落ちこぼれ魔剣使いの英雄譚 ~魔術が使えず無能の烙印を押されましたが、【魔術破壊】で世界最強へ成り上がる~

「これは……酷いな」

 横たわるガイはピクリともしない。
 死んでいる。

 くそ、助けられなかった……犠牲者が……。
 俺は拳を強く握る。

 セシリアは落ち着きを取り戻したようで、改めてガイの死体を見つめている。

「……叫んでごめんなさい。ちょっと……死体にはいい思い出が無くて」
「いや、大丈夫だよ。俺も初めて見て正直ビビってる」
「死体なんてだしたくなかったんだけど……」

 セシリアは悔しそうに目を細める。

「……でもしょうがないわ。あれだけ張り切ってたんだから強いものと思ってたけど……まさかこんなことになるなんて。マンティコアにやられたのね。ということは近くにいるのかしら」
「でも血が乾いてる。やられたとしたら昨夜辺りかも」
「…………」

 死亡率25%。誰も死なないなんてことは無いとは思っていた。でも、俺さえもっと早く見つけてマンティコアを倒していれば……。

「早く倒していればなんて無駄な考えよ」
「え?」

 セシリアの声に、俺は振り返る。

「冒険者になるために危険な試験を受けに来た。死んだのはショックだけど、できもしないのに自分のせいにしてたら持たないわよ」
「でも――」
「これは私のせい。この中で一番強い私がさっさと倒さなかったから犠牲者が出た。それだけ」
「セシリア……」
「切り替えるしかないわ。少なくともマンティコアはガイを殺した。血痕が残っているのなら場所を割り出せるかもしれない」
「……そうだね」

 そうだ、死者が出ることはわかっていたことだ。
 気を取り直して俺はマンティコアを倒すことだけを考えよう。

 俺はガイの死体に近づく。
 死体を見るのは初めてだな……。その表情は、思ったよりも穏やかだった。

「死因はなんだ……」

 身体を見ると、無数の切り傷がある。爪か?
 だが、どれも傷跡としては細い。もし爪なんかで切り裂かれたとしたらもっと肉が飛び出したり……とにかく惨いことになってるんじゃないだろうか。

 それに、嚙みつかれたような跡もない。

 マンティコア……なのか……?

 というか、この魔力反応――――。

 嫌な予感が、俺の脳裏をよぎる。

「マンティコアって魔術使うのかな」
「上位の魔物なら使う種もいるみたいだけど、マンティコアは聞いたことないわね」
「…………」

 やはり何かおかしい、この死体は。
 マンティコアに襲われたにしては"綺麗すぎる"ような……。

『マンティコアに襲われて四肢が繋がっているなんて確かにおかしいわね。傷も浅い』
「ちょっと周りを見てみるか」

 俺は少しこの死体の周りを見てみることにした。

 もしマンティコアに襲われたのなら、爪や身体に付着した血がマンティコアの移動先に向かって残っているんじゃないかと思われたが、死体の周り以外に血の付いた場所は見当たらなかった。

 ガイの体中の切り傷は浅く、一つ一つは致命傷ではない。

 それにさっきから感じるこの魔力反応……。
 きっとこの場で俺にしか感知できない魔術の残滓。
 恐らく風属性……ガイの最後の抵抗で出した魔術の痕跡か? でも、ガイには防御した様子がない。証拠にガイの身体の傷以外、木や地面に破壊の跡がない。ということは風魔術を使ったのは、ガイに傷を負わせた方か……。

「これは……」

 よく見るとガイの両手足、喉に深めの傷がある。

『喉と腱が切られてるね』

 喉と腱……抵抗も出来なかったのか。
 ガイは腰に剣をぶら下げていた。恐らく先生と同じ魔剣士だ。剣での反撃も封じられたか……用意周到だ。

 不意を突かれたな。
 寝込みを襲われたか……それとも、油断している隙に先手を打ったか。どのみちガイの反撃を許す前にすべてを終えられたみたいだ。

 嫌な予感が当たってしまったようだ。
 これだけ証拠が揃えば答えは一つしかない。

「――これ、マンティコアじゃないぞ」
「え?」

 セシリアが不思議そうな顔で俺を見る。

「何言ってるのよ。マンティコアじゃないなら一体何にやられたの? さすがにライガや角兎のような低級な魔物にやられるようなら一次試験なんて突破出来ないわよ」
「マンティコアにやられたにしては死体は綺麗だ。マンティコアの爪でつけられたような傷には見えない」
「確かにそう見えなくもないけど……」
「それに、ガイに反撃した様子はないけど、風魔術の反応がある。この傷は風魔術だよ」
「えっ、魔力の反応が読み取れるの!?」
「うん、まあ特技みたいなものだよ」

 セシリアは徐々に顔をしかめていく。

「……風魔術による傷、抵抗させる間もなく喉と腱を切る周到さ……ということは、相手は魔物じゃなくて――――多分、人間だ。人間に殺されたんだ」
「なっ……冗談でしょ……!?」

 確かに信じたくはない。だが、その可能性が高すぎる。
 この死亡現場がそれを物語っていた。魔物の仕業ではないと。

「だとしたら、ウッドワンが……?」
「どうだろう……話した感じあの人は人が死ぬことを嘆いていたし……」
「でも、可能性としてはもうそれしかないでしょ」
「もしかすると、マンティコア以外に冒険者受験者を襲う試験官が居るのかもしれない」
「受験者を殺してでも邪魔をする試験官?」
「もしかしたら、だけどね。第五の人間がいるか、あのウッドワンが犯人か……今のところは五分だよ」
「そうね……冒険者試験は死ぬことがあると契約させられる。試験として人間から襲われても対処できるという裏項目があったとしてもおかしくはないわ」
「うん」

 厄介なことになってきた。
 まさか二次試験で殺人なんて……。

「……ここから先は二人で行動した方がいいと思うんだけど、どう?」

 するとセシリアははぁっと溜息をつく。

「…………そうね。あなたにまで死なれたら困るし。二人なら安全でしょ」
「うん」

 こうして俺たちは二人でマンティコアを追うことにした。

 恐らくどこかにウッドワンか第五の人間が居る。
 もしかするとガイの死体現場からそう遠くない場所で監視し、俺達を付けているかもしれない。

 とにかく急がないと。
 先にマンティコアを見つけて、この試験を終わらせる。

 二次試験……厄介なことになってきたな。
 俺たちは互いの情報を共有し合い、マンティコアの居場所を捜索する。

 広大な迷宮ではあったが、六割近くは探索が完了したころで、ようやく俺達はマンティコアの痕跡を発見した。

 食事をしたであろう跡と、足跡。
 そしてその足跡は近くの洞穴へと続いていた。

 今回こそは紛れもなくマンティコアのものだ。

「よかった、この様子だとウッドワンに先を越されている訳じゃないみたいね」
「そうだね」
「ここまで来たからには協力して狩りましょう。私が戦っている間にあなたが殺人犯に殺されたら元も子もないわ。近くにいてくれた方が守れるもの」
「またそうやって俺を……」
「いいから。最低限準備が整ったら挑みましょう」
「はぁ……まあそれでいいよ」

 こうして俺たちはマンティコアとの戦いに向けて準備を整えることに。

 軽く昼食を取り、戦闘に向けて集中力を高める。

 実際、自信はあるしカスミも倒せると太鼓判を押してくれているが、マンティコアのような大物を倒した経験は俺にはない。

 魔術の破壊という俺の最大の技が通じない、純粋な力の相手。どこまで俺の剣技が通用するのか……少しわくわくする。

『いい傾向ね』

 そうかな。

『私の歴代の所有者も、こうして一つ一つ階段を昇って行ったのよ。ホロウならできる! 頑張りましょ!』

 あぁ……!

 そうして準備が完了したころ。
 セシリアが立ち上がる。

「――さて、準備はいい?」
「うん。いつでも行けるよ」
「私のそばを離れないでね。絶対守るから」
「いいってもう……」
「命は大事に――――」

「こ、ここにいたのか!」

 俺たちは突然の声に振り返る。

 そこには、茶髪の青年が体中から血を流して苦しそうに立っていた。

「ウ、ウッドワン!?」
「どうしたのよその怪我……!」
「マンティコアを探索していたら……突然襲われて……ッ」

 ウッドワンは顔を歪め、苦しそうに地面に座り込む。

 それにセシリアが駆け寄る。

「だ、大丈夫!?」
「あ、あぁ……見た目ほどは、酷くない。風魔術で切り裂かれたんだ……」
「風……」

 となると、ガイと同じ……。
 確かに、傷の様子はガイの身体にあったものと同じに見える。

 だが、この魔力反応……。

「突然襲われて……あれは魔物じゃなかった……!」
「ということは、あなたが犯人だった訳じゃないのね」
「は、犯人って……?」

 ウッドワンは不思議そうに言う。

「ガイの奴もやられたのよ。同じようにね。そして……死んだわ」
「なっ!? 冗談だろ……!?」

 ウッドワンは身を乗り出して驚く。
 その拍子に傷が擦れ、痛そうに顔をしかめる。

「くそっ……だ、だから協力しようと言ったのに……!」

 ウッドワンは悔しそうに拳を握る。

「誰も死なせたくなかったのに……。私がもっと協力を強くお願いしていれば……」
「……しょうがないわ。冒険者になろうっていうんだから人の言う事を黙って聞くような連中じゃないわよ。助けたかったら、自分の力で何とかするしかない」
「……その通りだな……結果自分もこうやってやられてるんだ、世話ないな……」
「それより、手当てが必要よ。ホロウ、ちょっと洞穴の様子見ててくれる? 私はウッドワンを軽く治療するわ」
「す、すまない……」
「…………わかったよ。でも気を付けて」
「? ええ、あなたもね」

 セシリアはそう言ってウッドワンを連れて近くの水のある場所まで向かっていった。

◇ ◇ ◇

「大丈夫?」
「あぁ……すまない」

 セシリアはウッドワンを水辺に連れてくると、傷口を水で洗い流す。

「いてて」
「風魔術による裂傷ね。不意打ちされたの?」
「あぁ。マンティコアを追って探索してた時に、後ろからね。死に物狂いで逃げてきたよ……」

 ウッドワンは悔しそうにつぶやく。

 傷の感じからして、ウッドワンをやった魔術とガイを殺した魔術は同一だろう。セシリアもそれは見てすぐにわかった。

 ――ウッドワンが犯人ではないか。

 セシリアは、試験官とウッドワン。その可能性は五分だとは言いつつずっとそんな考えを持っていた。しかし、目の前には傷だらけのウッドワンが現れた。

 ということは、残された可能性は試験官しかない。
 だが、目の前にはマンティコアの住処がある。上手くいけばこの後すぐマンティコアを倒すことができる。そうすれば試験も終わり、これ以上の犠牲者が出ることもないだろう。

 セシリアは長い間一人で生きてきた。
 五歳の頃に両親は目の前で殺された。その男は魔術師だった。巨大な背丈ほどの奇妙な剣を持ち、旅の途中だと立ち寄ったセシリアの家で凶行に及んだ。

 幼かったセシリアには何故そんなことが起こったのか知る由もなかったが、その心には深い復讐心だけが芽生えた。

 その後、セシリアは教会の孤児院で育てられた。冒険者を志したのも、その教会の教え、そして両親を殺した男を見つけるのに一番の近道だと思ったからだった。

 両親のように人が死ぬところを見たくない。だからこそ、相手を遠ざけ必要以上の接触は避けようとした。根が優しいセシリアは、一度関わってしまうと尽くしてしまうと自分が良くわかっていたからだった。その感情は復讐の妨げになる。

 だが結局、こうしてウッドワンの治療をしている。
 こんなもの放っておいて、ホロウなど放置して、殺人何て気にしないでさっさとマンティコアを一人で倒してしまえば冒険者になれるのに。

 それが、セシリアという少女だった。

 ――だが、その捨てきれない優しさが両親と同じ道を辿らせようとしていた。

「最低限傷口は止血したから、後は適当に布を……」
「本当……何と感謝すればよいか」
「そんな別に、怪我したままだと邪魔だからそうしただけで――」
「感謝しかありませんよ。……わざわざ二人きりになってくれたんですから……!!」
「えっ――――」

 ウッドワンの掲げた両手から、魔法陣が展開された。

 ――しまった。

 気付いた時には遅かった。
 後ろを向いていたセシリアへ向けられた魔法陣。

 反撃するにも、もう反応できる速度ではない。

 ウッドワンは今までの紳士的な笑顔からは考えられない程の下衆な笑みを浮かべていた。

 セシリアは僅かに察していた。傷は殆どが擦り傷程度だったし、ウッドワンの身体の前面には傷が多いが、背中には殆ど傷はなかった。

 相手に気付かないうちにやられたのなら背後を撃たれるはず。しかし、傷は前面に集中している。

 考えられるのは、"自分で自分に"魔術を撃ち、偽装したという可能性。

 セシリアはその疑いよりも、傷を治したいという感情が勝ってしまった。

 そしてそれは、ウッドワンにとって最も好物と言える感情だった。
 完全に油断し心を許している人間、夢を持って希望に満ちた人間――そういった人種をただ一欠けらの悪意で殺すことに最上級の喜びを感じていた。

「ご馳走様」
「――――」

 魔術の反応が走る。

 セシリアは咄嗟に目を瞑る。風属性魔術は最速の魔術と言われる。後だしで勝てる属性はない。目を瞑る行為は、セシリアの身体がとった最大限の反応だった。

「――――」
「――――――」
「――――――――?」

 しかし、風魔術はセシリアの肌を切り裂かない。
 代わりに、何かが走り抜ける風が吹いた。

「今……何をした……?」

 ウッドワンの困惑した声が聞こえる。

「斬った」

 次いで、居るはずのない少年の声。

 セシリアは恐る恐る目を開ける。
 するとそこには、刀を携えたホロウが立っていた。
 
 俺は急いでセシリアの後を追う。あの魔力……やはり放置できない。

 たどり着いた水場で目に飛び込んだのは、セシリアの背を狙い魔術を発動しようとするウッドワンの姿だった。

 やっぱり……!

 と、思った瞬間には俺の身体は動いていた。

 加速。一足で一気に駆け抜け、ウッドワンが発動させた魔術を無造作に切り捨てる。

 魔術を斬るときの独特な感覚が、指先に伝わる。

「!?」

 発動したはずの魔術が目の前でかき消え、ウッドワンの目が見開かれる。

「今……何をした……?」
「斬った」
「ホ、ホロウ……!」
「危なかったね、セシリア」

 セシリアは慌てて立ち上がる。
 自分が危なかったことは理解しているようだ。

「斬った? 世迷言を。それにしても……よく助けに来たね。気付いていたのかな」
「まあね。身体からあふれ出てたよ、ガイの周りにあった魔力反応と同じものが」
「何……? まったく、常識がないのかそれとも適当言っているのか。魔術は斬れないし、魔力何てそう簡単に探知できる物じゃないぞ? まあ、あの高価な探知機を個人で所有しているなら別だが」

 そう言ってウッドワンはゆらりと体勢を立て直し、俺の方を見る。

「ウッドワン……。あんたは人が死ぬのが嫌だと言っていたと思ったんだけど」
「はは、そんなの嘘に決まってるじゃないか」

 ウッドワンは言い切る。

「言ったろ? 僕は二次試験は五回目……。過去の試験でなんども死者が出たと言ったろ? もちろん、僕が殺したのさ。あの金髪のガキ同様ね」
「……何がしたいんだ」
「何がしたい? わからないのか?」

 ウッドワンは困惑した表情を浮かべる。

「楽しいからに決まってるじゃないか! 冒険者? そんなもの興味はない。冒険者試験は受験者しかいない閉鎖空間。しかも死者は試験での死者と判断される。僕の殺しは露見しないんだ。こんな楽しいことないだろ?」
「お前……」
「そう眉間に皺を寄せるな。殺しを楽しめないのは損だぞ? 油断しきった獲物を背後から切り刻むのは心地が良い……。冒険者で魔物を討伐しているだけじゃ得られない快感を得られる! この試験は半年に一回の僕の狩場だ。まあ、さすがに五回も僕が連続で生き残るのも疑われそうだから今回は傷を付けて帰ろうと思ったわけさ。結構利口だろう?」

 ウッドワンは楽しそうに笑う。

 何が面白いんだ、こいつは。
 吐き気がする。

 まだ俺を家畜呼ばわりしていたあの家の人間の方が、まだ理解できる。

「俺には理解できない。あんたはただのクズだ。人殺しが楽しい? ふざけるな。俺はあんたみたいな人間を許せない」
「意外と正義漢だったかな?」
「正義とかそう言う話じゃない。当たり前のことだ」
「はは、面白いね君。弱いくせに一丁前に語るのは滑稽だよ。……何で僕がべらべらと話したか分かるかい? もちろん君たちを生かしては帰さないからさ」

 そう言い、ウッドワンは両手を構える。

 戦うしかない。生き残るには。
 それに、悪人を見逃すことはできない。

「かかってこい。剣士として相手してやる」
「はは、カッコいいねえ」
「ホロウ、私も――」

 セシリアが言葉を発するのを俺は制する。

 セシリアは俺の目を見て何かを察したのか、大人しく頷き一歩下がる。

「へえ、ホロウ君。君だけかい? いいのかな、僕は多くの魔術師を殺してきた言わば"魔術師殺し"さ。一人で平気かい?」
「あぁ。随分と自分が他の人間より上位にいると勘違いしてるみたいだけどさ。俺はそう言う奴が大嫌いなんだ。それに、俺は"魔術師"じゃない。そんな大層な自称、無意味だよ。俺はこの刀で、お前を倒す」
「ははは! 魔術師じゃない!? 刀!? はは、笑わせる。いいだろう、まずは君を切り刻もう。その後はそっちの女だ。男は切り裂く肉質が良く、女の悲鳴は心地よい。フルコースといこう」

 ウッドワンは構える。

 完全に俺を見くびっている。
 魔物に比べれば、魔術師など俺の敵じゃない……!

「こい、ウッドワン。正面からぶった斬ってやる」
「後悔しても遅い。冒険者になろうなどと舞い上がった自分を恨むんだな」

 ウッドワンの身体の前に魔法陣が展開される。

 そこから放たれるのは、風属性魔術。

「"風太刀"! そのナマクラ刀で何ができる!!」

 見えない風の斬撃が俺目掛けて放たれる。

 本来なら風による見えない速攻攻撃。しかし、俺にはこの"感覚"がある。

 俺はその斬撃を軽く避けて見せる。

「ちっ、運のいい奴だ。身体能力はそれなりか……! だが、これなら避けれまい!」

 展開された魔法陣から、風の塊が一気に押し寄せる。
 風圧での広範囲制圧。

「木に叩きつける! 圧殺だ!!」

 歓喜の声を上げるウッドワン。
 しかし。

 俺は刀を魔術に差し込む。
 右斜め上から左斜め下へ。

 風の塊はフワッと渦を巻くと、まるで何もなかったかのように消え去る。

「――――はっ?」

 ウッドワンは目の前で起こった現象が理解できず、唖然とした表情を浮かべる。
 ポカンとした顔は、なんとも阿呆らしい。

「今何……何が……? 僕の魔術が……消えた?」
「斬った」
「は、ははは……何が斬っただ! そんなこと出来る訳ないだろ!」
「出来るよ。もっと撃って来たら?」

 俺は刀をふっふっと素振りし、挑発して見せる。

「……いいだろう。僕は常に上位者なんだ、僕の魔術を止めることなど出来ない!!!」

 複数展開された魔法陣から、複数の風の刃、そして風の塊が一斉に射出される。

 俺は一歩も下がらず、むしろゆっくりとウッドワンに近づきながら魔術を破壊していく。

「なっ……!! くそ、くそ!! 止まれ……!」

 次々と魔術を連発するウッドワン。しかし、無駄な抵抗だった。

 魔術は俺にとって、なんら障害にならない。

 何発もの魔術を放ち、ウッドワンの息が上がる。
 徐々に近づく俺に恐怖心を抱き、その表情はどんどん歪んでいく。

「な、なんなんだ!! 君は一体――」

 最後の風を切断し、俺はウッドワンの間合いに入る。

 ウッドワンは尻もちを付き、地面に這いつくばりながらわなわなと震えだす。
 自分の死の予感に、身体が反応しているのだ。

「な、なんだっていうんだ……くそっくそっ……! 魔術を斬るなんて……そ、そんなの魔術師に勝ち目何て……!!」
「終わりだ」
「くそ、こんなの……魔術の天敵じゃないか……! き、君は……魔断の剣士とでも――――」

 俺は最後の言葉を聞かず、その刀を振り下ろす。

 ゴンッ!!

 と鈍い音がして、ウッドワンは白目をむいてその場に倒れこむ。

 まだ今までの罪を償わせていない。
 ギルドに生きて渡す必要がある。そう自分に言い聞かせて。
「凄いわね……まさか剣術だけで……」

 セシリアは倒れているウッドワンを見ながら言う。

「まあ、俺にはこれしかないからね。魔術が使えない分、剣術だけは負けないよ」
「負けないよって……普通は剣なんかで魔術には打ち勝てないんだけど……。というか魔術を斬ってなかった? 今のが魔剣の力なのかしら」
「いや、魔剣の力はまだ引き出せてないんだ。魔術を斬るのは……なんというか俺の特異体質ってやつ」

 セシリアはポカンと口を開け唖然とした表情を浮かべる。

「――はぁ。魔術を斬る……ウッドワンが言った魔断の剣士というのもしっくりくるわね。……まあいいわ。正直魔剣がある時点でもう規格外みたいなものだし。理解の範囲外すぎて考えるだけ無駄ね」
「そんなにかなあ」
「そんなによ。魔剣にしてもその体質にしても、自分の希少性を理解した方がいいわ。……とりあえず謝るわ。勝手に私が守るべきだって考えて結局助けられちゃった」
「い、いや別に気にしてないよ。むしろ助けられてよかった」

 人が殺されるところなんて見たくない。

「――で、ウッドワンはどうする? 殺しておく?」
「こ、殺す!?」

 セシリアはキョトンした顔をする。

「え、だって人殺しよ? そのまま生かしていると私達が危ないと思うけど……。立派な自衛行為よ」
「そ、そうだけど……。……とりあえず拘束してギルドに突き出すのがいいんじゃないかな……と思うけど」
「そう。まあホロウに任せるわ。倒したのはホロウだし」

 こ、怖いなこの子……。言ってることは分からなくないけど……。

『まあ、昔なら普通に殺したけどね。最終的に殺さなきゃいけないっていう場面はいずれ来るわ』

 ……でも今は必要ないと思うよ。

『その優しさはホロウの良いところだけどね』

「……それよりもマンティコアに集中しないと。とりあえずウッドワンは縛り上げておこう」

 俺たちはウッドワンを拘束し、木に縛り付ける。
 峰打ちをくらって気絶しているウッドワンは目覚める気配はまだない。

「さて、じゃあマンティコア討伐を始めま――――」

「グルオオオオオアアアアアアアア!!!!」

「「!?」」

 激しい咆哮が背後より響き渡る。

「な――――」

 ドシン!! 

 地面が揺れる。

 強風が吹き抜け、砂埃が舞う。
 俺達は慌てて顔を覆う。

 目の前に降り立った巨大な魔物。

 全長は三メートル程だろうか、四足歩行の獣。 
 鋭い牙と爪。毒を持った尻尾。その顔は憎しみに満ちたよう獅子にも見える。

 こいつは……。

「マンティコア!」
「さっきの騒ぎで目覚めたのね……」

 セシリアの額に汗が垂れる。

「近づかれ過ぎた……ここでやるしかない!」
「くっ……もっと準備したかったのだけど……ッ!」

 俺は刀を構え、セシリアは後方で杖を構える。

「グォオオオオアオアアアアアアア!!」
「いくぞ……カスミ!」
『ええ、見せてやりましょう!』

 俺は一気にマンティコアへと詰め寄る。

 先手必勝……! 剣豪たちとの空想での斬り合いを思い出せ……!
 魔術を消すだけの魔術師の戦いとは違う、一撃が致命傷になる魔物との戦いだ……!

「ふ……ッ!」

 俺は手始めに刀を振り上げると、全力でマンティコアの顔へ向けて振り下ろす。

「グァアア!!」

 無造作に振り上げたマンティコアの爪と俺の刀が、キンッ!! と激しい音を立てぶつかり合う。

「!」

 硬い……! カスミで切断できないなんて……!

「! グゥゥ……グアアアア!!!」

 マンティコアも爪が受け止められたのは予想外だったのか、力を入れて俺の刀を押し返してくる。

 なんて力……! これが《《本物》》の魔物……! だが!

「霞流剣術――"三閃"ッ!」

 霞流剣術。
 カスミが俺に教えてくれた、剣豪たちの剣技。

 三閃は高速で繰り出す三連の斬撃。

 その高速の剣技はあたかも三本の刀で切り裂いたかのような錯覚を覚えるほどの高速の連撃だ。

 激しく響く甲高い音。

 俺の奥義に耐え切れず、マンティコアの爪は一撃目で揺れ、二撃目でひび割れ、そして三撃目で、その中ほどからパックリと割れた。

「グゥァア!!」

 マンティコアの悲鳴が響く。

 マンティコアは俺を脅威と認定したのか、俺との押し合いを止め後方へと飛びのく。

 その最中尻尾での突き刺しを繰り出してくるが、俺はそれを軽くいなす。

「す、すごい……マンティコア相手に優位に戦えてるなんて……!」
「落ち着いて、ここからだよ。長期戦は分が悪い。一気に畳みかけよう!」
「! ええ、後ろは任せて! サポートする!」

「グォオオオオアオアアアアアアア!!!!」
 後方から、セシリアのサポート魔術が飛び交う。
 セシリアの魔術の反応を読み取って、前衛の俺はそれを織り込み済みで攻撃を組み立てる。

「すごい……戦いやすい……!」

 セシリアは感動しながら俺と息を合わせる。

 突貫的なパーティだが、俺の特性がパーティ戦闘の連携を可能にしていた。

 しかし、魔術を使えない俺にとって軽々と距離を取るマンティコアの機動力は厄介で、最後の決め手に欠けていた。セシリアの魔術も、お世辞にもマンティコアに致命傷を与えられるような代物じゃない。

 だが一方で、マンティコアの攻撃も俺には効かない。
 魔術ではない攻撃だが、俺の動体視力ならマンティコアの攻撃など避け、刀で受け止めるのはたやすい。幻影の剣豪たちの剣に比べれば簡単なものだ。

 爪と刀、牙と刀。
 その二つが激しく何度もぶつかり合い、火花が散る。

「ふッ……!!」
「ガァぁぁぁ!!」

 マンティコアの咆哮に負けじと、俺も力を入れる。

 とはいえ……間違いなく、今まで戦った中で最強の相手……!

 思わず顔がにやける。身体が震えるのを感じる。
 いつかカスミが言っていた、武者震いって奴だろう。

 生と死の狭間。一つ間違えばあの鋭い爪が俺の肉体を抉り取る。

 その局面に置かれ、俺の中の何かが目覚めようとしていた。

『はは、剣豪らしくなってきた……! やろう、ホロウ!』

 カスミの嬉しそうな声に、俺は頷く。
 目覚める俺の中の血。相手が魔物だということが俺の中の血を目覚めさせる。

 1秒でも長く、俺はこの戦いを続けたい。

 その思いが、俺にとどめでは無く様々な攻撃を繰り出させ、有意義な実践訓練となっていた。

「まだまだあ!!」

 俺はあえて刀を馬鹿正直に脳天へ振り下ろす。

 しかし、さすがに慣れてきたマンティコアはそれを器用に躱す。

「さすがに……!」
『でもいけるわよ、ホロウ。そろそろ一気に畳み掛けましょ』
「あぁ!」

 あの技で決める。
 初の大物、マンティコア。いい訓練になったよ。

 後方でセシリアの魔術が発動する反応を感じ取る。
 いいタイミングだ。これに合わせる……!

「いくぞ!」
「グウオオアアアアア!」

 マンティコアも俺の剣の威力に危機感を感じ取ったか、攻勢に出る。
 マンティコアは一気に跳躍し、瞬く間に俺との距離を縮める。

 あんぐりと広げた口で、俺に襲い掛かる。

 ――が、一瞬。
 後方より現れた高速の水の砲撃。

 セシリアの放った水属性魔術が、マンティコアの顔面を目掛けて飛翔する。

 いい威力! だが、これじゃあ倒せない。
 利用させてもらう!

 マンティコアは水魔術に注意を向けている。
 というより、巨大な水の球は俺を綺麗さっぱり包み隠しているのだ。

 ここしかない……!

 俺はその水の球を、一刀両断する。
 水を突き破ると、その中から一気にマンティコアへ詰め寄る。

「グァ――!?」

 突然攻撃魔術の中から現れた俺に、マンティコアは一瞬身体を仰け反らせる。

 今ッ!

「はッ!!」

 俺は上段から垂直に、ただ愚直にマンティコアへ向けて刀を振り下ろす。

 マンティコアはそれを――――体勢を崩しながらもギリギリのところで避けてみせた。

 さすがはマンティコア。
 そうでなくちゃ。

 ここからが、俺の奥義――!

 俺はその高速で振り下ろした刀を地面スレスレで強引に切り返す。
 手首に掛かる重圧を押しのけ、振り下ろした時よりもはやい速度で、そのまま上に振り抜く。


「――――霞流剣術"朧三日月"」


 俺の刀は、マンティコアの顔面を顎下から脳天まで一気に駆け抜け、パックリと真っ二つに引き裂く。

 意識外からの攻撃。不意の一撃。
 霞んだ薄い三日月の様な軌跡を描く、不可視の剣撃。

 今まで俺の刀を塞いできた爪や牙、皮膚による防御は間に合わない。

 その威力は、通常の攻撃の比ではない。

 マンティコアは断末魔の叫びを上げる間も無く絶命し、ドシンと音を立てて地面に平伏す。

 土煙がまい、さっきまで騒がしかった森に静寂が訪れる。

「――ふぅ」

 カチン。

 俺は刀を鞘へとしまう。

「ホロウ……!」

 驚いた様子でセシリアが駆け寄ってくる。

「すごい剣術だったわ……文句ない勝利よ!」
「はは、ありがと。サポート助かったよ」
「いや、私なんてあんまり活躍できなかった、悔しいけれど」

 セシリアは唇を尖らせる。

「いやいや、そんなことないよ。戦闘中俺が攻撃にだけ専念していられたのはセシリアのサポートがあったからだよ。ありがとな」

 するとセシリアは少し顔を赤くし、恥ずかしそうにプイッとそっぽを向く。

「べ、別に褒めても何もないわよ。――とにかく、やったわね」
「うん。いろいろあったけど……これで試験達成だ!」


 ――冒険者試験、二次試験。マンティコア討伐完了。
 マンティコアを討伐した証として、牙と爪などを収集する。
 そのまま気絶したウッドワンを抱えて迷宮の入り口へと戻る。

 試験予定は後一日残っているが、俺たちは早めに終わったこともあってそのまま外に出る。

 長いようで短かかった二次試験。

 人が死ぬという最悪の展開だったが……俺はきっとやれることはできたはずだ。セシリアだけでも救えたんだ、そう思いたい。もっと出来たかもしれないというシコリみたいなものはあるが、それを抱えて進むしかない。だって俺は最強を目指してるんだから。

「お疲れ様です! ホロウ君、セシリアさん」

 外に出てギルドへと戻ると、キルルカが俺たちを出迎える。
 試験前の格式ばった喋り方は消えていた。

「まさか予定より一日早く終わるなんて、さすがですね!」
「あはは、ありがとう」

 すると、キルルカは俺が抱えている人物へと視線を移す。

「――そちらは……ウッドワンさんですね?」
「……はい」

 俺はまだ眠るウッドワンを地面に転がす。

「こいつは中で……人を殺した。殺人犯だ」
「それは……」

 キルルカは眉をひそめる。

「こいつは……連続殺人犯だ。殺してもよかったけど……俺にはできなかったよ。ギルド側で何とかしてほしい」
「優しいですね。わかりました、ウッドワンの身柄はこちらで預かるわ。今回は犠牲者が1人だったようで、安心したわ」
「はい――って、え? 今回は……?」

 キルルカの言葉に、俺は一瞬引っかかる。

 今回は……って言ったか……?
 まさか……。

「前回は参加者全員だったからね」

 キルルカは少し悲しそうに言う。

「え、てことは……知ってたのか……? こいつが、人殺しだって……?」

 キルルカは俺の方を見るとニコリと笑う。

「もちろん知ってましたよ。試験中に殺すなんて大胆な真似、バレないわけないじゃない。でも、証拠があるわけでもないから裁けない。証拠がない人間を勝手に私たちが拒むことはできないからね、状況証拠だけじゃだめなのよ。でも、ホロウ君ならやれると思ってたよ! 一次試験凄かったからね、期待通りの結果で嬉しい限りね」

 と、キルルカは嬉しそうにこちらを見る。

「な、何言ってるんだ……! それならウッドワンの試験資格を剥奪するとか、もっとあったでしょ!? 人が死んだんですよ!?」

 しかし、キルルカはキョトンとした顔のままだ。

「だから、証拠はないの。怪しいってだけでね。でも、そもそも魔物に殺されても悪徳な冒険者に殺されても一緒でしょ? ちゃんと契約書にサインしたでしょ、死んでもいいって」
「そ、そうですけど……」
「同じグループ内で仲間同士どう対応するかも試験の一環なの。個人技が凄いでもいいけど、多くの人は冒険者同士、信頼できるか見極めながら協力するのが一般的だからね。人が任務で死なない為には必要な資質よ」
「そ、そうかもしれないですけど……それでも、わざわざわかっていた危険人物を入れなくても……」
「優しいわね。……いい、ホロウ君。なんのためのグループ試験だと思った? ただ魔物との力を試すなら、一次試験で十分だったでしょ? 二次試験は総合的な冒険者の資質の試験試験なの」

 冒険者の資質……。

「冒険者同士の戦いは意外と日常茶飯事なの。これは私たちの目が届かない任務先でも同じこと。いつ何があるかわからないのが冒険者なの。責任の所在、戦果の比重、原因はいろいろとあるけれど。皆あなたみたいに善良と言うわけじゃないから……。犯罪すれすれのことをする人も少なくない。それでも実力があって、結果として多くの民間人を救うことができれば英雄となれるのが冒険者」
「そんな……」
「理想を言ってるんじゃないわ、そりゃ何もない方が理想的だけれど、現実的に力だけがある酷い人間が多いのも事実。そこの見極めが出来な人は冒険者になるべきじゃない。わざわざグループの試験にしたのはそう言う適性を見るためのものよ。冒険者は集団で任務をこなすことも多いわ。パーティメンバーとして相応しい人間かを見極めるっていうのはかなり重要よ。その人が本当に信頼できるか、見極められなければ寝首をかかれる。そういう世界。もちろんバレたら捕まるし、逃げれば殺人犯として賞金首。でも、魔術というのは証拠すら隠蔽してしまうから、任務先での殺人は明るみにならないの。――だがら、この試験で死んだのは自分にとって利益のある人間を見極められなかった彼の実力不足。これが冒険者、いまさら怖気づいたなら辞めてもいいわよ?」

 淡々と冒険者の現実を語るキルルカ。

 俺は……甘かったのだろうか。
 人を信頼することはいいことだろう? けど、ウッドワンのようにそれに漬け込むやつもいる。それを知れたのは確かに俺にとって良いことになったけど……。

「……それでも、俺は誰も死なせたくない。冒険者になっても、もし仲間が裏切っても」
「そう。冒険者として正解はないわ。あなたがその道を進みたいなら止めはしないわよ」

 冒険者を長く見てきて、その結論から言っているキルルカさん。
 試験に殺人犯を入れてでも冒険者としての資質を見ることを優先した。感覚としては魔物に殺されて失格しても、仲間に殺されて失格しても、結果としては同じという事なんだろう。

 そしてきっとそれは、実際に起こっていることなんだ。それでも、俺は……。

 眉間に皺をよせ考える俺に、キルルカさんはフフっと微笑む。

「まあ、ホロウ君は優しいからね。その優しさで救われた人もいるでしょ」

 キルルカさんはセシリアを見る。

「――頑張ってね、ホロウ君。実際にこの試験を突破したのは君自身の力よ。冒険者としての資格はあるわ。どんな冒険者になるか……楽しみね。君が強くなって皆を導けるような冒険者になればきっとそんな現実も変わるはず。その魔術を斬れる力でね」
「俺の力で……」

 そうして俺とキルルカの話し合いは終わった。

 仕組まれた……というのは言い過ぎだが、それでもウッドワンの行為を容認して冒険者試験を続けていた冒険者ギルド。それだけ過酷で選ばれた人しかなれないのはわかってたけど。俺は、できれば人同士によって誰かが死ぬことがないような、そんな……誰も家畜にならなくて済む世界を作りたい。

 そのためには――

「結局俺が強くなれば済む話、か」
『そうね、ホロウならできるよ、私はそう信じてる!』
「うん、頑張ろう……!」
 波乱の二次試験が終わり、俺とセシリアは晴れて冒険者に合格することが出来た。
 苦い終わりだったが、これからの俺の生き方、戦い方を考える意味でも大きな出来事だった。

「――それじゃあ。改めておめでとう、ホロウ君!」

 キルルカさんは嬉しそうに俺の方を見て、パチパチと拍手する。

「あ、ありがとうございます」
「何照れてんのよ」

 隣のカスミが呆れ気味に溜息をつく。

「うんうん、一次試験の時はどうなることかと思ったけど、君の実力がよ~~くわかったわ。それじゃあこれが君の冒険者タグ。なくさない様にね」

 スッと差し出されたのは、白色の冒険者タグだ。
 あまり高価な物には見えないが、薄っすらと魔力の反応を感じる。

「魔術が付与されていてある程度の強度はあるけど、雑に扱うと壊れちゃうから気を付けてね。紛失、破損などでの再発行や修理はそこそこ値が張るから気を付けて」
「気を付けます」

 俺はそれを首からぶら下げ、そっと服の中にしまう。

「それじゃあ、冒険者について説明するわ。知ってるかもしれないけど一応ね。冒険者は基本的にギルドが仲介した様々な人からの依頼を受けて、それが達成できればお金をもらう。シンプルな仕事ね」

 俺が想像していた通りの冒険者像だ。

「試験でもあったように、依頼の多くは魔物の討伐よ。一般人の手に負えない魔物の討伐、魔物の蔓延る迷宮での採掘、護衛……基本的に戦うことがメインになるわ。試験は少し厳し目だったけれど、それくらいじゃないと駆け出し冒険者の死者が増えすぎて依頼達成率が低下して冒険者の信用はガタ落ちしてしまうし、一部の優秀な冒険者たちだけが利益を得る歪な構造になってしまうからね。ある程度の足切りは必要なのよ」
「なるほど。言わんとしてることはわかります」
「それでも、魔物と対峙してすぐに亡くなってしまう駆け出し冒険者は多いんだけどね……。試験と実戦って全然違うから。……まあ、ホロウ君は大丈夫でしょう! じゃあ次は――」 

 キルルカさんはボードを取り出す。
 そこには、何やら見慣れない図が書かれていた。

「これ。まず一番左、ここが君の等級。白等級冒険者ね。そして実績が増えていくと、赤、蒼、紫、虹、銀、金、白金……っという感じで上がっていくわ」

 確かカレンさん達が蒼階級……俺より二つ上って訳か。

「新人は一番下からのスタートだから、君は"白"ね。白でも、各都市の通行料の免除だったり、各種施設の利用は他の階級と同じだから安心してね」
「すごいですね」
「ふふ、教会が後ろ盾だから権限が強いのよ」
「なるほど」

 キルルカは再度ボードに視線を移す。

「――で、説明の続きね。基本的に昇級には試験はなくて、実績に依存するんだけど、蒼から紫に上がる時だけ昇級試験があるから気を付けて。君たち冒険者が現実的に目指すべき到達点はこの紫階級よ。紫になると周りからの認知度は爆上がりするわ」
「到達点ってことは、それより上は?」
「そこから上は選ばれし冒険者たちね。虹は大陸でもそう多くはないわ。この階級から冒険者には二つ名が与えられるの」

 ガイとかセシリアが言ってたやつか。

「それより下が一般冒険者なら、虹から上はネームド冒険者って訳。アルマ支部長何かがそうね。で、銀、金は国や都市を救うような英雄級の冒険者、そして白金は……これはもう名誉階級ね。過去の偉人なんかに与えられたりしてるわ。現存する冒険者がいるかどうかは私達職員じゃ閲覧できないの。それくらい希少な階級ね」
「白金は幻の階級って訳ですか」
「そうそう。だから、現実的には紫を最終目的とする冒険者も多いわ」

 紫が頑張れば到達できる最高点、虹は真の実力者、それ以上は本当に誰もが最強を名乗れるだけの実力を持った存在達……ということか。

 そう言うのを聞くとわくわくしてくるな。この階級がそのまま俺が最強へと至るためのガイドラインのような。そんな気さえしてくる。

「大抵の人がボリューム層である蒼階級で終わってしまうんだけれど、必死でがんばれば紫に、そしてその中でも一握りが虹になれるの。それより上はもう空想の世界よ、その階級の人に会えたらラッキーね」

 虹に銀、金、白金……。
 いずれ俺のタグもその色を帯びる時が来るのだろうか。

『ホロウならなれるよ。私が保証する』

 はは、ありがとうカスミ。

「――で、最後。任務は自分の階級と同等かそれ以下のもの全てを受けられるわ。ただ、半年間自分と同等の階級の依頼達成がないと自動で階級が降格になるから注意してね。同等階級の任務失敗が一定数続いても降格するから、挑むときは良く吟味してから挑んでね。――とまあこんな感じだけど、何か質問ある?」
「えーっと、とりあえず大丈夫かな。何かあれば聞きに来てもいいですか?」
「もちろん! カレンの命の恩人だって言うし、いつでも頼ってね」

 キルルカは満面の笑みでそう答える。

「じゃあ、何かあればまた聞きにきます」
「はい! それでは、女神セラ様のご加護が有らんことを」

 そう言ってキルルカは胸に手を当て、お辞儀をする。

 これで晴れて俺も冒険者だ。
 ここから始まるんだ。俺の冒険が。


 そうしていろいろとギルドを観察していると、セシリアも説明が終わったようでこちらへと歩いてくる。

「ありがとう、ホロウ。合格できたのはあなたのおかげね」

 セシリアは胸のタグを見せる。

「いや、こっちこそ。いいサポートだったよ」
「……いいえ、私一人じゃ多分マンティコアは倒せなかった。また何かあったら一緒に戦いましょう。何かあったらいつでも言ってね、力になるわ」

 そう言ってセシリアは俺に握手を求める。
 俺はそれをしっかりと握り返す。

「あぁ。俺たちは同期だからね。何かあったら俺も力に成るよ」
「ふふ、期待してるわ」

◇ ◇ ◇

「おっす、ホロウ! 合格したかよ、やるなあ!」

 と、俺達がギルドを出たときにそこに居たのはカレンさん達だった。

「うん、無事合格出来たよ」
「ひっひ、さすがだぜ。――と、そうだ、お前にいい話を見つけてきてやったぜ、合格祝いだ」
「いい話?」

 するとカレンさんはにやっと笑う。

「刀を扱える鍛冶屋があったんだ。西地区の裏路地でひっそりとやってる隠れた名店さ」
「ま、まじすか!」
「おう! そこの店主の"テッサイ"って奴がなんでも刀の名匠らしい」
「へえ……! ありがとう、行ってみるよ」
「いいってことよ、助けてもらったしよ。それに今日からは先輩だからな!」

 こうして俺たちは、まずは二本目の刀を求めてテッサイの元を訪れることにした。
 大通りを通り、細い路地に入る。
 一気に喧騒は消え去り、ひんやりとした空気が肌に伝わる。

 カレンさんが言っていたとおりに複雑な小道を進み、しばらくして店が密集した細い通りにでる。

「なんだここ……」
「こりゃすごいね。裏マーケットとでもいうのかな? なんか怪しい大人の香りがするわね」
「知る人ぞ知る裏路地商店街ってところかな。なんかこういうのワクワクするな!」
「あはは、確かに」

 道を歩くと周りからの視線がジロジロとこちらに突き刺さる。

 新しい顧客は初めてなんだろうか。
 それに心なしか、カスミに視線が集中しているような……。

「あれ、私美人過ぎて見られてる……?」

 カスミの服装はかなり活発だった。ショートパンツから覗く足は、確かに俺じゃなければ釘付けになる美しさかもしれない。

「まあ確かに美人だけど……さっさとテッサイのところに行こう。絡まれたら面倒だよ」

 俺たちは逃げるように通りを足速に進み、しばらくして古びた工房を見つける。

 表には、「テッサイの鍛冶屋」の文字が。

「ここか……」
「いい刀があるといいね」
「そうだね。失礼しまーす……」

 恐る恐る中に入る。
 すると、ムワッとした熱気が押し寄せる。奥がすぐ工房となっているのだろう。釜などの熱気だろうか。

 しかし、入口に人の気配はない。

 薄汚れて、埃まみれではあるが、飾られた武具達は俺にはどれも一級品に見える。

「おぉ……」
「確かにこれはすごいわね。テッサイ……私の知る名匠にも近いレベルを感じるわ」
「600年前の?」

 カスミは頷く。

「まぁ、思い出したくもないやつだけどね」

 と呟くカスミの横顔はどこか悲しげだった。

「……にしても、この武器質……相当年季の入った人かな?」
「でしょうね。鍛冶師なんて髭面のおっさんって相場が決まってるのよ」
「はは、偏見だよ。――よし、一旦刀になろう。見てもらうしね」
「仕方ないわね」

 そう言ってカスミは刀へと変形する。

「ったく誰だよこんな昼間っから……」

 と、奥から不意に女の人の声が聞こえる。

 出てきたのは、臍を丸出しにし、ボロボロのズボンを履いた赤い髪の女性だった。

「あ、えっと……テッサイさんに会いにきたんですけど……まだ寝てる感じですか?」
「あぁ? テッサイ? ……ははぁん、そういう」

 となにやら女性はにやにやと俺を見る。

「? えっと、ちょっと依頼したい武器があって……」
「ふぅん……その武器か?」
「はい」

 女性はカスミを指差すと、ずいずいと近寄る。
 刀身を観察する。

「へえ……刀ね。……ん、どうなってんだこれ? なんか……普通じゃねえな」
「わかるんですか……?」
「当たり前だ。私を誰だと思ってんだ」

 女性はニカッと笑う。

「最強の鍛冶師、3代目テッサイだぞ!」
「え……――えぇ!?」

◇ ◇ ◇

「魔剣か、実在するとは……」

 テッサイは感慨深そうに刀化したカスミを眺める。

 まさか見ただけで魔剣を言い当てるとは……一流の鍛冶師ってすごいな……。

 セシリアにはあまり魔剣の話はしない方がいいと言われたけど、既に見抜かれてるからしょうがない。それに、ある程度俺の持っている武器であるカスミを見てもらった方が、より良い武器を作ってもらえそうだし。カスミが人間になれるのは黙っていよう。

「えっと、他言は……」
「しねえしねえ。クライアントの情報は絶対に口外しねえよ。ここは裏商店街、どんな悪党が買いに来てもプライバシーは守る」
「はあ……」

 悪党にも売るって悪いことなきが……まあでも普通の店でも悪党は買うか。

 なんかこの人が言うと全部大ごとに聞こえてくるな。

「で、もう一振りの刀が欲しいと」
「はい。カスミに負けない……というのは難しいかもしれないですが、近い力のものが買えればと……」

 すると、テッサイの顔がくわっと歪む。

「魔剣レベルの物は私には作れねえから本気出せだとぉ?! あぁ?!」
「いや、言ってないですって!!」
「……まぁ、事実今の私の腕じゃあ、魔剣に及ぶ刀は打てねえ」
「テッサイさんでもさすがにそうですよね」
「私はテッサイさんじゃねえ」
「え?」

 テッサイははぁっと溜息をつく。

「テッサイは称号だ。私の名前はエドナ。呼ぶならそっちにしてくれ」
「そうだったんですか。てっきり名前かと」
「まあ正直どっちでもいいけどよ。……でだ、刀だが……魔剣に近しいものならできる。あるものさえあれば」
「あるもの……?」

 エドナさんはじっと俺の顔を見て、口を開く。

「"ヒヒイロカネ"。迷宮の奥に眠る超レアな鉱石だ。こいつがありゃあ、最高品質の刀が打てる」
「ヒヒイロカネ……」
『ヒヒイロカネは確かに超レアな鉱石ね。簡単には見つからないわ』
「うーん……」
「はっ、何。もし見つけて持ってきてくれりゃあ、それで打ってやるってだけの話だ。あんた冒険者なんだろう? ギブアンドテイクだ。私はヒヒイロカネで刀を打ちたい、あんたは最高の刀が欲しい。だからよ、もしヒヒイロカネが手に入りゃあ、その時は持ってきてくれ」

 エドナさんは楽しそうに言う。相当鍛治が好きなようだ。

「でもそんな品質の武器は高いんじゃ……まだ駆け出しの俺たちにそんな金はないですよ」
「タダでいいぜ」
「えっ……いいんですか!?」
「おう。ヒヒイロカネなんてもん人生で一度でも打てるんなら、武器くらいタダでくれてやらあ。私は人は見誤らねえ。さっきは悪党にも売るって言ったが、それはここの奴らの話。私は信用できる人間以外には絶対に売らねえ。そしてあんたは……最高だ。あんたの目には生きる力を感じる」
「生きる力……」
「それにおそらく、お前強いだろ? きっとヒヒイロカネを手に入れる。その時はガチモン打ってやるよ」
「あ、ありがとうございます!」
「だからよ、とりあえずは今うちにある刀で最高なモン持ってけ。タダでくれてやる」

 そういい、エドナさんは後ろから刀を引っ張り出してくる。

「こっちも?! な、なんで!?」
「まともな武器がねえと手に入れられるもんも手に入れられねえだろうだ! これは先行投資だ。いいか、これタダでやるから絶対ヒヒイロカネは私のところに持ってこいよな!」
「そんな、俺はめちゃくちゃ嬉しいですけど……エドナさんはそれでいいんですか? 普通にお金払いますけど」

 しかし、エドナさんはぶっきらぼうに手で払う。

「あぁ、いいんだよ。こいつはよ、5年ここで眠ってたんだ。知ってっか? 刀使うやつなんて滅多にいねえ。扱いが難しいんだ。だが……あんたの刀――カスミをみりゃわかる。お前は使えるやつだ。刀もそう言うやつのところにある方が嬉しいだろ。こいつは商品のつもりで打ったんじゃなくて、力試しで打ったんだ。だからタダさ。棚に飾られてるより、強えやつの腰に収まってる方がそいつも嬉しいだろ」

 そう言って、エドナさんは俺に手に持った刀を渡す。

 青と黒の装飾を施された、カスミより二回りほど小さい刀。

「名を"雪羅(せつら)"。北方の雪山に生息しているアイスゴーレムの核を元に作った一級品だ。少し霞に比べれば短いが、そこらの剣くらいならサクッと叩き割る」
「セツラ……」

 俺は鞘から抜き出し、その刀身に触れる。

 ひやっとした冷気が伝わってきたようなそんな錯覚。
 確かに魔力が込められている。

「どうだ?」
「いいですね……! すごい……!」
「頼むぜ、ホロウ。期待してっからよ。ヒヒイロカネが手に入ったらまた来な。その時は霞に負けねえ刀打ってやるよ」


 こうして俺たちは新たな刀を手に入れ、さらに防具屋で身軽な装備を買い揃え、いよいよ冒険の準備万端だ。

 アラン兄さんや先生、カレンさん達やセシリア、そしてエドナさん。外にも沢山のいい人たちがいる。

 そんな人たちの期待を裏切らないように、俺は冒険者として頑張ろう。

 きっとこの世界は思った以上に汚く醜い。俺が世界の全てだと思っていたあの小さな屋敷以上に、外は残酷だ。だから、俺は強くなってそんな世界を変えてみせる。

 これは俺の下剋上だ。家畜から英雄へ。
 いつか必ず、霞と一緒に上り詰めてやる……!
 風が強い夜。

 リドウェルの南に流れる小川、その橋を渡った先には夜の店が立ち並ぶ。

 その入り組んだ路地を、一人の男が剣を背負い進む。

「暗いな……」

 このところ、切り裂き魔というものが流行っているらしい。

 男の脳裏にそんな言葉が思い出される。

 なんでも剣を持つ人間に襲い掛かっては、命を取り上げていく。その死体は無惨に切り刻まれ、その上所々肉と骨が溶け堕ちているのだという。

 だが、そんな話などただの噂話。
 男はどこか他人事のように路地を進む。この道が1番の近道なのだ。結局切り裂き魔なんていうのはただ弱者が過大に扱ってびびってるだけのしょぼい奴だというのは相場が決まっている。

 彼はなにせ紫階級の冒険者だ。腕には自信があった。

 もし遭遇したとしても返り討ちにしてやる。
 切り裂き魔が女だったらラッキーだ。襲われて倒し返せば、なんでも言うことを聞かせられるかもしれない。

 まあ、そう簡単に会う訳が――――

「お兄さん、いい武器背負ってるわね」

 路地に響く甘い声。

 脳に直接流れ込んでると錯覚するほどの、しっとりとした声。決して大声ではないのに、何故だか意識がそちらへ傾く。

「……誰だ?」

 声に応じるように、暗闇から這い出てきたのは息を呑むほどの美女だった。

 銀色に輝く美しい髪に、黄色く光る眼。

 男はゴクリと唾を飲み込む。
 が、すぐに異物が目に飛び込んでくる。彼女の持つ、不思議な形の剣が。
 確か東の方で作られるとか言う刀……とかなんとかだったか。

「……噂の切り裂き魔ってやつか?」
「あらご名答」
「おいおい、噂以上の美女じゃねえか。テンション上がってくるねえ」
「嬉しいわ。……ねえ、背中の武器見せてもらえる?」
「はっ、やなこった」

 男は背負っている剣を握り、引き抜く。

 戦闘が始まることは空気が教えていた。

 切り裂き魔のもつ、触れているだけで気がおかしくなりそうな何とも言えない瘴気。気味の悪い予感。吸い込まれそうだが、長年の経験が男を何とか戦闘態勢へと移行させる。

「美人といちゃつくのも楽しそうだ」
「あら、願ったり叶ったりね」
「力で屈服させてやるぜ。俺を襲ったことを後悔するんだな。雷―(サン)―――――……えっ?」

 ジュゥ……。

 瞬間。
 男の右腕は溶け始めていた。
 皮が、肉がただれ、白い骨が剥き出しになっている。

 ――いつの間――

「あぁ……ぁぁぁああああああ!!!」

 女は光悦した表情で自分の顔を撫でる。

「いい声ねえ……ぞくぞくしちゃう」
「てめぇ……くぅあ……」

 男はあまりの激痛に座り込み、涙と汗を垂れ流して必死に痛みに耐える。

「あら、さっきまでの元気は?」
「うぐっ……! んなもん……これくらい……!」

 必死の形相で男は立ち上がる。
 しかし、その努力も空しくその次の瞬間には、さらに左腕が溶け始める。

「ぐぁぁあああああああ!!!」

 路地に男の叫び声が響く。

 しかし、男の叫びなど気に求めず女はカツカツと足音を立て男の前まで歩くと、落ちた剣を取り上げる。

 それをじっくりと眺め、ぺろりと舐める。

 しかし、眉を顰めてため息を漏らす。

「はぁ…………ハズレ。リドウェルなのは確かなのだけど……残念、そう簡単にいかないものね」

 女は飽きたように武器を放り捨てる。

 そしてまるで興味を無くしたように、女の顔は冷たく曇る。

 ――あ、死ぬ。

 男がそう思った時には、すでに刀が男の体を貫いていた。
 噴き出した血が路地の壁を赤黒く染め、女は顔に付いた返り血をねっとりと手でふき取る。

「溶けて溶けて、ぐじゅぐじゅになったら、きっと気持ちいいわよ」
「――――」

 それっきり、男が動くことはなかった。

 路地にはコツンコツンとまるで陽気な甲高い足音。

 女の後ろ姿は、路地の闇へと溶けるように消えていく。


 ――これが、五人目の犠牲者である。