「ホロウ。貴様のような家畜がこんな訓練場で何をやっている」
「父さん……」
俺は手に握っていた木刀を降ろす。
しまった、夜中だったら父さんも寝ていると思ってたのに。油断しすぎた……。
「これだから家畜は。お前は自分から何もするな。家の隅っこで息をさせ飯を食わせてやっているだけありがたく思え。余計なことをするな、いいな」
「…………はい」
「お前の兄たちが素晴らしい力を発揮して頑張っているんだ、家畜のお前が家名を汚すな、失せろ」
俺はそのセリフを聞き逃げるように訓練場を後にする。
家族から家畜と呼ばれ、何も期待されない生活。
これが、俺――ホロウ・ヴァーミリア、九歳の生活である。
そして遠くない未来、この家を追い出される俺の現実である。
そうなったきっかけは俺が幼少の頃に遡る。
◇ ◇ ◇
「うぅ……おぇ……ッ!!」
「どうしたホロウ」
体中から噴き出す大量の汗。サーっと血の気が引く感覚。
僕は目の焦点が上手く定まらず、ぐるんぐるんと目を回し、腹の方からせりあがってくる何か気持ちの悪い物を必死でこらえるように身体をくの字に曲げ、耐え切れず地面に両手を着いて激しくえづく。視界の先に、赤い前髪がユラユラと揺れている。
「ホロウ君!?」
焦った表情で慌てて駆け寄ってくる魔術の先生と、それと対比するように立ったまま僕を見下ろす父さんの冷たい視線。
ホロウ・ヴァーミリア、五歳。
ヴァーミリア侯爵家三男。
世は魔術全盛の時代。
優れた魔術師が国を守り、そして発展させる。そうしてこの世界は成り立っていた。魔術失くして人間の暮らしはない。それほどに魔術が浸透していた。
ヴァーミリア家は魔術の名門だ。
代々強力な魔術を受け継ぎ、その時代その時代で魔術師として遺憾なく力を発揮してきた。
貴族の三男とは言え、魔術の名門ヴァーミリア家の男子だ。当然のように魔術教育を施され、ヴァーミリア家の名に恥じない魔術師となる。それが定められた宿命だ。
僕が五歳となったこの日。
上の二人の兄さん達の様に、僕――ホロウ・ヴァーミリアは王都から高い金で呼び寄せているヴァーミリア家専属の魔術の先生の指導の元、初めての魔術授業を行った。
僕は生まれつき魔力が多いと期待されていた。きっと優秀な魔術師になると。
言われた通りの工程を踏み、僕も魔術をやっと使えるんだとワクワクとした抑えられない気持ちをその口角に滲ませながら、魔術を発動しようと試みたとき――僕の身体は激しい魔力の拒絶とも言える反応を見せた。
先生が僕の身体を触り眉をひそめて言う。
「まさかこれは…………魔力過敏体質……?」
「何だと? なんだそれは」
父さんの問いに、先生はえぇと頷く。
「ご存じのように人間の体内には必ず魔力が宿ります。魔術の発動時にはこれを練り操作して、体外に放出します」
そう言って手本を見せるように先生は魔力で器用に文字を空中に描き出して見せる。無属性の魔力をただ体外へ出して形を作っただけの、初歩的な魔力操作だ。
「ですが、ホロウ君の場合は……。人より魔力を過敏に感知してしまい、その結果体内で練り上げた魔力に体中の感覚が揺さぶられ酔いのような症状に陥ってしまう。立っていることもままならないでしょう。そういう体質を、私達は"魔力過敏体質"と呼んでいます。……ただ、過去の文献に少し載っている程度で実際にその体質を持つ人間にあったことはありません……。平民でも魔術を扱えない者はある程度います。ですが、彼らは魔術が使えないのではなく、教育がされていないだけで魔術の素質は持っているのです。しかし、ホロウ君の場合は……」
そこまで行って、先生は言葉を止める。
先生の声は、いつも兄さん達に指導しているときより緊迫しており、まだ五歳の僕でも事の重大さが否応なしに感じ取れた。
「こいつは使えるのか?」
「どうでしょう……。何分初めて見る事例です。この体質は、まさに体内の魔力の流れ自体が毒となる体質です。魔術が体内の魔力を使用して扱う術である以上、現段階では難しいと言わざるを得ないかと……」
父さんはその言葉を聞き、何も言わず僕へと視線を向ける。
ゆっくりと僕の元へと歩いてきて、僕の両脇に腕を差し込むとグイっと立ち上がらせる。
僕はいつものように父さんがまた優しく言葉をかけてくれるのだと。
こんな体質など気にする必要はないと言ってくれると期待をして顔を上げる。
しかし、父さんの口から出た言葉は、僕の身体を凍り付かせた。
「……魔術師ではない人間は人間ではない。魔術師の庇護の元、ただただその恩恵を受けぬくぬくと育つだけの家畜だ」
その慈悲のない言葉。凍り付いた視線に、僕は身震いする。
これは……これは僕の知っている父さんじゃない。
訳も分からず溢れ出る涙、嗚咽交じりに、ひっくひっくと身体を痙攣させるが、恐怖から僕は父さんの冷たい視線から目を逸らすことが出来ない。
「ヴァーミリア家に家畜は必要ない」
「と、父さん!!!」
耐え切れず、それを聞いていた長男――アラン・ヴァーミリアが、声を荒げる。
「家族ですよ!? 魔術が使えないからって……そんな酷い言葉を……!!」
「黙れ、アラン」
「ッ……」
父さんの声に、アラン兄さんも口ごもる。
しかし、隣に立つ次男――クエン・ヴァーミリアは、くっくっくと笑い声を漏らす。
「……何がおかしい、クエン」
「いやあ、アラン兄さんも人が良すぎるなと思って。魔術が使えない人間に価値はない。それは父さんが常々言ってきていたことじゃないか。それがホロウだったと言うだけで何を急に善人ぶって声を荒げるているんだと思ってね。父さんの言う通り、ホロウは家畜さ」
「クエンお前……!」
今にも取っ組み合いを始めそうな二人に、僕は居てもたってもいられず、服の裾をぎゅっと握りしめ、涙を流しながら必死に声を上げる。
「ふ、二人とも喧嘩は止めて……! 僕のせいで……僕は大丈夫だから……が、頑張って魔術を使えるようになるから!」
「ホロウ……」
「ふん」
静まり返った魔術訓練場。
そこに、僕の涙を啜る音だけが響く。
父さんは何も言わずそのまま出口の方へと向かっていく。
もう僕には興味がないと、その背中が語っていた。
これが僕の始まり。
魔術全盛の時代。この時代に、僕は魔術の名門という家系に生まれ、そして"魔術が使えない身体"として生まれた。
これは、僕が剣を握り、その特異体質を使って剣術で彼らを凌駕していく、そんな夢のような話である。
「はぁ!!」
俺は家の倉庫から拝借した剣を垂直に振り下ろし、四足歩行の魔物、ライガを一刀両断する。
「ウガァアアアア!!」
断末魔の叫びを洞窟内に響かせ、ライガは力なくその場に倒れこむ。
ドクドクとした血が、地面に広がっていく。もう動くことは無い。
「ふぅ……」
俺は額にかいた汗を拭い、剣を地面に突き立てて一呼吸入れる。
「やっぱり動かない木人とは比べ物にならないなあ。でも……よしよし、ライガレベルなら俺でも魔術なしで倒せるようになってきたぞ」
俺はグッと拳を握る。
父さんから家畜呼ばわりされてから早五年。
俺は立派に十歳になっていた。
あの日以来、当然のように父さんは冷たくなり、家では非常に肩身の狭い思いをしていた。
相変わらず魔術の訓練は続いているが、全くと言っていいほど使える気配はない。
幼い頃は、父さんに見捨てられたくなくてそれはもう本当に吐きながら訓練をしたものだが、それもとうとう続かなくなった。魔術に対して憧れがない訳ではなかった。だがしかし、それ以上に身体が拒絶し、俺はその苦痛に耐えられなかった。
だがそんなことがありつつも俺が腐らずにここまで成長できたのは、この家で唯一の良心、アラン兄さんのおかげだろう。アラン兄さんはことあるごとに心配してくれて、俺に対しても変わらず接してくれた。本当に感謝しかない。
とはいえ、この体質は別に悪いことばかりではなかった。
それは、剣との出会いだ。
魔術の先生であるセーラは、魔剣士だった。魔剣士とは、普通の魔術師とは違い、武器と魔術を使って戦う者の総称だ。
それもあり、俺はセーラ先生から魔術の拷問――もとい訓練だけでなく、剣術も教えてもらっていた。どうやら俺には魔術の才能が0の代わりに、剣術の才能というやつがあったらしい。
六歳の頃には頭角を現し、九歳を迎えた頃にはセーラとの剣術のみによる一対一の戦いでの勝率は、三割近くを誇っていた。
それにセーラ先生は酷く感激し、父さんへ俺の剣術の凄さを力説していたが、あの魔術絶対マンの父さんがそれに興味を示すはずはなかった。
さらに、俺にはもう一つ秘密があった。
それは、この忌々しい"魔力過敏体質"がもたらした副産物。
それは――"魔術破壊"の祝福。
皮肉な話だが、魔術を扱えない代わりに魔術を破壊する術を手に入れたのだ。
原理は正直分からない。だが、その力は確かなものだった。
それはある時の訓練中。
自分の魔術はからっきしだが、先生の魔術が発動することに関して敏感に察知し、発動前に回避動作をすることが出来た。先生に言わせれば第六感だとか危機察知能力だとかいう話だが、その頃から俺は発動する魔術に、確かな魔力の反応を感じ取っていた。
さらに、訓練中のクエン兄さんが放った火球が俺の方に飛んできた時のこと(わざとかどうかは審議が必要)。俺は無我夢中で咄嗟に持っていた剣でそれを振り払った。
すると、どういう訳かその火球はまるで紐が解けるように分解され、魔力の塊となって霧散していったのだ。
その時俺は、この"魔術破壊"のことを認識したのだ。
この体質は、何も魔術を使えなくする呪いというだけではない。見方を変えれば、普通の魔術師よりも魔力に対して敏感に反応でき、本来触れることのできなその奔流に手を伸ばすことができる。
その出来事をきっかけに、俺は自分のことが少しずつ好きになっていった。
この俺の秘密の特訓場所もその力によって見つけたものだ。
ここは家の北側に広がるアズベールの森の一角。世間一般で言えばダンジョンと呼ばれる場所だ。
ダンジョンは国が管理しているため、未発見のものというのは滅多に存在しない。だが、ここには何か"認識を阻害"するような魔術が施されていた。だから誰にも気づかれずずっと放置されていたのだ。
しかし、俺の身体は魔術を過敏に感じ取る特異体質だ。
その体質のおかげで、本来は見逃すはずのダンジョンの入口を容易に見つけることが出来た。
さらに、入り口には封印の魔術が施されていたが、俺はその封印をあの時の火球のように簡単に破壊出来た。
だから、ここは俺しか知らない秘密の特訓場所なのだ。
剣術を磨く、最高の穴場スポットだ!
ここで俺は、先生から学んだ剣術を実戦で活かすという生活をずっと繰り返していたのだった。
◇ ◇ ◇
「アラン、学院はどうだ?」
夕食時。
俺たちは一家で食堂に集まる。もちろん、俺は一人離れた場所でポツンと食事をとることになっている。ま、もう慣れたもんだ。
「なかなか刺激がありますよ。やっぱり王都の魔術学院はレベルが違いますね」
「そうか。だが、主席だそうじゃないか。よくやっている。俺も若い頃は学院でトップを争ったものだ。そのまま精進しろ」
「はい」
アラン兄さんは今十五歳。
今年から、王都のリグレイス魔術学院へと通っていた。
リグレイスは名門中の名門。有名魔術師の多くがここの卒業生だという。魔術師ならば誰もが目指す学び舎だ。
我がヴァーミリア家も当然、名門としてこの学院への入学が半ば義務の様になっている。
受験期のアラン兄さんはそれはもう鬼気迫る勢いで勉強に訓練に邁進し、俺のことを構っている余裕はなかったが、アラン兄さんは長男だ、父さんの期待に応え未来の当主として責務を全うしなければならないということは、十歳の俺でも理解出来た。
「クエンも、大分魔術が上達したようだな」
「はい、父さん! アラン兄さんが勉強に集中している間に魔術を徹底的に磨きましたからね! もしかしたら、実技ならもう兄さんを超えたかも」
「はは、言うじゃないかクエン。だが、僕だって負けてないよ。リグレイスの授業は素晴らしい。セーラさんの訓練もかなり質が高かったけど、やっぱり名門の授業は凄いものがある」
「へえ。まあ、俺もいずれリグレイスに行くんだ、すぐに追いついてやるさ」
「楽しみにしてるよ」
ヴァーミリア家は、この二人の兄弟により未来は盤石だった。
物腰穏やかで、聡明。魔術の実力も申し分のないエリートであるアラン。
喧嘩腰で粗暴なところはあるが、魔術を使った戦闘センスが高いクエン。
周囲からの評判も高い、父さんも鼻が高い二人だ。
だがしかし、その評判を引き摺り落とす厄介な存在が居た。
そう、俺ホロウ・ヴァーミリアだ。
俺の体質が判明した時、父さんは箝口令を敷いた。
うちの家から家畜を出すわけにはいかないと。
しかし、噂というものは怖いものだ。
"魔力過敏体質"という具体的な話はでないまでも、あの家の三男はどうやら魔術が使えないらしいという噂は確実に広まっていた。
積極的に表に顔を出すアランとクエンの二人とは対極的に、全く家から出してもらえない三男。自信家な父さんが、一切三男を表舞台にださない。その事実が噂を加速させた。
――まあ、俺には関係ない話だ。
俺は剣術を磨き、あの特訓場で強くなれればそれでいいのだ。強さがあれば、虐げられることもない。今は力を蓄える時だと、俺はそう思っていた。
まあ、アラン兄さんの受け売りだけど。
『お前には剣術の才能がある。それを磨くんだ。いつか……いつかきっと役に立つ。がんばれよ、ホロウ。お前は俺の大切な弟だ』
そう言ってくれたアラン兄さんの為にも、俺は剣術を磨き続けるのだ。
こうして、俺だけが無言の夕食は終わった。
◇ ◇ ◇
「今日も行くのかい、ホロウ」
翌日、日課の訓練が終わった後、俺はいつも通り裏口から抜け出しダンジョンへと向かおうとしたとき、アラン兄さんが俺に声を掛けてくる。
「アラン兄さん……」
「はは、そんな委縮するなよ。別に告げ口なんかしやしないよ」
そう言って、アラン兄さんは笑って俺の頭を撫でてくる。
「しばらく受験やら学院に行っていたせいで見られなかったけど……剣術、また一段と凄くなったな」
「うん! 毎日特訓してるからね」
「偉い偉い。お前には剣術があるんだ、がんばれよ」
「もちろん! いずれアラン兄さんも超えて見せるからね」
「ははは! それは楽しみだな」
優しくアラン兄さんは笑う。
もちろん、それはアラン兄さんの優しさだ。魔術師に、魔術を使えない人間が勝てる訳がない。そんなこと、魔術を使うアラン兄さんが一番よくわかっている。
だが、俺には魔術を破壊する術がある。勝機がない訳ではない。俺の剣術さえもっと極められれば、不可能じゃ決してないはずなんだ。
「それで抜け出して秘密の特訓と言う訳か」
「そうだよ。付いてきちゃだめだからね!」
「わかってるさ。楽しみだな、ホロウがどんな大人になるか」
アラン兄さんは優しく微笑み、また俺の頭を撫でる。
学院で家を空けることが多くなった兄さんなりに、俺のことが心配なのかもしれない。
アラン兄さんを無暗に心配させることはしたくない。俺は精一杯に、なんともないよという風に、笑う。
「期待しててよね」
「もちろん」
「じゃあ俺行くよ。時間あるときに前みたいに剣術の稽古付き合ってよ」
「ホロウは強いからなあ。いい訓練になりそうだ。……じゃあ気を付けて行って来いよ。危なくなったらすぐ逃げて帰ってくるんだぞ。――まあ、裏の森はあらかたモンスター駆除されてるからそんな危険はないと思うけどな」
「うん!」
そうして俺はいつも通りダンジョンへと向かう。
その背中に、アラン兄さんからの優しい視線を感じながら。
「まだ奥があったのか……」
そう呟きながら、俺は松明を片手にダンジョンの壁に手を滑らせながら奥へ奥へと進んでいく。
今まではダンジョンの手前の方で訓練をしていたが、ここ数日どんどん調子が上がり、俺はとうとうダンジョンの最奥にたどり着いた。
魔物の数がそれほど多くは無く、規模としては小規模なダンジョンだったお陰ではあるが、我ながらよくやった方だと思う。
きっと認識阻害の魔術が掛かっていたくらいだから、このダンジョンの防衛機構としての魔物はそれほど多くなかったのだろう。
そして今日、俺はダンジョンの最奥の部屋で、さらに奥へと続く道を見つけた。
そこは少し細い道になっており、細く長く続いていた。
しかも、その奥からは不思議な魔力の反応が漂ってきていた。
もしかすると、何かあるのかもしれない――。
好奇心に突き動かされ、俺は松明を片手にその道を突き進んだ。
じめっとした空気が、肌にまとわりつく。
シーンと静まり返った空気の中、奥から漂ってくる魔力は今まで感じたどの魔力よりも異質で、そして濃密だった。
しかし、不思議と恐怖心は無かった。
ともすれば、何か呼ばれているような、そんな不思議な感覚さえあった。
しばらく無心に進み、丁度曲がり角を曲がったところで、突如開けた空間に出る。
そこはまるで何かの儀式を行うためのような不思議な空間だった。
「ここは……――」
ガランとした空間に、俺の声が木霊する。
と、その時。
俺の高鳴っていた心臓が一瞬にして止まり、目を見開く。
「なっ……んだこれ……!?」
俺の視線の先には、四角い石古びた石像。
その石像の前に、一人の少女が神々しく輝く光の鎖に縛られ、ぐったりと項垂れていたのだ。
なんでこんなところに人が?
死んでるのか?
という当然の疑問の前に、俺はただただ"美しい"と感じていた。
光の鎖に包まれ、ぼろい布切れを纏った一人の少女。
黒い艶やかな長髪と、露わになった真っ白い四肢。
両腕を縛られ、まるで囚人の様に捕らえられた少女。
茫然としたまま吸い寄せられるようにそれに近づき、俺はそっとその頬に触れる。
――冷たい。
死体……なら腐っているはずだが、不思議なことに傷一つない。
生きているにしては冷たいが、死んでいるにしては綺麗すぎる。
なんだこれは……。
しばらくその姿に目を奪われていると、不意に――
『――――――』
頭の中にノイズが走り、一瞬にして我に返る。
「な、なんだ……!?」
俺は咄嗟に頭を抑える。
何かに侵入されたような……。
『待っていた……六百年間、ずっとこの地で……』
「!?」
女の声が、突如として脳内に響く。
俺は突然の声に慌てて周囲を見回す。
「だ、誰だ!? どこから声が……魔術か!?」
しかし、どこにも人の姿は見えない。気配もない。
あるのは、動かない縛られた少女の身体だけ。
『私からあふれ出た霞の魔力……そこから顕現したダンジョンは見つけるのが困難だったはず。良くこの地を見つけ――』
「だ、誰だ……!! 姿を見せろ!」
俺はしまっていた剣を構える。
姿はないのに、確かに頭の中に声が響いてくる。
不思議な感覚だ。まるで自分の身体が二つの意識で奪い合いをしているような、奇妙な感覚。
『私は動けない身。束の間の交流を持つというのも――』
「だから、この声はどこから――」
『長らくここで縛られ、さすがの私も――――』
「あぁぁもう!! だから、あんた誰だってんだよ! 頭の中でキンキン喋ってないでまず姿を見せてくれ!」
『きゃっ!!』
甲高い悲鳴が脳内に響く。
きゃ……?
少しの沈黙の後、気まずそうに女の声が聞こえる。
『……ご、ごめんなさい。あ、あの、あんまり大声出さないで……』
その声は、恥ずかしそうにオドオドした様子で声を潜める。
まるで俺の大声に怖くなったかのような……。びっくりさせちゃったのか……?
「え、えっと…………」
『ご、ごめんなさい……人の声を聞くのは……すごい久しぶりだから……。特に男の人の声はちょっと……びっくりするというか……』
な、なるほど……。
コミュニケーションの取り方がバグって一方的に話してたのか。
「あーっと、ゴホン。と、とにかく……一旦質問させてよ。あんたは誰なんだ? どこに居るんだ?」
『……あなたの目の前よ』
目の前……?
俺はそのまま視線を上げる。
しかしそこには何もない。あるのは、鎖に縛られた少女だけ。
少女……だけ……。
「え……まさか……?」
『そうよ、そのまさかよ』
「まじかよ……」
声の主は、目の前に縛られた黒髪の少女。
いやいや、理解が追い付かないんだが……。
これも魔術……なのか?
「えっと、六百年て言ってたけど……」
『そうよ、私は六百年間、ここで人が来るのをずっと待っていた』
「は……はは。訳わかんねえや。魔術ってすげえ……じゃああんた生きてるのか?」
『生きている――と言えなくもないわ』
「なんか煮え切らないな」
『私は"封印"されているの。仮死状態みたいなものね』
「あぁ、確かに。光の鎖みたいのに縛られてるけど……それが封印ってやつか」
とその瞬間、頭の中に声にならない声が上がる。
「――っつう!! な、なんだ急に!?」
『あなた……鎖が見えるの!?』
「? あぁ、まあ見えるけど……」
『奇跡だわ……。もしかして、貴方……封印を解けるんじゃ……』
「解けるかも」
『まあ無理よね……。あの自称大魔術師……オルデバロンの奴が何重にもかけた多重封印だし。何百年も待ってたのに突然そんな簡単に――――て、え? と、解けるって言った?』
俺は頷く。
ポカーンという擬音が聞こえてきそうな沈黙。
「多分解けるよ。俺、こう見えて魔術なら何でも壊せるんだ。凄いだろ」
俺は得意げに胸を張る。俺の唯一誇れるものだ。
『魔術ならなんでも……まさか……』
「? 出来ると思うけど……」
『……それが本当なら、あなたなら可能かもしれない。――だとしたらあなた……そう、そういうこと』
黒髪の少女、頭の中に響く声は、少しの沈黙の後再び声を発する。
『――私は霞』
「カスミ……変わった名前だな」
『この世界に存在する九本の魔剣。その一振りよ』
「……え?」
俺はその少女――カスミの突拍子もない発言に思わずアホみたいな声を漏らす。
「ちょ、ちょっと待て。剣……? 剣って言った?」
『ええ。私は九本の魔剣のうちの一振り。妖刀【霞】』
「混乱してきた。え、つまり、剣だけど人間の姿をしてる……ってこと?」
『私は特別仕様なの。まあ、人間の姿に成れる剣だと思ってくれればいいわ』
そんなこともあるんだろうか……。
まあ魔術の世界は奥が深いからなあ。そういうことがあってもおかしくない……のか? くそ、魔術の知識が乏しすぎてわからない。
でも、この子が嘘を言っているようには聞こえないし……。
「まあいいや。君は剣なんだね。妖刀……」
『そう。もしあなたが私の封印を解除できるのなら、私はあなたの剣になるわ。私のことを好きに使ってくれて構わない』
「え、俺の剣にしていいの?」
『もちろん。私はあなたに服従するわ。それにこの封印を解けるのなら、あなたにはその資格がある』
「資格……。でも俺そこまでまだ強くないけど……そんな妖刀なんて大それたものもらってもいいのかな」
『封印から助けてもらうんだもの、あなたは紛れもなく私の恩人になる。それに、封印を解除できる人間が弱いなんて到底思えないわ』
なるほど。理屈は何となくわかる。
『それに、私は名だたる剣豪によって扱われてきた妖刀。私の身体に蓄積された剣術で、あなたを鍛え上げることもできるわ。そうすれば、あなたはより強くなれる』
「名だたる剣豪の……剣術……!? まじで!?」
『……あなたには、妖刀よりも剣術の方が琴線に触れるみたいね』
少し可笑しそうに、少女は初めてクスクスと笑い声を上げる。
「い、いいだろ。俺のこの特異体質のせいで魔術が使えないんだ。剣術を磨くしかない……。もし過去の剣豪の技が身に着けられるなら、これ以上のことはないよ!」
『なるほど。やはり、あなたなら私を預けられそう。封印が解除された暁には、あなたの剣――刀になると誓うわ』
俺の剣……剣豪の剣技……!!
俺は身体が震えるのを感じる。
恐怖じゃない。これから俺は更に高みへ……剣術の頂へ登れるかもしれないという興奮に、武者震いが止まらなかったのだ。
「――よし、じゃあ俺があんたの……カスミの封印を解いてやる!」
俺は目をキラキラと輝かせ、ずんずんとカスミの身体へと近づいていく。
近くから改めてみると、やはり美しい。
俺は手に持った剣を上段で構えると、光の鎖へと狙いを定める。
『ありがとう。あなたなら――』
「あなたじゃない」
『?』
「俺は――――ホロウ・ヴァーミリアだ……ッ!!」
俺は力任せに、ワクワクと希望を乗せてその剣を振り下ろす。
光の鎖に触れた剣は、その魔力の流れを断ち切る。
――パリンッ!!
甲高い音を響かせ、カスミを縛り付けていた光の鎖は、空気中へと金色の粉をまき散らしながら消えて行った。
「大丈夫か?」
俺はそっとカスミに手を伸ばす。
か細い腕を掴み、手のひらを握って立たせる。
さっきまで冷たかったその身体に、急速に熱が戻って行く。
俺はその事実に、安堵の溜息を漏らす。
良かった、ちゃんと生きていた。
「うん。ありがと……」
透き通るような、少し高い声。
さっきまで脳内に響いていた声が、今はその声帯が震え俺の鼓膜を揺らす。
黒髪がサラサラと長く伸び、前髪の隙間から、ブルーの輝く瞳が覗く。
すらっとした体型で身長は俺より数センチ高い程度だが、胸はそれなりに主張が激しい。
刀の年齢(?)は分からないが、見た目の年齢は十四、五歳と言ったところだろうか。少なくとも十代のような見た目だ。着ているボロ布が所々穴が開き、魅力的な素肌が覗き見える。
カスミは少し震えながら、身体を左右に揺らす。
自分の身体の状態を確かめるように、手をにぎにぎと繰り返したり、頬を引っ張ってみたり、ペタペタと裸足で地面を踏みしめてみたり。
まるで幼女の様に、ゆらゆらと落ち着きのない姿を見せている。
「うん……うん……。動きは問題ないみたい」
カスミは繰り返し頷く。
そうしてようやく、パッと顔を上げて俺を見る。
カスミはすっと右手を差し出し、俺の手を握る。
「ありがとう、えーっと……ホロウ。私を封印から解放してくれて」
「あ、あぁ。えっと、気にしなくていいよ……うん」
俺は少し照れ臭くて反対の手で頬を掻く。
カスミはじっと俺の目を覗き込んでくる。
吸い込まれそうな、そんな感覚。
「――私はあなたの刀として。ホロウ……あなたに付き従うわ。私はあなたの剣。あなたを私の所有者として認めるわ」
「俺が……所有者……」
カスミはコクリと頷く。
「手、握ってて」
そう言い、カスミは俺の右手にさらに力を入れる。
俺はそれにこたえるように握り返す。
すると、俺の右が触れていたはずの柔らかい感触が一気に硬くなる。
人間とは思えない、無機質な感触。
目の前の黒髪の少女が、まるで溶けるかのように姿を変え、次の瞬間――俺の手には一振りの刀が握られていた。
「……えっ?」
はっ……まじ……?
本当に、剣……!?
『剣だけど、これは刀よ。東方の島国で作られた、片刃の剣』
「うわ、さっきみたいに声が頭に」
『今のはさっきと少し違うけどね。私が所有者として認めた相手は、声に出さなくても意識が通じあうの。まあ、私が刀の姿の時だけだけど』
なるほど……認めてくれた、ってことか。
『そうよ。嫌だった?』
「そんなことないよ。俺自分の剣なんて与えられたことなかったし……これだって勝手に倉庫から引っ張り出してきただけだし。兄さん達みたいに何かを買い与えてもらったこととかないから……めっちゃ嬉しいよ!」
『……ならよかった』
「それに、剣豪の剣術を学べるんだろ!? あーめっちゃワクワクするなあ」
俺は居てもたってもいられず、うずうずとしながらカスミを上下に振る。
――っと、これ、刀……何だよな。
俺はまじまじとカスミを眺める。
先ほどカスミを見た時と同じような、不思議な魅力を感じる。
吸い込まれそうな不思議な輝きを放つ刀身。
これが妖刀……。
『じゃあ一旦戻るね』
そう言った次の瞬間、俺の手に握られていた刀は溶けるように崩壊し、あっという間に元の人間の姿に戻る。
まあ、刀なんだからどっちかと言えば刀の方が元の姿な気もするけど。
「ふぅ。こんな感じ。これからよろしくね? 私を解放してくれた恩は絶対に返すから! ご主人様!」
俺はそのご主人様という呼び方に、思わずむせ返る。
「ゲホッゲホ!」
「だ、大丈夫!?」
「あ、あぁ……お、おい頼むからご主人様は止めてくれ」
俺の答えに、カスミは首をかしげて唇を尖らせる。
「うーん、じゃあ何て呼べば……」
「ホロウでいいよ、ホロウで。名前で呼んでくれればそれでいいから」
「そう? わかった。じゃあホロウ、これからよろしくね。私はカスミでいいよ」
カスミは満面の笑みでそう返事をする。
それは完全な美少女で、まるで刀だなんて思えないような、そんな人間らしい表情だった。
「あぁ。よろしくな、カスミ」
「うん!」
こうして俺は、ダンジョンの奥で出会った不思議な魔剣――妖刀【霞】を手に入れたのだった。
「ふぁあ……おはよう……」
俺はベッドで身体を起こすと、横に眠っている黒髪の少女――カスミに話しかける。四年前から姿の変わらない、魔剣の少女。
「んんん……もうちょっと……」
カスミは呆けた顔でむにゃむにゃとしながら、ぐりぐりと頭を俺の脇腹の方へと押し付けてくる。
「……ったく。今日は訓練の日なんだから、朝から忙しいんだぞ」
「うぅ……」
俺はさっさとベッドから這い出ると、勢いよくカーテンを開ける。
「うぐえっ」
陽の光に、カスミは思わず布団を頭まで被り奇声を上げる。
「起きろっての、まったく」
「わかった起きるよ……」
そう言い、カスミはもぞもぞと布団から脱する。
俺のおさがりのシャツを着て、白い脚を無造作に放り出しながらカスミは身体を起こす。
四年も一緒に居ればもう家族みたいなもので、当初はドギマギしてしまっていたカスミの美少女っぷりだったが、今では一緒に寝ても何ら邪な感情は湧いてこなくなっていた。
既に起き上がって着替えている俺の後ろで、カスミはまだ瞼をごしごしと擦って眠そうにしている。
まったく……何が魔剣のうちの一振りだ。
少し威厳があるような雰囲気だったのは最初の一か月くらいで、気が付けばあっという間にカスミはただの女友達のようにフランクな感じになっていた。
まあ、いつまでもご主人様! みたいな感じでいられても困るから俺としては別にいいんだが……魔剣としてそれはどうなんだ。
あの頃俺よりほんの少し高かった背も、今や完全に俺の方が追い越している。
「――うし、ほら、もう行くから」
俺はそう言って、カスミの方に手を差し出す。
「ふぁああ……わかった。まあ鞘の中で寝てるよ」
「はいはい」
カスミは俺の手を握り返す。
すると、あっという間に刀へと姿を変える。
俺はそれを真っ黒な鞘へとしまい込むと、いつものように腰にぶら下げる。
「うっし、じゃあ今日も張り切っていくか!」
「ホロウ、ふぁいとー……」
それっきり、カスミの言葉は途絶えた。
◇ ◇ ◇
「フッ……フッ……!!」
俺は木剣を握り、次々と攻撃を繰り出す。
「うっ…………ぐっ……!!」
セーラ先生は俺の間髪入れない連撃に完全に後手に回っている。
ただひたすらに俺の剣を受けるのみで、全く反撃の糸口が掴めていない。
訓練場に響き渡る、剣戟の音。真剣ではなく木剣の弾き合う芯に響く純朴な音は、余計に俺を高揚させる。
「くっ…………はぁ!!」
先生はすんでのところで俺の一太刀を受け流し、俺の右肩を目掛けて剣を振り下ろす。
俺はそれを先読みし、剣を絡めるようにしたから巻き込むと、ぐるっと回転させそのまま先生の剣を巻き取り、はるか上空へと弾き飛ばす。
「な――!!」
俺は武器の無くなったセーラ先生の首元へと、容易く切っ先を向ける。
そこで先生は両手を上げる。
「……やれやれ、降参よ」
「――ふぅ。ありがとうございました」
そう言い、俺は剣を下ろすと一歩下がる。
「いやあ、本当強くなったねホロウ君」
先生はしみじみとした顔で感慨深そうに言う。
「はは、セーラ先生のおかげだよ」
「いや、それはどうだか……」
少し気まずそうにセーラ先生は頬をかく。
その先生の視線は、俺の腰にぶら下がったカスミに向けられる。
「それ、刀でしょう?」
「はい」
「どこで手に入れたかは知らないけれど、その刀を持つようになってから君は一気に強くなっていったよ。私の知らない太刀筋、構え、戦闘の組み立て……訓練のはずなのに、私が学ばせてもらっているくらいだ」
「あはは……それは言い過ぎですよ」
とんでもない、と先生は断言する。
まったく、この人もアラン兄さんと同じでもの好きな人だ。
この家で全く立場のない俺に、ここまで良くしてくれる。
アラン兄さんに聞いたところ、俺に剣術の修行を続けさせてくれるよう父さんに頼みこんでくれたのはセーラ先生だったという。
魔術が全くできない俺に、剣術という才能を見出してくれたセーラ先生。そして、こうして俺が対人で訓練できているのも、先生のおかげだ。
「いやいや、言い過ぎじゃないよ。十歳の頃だったかな? あの頃でさえ君の勝率は三割を超えていた。それが今や……私が勝てる試合はほぼゼロだ。やれやれ、とんでもない成長だよ。師匠の面目丸つぶれさ。こう見えても私って、元魔剣士として王都では有名だったんだよ?」
セーラ先生はしょんぼりとした顔で言う。
「あはは、もちろん先生が強いのはわかってるよ。戦っていればわかるさ」
「やれやれ……。リグルド様も、ホロウ君の剣術の凄さをわかってくれれば良いものを。確かに魔術全盛の時代、魔術の力は絶大だが、ホロウ君ほどの腕前であれば相手が魔術師だとしても勝てる可能性は決して0じゃないのに」
0じゃない。
剣術のみの戦いで先生との勝率をほぼ10割としていて、さらに先生自身も学ぶことの方が多いと断言している状態で、それでもなお、先生の口から出てくる俺の魔術師に対する勝率は、0ではないというレベル。
それだけ、魔術と言うのは強大な力なのだ。
――だが、俺には魔術を破壊する術がある。
これまで見せることは無かったが、きっとそれがあれば、0ではないなんて言えないはずだ。
「はは、先生。そんなこと聞かれたら父さんにクビにされちゃうよ」
「おっとそれはおっかない。……まあでも私はホロウ君の力は大きく買っているよ。何か力に成れそうなことがあれば、言ってね」
「ありがとうございます」
こうして恒例の剣術の訓練は終わった。
その後、二時間ほどの魔術の訓練。
もちろん、発動しようとすれば吐き気のオンパレード。
相変わらず目に涙を溜め、気持ち悪さに耐えながら訓練をやり遂げる。
まあ、やり遂げたと言っても、魔術は一ミリも発動することはなく、ただただ魔術が発動するかもしれないから死にそうでも試し続ける、という拷問みたいなものだが。
この訓練にはカスミも「え、死にたいのホロウ? 無理に続けたら本当に死んじゃうよ?」と心配してくれたが、セーラ先生の立場もある。俺はそれでも、なんとかその訓練に耐え続けていた。
そんなこんなで訓練も終わり、午後には森へ行ってカスミと剣術の修行。
妖刀を構え、カスミの声に耳を傾ける。
声に従って型をなぞり、空想の強敵と刃を交える。
カスミから教えられる剣術は、先生から教えてもらう戦い方とは全く違っていた。
刀を使った特殊な戦い方。
不思議な構えや、残身の意識、抜刀術、フェイントを用いた下からの攻撃――などなど、とにかく剣術が強くなりたい俺には目から鱗の知識だった。
しかも、実際にかつてカスミを扱った剣豪が使っていた技だ。実戦での性能はお墨付き。現にいくつか先生で試した技は、見事に全部上手く決まった。
『ホロウも様になってきたね』
「そうだろ? カスミの使用者だからな、俺も早く歴代の剣豪達に追いつかないと」
『その意気その意気。ホロウは本当に筋がいいからね。きっと凄い剣豪になれるよ』
そう言ってカスミは笑う。
そうして夜――。
俺は夕食を食べに食堂へと向かう。
食堂には、兄二人が王都に行ってから全く口を開くことの無くなった父が一人。
俺のことはもうないものとして扱っているようだ。
現に俺に付き従う従者は一人もいない。朝は自分で起き、自分で着替え、そして自分で一日のスケジュールを把握して行動するのだ。
だが、今日は違った。
「おっと少し遅くなってすみません。荷物を整理していたらこんな時間に」
「すみません父さん。ただいま戻りました!」
そう、ついさっき王都から一時帰ってきたアラン兄さんとクエン兄さんの存在だ。
アラン兄さんは今や王都の魔術学院を優秀な成績で卒業し、王都で魔術師として騎士団で働いていた。そして次男であるクエン兄さんは、入れ替わるように現在リグレイス魔術学院で魔術を学んでいる。
二人の一時帰宅に、父さんは久しぶりに僅かに口元を綻ばせる。
「気にするな。久しぶりの家族での夕食だ。いろいろ話を聞かせて貰おうじゃないか」
「「はい!」」
そう言って、二人は席へとつく。
アラン兄さんはチラッと俺の方を見ると、ニコっとはにかんで見せる。
よかった、アラン兄さんは相変わらずだ。
久しぶりの会話のある夕食の席。少し昔に戻ったような、なんとも変な感覚だ。
そんな時だった。
不意に、父さんが俺の方へ向き口を開いたのは。
「ホロウ」
「は、はい……?」
名前を呼ばれたのはいつぶりだろうか。もうはるか遠い記憶だ。
「……いい機会だ。お前ももう十四歳。兄たちは立派に魔術師として成長していた頃だ」
「…………」
なんだろうか、別に今更俺もそうなれと言うつもりもないだろうに。
「セーラが言うには、剣術の腕は確かなものだそうじゃないか」
「……え、えぇ。多少腕に覚えはあります」
まさか父さんが剣術の話をするなんて。
だが、俺はそこで褒められるなどと微塵も思っていなかった。とすれば、この後にくる言葉は当然俺を突き落すものであるに違いない。
「そうか。そんなに剣に自信があるならば――――明日クエンと戦え」
「――は……え!?」
「父さん!?」
俺の困惑と同時に、アラン兄さんも思わず席から腰を上げ声を張り上げる。
一方で、隣に座るクエン兄さんは腕を組み、余裕な笑みで俺の方を見ている。
「ホロウ。お前のような家畜を、いつまでも養っていられるほどこの俺は優しくない。金だけかかりろくに役に立たない家畜など意味がない。魔術を使えない人間は家畜だ。そう教えてきたな?」
「はい……」
「だが、セーラが言うにはお前の剣術ならば魔術にも多少は対抗できるかもしれないそうじゃないか。だったら、いい機会だ。もしお前が魔術を使うクエンに勝てるのならば、今後もこの家で面倒を見てやろう。剣術の師も付けてやる」
おいおいおい……。
「だがもし負ければ、早々にこの家から出ていけ」
「なっ!」
アラン兄さんの顔が険しくなる。
「ただの能無しとして野垂れ死ぬか、多少剣の使える家畜として飼われ続けるか。家畜と言えど、使い道があるならば使ってやる。その剣で証明して見せろ……ホロウ」
「いいねえ、父さん! 俺に任せてくれて感謝するぜ、学院からわざわざ戻ってきたかいがあった! ホロウ、家畜であるてめえに引導を渡せる機会を待ってたんだ!」
「クエン!! 弟に向かってそんな――」
「父さんの言う事だ、何か俺が間違ってるか? これがヴァーミリア家というものだろ?」
クエンはギロリとアラン兄さんを睨みつける。
「それとこれとは――」
「決定事項だ」
父さんの低い厳格な声が、場を完全に沈める。
歯をギリギリと噛みしめ、拳を握るアラン兄さん。
そして、愉快そうにヘラヘラと笑みを浮かべるクエン兄さん。
こいつら…………剣術を、俺を舐めやがって。
「わかりました。その戦い…………受けて立ちますよ」
俺が勝てる何て、父さんもクエン兄さんも微塵も思っちゃいない。
俺のことを心配してくれているアラン兄さんだって、二人と違う感情とはいえそう思っている。
――だったら、やってやるよ。俺が特訓してきた剣術がどんなものか、見せてやる。
「ホロウ!」
「はっは! そうこなくっちゃ! 家畜だからって加減しねえぜ俺は!」
こうして、俺とクエン兄さんの戦いが決定した。
俺の未来を賭けた戦いが。
「あんな親父ぶった斬ればいいのよ!!」
カスミは部屋に戻るなり人型に戻り、バンバンとベッドの上で暴れ回った。
カスミはこの家に来てからというもの、この家については散々悪態をついていた。俺が虐げられるたびにこうして怒りを露わにしている。
まあ、今や諦観し始めている俺の代わりに怒ってくれるのはありがたいことだけどな。
「いや、さすがに斬ったらまずいだろ。ムカつくけど」
「出て行けっていうのよ!? ――そうだ、いっそのこと斬り捨てて、ホロウがこの家の当主に……」
と、カスミは悪い顔でくっくっくと笑みを浮かべる。
おいおい、冗談でも発言が怖いぞ……。
それに俺は当主の座に興味はない。こんな家こっちから願い下げだ。
「落ち着けよカスミ。確かにイライラするけどよ、遅かれ早かれこうなってたさ」
「もう……」
カスミは少し拗ねた様子で唇を尖らせる。
だが、実際問題。
魔術師との実戦……今まで俺がやろうと思っても出来なかったことだ。ある意味いい機会ではある。
剣豪の剣技を学び、魔術を斬れる術がある。
スペックだけを見ればきっといい勝負が出来るはずなのだ。だが、俺には決定的に実戦経験がない。セーラとは剣同士だったし。
勝敗はやってみなければわからない。
仮にもクエン兄さんは性格は置いといて、戦闘センスは周囲からもかなり評価されている人物だ。
アラン兄さんも一目置いている。学院でもかなりの好成績だと聞くし、弱いと言うことはないだろう。
「それにさ、いずれこの家は出ていこうと思ってたんだ。たとえ負けたとしても、ちょっと予定が早まるだけさ」
「そうだけど……負けて出てくとか絶対私嫌なんだけど」
カスミがじとーっとした目で俺を見る。
「そりゃもちろん俺もさ。負ける気は毛頭ない。俺の成長はカスミが一番よくわかってるだろ?」
ちょっとツンツンとしていたカスミの顔が、僅かに柔らかくなる。
「……はぁ、でも私はそんな条件がどうとかより、ホロウが家畜だのなんだの好きかって言われてぞんざいに扱われているのが腹立ってるんだけど」
カスミは三角座りした膝の間から、上目遣いで俺を見つめる。
「はは、ありがとな。カスミが味方でいてくれるだけ俺は嬉しいよ」
とその時、コンコンと部屋のノックがなる。
誰だ……この部屋に来る奴なんてこの家にはいないが――てことはアラン兄さんか。
「カスミ」
カスミは俺の返事にすぐさま頷くと、すっと刀へと切り替わる。
俺はカスミを鞘に戻し、ドアへと近づいていくと、そっと開ける。
そこには、予想通りアラン兄さんが立っていた。
「アラン兄さん」
「ホロウ……」
アラン兄さんは、明らかに焦っていた。
そりゃそうだろう、帰ってきてそうそうこんな事態だなんて想定外にも程がある。
俺のことをいつも必要以上に心配してくれるアラン兄さんのことだ、いつも以上に心配なんだろう。
「どうしたの、アラン兄さん」
「……さっきの父さんの話さ」
アラン兄さんの顔は、普段より険しい。
「あぁ。まさかクエン兄さんと戦うことになるとはね。確かに剣術の腕は磨いてきたけどさ。まあ魔術師にどこまで通用するか楽しみではあるよ」
「楽しみって……ホロウお前いいのか? 負けたら家を追い出されるんだぞ?」
「まあ、この家での生活に別に未練はないし……いずれ出る予定だったからそっちは気にしてないよ。それにほら、別に負けると決まった訳じゃ――」
「魔術師に勝てる訳がないだろ!!」
そこで初めて、アラン兄さんが声を荒げる。
握りしめた手が、僅かに震えている。
「アラン兄さん……?」
「魔術と剣術だぞ……! 下手したら、怪我だけじゃすまない……! いや、相手はあのクエンだ、手加減なんて絶対するつもりはないぞ……!」
まあ確かに、手加減はしないだろうってのは同意だ。
「それなのに父さんは何を考えているんだ……負けたら追い出す? まだ十四の子供が、一人で追い出されて生きていけると思ってるのか!?」
アラン兄さんの怒りは、どうやら魔術の強さという常識を知らない俺へのもの(もちろん心配しているが故だが)だったが、その怒りはそもそもこんなことをさせようとしている父さんへと向いていた。
少しの沈黙のあと、アラン兄さんは頭を軽く抱え、深くため息をつく。
「……悪い、熱くなった」
「いや……アラン兄さんの言いたいことはわかるよ」
この魔術全盛の時代で、魔術を使わないで戦闘に勝つというのがどれほど無謀なことなのか、それはサミエル先生から嫌と言う程聞かされている。父さんにも家畜だとずっと蔑まれてたしな。
普段俺の剣術が凄いと褒めてくれるアラン兄さんがわざわざ俺に現実を突き付けるようなことを言ったんだ。本当に俺を心配してくれているんだ。
それに、ただの貴族のボンボンが突然一人追い出されて何かできる何て普通は思わないだろう。それも、この時代では圧倒的に不利な魔術の使えない身体で。
「もう一度直談判してくる。……まあ望み薄だろうが。絶対にホロウを見捨てさせはしない」
そう言って、アラン兄さんは部屋を後にした。
「いいお兄さんね、相変わらず」
人型に戻ったカスミが頷きながら言う。
「まあな。父さんと違ってきっといい当主になるよ。非魔術師への差別もないし。だから、それまでは着実に成長していってもらわないと。俺なんて構ってないでさ」
俺はそう言い、ふぅっと溜息をつく。
クエン兄さんとの戦いは、たとえアラン兄さんの直談判があったとしても避けられないだろう。勝てば残り、負ければ追い出される。
どうするか、俺の心は決まっていた。
だがそれとは別に、純粋に魔術師と戦えることが楽しみでもあった。これは否定できない事実だ。
その俺の顔を、カスミが覗き込んでくる。
「あ、なんか楽しそうな顔してる」
「バレたか。実は結構楽しみなんだよ。この家のこととか追い出されるとか正直どうだもいい。俺はただ、カスミから学んだ剣術が魔術にどれだけ対抗できるのか、それが楽しみで仕方がない」
「いいねぇ~。私も、あのムカつく親父とクエンの奴が度肝抜かれる姿を見たいわ」
「ははは! 任せておけよ、期待に応えてやるさ」
翌日。
結局アラン兄さんの直談判は取り付く島もなく却下されたようで、予定通り朝から俺達は訓練場に集められた。
俺が訓練場に到着すると、すでに全員が集まっていた。
「ほ、本気ですか!?」
驚きの声を上げるセーラ先生。
どうやら、これから行われる戦いは寝耳に水だったようだ。
「安心しろ。お前はアランとクエンの魔術教育に多大な貢献をしてくれた。仕事はなくなるがしっかりと新たな仕事や住まいの手配はしてやる」
「そうではなく……本気でホロウ君を……!? 剣術と魔術ですよ!? 勝負にならないことくらいあなたが一番よくわかっているでしょう……ホロウ君をクエン君に殺させる気ですか!?」
その言葉に、父さんは何も言わず睨みつけるようにセーラを見る。
「…………本気なんですね」
「当たり前だ。さっさと始めるぞ、揃ったようだ」
全員の視線が、俺に注がれる。
『人気者だね、ホロウ』
「皮肉か?」
『ふふ、あのクソおやじの鼻っ柱をへし折ってやりましょ』
「それには賛成だ」
「ホロウ君……」
セーラ先生は、ものすごい同情をするような目で俺を見てくる。
まあそりゃそうだろうな。魔術師に対しての勝率は0ではない、程度の評価なんだ。クエン兄さん相手に勝てるわけがないと思っているんだろう。
だが、今日の俺の目的は勝ち負けじゃない。
ただ一流の魔術師に対して俺の剣術がどこまで通用するか、それが試してみたいだけなんだ。
「安心してよ、先生。この剣でどれだけやれるか楽しみなんだから」
「君は…………怪我だけはどうか」
セーラ先生はそっと俺の頭を撫でる。
すると、パンパンと父さんは手を叩く。
「さっさと始めるぞ。クエン、準備はいいか?」
「もちろん、絶好調さ! 学院で学んでさらにパワーアップした魔術をお見せしますよ!」
「それは楽しみだ。遠慮はいらない。ヴァーミリア家の一員として相応しい戦いを見せてみろ」
「はい!」
クエンはニヤニヤとした下卑た笑みを浮かべ俺の方を見る。
まるで獲物を与えられた犬だな。
クエンはそのまま訓練場の中央に立つ。まるで成果発表会かのように、負けるなど微塵も思っていない、堂々とした立ち居振る舞い。白い魔術戦闘服に身を包み、それに青い髪が映える。
「クエン兄さん」
「くっくっく、良く逃げなかったなあ、ホロウ。魔術の恐ろしさを知らない訳じゃあるまいに」
「まあね。クエン兄さんも剣術の恐ろしさを知らないだろ? 教えてあげるよ、いつものお礼にさ」
クエンの額が、ピクリと動く。
「……ほう、言うようになったな、家畜の分際で。魔術を使う者を人間と呼ぶんだ。九年前のあの日、お前は家畜に成り下がった。本来なら言葉を交わすことすらおこがましいが、何故かお前に優しいアラン兄さんに免じてこうして話してやってるんだ。もう少し畏まったらどうだ? 尻尾振って首を垂れるなら、重症くらいで済ませてやるぞ」
「面白いことを言うね、クエン兄さん。学院にいって話術でも磨いてきたの?」
「あぁ……!?」
その俺の言葉に、クエンの顔が邪悪に歪む。
「随分舐めた口効くようになったじゃねえか家畜」
「別にクエン兄さんに家畜呼ばわりされるなんてもう慣れっこさ。今更気にならないね。ただ、多少の恨みはもしかしたら剣術に乗っかるかもしれない。だから……死にたくなかったら防御に徹した方がいいよ」
「――ぜってえ殺す」
『私達の初陣には持ってこいだ! かましてやろう、ホロウ!』
「当然!」
「それでは、私が闘いを取り仕切らせてもらうわ。二人とも、準備はいい?」
俺とクエンはお互い先生に頷く。
「――それでは、始め!」
その声を合図に、戦いの幕が切って落とされた。
「さあこい、クエン兄さん……いや、魔術師!」
俺は刀を抜かず、腰を落として刀にそって手を添える。
「何の真似だ、家畜。この期に及んで命乞いをする気になったか? まあ今更助ける気は毛頭ないが」
「まあ見てなって。いつでもかかってきていいよ。これが俺の剣術だ」
「……そうか。随分と殺して欲しいみたいだなぁぁ!!」
そう言い、クエンは右手を前にかざす。
瞬間、魔力が一気に練り上げられるのを感じる。
クエンの手の前に魔法陣が浮かび上がる。
あれは――火属性の魔法陣……! クエンの適性属性!
「焼け死ね! "火球"!」
展開された魔法陣から、直径二メートル級の火球が射出される。
轟轟と炎の燃え上がる音が弾ける。
一気に気温が上がり、俺の肌がチリチリと熱くなる。
「なっ……クエン! ホロウを殺す気か!?」
「くっくっく!! 父さんからはそう聞いてるぜ!!」
加減のない、特大の火球。
先生でさえこの規模の火球は出せないだろう。
腐っても魔術師としての才能はずば抜けているか。
『感心してないでいくわよ』
あぁ、わかってるさ。
俺はその火球が放たれるコンマ数秒前、火球の方へと自ら動き出していた。
それはまるで火球へと突撃するかのような、低空姿勢での突進。
「なっ、自滅する気か!?」
アラン兄さんが俺の予想外の動きに慌てるが、俺には視えている。
「ははぁ! 炎に錯乱するとはまさに家畜! 相応しい死に際だぜ!!」
迫りくる巨大な影を正面から迎える。
クエンの想いとは裏腹に、俺はすんでのところで火球の軌道下を掻い潜る。
放たれた火球が俺の頭上スレスレを、熱気を上げながら通過する。
綺麗にすれ違った俺は、そのまま魔術発動直後のクエンに詰め寄る。
「ははは! 丸焦げだ――――あぁ!?」
予想に反し、火球を掻い潜ってきた俺の姿にクエンは思わずアホな声を上げる。
無意識か、そんな避けられ詰められる経験がないのか、僅かにクエンの足が後方へと退く。
「な、何故この威力の火球を前に踏み込める!?」
まずは挨拶代わりの一発――!
「ふっ!!」
身体を捻り、刀を鞘の中で加速させる。
引き抜いた刀は、目にも止まらぬ速さで半月状の軌跡を描く。
「――――」
セーラ先生も、刀を受けたクエンも、そして父さんさえも――。
この場にいる誰もが、俺の動きが全く目で追えず唖然とした表情を浮かべている。
「なに……が――」
瞬間、クエンの胸元が引き裂かれ、露わになった胸元からじわっと血が滲み出る。
「ぐっ……こ……れは……!?」
それに気づき、クエンは慌てて後ずさりする。
額には汗が滲んでいる。
だが、その引きを俺は見逃さない。
さらに追撃するように二の太刀、三の太刀を加える。
「ぐぉ……ぉ……ウ……"土壁"……!!」
一瞬にして魔法陣が浮かび上がり、俺とクエンを引き裂くように一枚の土の壁が地面からせりあがる。
二属適合者――魔術界でも稀に見る、二属性に愛された魔術師。
クエンは火だけでなく、土属性魔術までも多彩に操ることができる。
だが――。
「俺には関係ねえ! 視えてるぜ、クエン兄さん!」
俺の特異体質が、その魔術の根底を見抜く。
派手な破壊もなく、大げさな爆発もない。
ただあっさりと。
魔力の結び目を解く特異な攻撃が、土の壁をいともたやすく元の土塊へと返す。
「なにっ!?」
クエンの顔は、予想以上の恐怖がにじみ出ていた。
安全圏から放たれる高威力の魔術。それは攻防一体の攻撃となり、近距離での戦闘など起こるはずもなかった。
だが今、俺の刃はクエンに肉薄していた。
首元まで迫る殺気。魔術を出しても意にも介さず突っ込んでくる、狂戦士が如き姿。
クエンの額に溢れ出る汗と、僅かに震える手が恐怖を物語っていた。
初めて感じる、死の予感。
「あれ、予想外だった? まさか俺じゃあクエン兄さんに傷一つ付けられないとでも思ってた?」
「…………ッ」
クエンは自分の胸元に触れながら、ごくりと息を飲む。
「こ、この俺の魔術が……たかが剣術如き……たかが家畜ごときに……!!」
わなわなと怒りに震えるが、もはや最初の威勢はない。
俺は肩を竦める。
「致命傷を負わないと理解できない感じ?」
「――!」
「す、すごい……すごいぞホロウ!!」
遠巻きに眺めるアラン兄さんは、目を輝かせて声を上げる。
その隣で父さんは表情を変えない――しかし、僅かにその眼の奥が揺れているのを俺は感じ取っていた。
初めて見る、父さんの動揺。
「ホロウ、お前は遂に剣術を――――」
「何をやってる、クエン!!」
父さんの喝が飛ぶ。
「油断何かするからそんなことになるんだ。気合いを入れろ! 家畜にいいようにされてどうする!! たかが剣術……魔術も使えない家畜だ! 俺は貴様をそんな風に育てた覚えはない!」
相変わらずの家畜呼ばわりご苦労様です。
クエンはその声に、必死にコクコクと頷く。
『嫌だ嫌だ、ホロウの力をまともに見ようとしないなんて上に立つ者として失格ね。もう決まりだ』
カスミの声が冷たい。
「そ、そうだ……俺はただ油断してただけだ……! あの家畜だぞ? 何かの間違いに決まっている……! この俺は、ヴァーミリア家が次男、クエン・ヴァーミリア! この俺が負ける訳がないんだ……訳がないんだあああ!!」
自分を奮い立たせるように、クエンは声を張り上げる。
「かかってこい、クエン!!」
「ほざけぇ! 魔術師こそが最強なんだ!!」
「魔術師が最強? はっ、そんな常識……俺がひっくり返してやる! これは最初の一歩だ。お前たちは精々、俺が成り上がってく姿を指くわえて下から眺めてるんだな!!」
「ふざ……ふざけるなああ!! ここで死ね、家畜がああ!!」
クエンが多重の魔法陣を展開する。
同時に三種類以上の魔術を発動――確かに、魔術師としては才能の塊だろう。
だが――。
「俺の剣の前じゃ無意味だ」
俺は鍛え上げた脚力で一気に詰め寄り、掲げた刀を高速で二度振り切る。
刹那。
クエンが展開した魔法陣が、全て音を立てて壊れる。
「は――――はぁ……?」
本来有り得ない事態に、クエンの思考が追い付かない。
「な、な……に……が……」
「終わりだ」
「ぐぅ……! うわああああ!! し、死にたくない……!! やめ、やめてくれ……ホ、ホロウ! きょ、兄弟だろ!? こ、殺すなんて冗談さ……!」
半べそをかきながら、醜い顔で慌てて逃げ出そうと地面に尻もちを付き、後ずさりながら懇願する。
あぁ、こんな顔みたくもない。
俺はニッコリと、クエンに向かって微笑む。
「は……はは……!」
――と、次の瞬間。
クエンの眼前に魔法陣が浮かび上がる。
「す、隙だらけだぜ、クソ野郎がああ!! 俺様が負ける訳ないん――――」
しかし。
魔術の発動の予兆を感じ取った俺はそれに騙されることなく、一振りで魔法陣を破壊する。
俺はそのまま切り上げた刀を切り返し、クエンの身体の右斜め上から思い切り振りぬく。
「ぎゃああああああ!!!」
クエンは無様な声を上げ、その場に倒れこむ。
静寂が訪れる。誰も想像だにしなかった光景に、一言も発せないでいた。
ここに、クエンとの決着がついた。