(…………え?)

 次に意識が戻ったとき、俺は目の前に見知らぬものを見た。

 ――女性の胸部である。

(え⁉)

 しかしながら、どういうわけだか声が出せない。
 しかも心なしか、身体もすこし動かしづらいような……

「おーよしよし、レクターちゃん、可愛いですねー」

 よくよく目を凝らすと、俺は若い女性に抱きかかえられているようではないか。

(いやいやいや。待て待て待て)

 これでも俺は18。
 巨漢ならともかく、女性に軽々持ち上げられるほど身軽ではなかったはずだが。

(でもこの状況、夢とも思えない……)

 目の前にある物体の感触が、あまりにもリアルすぎる。

 ――って、そうじゃなくて。

 さっき(・・・)俺は、「転生」という言葉を耳にした気がする。ベイリフにボコボコにされ、意識を失う寸前、そんな声を聞いた気がするのだ。

 転生……
 そういえば聞いたことがあるな。

 転移者とやや似ているが、記憶を持った状態で生まれ変わることを指す。俺の場合は異世界に転生したわけではなく、元住んでいた世界にそのまま転生したということか。

 しかもあの声によれば、10年後の世界に。

(…………)

 もしかすれば、俺もベイリフのように、転生者ならではの特殊能力を持っていたりするのだろうか。

 ――そうだな。
 試しにあれをやってみよう。

(空属性魔法発動……浮遊)

 心中でそう唱え、体内の魔力を操作した途端。

「えっ……! レクターちゃん⁉」

 驚くべきことに俺自身の身体が浮き上がり、さっきまで俺を持ち上げていた女性――状況から察するに、たぶんこの人が俺の母だろう――の目前で漂い始めたのだ。

(な……マ、マジか……)

 試しに魔法を使ってみたが、まさか本当にできてしまうとは。

 前世において、俺は魔法をまったく扱うことができなかった。

 そのぶん剣の実力のみで《勇者》と呼ばれるほどになったのだが……

 まさか、過去世でまったく扱えなかった魔法でさえ、いともたやすく使えるようになってしまうとは……
 やはり「転生」というのは強すぎるな。

「レ、レクターちゃん⁉ なんで浮いてるの⁉」

「あ、あうあうあー」

 あかん。
 魔法は使えても、うまく喋ることはできない。そこらへんは普通の赤ん坊と一緒か。

「クレハ! いったいどうした……って、え?」

 母の大声を聞きつけてか、今度は男性が室内にやってきた。

 この状況から察するに、彼は俺の父に当たる人物か。
 ――しかしこの声、なんか聞き覚えがあるような……

「う、浮いてる……⁉ そんな、まさか魔法をもう使っている……⁉」

「で、でも……そんなことありえるの……?」

「ありえない。少なくとも僕が見てきた事例では初めてだ」

 ……なんと。
 この父親、前世の俺を看病してくれた医者ではないか。

 見た感じもう30代くらいだし、奥さんとは歳が離れているが……歳の差婚というやつだろうか。

()にちなんで、同じ名前をつけさせてもらったけど……これは本当に、すごい子が生まれたかもしれないぞ……」

「そうね……。見た目もどこか、あの方にそっくりだし……」

「ああ。もしかしたら本当に、レクター様の生まれ変わりかもしれない……」

 はい、生まれ変わりです。

 ――とは言えないので、ひたすらおぎゃあおぎゃあと泣くしかできないのだが……

 それにしても、意外だな。
 死ぬ直前、ベイリフと対峙したときは、みんな俺をゴミのように扱ってきたのに。

 なかには、こんな俺を認めてくれる人もいたんだな。

 それを思えば、心の傷が癒えてくる気もするが――
 だとしても、俺は忘れることができない。

 簡単に俺を切り捨ててきた国王を。クロエを。帝都の住民たちを。
 そしてなにより――醜悪なオーラを漂わせた転移者ベイリフを。

 前世の俺は、みんなの期待に応えようとして裏切られた。

 だからもう、《誰かのために生きる人生》は絶対に送らない。

 俺は……俺のために生きる。

 転生者として、いわゆる「不正」にも近い能力を手に入れてしまったようだが――

 だとしても、関係ない。
 勇者としての矜持(きょうじ)など、過去に捨てた。そんなものは何の役にも立たない。

 この不正力で、10年後の世界をやり直してやる……!

 空中に漂い続けながら、俺はそのように決意を新たにするのだった。