声に振り返ると、そこには鎧を着た人間が立っていた。声から察するに男だろう。
腰には剣、そして鎧の上からローブを羽織っている。
月が鎧に反射して白く輝く。
この鎧、見た事ある……確か……。
「…………騎士団……?」
「動くな、"切り裂き魔"」
「……は……?」
なんだ、今なんて言った?
俺が……切り裂き魔!?
しかし、周囲には他に誰も居ない。
どう考えても、俺に言ってる……よね?
『ちょっとこれは……まずいかも』
「だよね……」
正面の騎士の顔は見えないが、明らかに警戒態勢だ。
なんとか弁解しないと。
「あの、何か勘違いしてるみたいですけど……俺は犯人じゃないです」
「言い逃れできる状況だと思っているのか?」
「だから、えっと……たまたまここを通りかかっただけで……」
「通用すると思っているのか? こんなことをしでかしておいて」
騎士は俺の足元に横たわる遺体を指さす。
なんだ、この圧は……。
まるで俺を犯人と決めつけているかのような……。
「俺には何がなんだか……」
「とぼけるな……! お前のせいでどれだけの人間が犠牲になったと思っているんだ!」
騎士の声には明らかな怒りが含まれていた。
切り裂き魔。剣士だけを狙った犯行。この足もとで倒れている人の近くにも剣が転がっている。
「……いいか、ここには"魔術結界"が張られていた。人除けの結界だ。死んでしまった彼から救難の信号を受け取り、即座に展開した。つまり、犯行後にこの場に犯人以外が居られるわけがないんだ。だからこの場に居るのは切り裂き魔しかありえない」
「人除けの結界……?」
魔術結界……?
確かに人気が明らかに少ないとは思っていたけど、それが結界だって?
じゃあなんで俺には効かなかったんだ?
『盲点だった……』
え?
『人除けの結界は"外"と"中"、その魔力濃度の差を利用して"中"を知覚できなくさせる魔術だ。"中"にいた人間は無意識に外へ向かう。……でも、ホロウは魔力に敏感だ。だから、人除けの結界があっても"中"を認識できてしまう。違和感を覚えたとしても、その程度だ。ホロウには効かない』
「なっ……」
そんなことがあるのか。
確かに違和感は感じたけど、本来は違和感を感じることもなく認識できないってことか。あらゆる魔術を斬れるとはいえ、そんな体質まであるのかよ……!
「つまり……人除けの結界内に居るお前は切り裂き魔でしかないんだよ……!」
「ち、違う! 俺はただの冒険者で――」
「ただの冒険者が結界を突破できるものか! この結界は賢者ディエンバルド様が張ったものだぞ、一介の冒険者如きに突破できる物じゃない!」
「…………」
「それに、切り裂き魔が使う武器は被害者の傷口から"刀"だと判明している。刀を使う者はそれほど多くない。この状況に、その手の武器……これ以上の証拠が必要か?」
おいおいおい……これって結構まずい状況……?
『やばいかも。どうする、倒す?』
いや……さすがにこの街を守ろうとしている騎士を攻撃するのは……。
――ここは逃げよう。
俺はチラッと後方の通りを見る。あそこまで駆け抜ければ、何とか逃げ切れるかもしれない。
騎士とのにらみ合いが続く。
明らかに俺への敵意が強い。このままだと恐らく攻撃される。
騎士が右足を僅かに前に出した瞬間。
俺は、身体を180度回転させ、真後ろの大きめの通りへと走り出す。
「待て! "風刃"!!」
ヒュ! っと風が吹き抜け、目にみえない風の斬撃が俺を襲う。
俺の周囲の木箱や板が粉々に切り裂かれ、石の壁に深い爪痕を残す。
「だから……俺は違うって!!」
俺は刀を後方へ振り、魔術を切断する。
「なっ!? 何か未知の魔術……!? やはり……!」
何か勘違いしているようだが、今は構っている暇はない。今は一刻も早くこの場を抜ける!
――が、騎士ももちろん一人で来ている訳ではなかった。
路地の終着、大通りと面した場所から、三人の騎士が新たに姿を現す。
「包囲されてる!?」
『完全に獲りに来てる……! 運が悪かったわ、完全に今日、騎士団は切り裂き魔を捕まえる気だったみたいね』
「結界まで用意してるならそうか……くそっ、タイミング悪すぎだ……!」
「止まれ!! この場で死にたくなかったら大人しく投降しろ! 今日この場には剣聖――」
「悪いけど俺犯人じゃないんで逃げさせてもらいます――よっ!」
俺は勢いよく壁を駆け上がり、グッと壁を蹴ると騎士達の頭の上を通り越し、そのまま通りへと着地する。
「なっ……何て身のこなし……!」
「"水流弾"!」
着地を狙い放たれた水の弾丸を、俺はカスミで切り落とす。
「!? な、なんだ!? 俺の魔術が……!?」
「さっさと逃げる! 追ってこない方がいいですよ!」
俺は一気に地面を蹴り、通りを走り出す。
正面からは続々と騎士達が押し寄せてくる。
「おいおい……なんでこんなことに……!」
『今は逃げるしかないわ。なんとか突破しましょう!』
「くそ、切り裂き魔……! 覚えておけよ!」
俺はカスミを構え、夜のリドウェルを駆け抜ける。
「くそ……しつこい!」
『ホロウ危ない!』
「わかってる!」
さっと横にステップすると、俺の真横を魔術が通り過ぎる。
ガシャン! っと、両脇の木箱が魔術により音を立てて壊れる。
後方から次々と俺の足を止めようと、魔術の雨が降り注ぐ。
「街中だぞ、弁償できるのか!?」
『相手は騎士団よ、国の金でいくらでも融通が効くんでしょ』
「さすがだね……! それにしても本当に騎士以外の人影がない……。ここらへんも人払い――……ふッ!」
刹那、俺の背中を狙う魔術を察知してすぐさま斬り払う。
後方で切り裂かれた魔術は、夜の闇へと同化するように消える。
「――できてるのか!」
『結界はかなり広いわね。私は武器だから引っ掛からなかったけれど、普通の人間なら問答無用で外ね』
「リドウェルの街の一部とはいえこんな広範囲の結界……その賢者って人は相当な魔術師みたいだね……!」
『オルデバロンの奴なら街一個くらい丸々覆うのは余裕だったけど、さすがにそのレベルではないだろうから、走り抜ければきっと出られるわ』
「そうだろうけど……進むたびに段々と騎士の数が増えてる……! 仕方ない、こっち行こう!」
俺は正面に集まる複数の騎士を見かけ、急いで脇道に逸れる。
人が三、四人しか通れなさそうな細い路地。ここなら一気に囲まれることはない。
外周に近づくにつれて警戒が強くなってる。多分、さっきの辺りを突破すれば結界の外に出られるんだろう。けど……さすがにあの数を突破するのは骨が折れる。
『ちょっと無理かも……騎士と戦うことになるわ』
「それは避けたい」
『向こうも殺しても良いくらいの覚悟で攻めてきてる。無傷でっていうのは無理でしょうね』
「あぁ。でも、向こうも俺達の機動力は予想外なはずだ。このまま路地を抜けて、ギルド側に戻ろう。そっちの方が今は手薄かも」
『それがいいわね、駆け抜けましょう!』
俺は路地を駆け抜ける。
後方では俺達を追って騎士達が迫りくる。
だが狙い通り、この狭い路地を何人もまとめてくることは出来ないようだ。魔術での攻撃も止み始めている。それに、俺の速度に追いつけなくなっているようで、騎士たちの姿はみるみる小さくなっていく。
このまま上手く撒ければ――。
『ホロウ、前!』
「え!?」
しかし、希望も束の間正面には高い壁が聳え立っていた。
つまり、行き止まりだ。
「追い詰めたぞ!」
「早くこっちこい!」
後ろで離れかけていた騎士達が、大声で詰め寄ってくる。
もうここに留まっていれば捕まるのは時間の問題だ。
どうすれば……俺の跳躍力じゃこの壁は少し高すぎる……。
と、そこで名案が閃く。
『何か思いついたの!?』
「あぁ! こんな壁くらい……!! カスミ!」
『! そんな使い方、どこで覚えたの悪い子め! ――けどグッドアイディア! いつでもいいよ!』
「いくぞ……!」
俺はカスミを逆手で持つと、大きく身体を逸らす。
そして、やり投げのように壁の反対側に向かって放り投げる。
刀はレーザーの様にまっすぐ突き進み、壁の丁度真上を通ったところで。
「今だ!」
『いっくよ!』
瞬間、カスミは人型に戻ると、高い壁の上に着地する。
俺はそれを見計らい右側の壁を勢いよく駆け、思い切りジャンプする。
さすがに壁が高すぎてこれだけでは乗り越えられないが、俺の伸ばした腕をカスミががっしりと掴む。
「んんんんん!!」
カスミはうんうんと唸り声を上げながら、俺を何とか僅かに引き上げる。
その僅かな引き上げにより俺の手は壁の縁に届き、俺はそこを掴みぐいっと身体を壁の上へ持ち上げる。
「ふぅ……!」
「ホロウが細身で良かった……」
「はは、作戦成功!」
すぐさまカスミは刀に戻り、俺の鞘に収まる。
「追え追え! 行き止まり…………な!?」
「壁の上!? どうやった!?」
「おい、風魔術師呼べ! この壁は越えられない!」
「全員外周に出払ってます……!」
「なに!?」
壁の下であわあわと慌てだす騎士団。
俺はほっと胸をなでおろすと、反対側へと飛び降りる。
壁の向こう側からは、早く回り込め! と怒声が聞こえる。
『これで撒けそうね』
「あぁ。本当焦ったよ……」
俺は安堵の溜息を漏らす。
あの場で捕まっていたら、俺は弁明の隙も与えられず攻撃されていただろう。そうなれば、俺も俺の為に戦わざるを得なかった。
『街中で騎士団とチェイスする人間なんてそうそういないわよ』
「ははは……だよね。カレンさんにでも自慢するか……」
ほっとしつつも、俺達は小走りで冒険者ギルドを目指す。
路地は完全に人気はなく、騎士団の姿も見えない。
人払いの結界を朝までずっと出しっぱなしにするわけにもいかないはずだし、直に消えるだろう。
ギルド側から大回りで宿に向かえば、気付かれずに戻れそうだ。
「やれやれ、変な指名手配されないといいけど」
『多分顔はハッキリ見られてないだろうから大丈夫でしょ』
「そうかなあ。……でも切り裂き魔は見過ごせないよ。あんな死体を見てしまったら……」
それに、目的が本当に魔剣なのだとしたら。
もしかすると、俺の存在そのものが――――。
「――!?」
『ホロウ?』
「何か……」
ふいに頭上からする寒気。
殺気の含まれた気配。
それに俺の身体が無意識に反応し、俺は咄嗟に頭上を見上げる。
すると、一瞬きらりと光る何かが見える。
「まずいっ……!!」
その光は真っすぐ俺の頭を狙い降下してきていた。それも物凄い速さで。
俺は反射的に後方に飛びのくと、ドシーン!! っと激しい音と土埃を巻き上げ、何かが降ってきた。
「なんだ!?」
「避ける……避けるか今のを」
土埃の中から人の声がする。
煙の中の影はゆらりと立ち上がると、地面に突き刺さった何かを引き抜き、ふっと払う。
土埃が一瞬にして晴れ、中から現れたのは、騎士団と同じ白の服装――しかし、鎧とは違う身軽な軽装をした男だった。
金髪のストレートヘア。碧い目をした青年。
その眼光は鋭く、俺を射抜くように見る。
一瞬で身体が理解する。こいつは――――ヤバイ。
「だが、いまいちわからないな。こんな子供相手に僕をよこすなんて」
男の手には白金色に輝く剣が握られている。
「とはいえ、連続殺人鬼だ。万全を期すのは当然か。それが魔剣士だというのなら僕を呼ぶのも多少は納得がいく」
「あなたは……」
「おっと、自己紹介がまだだったね」
そう言い、男は剣をスッと持ち上げると、顔の前に掲げる。
「僕は騎士団所属、第十四代剣聖――ヴァレンタイン・アシュクロフト」
「剣聖――!?」
それって……とんでもなくやばい相手じゃないのか……!?
剣聖は完全に戦闘態勢だ。
剣を真っすぐに構えたその姿は、まったく隙が無い。
「まずは捕縛する。僕は殺しは好かないんでね。と言っても、加減は得意な方じゃないんだ。悪いが、骨の一本や二本は覚悟してもらうよ」
「俺の言い分は聞いてもらえない訳ですか」
「悪いね。君の言い分を聞いたところで、現状僕には何が正しいか判断できない。万が一犯人だった場合に逃がしてしまう方が問題だ。可能性が少しでもあるのなら、まずは騎士としての責務を全うする。その上で騎士団でじっくり尋問を受けると良い。無実ならそこで弁明してくれ」
「まあ、そうなっちゃいますよね……」
剣聖ヴァレンタインは爽やかに笑う。
「――まあ、お互い魔剣士だ。剣を交えれば見えることもあるかもしれない。つまり、戦うことはどの道避けられないということさ」
「……わかりました」
俺は覚悟を決める。
剣聖……明らかにこの人から出ているオーラは他の騎士とは比べ物にならない。
歳もせいぜい二十代という感じなのにこの雰囲気。相当の修羅場を潜り抜けてきたと見える。
『油断は禁物よ。本当に剣聖なのだとしたら恐らくかなりの手練れ。魔剣士として最上位に近い実力なのは間違いないわ。一瞬の隙も見逃せないわよ』
普段よりも真剣みのあるカスミの声が聞こえる。
「わかってる。本気で行く……!」
俺はカスミを構え直す。
「こい……!」
「じゃあこちらから行かせてもらうよ」
瞬間。剣聖はグンと地面を蹴ると一瞬にして俺の間合いへと入り込んでくる。
「ッ!」
速い……!
反射的に繰り出した刀が、剣聖の上段からの振り下ろしを何とか防ぐ。
くっ、弾けない……なんて剣圧!
「! ……へえ。剣士だけを狙う殺人鬼なだけはある」
ガチガチと剣と刀が震える。
魔術なしでこれか!
でも、カスミとの訓練で影の剣豪たちと斬り合った俺に反応できない速さではない!
「だから……違うって!」
俺はそのまま剣を何とか押し返し、反対に攻めに転じる。
「"三閃"!」
三つの剣閃が煌めく。
同時に三方向から斬りかかる不可避の剣技。
「興味深い技だ」
しかし、さすがは剣聖と言うべきか。
俺の太刀筋を見極め、"三閃"を剣で受けてみせる。
「まじか……!」
「驚いた……君、本当に子どもかい? 僕の初撃を防ぐだけでも魔術ナシならほぼ不可能だというのに。防ぐどころか反撃してくるとは」
「褒められてるのかな」
「あぁ。面白くなってきた」
「余裕ありますね……!」
それから、一進一退の攻防が続く。
俺の剣筋を見極め、剣聖は上手くいなしてくる。
刃が弾ける音が響く。
「ぐっ……!」
「ふッ!」
虚構の中で戦った数多の剣豪たち。
それに及ぶとまではいかないが、明らかにこの剣術には重みがあった。
一瞬でも隙を見せれば、一気に持っていかれる。
でも……剣術だけは……それだけは誰にも負ける訳にはいかない!
「うおおおお!!」
「――甘い」
俺の一瞬力んだ瞬間を見逃さず、剣聖は俺の手からカスミを弾き飛ばす。
「なっ!」
くそ、熱くなった……! 油断した!
「これで終いだ」
剣聖の一撃が降り注ぐ。
ただ上から下に振り下ろしているだけのはずが、ものすごい圧を感じる。
「くっ……!! まだだ!」
俺は咄嗟に雪羅を抜くと、何とかその一撃を受け止める。
雪羅はギシギシと、カスミの時とは比べ物にならないほどの悲鳴を上げる。
「そっちの刀も受け止めるか。いい刀だ」
「どうも……――"円舞"!」
自身の身体を軸に円を描き、相手を弾き飛ばす守りの剣技。
その威力に、剣聖は一気に後退する。
その隙に俺は弾き飛ばされたカスミを空中でキャッチする。
「ふぅ……あぶない……」
「振出しに戻るか」
剣聖は依然余裕の表情で俺を見る。
魔剣士だが、魔術を使っていない。その心の余裕か。こっちは結構いっぱいいっぱいだって言うのに。
『冷静になって、ホロウ。私の教えた剣術の基本を忘れないで。熱くならず、冷静に』
俺はカスミで頭をコンコンと軽く叩き、深く息を吐く。
「――悪い……負けられないと思ったらつい」
『ふふ、安心して。落ち着いたホロウに剣術で勝てる奴なんていないんだから。自信をもって。数多くの剣士たちを見てきた私が言うんだから間違いないわ』
「ありがとう」
『戦いを見てて改めて分かった。長年剣を振り続けたホロウの剣の技術、そして押し合いなら僅かにホロウの方が上。今拮抗してあたかも押されているように見えるのは実戦経験の差と心の余裕ね。向こうの方が対人での戦い方をわかっていると言うだけよ』
そう、あの落ち着きようだ。
相手を倒さなきゃという気負いもなく、平常心で戦っている。これが経験の差。
しかも、この戦いを楽しんでいる節がある。
でも身体は確かに反応出来ているんだ。
戦況だけで見れば、随所で弾き返せている俺の方が優位なはずだ。
冷静に、冷静に……。
不本意な戦い……濡れ衣ではあるけど、こんな剣に特化した魔術師と剣を交えられる機会はそうそうない。俺の成長に有効活用させてもらおう。
命のやり取りだけれど……このチャンスを無駄にしない。
「……空気が変わった。ここからが君の本気と言う訳か」
「俺は帰ります。無実の罪で捕まる訳にはいかない」
「なら、その剣で僕に証明してくれ」
「そのつもりだ――!」
俺と剣聖の剣が交差する。
「ふっ!」
「――ッ!」
俺の刀を受け、徐々に剣聖の態勢が崩れ始める。
心を落ち着け相手の動作を見極め冷静に対処すれば、おのずとどこを攻めれば良いかわかってくる。
確かに剣聖の剣は凄まじい。
パワーもスピードもある。
だが、攻撃が直線的なのだ。
他の相手ならその圧で押しつぶされてしまうだろうが、冷静に見極められる今の俺には問題ない。
それは剣聖のバックボーンを考えれば答えは見えてくる。
すなわち、剣聖もその本領は魔剣士だということだ。
この時代に魔術を使わないで戦う人間はまずいない。いくら剣に秀でていたとしても、それだけに力を注ぐのは馬鹿げているのだ。どう頑張っても剣より魔術の方が威力・利便性共に上回ってしまうから。
彼らの言う剣術とは、魔術を合わせての技術のことを言っている。
だから、素の剣術には荒さがある。
剣聖のこの剣の実力ならば、きっとある程度の魔術師までは剣だけで完封してきたのだろう。
しかし、それは格下にしか通じない手だ。
戦闘経験という大きな括りでは確かに俺は剣聖に大きく後れを取っている。でも、剣だけを使った戦いに絞れば、俺だって負けていない。
人生のすべてを剣に賭けている俺と、魔術と並行している剣聖。
そのわずかな差が、徐々に俺に流れを引き寄せる。
「はぁ!」
「ッ……確かに本気みたいだな……!」
初めて剣聖の額が歪む。
俺の連撃により、ガンガンと壁際へと追い詰める。
「!」
気付けば、剣聖の背中は壁に触れる。
完全に追い詰めた。
「こりゃまずい」
「はっ!」
「おっと……!」
思い切り横に振りぬいた刀を、剣聖が咄嗟に身を屈め避ける。
瞬間的な魔力の反応。肉体の強化魔術……! とうとう魔術を使わないといけないところまで追いつめた。
避けられた斬撃はそのまま後方の壁に深く切れ込みを刻む。
一気にスピードが加速する剣聖は、下から顎目掛けて掌底を繰り出してくる。
俺はそれを刀の底で受けると、そのままカウンターを合わせて拳を振り下ろす。
加速した剣聖はそれもすんでのところで躱し、俺に向かって前蹴りを決める。
咄嗟に刀でガードするが、強化魔術によって強化された蹴りは威力がかなり上がっており、ズザザと後方へと下がる。
また二人の距離が開く。
剣聖はふぅっと深くため息を吐く。
「予想以上だよ……。まさか魔術なしでの戦いがここまで一方的とは」
「剣だけが俺の生きる道だからね」
「魔術を使わないのか? ……と言うのは、少々野暮のようだ」
剣聖はどうやら察しているようだった。
俺が魔術を使えないことを。
「興味深い。――いいだろう。君の剣術と僕の魔剣士としての技術。君程の剣士は見た事がない。ここで全力を出さないというのは失礼というものだ」
「ここからがあなたの本気って訳ですか」
「その通り。僕は魔剣士。剣術だけではないというところを見せてあげよう」
場の空気がさらにまた一変する。
剣聖と呼ばれる男の魔術。一体どんな物なのか。
だが、俺に魔術を使うのは愚策。
初見殺しの魔術斬り。決めてやる……!
「では――――」
「居たぞ!!」
「こっちだ、切り裂き魔が居る!」
「追いついた!」
「!」
と、俺達が激しい斬り合いをしていた時間で、気付くと騎士達が追い付いてきていた。
次々となだれ込んでくる騎士たち。
あっという間に俺達を囲むようにジリジリと迫ってくる。
「ヴァレンタイン……!」
「剣聖来てたのか」
「おいおい、でもそれでもまだ捕獲できてないって……どうなってるんだ!?」
「剣聖と斬り合ってたのか!?」
今の状況を目の当たりにして、ざわつく騎士達。
そしてその状況は、そのまま恐怖へと変わる。
つまり、切り裂き魔は剣聖でさえ止められないと。
「――全員でかかれ!! 前の方は死ぬ気で耐えろ!! ここで逃せば死人が増えるぞ!」
「そうだ、野放しにしてはいけない! ここで決める!」
「ちょ、ちょっと待ってください!! 俺は!!」
しかし、俺の否定の声も全く届かない。
明らかに場は興奮状態だった。
このままでは、逃げ切れない……!!
大人しく捕まって弁明するか……? いや、でも釈放される保証はない。状況証拠しかないが、恐らく俺が捕まっている間に次の犠牲者が出るまでは牢屋の中だろう。そんなの無理だ。
『ホロウ、ここは逃げた方が……』
「あぁ。でも、この人数相手に……しかも剣聖付きとなると……」
逃げ切れるか? 剣聖の魔剣士としての実力によるか……。
覚悟を決めるしかないようだ。
じりじりと騎士達が寄ってくる。
俺は刀を構え直す。
騎士を牽制しながら、剣聖の相手……骨が折れるな。
――とその時。
「止まれ」
剣聖の剣が、騎士達の前に押しとどめるように差し出される。
「彼は僕の相手だ、手出しは無用だ」
お……?
「ですが……!」
「彼は君たちじゃ勝てない。僕に任せておけ」
そう言って、剣聖は剣を構える。
その圧で、騎士達は無言で後ずさり、道を開ける。
「……名前を聞いておきたいところだが、教えてくれないんだろう?」
「残念ながら」
「仕方ない。……じゃあ、僕の魔術を見せてあげよう」
剣聖は剣をそのまま高く掲げると、魔力を一気に解放する。
これは……かなりデカい魔術……!
「君だから、使うんだ」
「こい……!!」
かざされた剣聖の剣。そこに魔力が集まっていくのを感じる。
『来るわよ、ホロウ!』
「叩き斬る……!」
剣聖ヴァレンタインは微笑む。
一気に風が吹き抜ける。
剣にまとわりつく風。それはまるで小さな嵐のように剣を覆い尽くす。
ただそこにあるだけで嵐のように風が吹き荒れ、その場にいる全員が圧倒的な風圧に顔を覆う。
「あの魔術は……殺す気だ……!」
「みんな、伏せろ!!」
騎士達がその魔術を見て慌てて防御の姿勢を取る。
どうやらそれだけ大規模な魔術らしい。確かにこの風圧、まるで嵐だ。
「吹き荒れろ」
ヴァレンタインはその嵐を纏わせた剣を、思い切り振りぬく。
「――"嵐竜斬"」
瞬間。
剣の周りに圧縮されていた嵐は地面を削る程の威力を帯びた竜巻となり、一瞬にして解き放たれる。
それはものすごい勢いと轟音を立てながら、激しく土煙と岩片を巻き上げる。
「こりゃ……すごい……!」
暴風に煽られ、激しく音を立てながら俺の服がはためく。
正面には自然災害とも呼べる超常の魔術。
"斬る"という行為を内包した、風の脅威。
もし俺がただの魔術師なら、戦意を喪失して地面に座り込み、目を閉じて祈ったことだろう。
それに、俺は今まで多くの魔術を斬ってきた。だが、この大きさは今まで斬ったことは無い。俺の体質が本当に万能なのか? もしかすると一定の許容量というものがあるのではないか? 僅かな不安が、腹の奥から込み上げてくる。
――だが。
俺はカスミをもう一度ぎゅっと握りこむ。
カスミから暖かい力が伝わってくる。まだ俺はカスミの力を引き出せていない。けれど、確かに繋がっていると感じる。カスミとなら、どこまでも行ける。
それに俺は魔術師じゃない。
「俺は――」
――魔術を斬る……剣士だ!
「うおおおおお!!!」
嵐に切り込むように、俺は上段から真っすぐと刀を振り下ろす。
切っ先はその嵐の淵に触れると、眩い光を放ち、まるで水を斬るかのように何の抵抗もなく魔術の中へと滑り込んでいく。
そしてその嵐は刀が振れた傍から煙となって蒸発し、俺の刀が地面に触れる頃には完全に消滅した。
消滅の瞬間、強烈な風がブワっと駆け抜け、土埃が舞い上がる。
さっきまでの耳をつんざくような轟音は一瞬にして無音に変わる。
舞い上がった土埃が完全に俺達の姿を隠す。
「斬れた……あんな凄い魔術も……!」
『喜ぶのは後にして逃げましょう! 今ならあいつらをまけるわ!』
「! そうだね、行こう!」
俺たちは身体の向きを変えると、勢いよく走りだす。今は逃げることが重要だ。
後方からは誰も追ってくる気配はない。
◇ ◇ ◇
「やったか!?」
「さすがに死んだだろ」
「これが剣聖の力……初めて見るけど凄いな……」
もくもくと煙が立ち上り、静寂が訪れていた。
轟音が消え去り、騎士達は煙の先を見据える。
剣聖ヴァレンタインの立っている位置から、容疑者が立っていた場所まで地面がごっそりと抉り取られている。
魔術【嵐竜斬】。
斬属性を伴ったトルネードは、触れるものすべてを斬りつけながら対象へと突き進む。剣聖ヴァレンタインの持つ魔術のうちの一つ。
騎士と言えどそれを見た事がある者は少数で、この場に見た事がある者は居なかった。
だから、パッと消えたこの幕切れが本来のものだと信じて疑わなかった。
「ヴァレンタインさん、お疲れ様です」
騎士の一人が、ヴァレンタインの元へと駆け寄る。
剣聖はただの称号であり騎士としての位が特別高い訳ではないが、王の直属の配下であるヴァレンタインは彼ら一般の騎士からすれば格上の存在なのだ。
かしこまった騎士は煙の立ち昇る方を見ながら言う。
「それにしても、凄まじい威力ですね」
「ありがとう」
「一撃ですか。さすが剣聖です」
「一撃?」
思いもよらぬ聞き返しに、騎士は眉を顰める。
「一撃……じゃないですか? あの煙の向こうに恐らく倒れているでしょう」
「はは、じゃあ見てみると良い」
「? ええ、一応確認しないと」
首をかしげながら、騎士は煙の方へと向かう。
煙は既に消えかかっており、地面が疎らに見えていた。
騎士はそのまま進み、足元に目を凝らす。
少しして、煙が完全に晴れたところで騎士は唖然とした表情を浮かべる。
「なっ…………居ない……?」
「だろう?」
「いや、そんなはずは……! 確かにあの容疑者に魔術は当たっていました!! 私はその瞬間をしっかりとこの眼で見たんです!」
「本当かな? 当たる瞬間、彼は何かしなかったかな」
「何か……」
その時、騎士の脳裏に思い出されたのは、触れる瞬間刀で魔術に斬りかかっていた光景だった。
だがしかし、そんなことあるはずがない。
剣で魔術に抗うなど、そもそもできる訳がないのだ。それは常に剣の携帯を義務付けられている騎士だからこそよくわかる。
魔術に剣で対抗など無理な話なのだ。そこには明確な優劣がある。
「剣で確かに触れてましたが……それがどうしたというのですか? そのまま飲み込まれて終わりでしょう」
「パッと私の魔術が消えたのは見ただろ」
「そ、それはそう言う魔術では……」
「僕の魔術なら、この先数十メートルにわたって更地になっているよ」
「なっ……」
「彼はね――」
剣聖は楽しそうに笑みを浮かべながら言う。
「魔術を斬ったんだ」
夜の人気のない街を全力で走る。
後ろから追手の様子はない。
だが、下手にスピードを緩めると万が一のことがある。俺はとにかく走り続ける。
しばらくして――。
「――ん?」
瞬間、さっきまで身体にまとわりついていた異様な雰囲気がぱっと消え去る。
走る頬に、爽やかなひんやりとした空気が吹き抜ける。
「抜けた……?」
『あら? ……そうみたいね。ここは結界の外みたい』
走り続け、とうとう俺たちは人除けの結界から外に飛び出た。
辺りを見回すと、疎らに人が見える。
「助かった……のか?」
俺はやっと緊張が解け、思わず深くため息を吐く。
カスミを握っていた手が、いつも以上に硬く握られていたことに今更になって気付く。
俺はゆっくりと刀から手を離す。
すると、カスミが人型へと戻って行く。
「はぁ……焦った」
今になってブワっと湧き出した汗を、俺は手の甲で拭う。
「危なかったね……でも、ホロウはあの剣聖相手に押してたよ!」
「そうかな?」
「うんうん!」
カスミは嬉しそうに頬を緩ませる。
さすがホロウ! っと俺の腕を掴みブンブンと振る。
「良かった。カスミと小さい頃からあれだけ特訓してきたからね。剣術じゃ負けられないと思って」
そう、剣は俺に残された唯一の手段だ。
魔術が使えない俺にとっては、絶対に負けられない最後の柱。
それにしても、あの最後の剣聖の魔術。
今まで受けてきた魔術の中でも一番強力な魔術だった。
俺が今まで見てきた魔術は、もっと低威力だった。あそこまでの破壊力と圧のある魔術があるとは、知識では知っていても本当に放つ人間がいる何て想像できるだろうか。いや、出来ないよな……。
そりゃ、あんな魔術を使う上位の魔術師が王都の騎士や冒険者にはゴロゴロいるとなると(まあ剣聖が特別の可能性もあるけど)、剣術では魔術に勝てないとみんなが考えているのも無理はない。王都で魔術を学んでいたアラン兄さんや、王都で働いていたセーラ先生は直接肌で感じることがあっただろうし尚更だろう。
正直、あのレベルの魔術を受け切れるかどうか不安だったけど……どうやら俺のこの"体質"はどんな魔術でも斬れてしまうらしい。
この力があればきっと、俺でも魔術師を超えて強くなれる。そう改めて実感できた。
「そういえばすっかり忘れてたけど、あの死体……切り裂き魔の仕業だよね、多分」
「そうね、騎士もそんなこと言ってたし。切り裂き魔には入れ違いで逃げられたみたいだけど」
「てことは、きっと俺容疑者として追われるよなあ……」
「どうかな……」
「うーん、まあ騎士には暗かったから顔ははっきりとは見られてないと思う。ただ、剣聖には割とはっきり見られたから……」
「じゃあ五分五分かしら」
「そうだね、剣聖の出方次第……かな」
もし剣聖が俺の情報を騎士にしっかりと連携した場合、俺の人相書きとかが出回って指名手配されるかもしれない。
ただ、状況証拠だけの状態でそこまでするかどうか……あくまで現行犯として取り押さえる前提があったからあれだけ強行してきた訳だし。
やはり、カスミの言う通り五分五分か。
「……少し様子を見ようか。もし指名手配されそうだったら、リドウェルを出よう。ここに居たら捕まっちゃうし」
「そうね、それが賢明かも」
「はあ、折角ここにも慣れてきたのになあ……」
そうして俺たちは帰路につく。
騎士達の姿はなく、無事宿へと戻ることが出来た。
全ては明日次第だ。
俺は出来れば何事もなくあってくれと思いながら、眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌日。
いつも通り朝の修練をし、身支度を整え、冒険者ギルドへと向かう。
もしかしたら、昨日の今日で多くの騎士達が俺を探して見回りに出てるかもしれない。
……なんて思ったけど、人型を見られていないカスミに先に様子を見に行ってもらったが、そんな様子は全くないということだった。
こうして俺は普通に街を歩いているが、確かに昨日と変わった様子はない。
騎士が居るには居るが、別に普段通りの警備態勢。
すれ違ったりしたが、特に俺を気にかけるような素振りも見せなかった。
どうやら俺の顔は騎士達の中で広まってはいないらしい。
剣聖が黙っていたのか? それとも、あの後本物の切り裂き魔が現れて、そっちを追っているという可能性もある。実際昨日あの場に居たのは確実なんだ。俺との追いかけっこの後に見つけていても不思議じゃない。
とにかく、一応は俺に追手はないようだ。良かった。
「何とかなったみたいね」
「そうだね。五分とは言いつつ正直諦めてたけど……完全に普段通りだ」
「良かった良かった!」
そうして冒険者ギルドへと到着し、俺達は中に入る。すると、いつも賑やかな冒険者ギルドが、今日はその何倍もの盛り上がりを見せていた。
わーわーと歓声があがり、口笛がなり、拍手が巻き上がっている。
多くの人だかりができていた。
「うわ、なんだ凄いな」
「何だろうね?」
と、カスミは背伸びをしてきょろきょろと中を見回している。
すると。
「あ、ホロウ!」
と、人ごみの中から現れたのは、カレンさんだった。
カレンさんは手を振りながらこちらへ駆け寄ってくると、俺の手を引き寄せる。
「な、なんですか!?」
「いいからいいから!」
そう言ってカレンさんに連れられ人混みの中へと入っていく。
そしてテーブルまで連れられると、そこに一人の人物が座って居た。
瞬間、体中の毛穴から汗が噴き出る錯覚を覚える。
ごくりと喉に唾が流れ込んでいく。
「おいおい…………」
「やぁ、また会ったね」
そこに居たのは、剣聖――ヴァレンタインだった。
「な……!?」
一瞬の硬直。
ヴァレンタインは、にこやかな笑みを浮かべこちらを見つめている。
「昨日ぶりだね。ホロウ君……であってるかな?」
何が起きてる……!? ばれた!?
まさか、冒険者だとバレて待ち伏せされた!? 昨日の今日で!?
騎士が街で俺を探していなかったのは油断させるためだったのか!?
「話がしたくてね」
混乱する頭で、いろいろな可能性が頭をよぎる。だって、これはあまりにも想像していなかった事態だ。
「ホロウ?」
と、カレンさんが俺に声を掛けたところで俺はハッと意識を現実に引き戻される。
「カスミ!」
「わっと」
俺はガシっとカスミの腕を掴むと、引っ張るようにして全力でギルドの入口に向かって走り出す。
「どうしたんだよホロウ!? 大丈夫だぜ!?」
「だ、大丈夫じゃないです……!!」
ここに居たらだめだ、捕まる!!
俺は周りにいた冒険者を押しのけ、何とか入口へと突き進む。
やっぱり駄目だった、もうここには居られない!!
一刻も早くこの街を出ないと――。
「だから、話がしたいだけなんだ。落ち着いて」
「!」
一瞬にして、ヴァレンタインが俺達の前に立ちはだかる。
強化魔術……! さすがに早いか……!
俺は警戒して、腰の雪羅に手を掛ける。
「おっと、相当警戒されているらしい。まあ昨日の今日だからそれもそうか」
そう言って、ヴァレンタインは両手を上げると敵意がないことを示して見せる。
「……何のつもりですか?」
「何のつもりも何も、僕は最初から君と話したいだけさ」
話したいだけ?
信じられないけど……。
「ホロウ、落ち着けって。ホロウの疑いは私達が晴らしたからよ」
「疑いが……晴れた……?」
「あぁ。昨日の疑いはもう君にはないよ」
そう言って、ヴァレンタインはにこやかな笑顔を浮かべる。
「ほら、剣も持ってないだろう?」
ヴァレンタインは腰の辺りを指さす。
確かに、良く見ると剣聖は剣を携えていなかった。
「じゃあ、本当に話がしたいだけ……?」
「あぁ。まあちょっと場所を変えよう。ここだとギャラリーが多そうだ」
◇ ◇ ◇
俺たちは冒険者ギルドを出て、ヴァレンタインが泊っている宿へと移動する。
どうやら今回の切り裂き魔の件で一時的に王都から招集されていただけらしい。
「おぉ……」
「す、すごい宿だねホロウ……」
綺麗な外装に、豪華な内装。宿を出入りする客も、皆どこか品がある。
ヴァレンタインの泊る部屋へと案内される。
俺たちが二人で泊まっている宿の三倍の広さはある。
「いやあ、僕はこんな立派な宿は要らないと言ったんだけどね」
そういってヴァレンタインは苦笑いを浮かべる。
「剣聖という称号だけで、階級以上の評価を受ける。その気遣いは嬉しいが、正直煩わしいこともあるよ」
「そう言うものですか」
「あぁ。まあ、それはいいさ。座ってくれ」
俺達は促されるように柔らかい椅子に深く腰を落とす。
身体の疲れがスーッと抜けていくような感覚。
「さて、とりあえず昨日の非礼を詫びよう。すまなかった」
「い、いや、そんな改まって謝られると……」
俺は思わず気恥ずかしくて頬を掻く。
謝られた経験なんて殆どないよ……。
「許してくれるかい?」
「そりゃ、疑いが晴れたのなら俺もヴァレンタインさんを警戒したりはしないよ。何で晴れたのかは疑問だけど」
「あぁ、それだけどね。ある程度昨日の時点でわかっていたんだよ」
「え?」
「僕は君と戦う前に言っただろう? 剣を交えれば見えることもあるかもしれない、と」
そう言えば、戦う前にそんなことを言っていた気もする。
「じゃあ、戦って分かったと?」
「その通り。剣というのはその人の生きざまを映す。この魔術全盛の時代、剣を真面目に学ぶものは多くない。魔術で事足りるからね。だからこそ、剣を握り戦う人間の剣には信念が宿る」
剣に信念が……。
「君の剣からは、凄まじい修練を感じたよ。殺しや破壊が目的の剣じゃない。何かを成し遂げたいとあがく、強い信念が」
「強い信念……」
確かに当たっている。俺はただ、この剣だけでも強くなれることを証明したい。そう思って修行してきた。あの家を見返したい、そういう思いももちろんあった。でも、俺の剣は殺しの剣じゃない。それだけは胸を張れる。
「それに、最後僕の魔術を受け切って見せただろう?」
「あの魔術は正直肝が冷えましたね。死ぬかと……」
「はは、悪かったね。君なら何とか出来ると確信してたんだ。それに、あの魔術は避けることも出来ただろ。けどそれをしなかった。後ろの建物が壊れるのを恐れたんだろ? 僕はそこで確信したよ。君は殺しを出来るような人間じゃないって」
「あの一瞬の戦いでそこまでわかったんですか」
するとヴァレンタインはハハっと笑う。
「伊達に剣聖と呼ばれていないさ。まあ、剣術の純粋な腕では君の勝ちのようだけどね」
「いや、そんな……」
「事実さ。まあ、それで君に興味が湧いてね。いろいろ調べさせてもらったと言う訳だ。君は最後、魔術を斬った。それは本来有り得ないことだ。その線を調べていくとどうやらそんな噂を持った少年が冒険者試験を受けに来たと言うじゃないか。そこからさらに調査して、カレンさんに会い、彼女の証言から君のアリバイは完璧に証明された。だから、僕は騎士団に少年を追う必要はもうないと進言したんだ」
「この数時間でそこまで……凄いですね」
「それくらいはね」
「けど良かったです。もしこのまま追われ続けたらさすがの俺ももうどうしようもないと思っていたので……。俺を追うあまり、本物を放置して新たな被害者を生むのも心苦しいですから」
「はは、やっぱり優しいね」
これだけいろいろ話してくれているんだ、どうやら疑いは本当に晴れたらしい。
本当に良かった。
俺は安堵の溜息を漏らす。
「ということは、それを伝えにわざわざ俺の所に?」
「それもあるが、さっきも言ったように僕は君に興味があるんだ」
「俺に?」
「……魔術を斬る剣士。これほど僕の興味をそそるものもなかなかない」
「興味ですか」
まさか剣聖と呼ばれる人が俺なんかに興味があるだなんて。確かに魔術を斬るなんて有り得ないと色んな人が言っていたけど……。
恐らくこの国でもトップに近いであろうヴァレンタインさんが興味を持つくらいだ。もしかすると魔術を斬れるというのは本当に俺だけの力なのだろうか。
「魔術を斬る……そんな力聞いたこともないからね」
「ホロウは凄いでしょ」
カスミは自分のことの様に自慢げに胸を張る。
「はは、その通りだ。君の存在は騎士団ではちょっとした話題になっていたよ」
「話題?」
「あぁ。昨日の今日だけどね。なんたって、魔術がこれだけ発達した時代においても、魔術のカウンターとしての魔術は数あれど発動した魔術そのものを破壊するような魔術は存在しない。それを、魔術ではなく剣術だけでやってのけるとはね。一体どうなっているのか」
ヴァレンタインさんは興味深げに俺を見る。
「そりゃ騎士団の人たちも興味津々さ。魔術を斬る少年。魔断の剣士。呼ばれ方はいろいろだが、すぐに広まるだろうね」
「おお、ホロウがとうとう有名人に!」
「う、嬉しいですけど……いいのかな広まっちゃって……」
「なんで?」
「まあ、ただ興味があるだけの人間だけじゃなく、悪意を持った人間も近づいてくるだろうからね。そこは注意が必要かもしれない。けれど、冒険者として生きていくつもりなら、名を売るのは重要だからね。上手く活用するといいさ。それに、君と魔断の剣士が一致しているのはまだ僕だけだ。これからの戦いの中でどんどん広まっていくだろう。君も、隠して生きるつもりはないだろう?」
「はい。俺は剣だけでも強くなれると証明するために家を出ました。俺の力がその手助けになるなら、むしろありがたいですけど」
「はは! いい心がけだ、君の活躍は是非とも追わせてもらうよ」
そうヴァレンタインは楽しそうに笑う。
その笑いがどういうものなのか俺には分からないけれど、どこかアラン兄さんと同じような雰囲気を感じる。悪い人じゃない気がする。
「まあ僕は純粋に君の剣の実力に興味があるね。こう見えても僕は魔剣士の中で剣聖と呼ばれる存在だ。その僕を超える剣技……魔術を使えないという特異な体質だからこそなせる技か」
「そんな大げさですよ」
「はは、君の人柄が見えてきたよ。今度僕と手合わせてしてもらえるかな? もちろん昨日のような殺し合いじゃなくね」
「そ、それは願ってもないですけど」
剣聖との手合わせ……!
昨日の戦いのような打ち合いが出来るなら、かなり訓練になるな。
「それは助かる。まあ君も冒険者として忙しいだろうからね。時間があるときによろしく頼むよ。そういえば君は王都に来たことあるかな? 王都はね――」
そうしてヴァレンタインからの交流はその後も数十分続き、俺達はその場を後にした。
「はぁ~緊張した……」
俺は深くため息を吐く。
「そんなかなあ? 王様に会うとかより全然だと思うけど」
「王様とか、そんな非現実的な……」
「そうかな?」
不思議そうにカスミは首をかしげる。
六百年……そいうやカスミは封印されていた魔剣だったんだよな。俺の知らない過去があって当然か。もしかすると王様となんかあった……とかあるのかな。
「まあ確かに凄い人ではあるかもね。緊張しても無理ないか。大丈夫?」
「まあ何とか。さすがに昨日は命の危機だったから平気だったけど、改めてこうやって対面すると凄いオーラだったよ」
「ホロウの方が強かったけどね!」
「本気だったのかなあ……」
剣聖。
詳しくは良く知らないけれど、騎士の中で与えられた名誉称号。
アラン兄さんが話していたのを覚えている。
俺に、剣術の才能は凄いと言ってくれていたアラン兄さんが良く引き合いに出していたのが剣聖の存在だった。
ホロウならきっと剣聖にだって負けない剣の腕を身につけられるさ。
そうすれば、もしかしたら魔術師相手でも戦えるようになれるかもね。
そうやって良く俺を励ましてくれた。
きっと魔術師と戦えるようになれるかもという言葉は、今思えばアラン兄さんなりの方便だったんだろうけど。小さいながらもその剣聖という響きに、俺はきっと強くなれるんだと励まされた。
その剣聖本人との対談だ、緊張しない訳がない。
俺は今さっきまで語り合っていた窓を見上げる。
「ホロウは凄いからね、剣聖の目も節穴じゃなかったってことね」
「それは言い過ぎだよ」
「そんなことないよ!」
と、相変わらずのカスミ。
俺にもこれだけ俺のことを信じてくれる人が居る。まあ剣だけど。
それだけでも大分助けられているなあと思う。
「……ありがとな」
「ふふ、一蓮托生だからね!」
剣聖ヴァレンタインとの一件から数週間。
俺たちは地道に赤階級の依頼をこなし、精力的な冒険者活動を続けていた。
――魔術を斬る剣士がいる。
その噂は、思ったよりも早くこのリドウェルの冒険者の中で広まっていた。
遠巻きに俺を見つめる視線が、明らかにここ最近増えた。
酒場に行けば、ヒソヒソと俺を見て何か話を始める冒険者も多く居た。
どうやら、騎士団が噂している魔断の剣士と俺がいつの間にか結びついてしまっていたようだ。まあ試験の件もあるし、魔術を斬れるというのが広まるのは時間の問題ではあった。
だが遠巻きにしか見られていない様子を見るに、まだ確実に俺だという確証はないのだろう。噂が独り歩きしている状態だろうか?
まあ別に注目されることはそこまで悪いことじゃないし、俺とカスミはいつも通りに活動を続けていた。
「1、2、3…………はい、依頼数分あるわね。ご苦労様!」
金髪でスタイル抜群の女性――ギルドの受付嬢キルルカさんは、満面の笑みで俺が今しがた提出した素材をカウントする。
「さすがね、ホロウ君。仕事は丁寧だし、効率も良い。いつもありがとね」
「い、いやあ、それほどでも……」
「何デレデレしてるのよっ」
とカスミの肘が俺の脇腹に刺さる。
「し、してないよ」
「どうだか……」
「ふふ、仲がいいわね相変わらず」
キルルカさんは目を細めてニコニコと笑みを浮かべる。
「この調子で依頼をこなしていけば、蒼階級も夢じゃないわ。がんばってね!」
◇ ◇ ◇
「ふうん、順調なのね」
手に持った果物を口に放りながら、セシリアは俺の話に相槌を打つ。
「そういうセシリアはどうなんだ? 冒険者活動は」
「まあぼちぼちって感じね。今はひたすら階級上げの為に依頼こなしてるわ。後はそうね、たまにカレンさん達に相談したり……まあそんな感じ」
「そうなんだ、セシリアはサポートが上手いからてっきりパーティでも組んでるものかと」
パーティを組む冒険者は多い。
やはり一人でこなすには難しい依頼が上の方には多いから、自然と協力するのが当たり前になるのだろう。
「まあ否定はしないけれど。でも、現状パーティでやるような依頼もないからね。今後何かあれば組むかもしれないけれど」
セシリアは満足そうに口を布で拭いながら言う。
「そういうホロウこそパーティは組まないの?」
「いやあ、どうかな……。魔術を使えないっていうのは大分ハンデだと思うけど」
「まあそれだけならね。けど、あなたには魔術を斬れるっていう力があるでしょ。それに目を付ける人も居なくはないと思うけれど」
「そうかな」
「そうよ。それに……ホロウの剣術は魔術に匹敵する価値がある。と私は思ってるけど」
セシリアは真剣なまなざしで俺を見つめる。
「……まあ、私達はそもそもまだ蒼にも到達していないからね。気が早い話よ。精々依頼に合わせて協力する仮パーティが関の山でしょう」
「それもそうだね。俺はカレンさん達と組んでるセシリアを見てみたいけどね。特にカレンさんは好戦的だからね、セシリアとは相性が良さそうだ」
「ふふ、そのうちね。あなたも噂が噂だからきっとこの先ひっぱりだこよ。気を付けてね」
「あぁ」
「ま、あの魔剣の女もいるし心配してないけどね」
と、セシリアはウェイトレスを呼ぶとさらに食べ物を注文する。
「おいおい、まだ食べるのか?」
「だって奢りでしょ?」
「なっ!? いつそんな話に!?」
「えー、だってあなたが少し話そうよって言って呼んだんだから当然でしょ」
「いやいや! それはたまたま会ったからせっかくなら近況報告でもしようかと誘っただけで……」
「誘ってるじゃない」
「くっ……」
すると、セシリアはふっと笑いだす。
「あはは、冗談冗談。あなたって戦っているときは感じないけれど、やっぱりこうやって面と向かうと年下って感じよね」
「う、うるさいな……」
そうして俺たちは簡単な雑談をして別れた。
セシリアは唯一の同期だ。これからもきっと多く関わることになるだろうな。
翌日――。
俺とカスミは今日の依頼を探しに冒険者ギルドへとやってくる。
「今日は何狙うの?」
「そうだなあ、やっぱり魔物の討伐かな。そろそろ歯ごたえのある相手がいいんだけど……」
「赤階級であるかなそんなの」
「パーティ前提のものならあるかもなあ」
そう言いながら、俺達は依頼ボードの前へとやってくる。
今日も今日とて多くの冒険者たちが依頼を探そうとボードの前に集まっている。
「さてさて、何か依頼はあるかな」
「この間みたいなスライム討伐は嫌よ、ぬめぬめして気持ち悪いんだから」
「あはは、やたらスライムに気に入られてたよね」
「本当勘弁して欲しいわ!」
「おかげで入れ食い状態だったけどね。……さて、何か依頼は……」
「――やあ、ちょっといいかな?」
「ん?」
と、突然声を掛けてきたのは、さっきまでボードを眺めていた黒髪の青年だった。