくるつもりのようだ。
(まずい……)
さすがに三人を同時に取り押さえる技術は持っていない。完全に私の失策だった。幸い周囲の人たちがこの事態に気づき始めたので、もう一発くらいは殴られる覚悟で助けを求めようとしたとき、ひときわ背の高い男子がこちらに走り寄ってくるのが見えた。
(――あれは、亜樹先輩……!?)
なぜここに。
思考停止している間に、亜樹先輩は私を囲む輪の中に突っ込んできた。かばうように背を向けて立ちはだかり、一喝する。
「何をしてるんだ!」
普段の彼からは想像もできないくらい迫力のある声だった。万引き犯達はその勢いにひるみつつも、線の細そうな外見に安心したらしい、目配せをして対象を先輩に定めた。
「一対多で卑怯だろう。しかも、女の子相手に手を上げるなんて、男の風上にも置けないと思わないか!」
先輩は完全に頭に血が上っているらしく、古めかしい言葉で怒りを表している。
空手部だから普通の人より腕に自信があるのだろう。が、それでも一度に三人の相手は無茶だ。
大体、部活の試合と実戦は違う。私に一言も言い返せない気弱な人がケンカなんてできるのか。助けに来てくれたのはありがたいが、不意を突いて一緒に逃げる方が得策だったのではないだろうか。
……だが、その心配は杞憂だった。本当に、瞬きを数回する間の出来事だった。
一人目の学生が殴りかかってきたのをかわしたと思いきや、その生徒は悲鳴を上げて地面に沈んだ。先輩はほとんど動いていない。片手で手首の辺りをつかんでいるだけだ。
詳しくは知らないが、人体には強く指圧されると立っていられないほどの激痛を引き起こす場所があると聞いたことがある。無造作につかんでいるように見えて、正確な位置に指を押し当てているのかもしれない。
亜樹先輩は騒ぎを聞いて駆けつけた店員にその身柄を引き渡すと、二人目三人目も同じように取り押さえ、野次馬らしき男性達に後をゆだねる。
あまりにもあっけない展開に、私は見ていることしかできなかった。
野次馬達も何が起きたか理解していない。私が我に返ったのは、息一つ乱していない亜樹先輩がこちらへ足を踏み出したのがわかったからだ。私を見る目がつり上がっている。
ああ、これは……雷が落ちる。
「三澄さん! 君……」
「――先輩、急いでこちらへ!」
先輩の言葉を遮り、腕をつかんで走り出す。
この場へ長居するのは得策ではない。店員達が呼び止める声と亜樹先輩の驚いた声を背に、猛スピードで大通りを駆け抜けた。