魔族を倒してから数分後。

「あら。お早い退治ね」

 ふいに、背後から声をかけられた。
 変声機能によって“野太い声”をしているが、振り返らずとも誰かはわかる。

「ふ……君こそタイミングよく戻ってきたじゃないか。それも《直感》の力なのかな」

「うふ。どうかしらね♡」

 改めて身を翻すと、やはりそこにはレナス・カーフェの姿。

 もちろん黒い仮面を被っているので、可愛らしい少女の出で立ちではないけどな。
 この場で姿を晒すと色々と面倒だし、仮面を被ったままなのは賢明な判断だろう。

「しかし、妙だね。わざわざ私に任せなくとも、君なら下位魔族くらい倒せたのでないかね?」

「いやいやー、そうだね。やろうと思えばできるかも」
 そう言いながらレナスは下唇に人差し指をあて……妖艶に笑う。

「でも、レナスのはちょっとエグいから。ちょっと刺激が強すぎるかもしれないの」

「…………」

 幼馴染――レナス・カーフェ。
 以前から妙に大人びた仕草をしているとは思っていたが、これで確信に至ったな。

 この女は――普通の女じゃない。
 妙に研ぎ澄まされた直感力といい、なにかがあるとしか思えないのだ。

「なるほど。先ほど幼馴染の家に行って号泣していたのは……やはり演技だったのかな」

「うふふ、どうかしらね♡ 私、わかんなぁい」

「ふ、喰えない女だ」
 俺は苦笑とともに肩を竦めると、改めてレナスを見つめて言った。
「それで……教えてくれないかね。なぜ自分ではなく、わざわざ《R》に魔族討伐を依頼したのか」

「んー、そうだね。“それが依頼だから”かな?」

「依頼、だと……?」

「うん。《R》の強さを見極めて、魔族を簡単に倒せるようだったら……こう言われてるの。レナスと二人で、魔王(・・)を倒してほしいって」

「ほう……」
 その依頼主の正体も気になるが、俺はもうひとつのほうに気を惹かれた。
「面白いことを言うな。魔王はすでに倒されているのではないか? 10年前、勇者ベリナスの手によって」

「レナス、まどろっこしいこときらーい。あなたも本当はわかってるんでしょ? 魔王は倒されていないってことを」

「…………」

「ううん、本当はもっと厄介なことになってる。あろうことか、ベリナスは魔王の側になっていて……いまでも少しずつ人類を衰えさせてきてる。ほとんどの人間はそれにも気づかないで、ベリナスを聖人のように崇拝してるよね」

「ふむ……そうかもな」

「レナスも“依頼主”のことはよく知らないけど……こんな状況だしね。魔王討伐を依頼する人がいてもおかしくないとは思うよ?」

 なるほどな。

 それ自体は一理ある。

 依頼主とやらの正体は気になるが、ベリナスの裏側を知る人物がいたことにも驚きだ。

 前世でも、今生でも……
 あいつを聖人呼ばわりする人間が多すぎて、いい加減嫌になってきたところである。

「もちろん、依頼主さんもタダであなたに頼むつもりはないそうよ。とりあえず、一生分遊んでくれるお金と、ミューラ地方の一部領地をあなたにあげるって」

「なに……?」

「もちろん、嘘じゃないよ。ほら」

 そう言うなり、なんとレナスはどこからともなくアタッシュケースを取り出した。おそらく空間魔法……異次元空間において、一時的に荷物を預ける魔法だろう。

 そして想像通り、アタッシュケースには大量の紙幣が詰め込まれていた。

「これは前金だって。魔王を倒してくれたら、約束通り一生分のお金を払うみたいよ。どう? 悪くないんじゃない?」

「…………」

 これは驚いた。
 依頼主の正体はいまだ不明だが、仕事を請け負うだけで想像以上のリターンをもらえるらしい。

 ベイリフは転移者だし、本来なら絶対に勝てるわけのない相手だが……
 いまの俺は転生を果たし、文字通り不正の力を手に入れた。
 であれば……レナスの言う通り、悪くない条件かもしれないな。

「もちろん、魔王は手強い相手よ。でも私の直感によれば、魔王を倒せるのは世界であなたひとりしか――」

「よかろう。その話、乗ってやる」

「いないは――え? まさかの即答⁉」

「ああ。自由気ままに生きるために、これほど打ってつけな提案はあるまい。違うか?」

「う、うん……。それはそうかもしれないけど……」
 そしてなぜか、レナスは急に俺に腕を絡める。
「本当はもっと色っぽい条件を出してもよかったんだけどねー。ほら、男の子はみんな好きじゃない?」

「フフ、安心しろ。俺はロリコンではない」

「普通に傷ついたんですけど⁉」
 むー、と不満そうに頬を膨らませるレナス。
「おかしいなぁ。胸も大きいつもりなのに……」

「ああ。おまえは綺麗な女だと思うぞ」

「むー。めちゃくちゃ嘘っぽいんですけど……」

 実際、レナスのそういう女性らしさにバルフも惹かれていたわけだしな。
 他の男児たちもレナスに一目置いていたようだし、魅力的なのは違いないだろう。

 ただ、俺の恋愛遍歴はまさに悲惨そのもの。

 誰かを好きになっても……良いことはひとつもないのだ。

「ぷん、納得いかない。私、あなたに好きになってもらうように頑張りますからね」

「はいはい、勝手にするがいい」

 俺が肩を竦めた、その瞬間。

「着いた! ここだ!」
「あれ……? 魔族がいない……?」

 突如、武装した人間たちが走り寄ってきた。

 よくよく見ると、さっき逃げたはずの冒険者たちも数名混じっている。逃げろと言ったはずだが、増援を呼びに行ったわけか。

「や、やっぱりそうだよ……! 俺、見たんだ!」
 冒険者のひとりが甲高い声で叫んだ。
「空からでっけえ炎の柱が降ってきて……間違いない! あれは10年前に失われたはずの喪失魔法だ!」

「はぁ……? さすがに冗談だろ? ベイリフ様しか使えないはずの魔法だぞ……?」

「でも、現にこうして魔族の気配がないわけだしな……。あながち見間違いとも言い切れん……」

 あーあ、こりゃ面倒なことになったな。

 つい調子に乗って、派手な上級魔法を使ってしまった。
 10年前ならともかく、現世では絶対に目立ってしまうのに。

「ふふ、ご安心ください♡」
 戸惑いの声をあげる冒険者たちに、なぜかレナスが歩み寄った。
「この世の欺瞞(ぎまん)は、この《月詠の黒影》が残らず狩り尽くします。皆さんも、どうか偽物の聖者に騙されぬよう……」

 そして彼女は俺の右手をぎゅっと握ると、空属性の魔法を発動する。

 使用する魔法は《浮遊》。
 現代では喪失魔法と呼ばれているそれを、レナスは普通に使ってみせた。

 やはりこの女……色々と隠していやがるな。

「う、浮いた……⁉」
「あれも喪失魔法か……⁉」

 冒険者たちも目を見開き、すっかり空高く浮かび上がった俺たちを見上げている。

「それでは皆様、ご機嫌よーう♡」

 今度はレナスの空間魔法が発動し――
 俺とレナスは、この場所から転移したのだった。