「すぅ、はー」
父の呼びかけもあり、レナスはだいぶ落ち着きを取り戻した。
こういうときの対応はさすが医者……というべきか。
「よし、落ち着いたね。いい子だ」
父は優しげに微笑むと、レナスの両肩に手を置き――表情を改める。
「本当は部屋に入ってゆっくり話してほしいところだけど……そうもいかないみたいだ。ゆっくりでいい。バルフ君のこと、もう一回話してくれないかい?」
「はい……わかりました」
レナスはそう言って、ぽつりぽつりと事の経緯を話し始めた。
「えっと……さっきレクターと別れたあと、バルフ君が《やっぱり魔物を見にいきたい》って言ったんです。それで……」
「行ったんだね? 大人たちのいるほうへ」
「はい……」
申し訳なさそうに、しゅんとうつむくレナス。
いつもはこんなに健気な様子ではないが……さすがに狼狽しているんだろうな。
「はぁ……」
その話を聞いて、俺は思わず額に手をあてがった。
嫌な予感はしていたが、まさか本当に行ってしまうとは。
同じ男として、好奇心が掻き立てられる気持ちはわからなくもないが……
今回ばかりは、相手が悪すぎる。
いかに熟練の剣士といえど、強敵を前に、子どもを守りながら戦うのは至難の技だ。
そこに子どもが考えなしに突っ込んでいったらどうなるか――
想像したくもない。
「ふむ……」
父はあくまで冷静さを保ったまま呟くと、改めてレナスに視線を向けた。
「さっきの様子を見る限りだと、まだ続きがありそうだけど……。なにか伝えきれてないことがあったら、それも教えてくれないかい?」
「は、はい……」
レナスは肩を震わせながら頷き、そして続ける。
「私、バルフ君を止めようと思って。途中まで追いかけていったんです。そ、そ、そしたら……もう、すごい有様で……」
「すごい有様……?」
「は、はい……。大人たちは、もう、ほとんど息をしてなくて……えっと……」
「そうか、わかった。それ以上は言わなくていい」
険しい表情で頷く父。
「そこに……バルフ君が突撃してしまったというわけだね?」
「いえ……。バルフ君もさすがにやばいと思ったみたいで、逃げようとしたんです。そしたら、バルフ君だけが魔物の手に捕まってしまって、それで……」
「そうか……」
父の表情は変わらず険しいままだ。
12年もの間この家庭で育ってきたが、父のこんな暗い表情は見たことがない。
おそらく、悟っているんだろう――
もう、どうしようもないということが。
「お願い……! レクターっ……!」
そしてなぜか、レナスは俺を見て懇願してきた。
「バルフ君を助けて……! このままじゃ私、バルフ君を見殺しに……!」
なるほど。
それで救いを求めるために、この家までやってきたわけか。
「おいおい、なにを言うんだレナスちゃん」
父が苦笑まじりの声を発した。
「大人でも勝てない魔物だぞ? レクターに勝てるわけがないじゃないか」
「そう……なんですけど、なんだか不思議な感じがするんです」
「不思議な感じ……だって?」
「はい。なぜか、レクターならあの魔物にも勝てるような……」
おいおい、勘弁してくれよ。
レナスお得意の《直感》ってやつか?
彼女はどういうわけか直感力に優れており、探し物をぴたりと見つけたり、迷子の居場所を言い当ててみせたり――謎の異能に優れている。
その直感が、俺ならこの事態を解決できるはずだと……
そう告げているわけだ。
「…………」
そして悔しいことに、その直感は決して間違っていない。
俺は前世のステータスをそのまま受け継いで転生したからな。気配を探るに、件の魔物も、前世の基準でいえばそこまで恐れるに足りない。
それだけでも充分すぎる状況ではあるが――
加えて、いまの俺は不正の力を手に入れた。
面倒なので全容はまだわかりきっていないが、そのひとつが魔法。前世ではまったく使えなかった魔法が、転生しただけで使えるようになった。
まさにあのベイリフと同じ――不正の力というわけだ。
だから、俺なら例の魔物さえ倒せる自信はある。
だが――
「馬鹿を言うな。そんなことできるわけないだろ。いくらおまえの直感でも、今回ばかりは外れだな」
「で……でも……!」
「レナスちゃん。こればっかりはレクターの言う通りだ。私としても、大事な息子を戦場に行かせたくはない」
そのように諭す父は、本当に評判の良い医者なんだろうと思わせるほどに優しい表情をしていた。
「……けど、私たちとしてもこのまま手をこまねいているつもりはない。各所に連絡を取って、できる限りバルフ君を助けられるように働きかけてみるさ」
「は……はい。ありがとう……ございます……」
「うん。ごめんね、レナスちゃん。こういうとき、私たち一般人は待つことしかできないんだ」
「いえ……。とんでもないです……。ありがとうございました……」
その後、レナスはとぼとぼと自宅に帰っていった。
父が止めようとしたが、レナスの家はごく近いところにある。レナスも父と母と過ごしたいだろうし、無理に言って止めることはしなかった。
父の呼びかけもあり、レナスはだいぶ落ち着きを取り戻した。
こういうときの対応はさすが医者……というべきか。
「よし、落ち着いたね。いい子だ」
父は優しげに微笑むと、レナスの両肩に手を置き――表情を改める。
「本当は部屋に入ってゆっくり話してほしいところだけど……そうもいかないみたいだ。ゆっくりでいい。バルフ君のこと、もう一回話してくれないかい?」
「はい……わかりました」
レナスはそう言って、ぽつりぽつりと事の経緯を話し始めた。
「えっと……さっきレクターと別れたあと、バルフ君が《やっぱり魔物を見にいきたい》って言ったんです。それで……」
「行ったんだね? 大人たちのいるほうへ」
「はい……」
申し訳なさそうに、しゅんとうつむくレナス。
いつもはこんなに健気な様子ではないが……さすがに狼狽しているんだろうな。
「はぁ……」
その話を聞いて、俺は思わず額に手をあてがった。
嫌な予感はしていたが、まさか本当に行ってしまうとは。
同じ男として、好奇心が掻き立てられる気持ちはわからなくもないが……
今回ばかりは、相手が悪すぎる。
いかに熟練の剣士といえど、強敵を前に、子どもを守りながら戦うのは至難の技だ。
そこに子どもが考えなしに突っ込んでいったらどうなるか――
想像したくもない。
「ふむ……」
父はあくまで冷静さを保ったまま呟くと、改めてレナスに視線を向けた。
「さっきの様子を見る限りだと、まだ続きがありそうだけど……。なにか伝えきれてないことがあったら、それも教えてくれないかい?」
「は、はい……」
レナスは肩を震わせながら頷き、そして続ける。
「私、バルフ君を止めようと思って。途中まで追いかけていったんです。そ、そ、そしたら……もう、すごい有様で……」
「すごい有様……?」
「は、はい……。大人たちは、もう、ほとんど息をしてなくて……えっと……」
「そうか、わかった。それ以上は言わなくていい」
険しい表情で頷く父。
「そこに……バルフ君が突撃してしまったというわけだね?」
「いえ……。バルフ君もさすがにやばいと思ったみたいで、逃げようとしたんです。そしたら、バルフ君だけが魔物の手に捕まってしまって、それで……」
「そうか……」
父の表情は変わらず険しいままだ。
12年もの間この家庭で育ってきたが、父のこんな暗い表情は見たことがない。
おそらく、悟っているんだろう――
もう、どうしようもないということが。
「お願い……! レクターっ……!」
そしてなぜか、レナスは俺を見て懇願してきた。
「バルフ君を助けて……! このままじゃ私、バルフ君を見殺しに……!」
なるほど。
それで救いを求めるために、この家までやってきたわけか。
「おいおい、なにを言うんだレナスちゃん」
父が苦笑まじりの声を発した。
「大人でも勝てない魔物だぞ? レクターに勝てるわけがないじゃないか」
「そう……なんですけど、なんだか不思議な感じがするんです」
「不思議な感じ……だって?」
「はい。なぜか、レクターならあの魔物にも勝てるような……」
おいおい、勘弁してくれよ。
レナスお得意の《直感》ってやつか?
彼女はどういうわけか直感力に優れており、探し物をぴたりと見つけたり、迷子の居場所を言い当ててみせたり――謎の異能に優れている。
その直感が、俺ならこの事態を解決できるはずだと……
そう告げているわけだ。
「…………」
そして悔しいことに、その直感は決して間違っていない。
俺は前世のステータスをそのまま受け継いで転生したからな。気配を探るに、件の魔物も、前世の基準でいえばそこまで恐れるに足りない。
それだけでも充分すぎる状況ではあるが――
加えて、いまの俺は不正の力を手に入れた。
面倒なので全容はまだわかりきっていないが、そのひとつが魔法。前世ではまったく使えなかった魔法が、転生しただけで使えるようになった。
まさにあのベイリフと同じ――不正の力というわけだ。
だから、俺なら例の魔物さえ倒せる自信はある。
だが――
「馬鹿を言うな。そんなことできるわけないだろ。いくらおまえの直感でも、今回ばかりは外れだな」
「で……でも……!」
「レナスちゃん。こればっかりはレクターの言う通りだ。私としても、大事な息子を戦場に行かせたくはない」
そのように諭す父は、本当に評判の良い医者なんだろうと思わせるほどに優しい表情をしていた。
「……けど、私たちとしてもこのまま手をこまねいているつもりはない。各所に連絡を取って、できる限りバルフ君を助けられるように働きかけてみるさ」
「は……はい。ありがとう……ございます……」
「うん。ごめんね、レナスちゃん。こういうとき、私たち一般人は待つことしかできないんだ」
「いえ……。とんでもないです……。ありがとうございました……」
その後、レナスはとぼとぼと自宅に帰っていった。
父が止めようとしたが、レナスの家はごく近いところにある。レナスも父と母と過ごしたいだろうし、無理に言って止めることはしなかった。