「な、なんだあいつは……?」

「もしかして前の勇者じゃない? たしかレクターっていう名前の……」

「マジかよ……。生きてたんだな」

 人々の鋭い視線が、続々と俺に突き刺さる。

 ――そうだよな……
 多くの人々にとって、俺は過去の人。

 勇者というポジションをベイリフに奪われた、哀れな男でしかない。


「ほう……あいつは……」
 なにが面白いのか、ベイリフが俺を見て醜悪な笑みを浮かべる。

 その瞬間、ゴォォォォォォオオオ……と。
奴を取り巻くドス黒いオーラが、さらに拡張した。

「…………っ!」

 もはや見間違いなどではない。

 あれは魔族や魔王によく見られた漆黒のオーラ……《魔ノ波動》だ。

 詳しいことは不明だが、そのオーラが濃密であればあるほど、戦闘力が高いと言われている。まさしく悪を象徴する、禍々しいオーラといえよう。

 その《魔ノ波動》が……なぜかベイリフを覆っている。
 いったいこの数か月でなにが起こったのかは不明だが……この状況を放っておくわけにはいかない。

「クロエ、ベイリフから離れろ! そいつは危険だ!」

「はぁ……?」
 しかしながらクロエの反応は、かつて恋人だったときとは大きくかけ離れていた。
「なにを言ってるのかしら? 危険なのはあなたじゃなくて?」

「な……! ク、クロエ、なにを……⁉」

「ベイリフ様は魔王を倒し、帝国に多大なる貢献をしてくれた勇者様です。そんな聖人を危険呼ばわりなどと……あなたのほうが、よっぽど危険ですわ」

「な……っ!」

「ふふ、そこまで言ってやるなクロエよ」
 目を見開く俺に、ベイリフが引き続き醜悪な笑みを浮かべる。
「男として、女を取られた苦しみはわからなくもない。あいつはきっと、自分でも嫉妬が抑えられなくなっているんだろう」

「……あらベイリフ様。その口ぶり、苦いご経験がおありで?♡」

「クク、どうだかな」

 ――嘘だろ……?
 あんなに禍々しいオーラなのに、みんな気づかないのか……?
 そんなことがありうるのか……?

 コツッ、と。
 ふいに、俺の右肩になにかがぶつかった。

 ――石ころだった。

「嫉妬に狂った元勇者め! 消えろ、目障りだ!」
「消えろ、消えろ、消えろ!」

 なんということだろう。
 まわりにいた住民たちまでもが、一斉に俺をなじり始めた。
 なかには石やゴミを投げつけてくる者までいる。

「み、みんな、目を覚ましてくれ! あいつはどう見ても――!」

「消えろ、消えろ、消えろ!」

 俺の説得は、しかしなんの効果も発揮しなかった。
 それどころか、住民の怒りがヒートアップしていく始末である。

「クク、そこまでにしてやれ住民たちよ。こんなんでも、元は勇者だからな」
 その状況を止めたのは、意外にもベイリフ本人だった。
「代わりに俺様が引導を下してやろう。圧倒的な実力の差を見せつければ、嫌でも諦めざるをえまい」

「おお……なんて寛大な……」
「ご自身が一番の被害者だというのに……」

 ――いったいこれのどこか寛大なのか。
 なにが起きたのかは不明だが、住民たちはもうベイリフに心酔しきってしまっている。あいつの一挙手一投足を、すべて信じ切ってしまっているかのような。

「さあ、過去の勇者レクターよ。己の未熟さを嘆き、塵となるがよい」

 そこから繰り広げられたベイリフの攻撃は、やはり俺には全然見えなかった。

「ぐぅああああああああ……!」

 身体の各所に打ち込まれる剣撃の数々。
 俺はなすすべもなく、そのすべてを受けきるしかなかった。

 というより、以前戦ったときよりも、さらに強さに磨きがかかっている気がする。
 もちろん魔王を倒したわけだし、強くなるのは当然なのだが――

 どちらかといえば、攻撃が「魔族っぽくなった」というような……

「すげぇ……さすがはベイリフ様だ!」
「レクターなんか目じゃねえぞ!」

 俺が倒れ込むその寸前まで、俺を応援している者はいなかった。

 みんなベイリフの勇姿に酔っていた。

 哀れだよな。
 ――俺の半生は、いったいなんだったんだろう。

 期待に応えたくて、一生懸命に修行して。

 その末路がこれか。

 薄れゆく意識のなかで、最後にクロエの表情が映った。

 最愛の女性だったはずのクロエは――まさに腫物を見るような顔で俺を見つめていた。

 ああ。
 俺は死ぬんだな。
 衆人に罵声を浴びせられ、極めて情けない形で。

 これでよくわかった。

 ――この世界も、この人間たちも……クソくらえだ。


★  ★  ★

 発動発動。

 ジョブスキル【勇者】を発動するための条件をクリアしました。

 これより10年後の世界に転生します。

 勇者レクターよ、魔王ベイリフ(・・・・・・)を倒し、世界に光を――