6. 手掛かりはヘアクリップ
「和ちゃん、ごはんよぉ――――」
ママの声で目を覚ました和真は、ベッドから身を起こし、寝ぼけ眼で周りを見回す。
「あれ? 俺、寝ちゃってた? え? いつから……?」
すっかり薄暗くなった部屋は、何事もなかったようにいつも通りだった。
和真は一生懸命に思い出す。
芽依にメタバースを案内してもらって、画廊に行って、変な男に絡まれて戻ってきて……。
「あれ? その後どうなったんだ? 芽依は?」
和真はその後の記憶がすっぽりと抜けていることに気がついた。
急いでスマホを見ると、LINEの未読がたまっている。読むと芽依もいつの間にか自宅にいて困惑しているらしい。
いったい何が……?
しかし、いくら思い出そうとしても何も思い出せない。飲みすぎた人が記憶をなくしてしまうというのはこういうことなんじゃないかと思ったが、さすがに酒など飲むわけがない。
和真はいぶかしげな顔でバタリとベッドに横たわり、腕を伸ばした。と、その時、何かがチクリと手の甲に当たった。
ん……?
手探りで探すと、それは真紅のヘアクリップの破片だった。
「ん? 誰のヘアクリップだ……?」
和真はジッとヘアクリップを見つめる。こんな物、つける人に心当たりなどない。しかし、この真紅の輝きはどこかで見覚えがある。金髪に着けたら似合いそうだ……。
「金髪……、え?」
その瞬間、ブワッとすべての記憶が戻ってきた。
「あっ! これはあの娘の……、えっ!」
和真は現実離れした戦闘の一部始終を思い出し、青ざめる。
「あれ? 夢だよな……? しかし、これは……」
ヘアクリップを見つめ、混乱する和真。
そして、ベッドから飛び降りると本棚に走った。丸く切り抜かれていたはずの壁はどこにも継ぎ目が見えないくらい完璧に元通りだったし、男と一緒に消えていったはずの本棚は何事もなかったようにそのままだった。
和真は急いで隠しておいた薄い本を探してみる。
「あれっ!? ない!」
芽依に見られた恥ずかしい本ではあったが、和真には宝物だった。
「な、ない……」
和真は思わずひざから崩れ落ちた。
あの女の子に没収されたに違いない。なんということだ……。
しばらく茫然としていた和真だったが、一体何が起きたのか整理してみようと、ベットに戻り、考え込んだ。
「仮想現実空間の男がここへやってきて、不可思議な攻撃をして芽依が犯されかけた……んだよな」
しかし、この段階で和真は頭を抱えてしまう。これが事実だとすると、仮想現実空間とこの部屋が地続きだというとんでもない話を受け入れざるを得なくなってしまう。リアルな現実がなぜ仮想現実空間と地続きなのか?
それで、自称『龍』の女の子が出てきて撃破、その際に部屋を破壊して二人の記憶を消し、その後部屋は元通り。でもヘアクリップは回収し損ねたという経緯だった。
そして本棚を元に戻すときに薄い本も回収されてしまった……、本当に?
そもそも消し飛ばしてしまった床や壁、本棚がなぜ復元されているのか?
これもまた想像を絶する話でどうにも理解不能だった。
和真はふぅと大きく息をつくと、鋭く切り裂かれたヘアクリップの断面をなで、この奇妙な事件をどう考えたらいいのか途方に暮れた。
◇
翌日、和真は東京の表参道に来ていた。ネットで調べたところ、ヘアクリップは有名なデザイナーの限定商品らしく、関東では表参道のお店でしか販売されていなかった。
瀟洒なお店が立ち並ぶ表通りから一本裏路地に入ると、小ぢんまりとしたアパレルやカフェなどがぽつりぽつりと並んでいる。そして、見えてきた一面ガラス張りの店構えにピンクのドア、お目当ての店だった。
一旦通り過ぎながら中の様子をうかがった和真は、大きく息をつくと振り返り、ピンクのドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
くしゃくしゃっとした白いブラウスに、金属がチャラチャラとあしらわれた黒いスカートを履いた店員が和真をちらっと見る。
明らかに場違いな自分に和真は思わず顔を赤くした。
そして、意を決すると、ヘアクリップを見せて聞いてみる。
「あのぉ、これなんですけど、こちらの店の商品ですか?」
「あら、壊れちゃったのね。そうよ、うちのだわ」
店員は淡々と答える。
「金髪でおかっぱの女の子の持ち物なんですが、ご存じないですか?」
「え? その子ならさっき来たわよ。同じの買っていったけど?」
「えっ!? ど、ど、ど、どっち行きました?」
和真は思いがけない展開に、思わず挙動不審になりながら前のめりに聞いた。
「うーん、原宿駅の方かな? あっちよ」
「あ、ありがとうございます!」
やはりあの子は存在していたのだ! 不可思議な力を行使した龍の女の子。
和真はバクバクと心臓が激しく高鳴るのを感じた。
7. 宇宙けーび隊
和真はダッシュした。
これを逃せば一生会うことはできない。和真は自分に訪れた千載一遇のチャンスを逃すまいと必死に駆けた。
大通りに突き当たって急停止。和真は肩で息をしながら悩む。原宿駅へは右でも左でも行ける、どっちだろうか? 間違えたら一生会えないかもしれない究極の選択である。
「大通りか竹下通りか……どっちだ?」
女の子だったらどっちに行きたいだろうか?
うーん、うーん……。
頭をかきむしる和真。
すると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「キャハッ!」
ん? キャハ?
見ると、おしゃれなカフェのガラス越しに金髪頭が見える。
「い、いた!」
和真の心臓がキュゥっとなった。
不思議な技で暴漢を退治し、壊した部屋を完璧に復元して自分の記憶を消した女の子、それが目の前にいる。
この不可思議な女の子が自分の人生を大きく変えるに違いない。和真は何の根拠もなかったがそんな確信を持っていた。そして、何度か大きく深呼吸をすると、カフェのドアをゆっくりと押す。
彼女はスマホを耳に当てて楽しそうに話してる。和真は近くに席を取り、電話が終わるのを待ってみた。
まだ幼さが残るものの、彼女の整った目鼻立ちや印象的な赤い瞳、そして透き通るような白い肌は上質な気品を感じさせる。
すると、彼女がチラッと和真を見た。
そして、少し驚いた様子で手早く電話を切る。
「あら、ロリの君じゃない」
ニヤッと笑う彼女。
「ロ、ロリは止めてください。本も返してください!」
和真は顔を赤くして答える。
「我に惚れちゃダメじゃぞ。キャハッ!」
彼女は冗談めかして嬉しそうに笑う。
「ほ、惚れはしないですが、ちょっとお話を聞かせてもらえませんか?」
「ふーん、つまらん奴じゃ。それにしてもよくここが分かったな。その努力に免じて答えてやろう。何が聞きたい?」
「えーと、『龍』っておっしゃってましたが、あなたはどういう方なんですか?」
「いや、だから龍じゃよ、ドラゴン。お主、ドラゴンも知らんのか?」
と、つまらなそうな顔をしてアイスカフェオレをストローで吸った。
「もちろん、ドラゴンは知ってますが……、でも人間の女の子じゃないですか」
「か――――っ! こんなところでドラゴンの姿でおってみい、カフェにも入れんじゃろうが!」
「あ、では人化してるってこと……ですね?」
「いかにも」
嬉しそうに笑う。
「で、昨日ハッカーを退治したのはドラゴンのお仕事……なんですか?」
「そうじゃ。最近あの手のハッカーたちがこの星を荒らすんでな、見つけては潰しておるんじゃがイタチごっこじゃ」
そう言って肩をすくめる。
「ハッカーが荒らす……、彼らはどうやって荒らすんですか?」
「ふふーん、その辺は言えんな。企業秘密じゃ」
ニカッと笑いながらカフェオレをズズーっと最後まで吸い切った。
「超能力とか?」
「か――――っ! お主はセンス無いのう。この世界の事象は全て科学で説明できる。そんな超能力とかいう都合のいいもんはないわい!」
「え? では、あんな空間を切り取るようなことも、ドラゴンも科学……なんですか?」
「当たり前じゃい」
和真は困惑した。きっと秘密の超能力部隊がいるのかと思っていたのに科学だという。高度に発達した科学は魔法と区別がつかないということだろうが、そんな科学は想像もつかなかった。
「現代の科学では到底無理……だと思うんですが、となると、あなたは宇宙人……ですか?」
「はっはっは! 宇宙人と来たか」
楽しそうに笑い、そして、ストローで氷をカラカラと回し、
「そもそも宇宙人ってなんじゃ? 宇宙から来たら宇宙人なんか? ん?」
と、目を細めて和真を見る。
「うーん、そう……ですかね?」
「我は地球生まれだからそういう意味では地球人じゃな。でも、ドラゴンだから地球人というのも変……か」
ストローをくわえてそれを軽く振り回しながら宙を見る。
和真はさらに困惑した。地球生まれのドラゴンの超科学、一体どういうことだろうか?
「お話聞いてると、あなたの存在はきっとこの世界の根幹にかかわる話のように思うんですが、そうなんですよね?」
「そりゃ当たり前じゃ。だから言えん」
そう言うと彼女は手早く荷物を整理してウエストポーチを肩にかけ立ち上がる。
「あっ!? 待ってください。何か僕にできることないですか? 何でもやります!」
和真は必死だった。この世界の秘密を前にしてここで終わりにするなんてできないのだ。
彼女は何かを考えこみ、そして和真をちらっと見ると、ウエストポーチから名刺を一枚出し、
「この世界の秘密が分かったらここに来な。正解じゃったら仲間にしてやろう」
そう言って彼女は和真の肩をポンポンと叩くと、颯爽と店を後にした。
「分かったらって……、分かんないから聞いてるのに……」
風に揺れる金髪を和真は目で追いながらぼやく。
直後、彼女はピョンと飛び、そのまますうっと消えていった。
「あっ!」
和真は不可思議な少女の言う『科学』に頭が痛くなった。一体ワープなどどうやって科学で実現するのだろうか?
ため息をつきながら名刺を見ると、
『宇宙けーび隊 副長 レヴィア 東京都港区田町xーxx』
と、書いてある。
まるで冗談みたいな名刺だった。
8. 龍の創りし世界
夕方、和真は芽依を部屋に呼んだ。
「はーい! 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
相変わらずノックもせず、飛び込んでくる芽依。
和真はムッとしたが、今はそれどころじゃないのだ。
「来てもらって悪いね。ちょっと聞きたいことがあって」
「何? スリーサイズ? それはノーコメントよ」
手でバッテンを作る芽依。
「いや、そんなんじゃなくて!」
「ふふーん、じゃ何? 恋の相談?」
和真は芽依のテンションについて行けず、ふぅと息をついた。
「何なのよ? もったいぶらずに言いなさいよ」
ニコニコする芽依。
「メタバースのさ、あのアバターのまま、ここに人を出したりできる?」
「は?」
芽依は呆れ果てた顔で和真を見る。
「いやだから、例えば芽依のあの大人なアバターでここに出てこれるかってこと」
「できる訳ないじゃん。あれはコンピューターが合成してる像なんだから、リアルな世界じゃ目に見えないわよ」
「いや、それはわかるんだけど、もし、できるとしたらどういうことが考えられるかな?」
「だから、できないって!」
不機嫌になる芽依。
「じゃあ、こう考えよう。もし、アバターのままの人がここに出てきたら、それはどういう可能性が考えられる?」
「まぁ、寝ぼけてるかドラッグのキメすぎだね」
肩をすくめる芽依。
「ま、まぁそれもあるかもだけど、他には?」
「うーん、何しろ像を合成する仕組みがなきゃ無理なんだから、プロジェクターかなんかで投影とかじゃないの?」
「でもそれじゃ触れないよね」
「あったり前じゃない!」
「触れるとしたら?」
「え――――っ? 触れる像? それはもうここが仮想現実空間ってことよ」
「へっ!?」
その投げやりな話に、和真は稲妻のような衝撃を受けた。
そう、脳の中のもやもやしたものが全て一直線につながったのだ。
「それだ!」
和真はパン! とローテーブルを叩き、お茶を入れたカップが倒れんばかりにガタガタと揺れる。
「へ? 何が?」
「ここは実は仮想現実空間だったんだよ!」
興奮する和真をジト目で見ながら、
「何を馬鹿なこと言ってんのよ! ここは現実世界! ほら! 触ればプニプニ感じるでしょ? こんなの仮想現実じゃ無理よ!」
そう言いながら和真の手を取って揉んだ。
「そりゃ、メタバースじゃ触覚は無理かもだけど、それはコンピューターの性能が低いからで、それこそ超超超スーパーコンピューターなら実現できるよね?」
「んー、今の人類じゃ無理だけど、それこそ宇宙人が作ったような凄いコンピューターがあったら……、まぁ、できなくはない……かな? でも、そんなのやる意味ないよ」
肩をすくめる芽依。
「いや、龍なら……ドラゴンなら作れるはずだ……」
目をキラキラ輝かせながら和真は宙を見上げる。
「ドラゴン……? 君、頭大丈夫?」
「いや、大丈夫! 芽依ありがとう!」
和真はそう言って芽依の手をぎゅっと握りしめ、ブンブンと振った。
「こんなこと他の人に言っちゃダメよ? キチガイだって思われちゃうわよ」
「うんうん、言わない! 人間には言わない!」
和真はドラゴンの仲間になれる可能性に胸が高鳴った。
◇
芽依が帰った後、和真はスマホを駆使していろいろなサイトを読み漁った。この世界が仮想現実空間であるという説は実は割とポピュラーで『シミュレーション仮説』と呼ばれていて、テスラやスペースXで有名な実業家イーロン・マスクも信じているらしい。
「よし! いけるぞ!」
和真はノリノリで調査を進めていくが、ネガティブな意見も次々と出てくる。要はそんな高性能なコンピューターは作れないし、動かすエネルギーもないというのだ。確かに地球を丸っとシミュレーションしようと思ったら地球の一万倍くらい大きなサイズのコンピューターが必要だし、そんなのを動かすエネルギーも用意できない。
「うーん、無理なのかなぁ……」
頭を抱えていると、ある説が目に入った。『そもそも厳密にシミュレーションする必要はなく、人間が知覚できる範囲、観測機器が観測できる範囲だけシミュレートすれば計算量は劇的に減らせる』
「おぉ! これだこれ!」
和真はさらに読み込んだ。結論から行くと十五ヨタ・プロップスの計算力、スーパーコンピューターの一兆倍の計算力があればこの地球はシミュレートできるらしい。なんと現実解だったのだ。
和真はついにこの世界の真実にたどり着いたのだった。
9. 神仙界
その夜、ベットに入った和真は寝つけずにいた。この世界があの金髪の女の子たちによって作られ、運営されている、それをハッカーがインチキして悪用している。それは今まで想像もしなかった世界だった。明日、この正解を彼女に提示して仲間に入れてもらうのだ。
しかし……。そんな世界の運営側に行って自分は何ができるのだろう? この世界をメタバースのように縦横無尽に飛び回り、好き放題できる、それは確かに魅力ではあったが、不登校の自分が活躍できるとも思えない。また苦しい思いをして行かなくなってしまう未来しか見えなかった。
「なんかピンとこないなー」
和真は布団に潜る。
と、その時、パパのことを思い出した。忘れもしない死ぬ直前、パパは何かを見て固まり、そして転落した。パパは何を見たんだろう? サイトの衛星写真で見てもそこにはただの入り江しかなかった。
「もしかして……、彼女ならそれを調べられる?」
和真はガバっと起き上がり、その着想に思わず手が震えた。
この世界がメタバースみたいな構造だったら記録は必ず残しているはず。あの瞬間の入り江の情報だってあるかもしれない。パパが何を見たのか? 知りたくて知りたくて、でもあきらめざるを得なかった本当の理由が分かるかもしれない。
それは和真にとってコペルニクス的転回だった。メタバースから来た仮想現実空間を追い求めたら過去のトラウマをピンポイントに狙えることになったのだ。
「こ、これだよ……」
暗闇のベッドの上でギュッとこぶしを握り、あの事件以来止まってしまっていた自分の人生の歯車がギシギシと音を立てながら回りだした音を聞いた。
◇
翌日、和真は名刺の住所を頼りに三田に来ていた。
そこは瀟洒な高級マンションで、インターホンを押すと奥の特別エレベーターで最上階へ来るように案内される。
和真は言われるがままに進み、最上階のボタンを押した。
すると、ガン! という衝撃音がして、とんでもない速度で上へと加速し始める。それはエレベーターとかいうレベルではなく、まるでロケットのような圧倒的な加速だった。
うわぁ!
思わず奥のガラスの壁に手をつく和真。
急に開ける視界、目の前には赤い東京タワーがそびえている。
「えっ!?」
エレベーターはガラスのチューブの中をぐんぐんと加速しながら空へとすっ飛んでいく。まるで宇宙エレベーターである。
唖然とする和真をしり目にエレベーターはさらに加速しながら宇宙を目指した。なぜマンションのエレベーターに乗ったら宇宙に飛ばされるのか? ドラゴンに会いに行くということをなめていた自分の浅はかさに、和真はギリッと奥歯を鳴らした。
東京タワーが下に小さくなり、皇居が小さくなっていく。雲を抜けると、関東平野が小さくなって青空が真っ暗になる。宇宙に入ってきたのだ。そして星空が見えてきたころ、シュウゥゥンという音がして加速が止まった。
するとエレベーター内は無重力となってふわふわと身体が浮かび上がってくる。
「あわわわ! 一体何なんだよ!」
和真は、いうこと効かずにふわふわ浮いてしまう身体を持て余し、悪態をつく。
やがて上昇速度がどんどん落ちていき、重力が戻ってきた時だった、チン! と音がしてエレベーターが止まる。
いよいよついたらしい。和真は大きく息をつく。
ドアが開くとそこには霧のたちこめた大きな湖の水面が広がっていた。
「はぁ!?」
和真は予想外の光景に思わず口をあんぐりと開けてしまう。宇宙に来たら宇宙ステーションでもあるのかと思ったら荘厳な大自然だった。
水面からは温泉のように湯気が立ち上り、あちこちに大きな岩が突き出している。まるで中国の山水画のような静かで幻想的な世界であり、仙人が住んでいそうである。
しかし、この先どうしたらいいのだろうか?
「泳げとでもいうの? なんなの?」
困惑しながら和真は水をすくってみる。
ひやりと冷たい水はどこまでも澄んでいて清涼だった。ひざ位の深さだろうか、底には丸い石がゴロゴロと転がっている。
和真は辺りを見回しながらしばらく待ってみたが何も起こりそうにない。大きく息をつくと、和真は渋い顔をしながらそろそろと足を下したが、なんと、足は沈まなかった。水面の上に立ててしまったのだ。
えっ?
まるでガラスの上に立ったかのような不思議な感覚だった。
しかし、一歩踏み出せば水面には波紋が広がっていくのでやはり水である。しかしそれでも立ててしまうのだ。
すると、水中に細かな青い光がまるで夜光虫のようにぼうっと灯った。そして、その光はまるで誘導灯のようにずっと湖の奥の方まで続いていた。
どうやらこの光の方へ歩けということらしい。
和真は恐る恐る足を出し、霧の濃い湖の奥へと歩き出す。
10. 美しきドラゴン
湖は異様な静けさに沈んでいる。ただ清らかな水と青い光、そして、霧が続いていた。人は死んだらこういうところへ来るのかもしれない。和真はそんなことをぼーっと考えながら歩いた。
しばらく進むと急に遠くから重低音の振動が響く。湖面がさざ波立ち、和真も足を取られてバランス取るのに必死になる。すると、霧の奥に巨大な影が動くのが見えてきた。小さなビル位あるような巨大なものがズーン、ズーンと足音を響かせながら湖面をやってくる。
和真は青ざめ、思わず後ずさった。
すると、ニュッと巨大な頭部が現れる、それはティラノサウルスのような恐竜に似た生き物だった。しかし、その頭はマイクロバスほどもあり、恐竜の何倍もデカい。
うわぁ!
あまりのことに和真は、近くに突き出ていた一軒家くらいのサイズの巨石へと走り、陰に隠れようとした。
ブゥン!
何かが和真の頭をかすめ、巨石を吹き飛ばす。
ズーン! ドボドボドボ……。
岩はまるで豆腐みたいにあっさりと粉々にされその破片を湖面に散らす。
飛んできたのはいかつい鱗に覆われたシッポだった。
ヒェッ!
和真はその衝撃にバランスを崩し、しりもちをつき、そのまま水中へと落ちていく。
慌ててもがく和真。
冷たい水の中は限りなく透明で、ポコポコと湧き上がる泡の向こうに怪物の影が近づいてきた。
急いで逃げようとする和真だったが、水中ではどうにもならない。
直後、黒く巨大な何かが和真の周りを覆う。慌ててもがく和真だったが……。
ザバァ!
なすすべなく捕まった和真は一気に水上へとすくい上げられた。
えっ!?
見回すとなんとそれは怪物の巨大な翼だったのだ。
巨大な翼に長いシッポ、全身いかつい鱗に覆われ、ぼぅっと金色の光を纏うその巨体に和真は凍り付く。
とげ状の鱗に覆われた頭部はずいっと和真に近づくと、巨大な真紅の瞳でぎょろりと和真をにらみ、グルルルル! と重低音でのどを鳴らした。
圧倒されていた和真だったが、その瞳の色を見てそれが誰だかわかってしまった。それはドラゴンの少女、レヴィアの瞳の色だったのだ。そう思えば金色に輝く巨体もどこか気品があり、美しくすらあった。
「こ、こんにちは、正解を見つけてきました」
髪の毛からポタポタとしずくを落としながら、和真は引きつった笑顔で挨拶をする。
ドラゴンはちょっと不愉快そうにグワァとのどを鳴らすと、
「小僧……、間違ってたら……食うぞ!」
と、腹に響く声で吠えた。
一メートルはあろうかという巨大な牙がキラッと光っている。和真はその恐ろし気な威圧に気おされつつも、カフェオレを飲むような少女が自分なんかを食べるはずがないと思いなおす。
「だ、大丈夫です。ここに来て確信が持てました。世界は仮想現実空間だったんです」
冷汗をかきながら答える。
「ふん! お主が足を踏み入れる世界はこういう暴力と理不尽の世界じゃ、それでも来たいか?」
「これが真実であると知った以上、逃げても無意味です」
和真はしっかりとした目で言った。
すると、ドラゴンはつまらなそうに、
「はぁ~! 脅かしがいのない奴じゃ!」
そう言うと、和真を解放する。そして、ボン! と爆発を起こすと、中から金髪おかっぱの少女が現れた。
そして、面倒くさそうな顔で和真をギロっとにらむと、手のひらを和真の額にかざす。
温かな光に包まれる和真。
気がつくと服も髪も一気に乾いていた。
おぉ……。
和真が驚いていると、レヴィアはあごでくいっと奥を指し、
「ついてこい」
と、すたすたと歩き出す。
◇
しばらく行くと見えてきたのは、アテネのパルテノン神殿のような白亜の神殿だった。立ち並ぶ大理石でできた優美な石柱には精緻な幻獣が彫られ、炎の明かりが揺れている。
「うわぁ、素敵なところですね」
階段をのぼりながら和真が話しかけると、
「おだてたってなにも出んぞ」
ニヤッと笑った。
階段を上って中へと進むと広大な広間がある。天井にはフラスコに描かれたような荘厳な天井画が広がり、炎の明かりが揺らめいて幽玄な世界を醸し出している。
「うわぁ……」
和真が天井画に見とれていると、
「天地創造の絵巻じゃ。NFTにして売っちゃダメじゃぞ!」
と、言って笑う。
筋肉をあらわにした若い男性がゆったりと星々を生み、それを青い髪をした天使が楽しげに育てている。その脇では金色のドラゴンが火を吹いて邪悪な軍勢と戦っていた。
「これがレヴィア様……ですか?」
「わしの弟子がな、描いてくれたんじゃ……」
レヴィアは懐かし気にそう言うと、ちょっと寂しそうにほほ笑んだ。
これが史実だとすると、この若い男性が地球シミュレーターを開発し、天使が運営し、レヴィアがそれらを邪魔するテロリストたちと戦っているということなのだろう。しかし、それはいつからだろうか? 人類の歴史で考えると四、五千年前からだろうか?
そんなことを考えていると、レヴィアはさらに奥の方へと歩いて行ってしまう。
「あ、待ってください!」
追いかける和真。
◇
奥の巨大な壁の前まで進むと、レヴィアは何かをつぶやいた。
ビュヨン!
電子音が響き、岩肌にドアが浮かび上がってくる。
「話はオフィスでな」
レヴィアはそう言うとドアを開けた。
ドアの向こうは光があふれ、和真は思わず目をつぶる。
目が慣れてくると、そこには広いオフィスが広がり、大きな窓の向こうには赤い東京タワーがそびえているのが見えた。
へっ!?
和真が驚いていると、
「いいからついてこい!」
と、一喝して、レヴィアはすたすたと歩いていく。
そこはメゾネットづくりのマンションの広大なリビングで、ドアは二階の廊下に繋がっていた。一階を見おろすと、高級な調度品に立派な観葉植物、奥の方にはオフィス机が並び、何人かが仕事をしている。まるで外資系コンサルのオフィスのようなたたずまいだった。
「和ちゃん、ごはんよぉ――――」
ママの声で目を覚ました和真は、ベッドから身を起こし、寝ぼけ眼で周りを見回す。
「あれ? 俺、寝ちゃってた? え? いつから……?」
すっかり薄暗くなった部屋は、何事もなかったようにいつも通りだった。
和真は一生懸命に思い出す。
芽依にメタバースを案内してもらって、画廊に行って、変な男に絡まれて戻ってきて……。
「あれ? その後どうなったんだ? 芽依は?」
和真はその後の記憶がすっぽりと抜けていることに気がついた。
急いでスマホを見ると、LINEの未読がたまっている。読むと芽依もいつの間にか自宅にいて困惑しているらしい。
いったい何が……?
しかし、いくら思い出そうとしても何も思い出せない。飲みすぎた人が記憶をなくしてしまうというのはこういうことなんじゃないかと思ったが、さすがに酒など飲むわけがない。
和真はいぶかしげな顔でバタリとベッドに横たわり、腕を伸ばした。と、その時、何かがチクリと手の甲に当たった。
ん……?
手探りで探すと、それは真紅のヘアクリップの破片だった。
「ん? 誰のヘアクリップだ……?」
和真はジッとヘアクリップを見つめる。こんな物、つける人に心当たりなどない。しかし、この真紅の輝きはどこかで見覚えがある。金髪に着けたら似合いそうだ……。
「金髪……、え?」
その瞬間、ブワッとすべての記憶が戻ってきた。
「あっ! これはあの娘の……、えっ!」
和真は現実離れした戦闘の一部始終を思い出し、青ざめる。
「あれ? 夢だよな……? しかし、これは……」
ヘアクリップを見つめ、混乱する和真。
そして、ベッドから飛び降りると本棚に走った。丸く切り抜かれていたはずの壁はどこにも継ぎ目が見えないくらい完璧に元通りだったし、男と一緒に消えていったはずの本棚は何事もなかったようにそのままだった。
和真は急いで隠しておいた薄い本を探してみる。
「あれっ!? ない!」
芽依に見られた恥ずかしい本ではあったが、和真には宝物だった。
「な、ない……」
和真は思わずひざから崩れ落ちた。
あの女の子に没収されたに違いない。なんということだ……。
しばらく茫然としていた和真だったが、一体何が起きたのか整理してみようと、ベットに戻り、考え込んだ。
「仮想現実空間の男がここへやってきて、不可思議な攻撃をして芽依が犯されかけた……んだよな」
しかし、この段階で和真は頭を抱えてしまう。これが事実だとすると、仮想現実空間とこの部屋が地続きだというとんでもない話を受け入れざるを得なくなってしまう。リアルな現実がなぜ仮想現実空間と地続きなのか?
それで、自称『龍』の女の子が出てきて撃破、その際に部屋を破壊して二人の記憶を消し、その後部屋は元通り。でもヘアクリップは回収し損ねたという経緯だった。
そして本棚を元に戻すときに薄い本も回収されてしまった……、本当に?
そもそも消し飛ばしてしまった床や壁、本棚がなぜ復元されているのか?
これもまた想像を絶する話でどうにも理解不能だった。
和真はふぅと大きく息をつくと、鋭く切り裂かれたヘアクリップの断面をなで、この奇妙な事件をどう考えたらいいのか途方に暮れた。
◇
翌日、和真は東京の表参道に来ていた。ネットで調べたところ、ヘアクリップは有名なデザイナーの限定商品らしく、関東では表参道のお店でしか販売されていなかった。
瀟洒なお店が立ち並ぶ表通りから一本裏路地に入ると、小ぢんまりとしたアパレルやカフェなどがぽつりぽつりと並んでいる。そして、見えてきた一面ガラス張りの店構えにピンクのドア、お目当ての店だった。
一旦通り過ぎながら中の様子をうかがった和真は、大きく息をつくと振り返り、ピンクのドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
くしゃくしゃっとした白いブラウスに、金属がチャラチャラとあしらわれた黒いスカートを履いた店員が和真をちらっと見る。
明らかに場違いな自分に和真は思わず顔を赤くした。
そして、意を決すると、ヘアクリップを見せて聞いてみる。
「あのぉ、これなんですけど、こちらの店の商品ですか?」
「あら、壊れちゃったのね。そうよ、うちのだわ」
店員は淡々と答える。
「金髪でおかっぱの女の子の持ち物なんですが、ご存じないですか?」
「え? その子ならさっき来たわよ。同じの買っていったけど?」
「えっ!? ど、ど、ど、どっち行きました?」
和真は思いがけない展開に、思わず挙動不審になりながら前のめりに聞いた。
「うーん、原宿駅の方かな? あっちよ」
「あ、ありがとうございます!」
やはりあの子は存在していたのだ! 不可思議な力を行使した龍の女の子。
和真はバクバクと心臓が激しく高鳴るのを感じた。
7. 宇宙けーび隊
和真はダッシュした。
これを逃せば一生会うことはできない。和真は自分に訪れた千載一遇のチャンスを逃すまいと必死に駆けた。
大通りに突き当たって急停止。和真は肩で息をしながら悩む。原宿駅へは右でも左でも行ける、どっちだろうか? 間違えたら一生会えないかもしれない究極の選択である。
「大通りか竹下通りか……どっちだ?」
女の子だったらどっちに行きたいだろうか?
うーん、うーん……。
頭をかきむしる和真。
すると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「キャハッ!」
ん? キャハ?
見ると、おしゃれなカフェのガラス越しに金髪頭が見える。
「い、いた!」
和真の心臓がキュゥっとなった。
不思議な技で暴漢を退治し、壊した部屋を完璧に復元して自分の記憶を消した女の子、それが目の前にいる。
この不可思議な女の子が自分の人生を大きく変えるに違いない。和真は何の根拠もなかったがそんな確信を持っていた。そして、何度か大きく深呼吸をすると、カフェのドアをゆっくりと押す。
彼女はスマホを耳に当てて楽しそうに話してる。和真は近くに席を取り、電話が終わるのを待ってみた。
まだ幼さが残るものの、彼女の整った目鼻立ちや印象的な赤い瞳、そして透き通るような白い肌は上質な気品を感じさせる。
すると、彼女がチラッと和真を見た。
そして、少し驚いた様子で手早く電話を切る。
「あら、ロリの君じゃない」
ニヤッと笑う彼女。
「ロ、ロリは止めてください。本も返してください!」
和真は顔を赤くして答える。
「我に惚れちゃダメじゃぞ。キャハッ!」
彼女は冗談めかして嬉しそうに笑う。
「ほ、惚れはしないですが、ちょっとお話を聞かせてもらえませんか?」
「ふーん、つまらん奴じゃ。それにしてもよくここが分かったな。その努力に免じて答えてやろう。何が聞きたい?」
「えーと、『龍』っておっしゃってましたが、あなたはどういう方なんですか?」
「いや、だから龍じゃよ、ドラゴン。お主、ドラゴンも知らんのか?」
と、つまらなそうな顔をしてアイスカフェオレをストローで吸った。
「もちろん、ドラゴンは知ってますが……、でも人間の女の子じゃないですか」
「か――――っ! こんなところでドラゴンの姿でおってみい、カフェにも入れんじゃろうが!」
「あ、では人化してるってこと……ですね?」
「いかにも」
嬉しそうに笑う。
「で、昨日ハッカーを退治したのはドラゴンのお仕事……なんですか?」
「そうじゃ。最近あの手のハッカーたちがこの星を荒らすんでな、見つけては潰しておるんじゃがイタチごっこじゃ」
そう言って肩をすくめる。
「ハッカーが荒らす……、彼らはどうやって荒らすんですか?」
「ふふーん、その辺は言えんな。企業秘密じゃ」
ニカッと笑いながらカフェオレをズズーっと最後まで吸い切った。
「超能力とか?」
「か――――っ! お主はセンス無いのう。この世界の事象は全て科学で説明できる。そんな超能力とかいう都合のいいもんはないわい!」
「え? では、あんな空間を切り取るようなことも、ドラゴンも科学……なんですか?」
「当たり前じゃい」
和真は困惑した。きっと秘密の超能力部隊がいるのかと思っていたのに科学だという。高度に発達した科学は魔法と区別がつかないということだろうが、そんな科学は想像もつかなかった。
「現代の科学では到底無理……だと思うんですが、となると、あなたは宇宙人……ですか?」
「はっはっは! 宇宙人と来たか」
楽しそうに笑い、そして、ストローで氷をカラカラと回し、
「そもそも宇宙人ってなんじゃ? 宇宙から来たら宇宙人なんか? ん?」
と、目を細めて和真を見る。
「うーん、そう……ですかね?」
「我は地球生まれだからそういう意味では地球人じゃな。でも、ドラゴンだから地球人というのも変……か」
ストローをくわえてそれを軽く振り回しながら宙を見る。
和真はさらに困惑した。地球生まれのドラゴンの超科学、一体どういうことだろうか?
「お話聞いてると、あなたの存在はきっとこの世界の根幹にかかわる話のように思うんですが、そうなんですよね?」
「そりゃ当たり前じゃ。だから言えん」
そう言うと彼女は手早く荷物を整理してウエストポーチを肩にかけ立ち上がる。
「あっ!? 待ってください。何か僕にできることないですか? 何でもやります!」
和真は必死だった。この世界の秘密を前にしてここで終わりにするなんてできないのだ。
彼女は何かを考えこみ、そして和真をちらっと見ると、ウエストポーチから名刺を一枚出し、
「この世界の秘密が分かったらここに来な。正解じゃったら仲間にしてやろう」
そう言って彼女は和真の肩をポンポンと叩くと、颯爽と店を後にした。
「分かったらって……、分かんないから聞いてるのに……」
風に揺れる金髪を和真は目で追いながらぼやく。
直後、彼女はピョンと飛び、そのまますうっと消えていった。
「あっ!」
和真は不可思議な少女の言う『科学』に頭が痛くなった。一体ワープなどどうやって科学で実現するのだろうか?
ため息をつきながら名刺を見ると、
『宇宙けーび隊 副長 レヴィア 東京都港区田町xーxx』
と、書いてある。
まるで冗談みたいな名刺だった。
8. 龍の創りし世界
夕方、和真は芽依を部屋に呼んだ。
「はーい! 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
相変わらずノックもせず、飛び込んでくる芽依。
和真はムッとしたが、今はそれどころじゃないのだ。
「来てもらって悪いね。ちょっと聞きたいことがあって」
「何? スリーサイズ? それはノーコメントよ」
手でバッテンを作る芽依。
「いや、そんなんじゃなくて!」
「ふふーん、じゃ何? 恋の相談?」
和真は芽依のテンションについて行けず、ふぅと息をついた。
「何なのよ? もったいぶらずに言いなさいよ」
ニコニコする芽依。
「メタバースのさ、あのアバターのまま、ここに人を出したりできる?」
「は?」
芽依は呆れ果てた顔で和真を見る。
「いやだから、例えば芽依のあの大人なアバターでここに出てこれるかってこと」
「できる訳ないじゃん。あれはコンピューターが合成してる像なんだから、リアルな世界じゃ目に見えないわよ」
「いや、それはわかるんだけど、もし、できるとしたらどういうことが考えられるかな?」
「だから、できないって!」
不機嫌になる芽依。
「じゃあ、こう考えよう。もし、アバターのままの人がここに出てきたら、それはどういう可能性が考えられる?」
「まぁ、寝ぼけてるかドラッグのキメすぎだね」
肩をすくめる芽依。
「ま、まぁそれもあるかもだけど、他には?」
「うーん、何しろ像を合成する仕組みがなきゃ無理なんだから、プロジェクターかなんかで投影とかじゃないの?」
「でもそれじゃ触れないよね」
「あったり前じゃない!」
「触れるとしたら?」
「え――――っ? 触れる像? それはもうここが仮想現実空間ってことよ」
「へっ!?」
その投げやりな話に、和真は稲妻のような衝撃を受けた。
そう、脳の中のもやもやしたものが全て一直線につながったのだ。
「それだ!」
和真はパン! とローテーブルを叩き、お茶を入れたカップが倒れんばかりにガタガタと揺れる。
「へ? 何が?」
「ここは実は仮想現実空間だったんだよ!」
興奮する和真をジト目で見ながら、
「何を馬鹿なこと言ってんのよ! ここは現実世界! ほら! 触ればプニプニ感じるでしょ? こんなの仮想現実じゃ無理よ!」
そう言いながら和真の手を取って揉んだ。
「そりゃ、メタバースじゃ触覚は無理かもだけど、それはコンピューターの性能が低いからで、それこそ超超超スーパーコンピューターなら実現できるよね?」
「んー、今の人類じゃ無理だけど、それこそ宇宙人が作ったような凄いコンピューターがあったら……、まぁ、できなくはない……かな? でも、そんなのやる意味ないよ」
肩をすくめる芽依。
「いや、龍なら……ドラゴンなら作れるはずだ……」
目をキラキラ輝かせながら和真は宙を見上げる。
「ドラゴン……? 君、頭大丈夫?」
「いや、大丈夫! 芽依ありがとう!」
和真はそう言って芽依の手をぎゅっと握りしめ、ブンブンと振った。
「こんなこと他の人に言っちゃダメよ? キチガイだって思われちゃうわよ」
「うんうん、言わない! 人間には言わない!」
和真はドラゴンの仲間になれる可能性に胸が高鳴った。
◇
芽依が帰った後、和真はスマホを駆使していろいろなサイトを読み漁った。この世界が仮想現実空間であるという説は実は割とポピュラーで『シミュレーション仮説』と呼ばれていて、テスラやスペースXで有名な実業家イーロン・マスクも信じているらしい。
「よし! いけるぞ!」
和真はノリノリで調査を進めていくが、ネガティブな意見も次々と出てくる。要はそんな高性能なコンピューターは作れないし、動かすエネルギーもないというのだ。確かに地球を丸っとシミュレーションしようと思ったら地球の一万倍くらい大きなサイズのコンピューターが必要だし、そんなのを動かすエネルギーも用意できない。
「うーん、無理なのかなぁ……」
頭を抱えていると、ある説が目に入った。『そもそも厳密にシミュレーションする必要はなく、人間が知覚できる範囲、観測機器が観測できる範囲だけシミュレートすれば計算量は劇的に減らせる』
「おぉ! これだこれ!」
和真はさらに読み込んだ。結論から行くと十五ヨタ・プロップスの計算力、スーパーコンピューターの一兆倍の計算力があればこの地球はシミュレートできるらしい。なんと現実解だったのだ。
和真はついにこの世界の真実にたどり着いたのだった。
9. 神仙界
その夜、ベットに入った和真は寝つけずにいた。この世界があの金髪の女の子たちによって作られ、運営されている、それをハッカーがインチキして悪用している。それは今まで想像もしなかった世界だった。明日、この正解を彼女に提示して仲間に入れてもらうのだ。
しかし……。そんな世界の運営側に行って自分は何ができるのだろう? この世界をメタバースのように縦横無尽に飛び回り、好き放題できる、それは確かに魅力ではあったが、不登校の自分が活躍できるとも思えない。また苦しい思いをして行かなくなってしまう未来しか見えなかった。
「なんかピンとこないなー」
和真は布団に潜る。
と、その時、パパのことを思い出した。忘れもしない死ぬ直前、パパは何かを見て固まり、そして転落した。パパは何を見たんだろう? サイトの衛星写真で見てもそこにはただの入り江しかなかった。
「もしかして……、彼女ならそれを調べられる?」
和真はガバっと起き上がり、その着想に思わず手が震えた。
この世界がメタバースみたいな構造だったら記録は必ず残しているはず。あの瞬間の入り江の情報だってあるかもしれない。パパが何を見たのか? 知りたくて知りたくて、でもあきらめざるを得なかった本当の理由が分かるかもしれない。
それは和真にとってコペルニクス的転回だった。メタバースから来た仮想現実空間を追い求めたら過去のトラウマをピンポイントに狙えることになったのだ。
「こ、これだよ……」
暗闇のベッドの上でギュッとこぶしを握り、あの事件以来止まってしまっていた自分の人生の歯車がギシギシと音を立てながら回りだした音を聞いた。
◇
翌日、和真は名刺の住所を頼りに三田に来ていた。
そこは瀟洒な高級マンションで、インターホンを押すと奥の特別エレベーターで最上階へ来るように案内される。
和真は言われるがままに進み、最上階のボタンを押した。
すると、ガン! という衝撃音がして、とんでもない速度で上へと加速し始める。それはエレベーターとかいうレベルではなく、まるでロケットのような圧倒的な加速だった。
うわぁ!
思わず奥のガラスの壁に手をつく和真。
急に開ける視界、目の前には赤い東京タワーがそびえている。
「えっ!?」
エレベーターはガラスのチューブの中をぐんぐんと加速しながら空へとすっ飛んでいく。まるで宇宙エレベーターである。
唖然とする和真をしり目にエレベーターはさらに加速しながら宇宙を目指した。なぜマンションのエレベーターに乗ったら宇宙に飛ばされるのか? ドラゴンに会いに行くということをなめていた自分の浅はかさに、和真はギリッと奥歯を鳴らした。
東京タワーが下に小さくなり、皇居が小さくなっていく。雲を抜けると、関東平野が小さくなって青空が真っ暗になる。宇宙に入ってきたのだ。そして星空が見えてきたころ、シュウゥゥンという音がして加速が止まった。
するとエレベーター内は無重力となってふわふわと身体が浮かび上がってくる。
「あわわわ! 一体何なんだよ!」
和真は、いうこと効かずにふわふわ浮いてしまう身体を持て余し、悪態をつく。
やがて上昇速度がどんどん落ちていき、重力が戻ってきた時だった、チン! と音がしてエレベーターが止まる。
いよいよついたらしい。和真は大きく息をつく。
ドアが開くとそこには霧のたちこめた大きな湖の水面が広がっていた。
「はぁ!?」
和真は予想外の光景に思わず口をあんぐりと開けてしまう。宇宙に来たら宇宙ステーションでもあるのかと思ったら荘厳な大自然だった。
水面からは温泉のように湯気が立ち上り、あちこちに大きな岩が突き出している。まるで中国の山水画のような静かで幻想的な世界であり、仙人が住んでいそうである。
しかし、この先どうしたらいいのだろうか?
「泳げとでもいうの? なんなの?」
困惑しながら和真は水をすくってみる。
ひやりと冷たい水はどこまでも澄んでいて清涼だった。ひざ位の深さだろうか、底には丸い石がゴロゴロと転がっている。
和真は辺りを見回しながらしばらく待ってみたが何も起こりそうにない。大きく息をつくと、和真は渋い顔をしながらそろそろと足を下したが、なんと、足は沈まなかった。水面の上に立ててしまったのだ。
えっ?
まるでガラスの上に立ったかのような不思議な感覚だった。
しかし、一歩踏み出せば水面には波紋が広がっていくのでやはり水である。しかしそれでも立ててしまうのだ。
すると、水中に細かな青い光がまるで夜光虫のようにぼうっと灯った。そして、その光はまるで誘導灯のようにずっと湖の奥の方まで続いていた。
どうやらこの光の方へ歩けということらしい。
和真は恐る恐る足を出し、霧の濃い湖の奥へと歩き出す。
10. 美しきドラゴン
湖は異様な静けさに沈んでいる。ただ清らかな水と青い光、そして、霧が続いていた。人は死んだらこういうところへ来るのかもしれない。和真はそんなことをぼーっと考えながら歩いた。
しばらく進むと急に遠くから重低音の振動が響く。湖面がさざ波立ち、和真も足を取られてバランス取るのに必死になる。すると、霧の奥に巨大な影が動くのが見えてきた。小さなビル位あるような巨大なものがズーン、ズーンと足音を響かせながら湖面をやってくる。
和真は青ざめ、思わず後ずさった。
すると、ニュッと巨大な頭部が現れる、それはティラノサウルスのような恐竜に似た生き物だった。しかし、その頭はマイクロバスほどもあり、恐竜の何倍もデカい。
うわぁ!
あまりのことに和真は、近くに突き出ていた一軒家くらいのサイズの巨石へと走り、陰に隠れようとした。
ブゥン!
何かが和真の頭をかすめ、巨石を吹き飛ばす。
ズーン! ドボドボドボ……。
岩はまるで豆腐みたいにあっさりと粉々にされその破片を湖面に散らす。
飛んできたのはいかつい鱗に覆われたシッポだった。
ヒェッ!
和真はその衝撃にバランスを崩し、しりもちをつき、そのまま水中へと落ちていく。
慌ててもがく和真。
冷たい水の中は限りなく透明で、ポコポコと湧き上がる泡の向こうに怪物の影が近づいてきた。
急いで逃げようとする和真だったが、水中ではどうにもならない。
直後、黒く巨大な何かが和真の周りを覆う。慌ててもがく和真だったが……。
ザバァ!
なすすべなく捕まった和真は一気に水上へとすくい上げられた。
えっ!?
見回すとなんとそれは怪物の巨大な翼だったのだ。
巨大な翼に長いシッポ、全身いかつい鱗に覆われ、ぼぅっと金色の光を纏うその巨体に和真は凍り付く。
とげ状の鱗に覆われた頭部はずいっと和真に近づくと、巨大な真紅の瞳でぎょろりと和真をにらみ、グルルルル! と重低音でのどを鳴らした。
圧倒されていた和真だったが、その瞳の色を見てそれが誰だかわかってしまった。それはドラゴンの少女、レヴィアの瞳の色だったのだ。そう思えば金色に輝く巨体もどこか気品があり、美しくすらあった。
「こ、こんにちは、正解を見つけてきました」
髪の毛からポタポタとしずくを落としながら、和真は引きつった笑顔で挨拶をする。
ドラゴンはちょっと不愉快そうにグワァとのどを鳴らすと、
「小僧……、間違ってたら……食うぞ!」
と、腹に響く声で吠えた。
一メートルはあろうかという巨大な牙がキラッと光っている。和真はその恐ろし気な威圧に気おされつつも、カフェオレを飲むような少女が自分なんかを食べるはずがないと思いなおす。
「だ、大丈夫です。ここに来て確信が持てました。世界は仮想現実空間だったんです」
冷汗をかきながら答える。
「ふん! お主が足を踏み入れる世界はこういう暴力と理不尽の世界じゃ、それでも来たいか?」
「これが真実であると知った以上、逃げても無意味です」
和真はしっかりとした目で言った。
すると、ドラゴンはつまらなそうに、
「はぁ~! 脅かしがいのない奴じゃ!」
そう言うと、和真を解放する。そして、ボン! と爆発を起こすと、中から金髪おかっぱの少女が現れた。
そして、面倒くさそうな顔で和真をギロっとにらむと、手のひらを和真の額にかざす。
温かな光に包まれる和真。
気がつくと服も髪も一気に乾いていた。
おぉ……。
和真が驚いていると、レヴィアはあごでくいっと奥を指し、
「ついてこい」
と、すたすたと歩き出す。
◇
しばらく行くと見えてきたのは、アテネのパルテノン神殿のような白亜の神殿だった。立ち並ぶ大理石でできた優美な石柱には精緻な幻獣が彫られ、炎の明かりが揺れている。
「うわぁ、素敵なところですね」
階段をのぼりながら和真が話しかけると、
「おだてたってなにも出んぞ」
ニヤッと笑った。
階段を上って中へと進むと広大な広間がある。天井にはフラスコに描かれたような荘厳な天井画が広がり、炎の明かりが揺らめいて幽玄な世界を醸し出している。
「うわぁ……」
和真が天井画に見とれていると、
「天地創造の絵巻じゃ。NFTにして売っちゃダメじゃぞ!」
と、言って笑う。
筋肉をあらわにした若い男性がゆったりと星々を生み、それを青い髪をした天使が楽しげに育てている。その脇では金色のドラゴンが火を吹いて邪悪な軍勢と戦っていた。
「これがレヴィア様……ですか?」
「わしの弟子がな、描いてくれたんじゃ……」
レヴィアは懐かし気にそう言うと、ちょっと寂しそうにほほ笑んだ。
これが史実だとすると、この若い男性が地球シミュレーターを開発し、天使が運営し、レヴィアがそれらを邪魔するテロリストたちと戦っているということなのだろう。しかし、それはいつからだろうか? 人類の歴史で考えると四、五千年前からだろうか?
そんなことを考えていると、レヴィアはさらに奥の方へと歩いて行ってしまう。
「あ、待ってください!」
追いかける和真。
◇
奥の巨大な壁の前まで進むと、レヴィアは何かをつぶやいた。
ビュヨン!
電子音が響き、岩肌にドアが浮かび上がってくる。
「話はオフィスでな」
レヴィアはそう言うとドアを開けた。
ドアの向こうは光があふれ、和真は思わず目をつぶる。
目が慣れてくると、そこには広いオフィスが広がり、大きな窓の向こうには赤い東京タワーがそびえているのが見えた。
へっ!?
和真が驚いていると、
「いいからついてこい!」
と、一喝して、レヴィアはすたすたと歩いていく。
そこはメゾネットづくりのマンションの広大なリビングで、ドアは二階の廊下に繋がっていた。一階を見おろすと、高級な調度品に立派な観葉植物、奥の方にはオフィス机が並び、何人かが仕事をしている。まるで外資系コンサルのオフィスのようなたたずまいだった。