手の震えも日に日に酷くなっていた。
あゆみには黙っていたが、ある日、俺は手の震えをあゆみに知られてしまった。
「凌、どうしたの?手が震えているの?」
「ごめん、黙ってたんだけど、しばらく前からなんだ」
あゆみは震える俺の手を握りしめた。
すると気持ちがすっと楽になり、手の震えが止まった。
「震え止まりましたね、良かった」
どう言う事なんだ、あんなに苦しんだ時間は、あゆみに手を握って貰っただけで、解決するなんて……
俺は手の震えが止まり、睡魔に襲われた。
しばらく眠れない日々が続いていたからだ。
俺がうとうととしている間、あゆみはずっと手を握ってくれていた。
不思議だ、安心して、気持ちが楽になる。
俺はあゆみが側にいないと、生きていけないのか。
そんな矢先、あゆみが腹痛を訴え、病院へ運ばれた。
あゆみは流産してしまった。
あゆみはずっと泣きながら、俺に謝っていた。
「凌、ごめんなさい、あんなに子供欲しいって言っていたのに……」
この時俺は自分でも分からない気持ちが心の中を占めていた。
あゆみが謝れば謝るほど、嫌な気持ちが膨らんでいった。
俺の知らない俺に対してのあゆみの気持ちに嫉妬した。
あゆみが愛しているのは俺じゃない。
俺が覚えてない俺とあゆみは愛し合い、子供が欲しいと告げ、二人で……
頭がおかしくなりそうな位に、俺は俺に嫉妬の炎を燃やしていた。
「あゆみ、俺を愛してくれ」
「凌が大好きです」
「違う、あゆみが愛しているのは俺じゃないだろう」
あゆみは驚いた表情を見せた。
「俺が覚えていない俺を愛しているんだろ?」
その時激しい頭痛が俺を襲った。
蹲り、頭を押さえて、激痛に耐えた。
あゆみは「凌」と叫んで、俺を抱きしめた。
俺はあまりの痛みに気を失った。
目覚めた時、あゆみは俺を覗き込んだ。
「誰?」
俺はあゆみがわからなかった。
あゆみは手を小刻みに震わせて、「凌、凌、私よ、あゆみよ」
そして、俺の手を握ろうとした。
俺はその手を振り払った。
目を閉じると、脳裏に色々な場面がフラッシュバックした。
目を静かに開ける、目の前にいる女性の記憶が蘇って来た。
「あゆみ」
俺の声にあゆみは一杯の涙が溢れて泣き出した。
震えるあゆみの肩を抱き寄せて、キスをした。
しばらくあゆみは泣き止まなかった。
相当なショックを与えてしまったようだ。
この時俺は、あゆみとの別れを決意した。
俺はホストクラブのリニューアルを計画していた。
経営も順調で、売上も上々だ。
ただ一つ違う点は、俺の側にあゆみはいない。
そう、あゆみとは一年前に別れたのである。
そして、現在、俺の記憶にあゆみはいない。
朝目覚めると、隣で眠っているあゆみを認識出来ない。
頭の中が真っ白になるのである。
また頭痛が酷く、手の震えが止まらなくなる。
激しい頭痛との葛藤の末、眠りにつく。
あゆみはそんな俺を見て、毎回手を握り、抱きしめてくれた。
その度に、涙を流し、あゆみも自分の処理しきれない気持ちとの葛藤に苦しんでいた。
しばらくそんな状態も落ち着き始め、平穏な日々が流れた。
しかし俺はあゆみとの別れを決意していた。
この先、あゆみにこんな辛い思いはさせる事は出来ない。
もし、記憶が無くなり、あゆみを分からなくなったら、2回もそんな思いをさせる事は出来ない。
記憶があるうちに、あゆみと別れようと決意した。
「あゆみ、俺と別れてくれ」
あゆみは固まって戸惑いを隠せない様子だった。
しばらく沈黙が続き、あゆみは口を開いた。
「分かりました」
そして、俺とあゆみは別れた。
その後やはり不安は的中した。
激しい頭痛と手の震えが繰り返され、耐えられない痛みに気を失ったことさえあった。
そして俺の記憶からあゆみは消えた。
俺はある日、店のリニューアルオープンに向けて、花の注文を選ぶため、フラワーショップのホームページを検索していた。
「加々美フラワーアレンジショップ」が目に止まった。
ホームページに凄く惹かれた。
店長 結城あゆみ 店の紹介やプロフィールが俺の心に響いた。
俺はすぐにメールを送った。
『はじめまして、ホストクラブを経営しています、麻生 凌と申します、この度店のリニューアルオープンに向けて、花のアレンジをお願いしたく、ご連絡致しました、お返事お待ちしています』
あゆみは俺のメールに驚きを隠せなかった。
一年ぶりの俺からのメールに、はじめは俺じゃないかもと思ったらしく、様子を伺うメールをよこした。
『リニューアルオープンに向けてのご注文ですね、お任せください、ちなみにどなたかのご紹介でしょうか』
『いえ、ホームページに強く惹かれたので』
俺はあゆみの記憶はない、だから全く初めてで、でも多くのホームページの中からあゆみが働いてる店が目に止まるとは、何か運命を感じた。
俺は店長結城あゆみに会ってみたくなった。
何故だか凄く心が惹かれる。
打ち合わせの為にドライブに誘った。
待ち合わせの店に行くと、あゆみは待っていた。
「お待たせ、はじめまして、麻生 凌です」
あゆみは俺をじっと見つめていた。
次の瞬間あゆみの頬を涙が伝わった。
俺は、引き寄せられる様にあゆみに近づき、頬の涙を拭った。
「大丈夫?」
「何で初めましてなの?」
「え? 前に会った事ある?」
凌の記憶に私はいないんだ。
「あ、私の勘違いでした、あの、このお話しはなかったことにしてください、失礼します」
「待って、俺、なんか気に触る様なことしたかな」
「いえ、何も、それじゃ」
俺はあゆみを引き寄せ抱きしめた。
「俺のマンションに行こう、このまま帰したくない」
俺はどうしたと言うんだ、凄く身体があゆみを求めてる。
キスしたい、あゆみを抱きたい。
これじゃまるで身体目当てと思われる。
この感じは懐かしい気がする。
どうしてなのか、思い出そうとしても、あゆみの記憶は俺の中には無い。
お前は誰なんだ。
次の瞬間、あゆみは俺の名前を呼んだ。
「凌」
あゆみの唇が俺の唇に触れた。
俺の中の気持ちが大きくなり、あゆみを抱いた。
あゆみとマンションで朝を迎えた俺は、あゆみを帰したくなかった。
「あゆみ、離したくない」
しかし、あゆみは「ごめんなさい」と一言残しマンションを後にした。
あゆみ、お前は誰なんだ、俺の心の中にしっかり存在する。
しかし、記憶が無い。
俺は次の日、あゆみの店に行った。
「あのう、麻生 凌と言いますが、店長さんいらっしゃいますか」
「あっ、少々お待ち下さい」
「店長、凄くイケメンのお客さん、麻生 凌さんがいらしてますよ」
「今、手が離せないから、後で連絡しますって言ってくれる?」
「わかりました」
俺は完全に避けられた。
でもあの時、俺の名前を呼び、確かにキスしてくれたよな。
はじめましてじゃないとあゆみは言っていた。
何処かで会ってるのか、全く思い出せない。
次の日、俺は店を休み、あゆみの仕事終わりを待った。
すると店の前に一台の高級車が横付けされた。
その車から一人の男性が降りて来た。
店から出てきたあゆみに話かけ、車にエスコートしていた。
俺は、あゆみに声をかけた。
「あゆみ、話がある」
俺は、あゆみの手を引き寄せ、俺の車に乗せた。
「麻生さん、私は、はなし……」
あゆみがそこまで言いかけて、俺はあゆみのシートベルトをして、車を発進させた。
「あゆみさん」
俺はあゆみを呼び止める男を振り切り、スピードを上げた。
マンションにつき、部屋に入ると、俺はあゆみを抱き寄せた。
この時俺は気づくことが出来なかったが、あゆみに三度目の一目惚れをした。
「俺達は何処で会ったの?」
「私の勘違いでした、気にしないでください、私帰ります」
あゆみは俺の腕の中からすり抜けて行こうとした時、あゆみの手を掴んだ。
その時、左手の指輪が目に止まった。
「あゆみ、結婚してるの?」
あゆみは慌てて指輪を隠そうとした。
「さっきの男はご主人?」
「違います、加々美フラワーアレンジの社長です」
「店長なんて凄いね、花は好きなの?」
「はい、お花の店を持つのが夢だったんです」
「ご主人は何してる人?」
「離婚したんで私は一人で暮らしています」
俺は落ち込んだ気持ちが一気に舞い上がった。
「マジ?」
「じゃあ、俺と一緒に暮らそうよ」
あゆみは顔が真っ赤になり、戸惑っている様だった。
「あゆみ、可愛い」
「からかわないでください」
「からかってないよ、指輪なんで外さないの?」
俺は不思議だった、もしかしてまだ忘れられないとか?
「別れたご主人を忘れられないの?」
あゆみは俯いて答えなかった。
「なら、俺が忘れさせてやるよ」
「えっ?」
俺はあゆみを抱き寄せたキスをした。
私は凌を目の前にしてもう涙が溢れて止まらなかった。
一年前、別れてくれって言われて、忘れられなくて、そんな時凌は現れた。
でも私の記憶は無い。
別れてくれって言ったのに、一年経って記憶のない状態で、私を口説いている。
病気の事も、私に対して酷いことをした元主人のことも、自分とはかんけいないと思っているから、彼に本当のことは言えない。
「あゆみ、指輪を外して、俺を好きになってくれ」
「指輪は外せない」
「じゃあなんで俺を受け入れたんだ」
あゆみは俯いて答えなかった。