あれから3時間。

 警報音はいまも鳴りやまないままだ。
 帝都には《凄腕》の剣士やら魔術師がいるはずだから、そんなに苦戦するわけないと踏んでいたが……

 肌に感じる魔物の気配は、いまだ克明に感じられる。

 まさかとは思うが、苦戦しているのだろうか……? 
 たしかにそこそこ強い魔物であることは間違いないが、そんなに時間のかかる相手でもないはず……

 たかだか10年で、人間の戦闘力はここまで落ちてしまったのか?

「くっ……! まだ戦いは終わらないのか……!」

 父がカーテンの隙間から外を眺め、悪態をつく。

「あなた……。落ち着いて」
 そんな父を、母が優しい声で慰めた。
「きっと大丈夫よ。帝都にはベイリフ様がいるんだし、なんとかしてくれるわ」

「……いや。いまベイリフ様は帝都にいない。たしか国外へ慰安旅行に出ていたはずだ」

「え……」

「だから大変な事態なんだ。もしかしたら、敵はこのタイミングを狙っていたのかもしれない……」

「そ、そんな……」
 言葉を失ったのか、その場で立ち尽くす母。
「でも……さすがに大丈夫よね? 帝都には戦力がいっぱい集まってるはずだし……万が一にも魔物がここまでくる可能性は……」

「わからない。こんな非常事態、文字通り初めてだからね……」

「そんな……」

 両親の会話を、俺は読書をしつつ聞き流していた。

 やはり両親から見ても、これは異常きわまる事態らしい。

 まあ、そりゃそうだよな。
 繰り返しにはなるが、帝都に大型の魔物が現れることは極めて稀。さらに警報が3時間も鳴り続けているとなると……不安になるのも無理はない。

「ふぅ……」

 だが……かといって俺には関係のないことだ。
 勇者レクターだった頃であれば、自身の安全を(なげう)ってでも飛び出していたかもしれない。それがあまりに馬鹿馬鹿しい行為だということは、いまの俺ならわかる。

「レ、レクター。おまえは怖くないのか……?」

 そんなふうに考えていると、父がそう訊ねてきた。

 子どもらしからぬ俺の反応に、驚きを隠せない様子だな。

「別に……。慌てたところで、俺にできることなんてたかが知れてますからね」

「そ、それはそうかもしれないが……」

 たとえ時間がかかったとしても、大人たちがなんとか魔物を倒してくれるはずだからな。

 余計なことをせず、なにもせず。
 このまま静かに生きていくほうが、はるかに賢い選択といえるだろう。

「それじゃあ、父上、母上。俺はこれで寝ます。おやすみなさい」

「あ、ああ……」

 父が戸惑いつつも返事をした、その瞬間。

「レクター! レクターっ!」

 突如、玄関のドアが激しく叩かれた。

 この声は――まさか。

 父もなんとなく事情を察したのだろう。俺に目配せをすると、小走りで玄関に向かった。そのままドア越しに、声の主へ話しかける。

「君は……レナスちゃんかな? レクターの友達の……」

「はい! レクター君に会わせてくださいなのっ……!」

 さっきまでのほほんとしていたはずのレナスの声は、だいぶと切羽詰まっていた。

 ドア越しでも、涙に濡れているのが伝わってくる。

「…………」

 父は数秒だけ迷っていたようだが、結局は開けることにしたようだ。

 本当は自分の家に帰ってほしいところだろうが――この非常事態だからな。

 ひとりで帝都をうろつかせるほうが危険と判断したのだろう。

「レクターっ!」

 そうして家に入ってきたレナスは、やはり大泣きしていた。

 無我夢中で走ってきたのか、額は汗でびっしょり濡れているし――しかも片足の靴がない。よっぽどのことがあったんだろうな。

 ……まあ、内容はだいたい想像がつくが。

「バルフ君が……バルフ君が、魔物に走っていって、そそそそ、それで……っ!」

 やっぱりな……

 嫌な予感はしていたが、本当に魔物に突撃していくとは。

「…………」

 だが、それでも冷静さを失わない父はさすが医者というべきか。

 しばらく考え込む仕草をすると、目線をレナスの高さに合わせて言う。

「レナスちゃん。落ち着いて、ゆっくり深呼吸をしてごらん。それから、ゆっくりと……なにが起きたか話してもらえるかな」