翌日、美桜が洗濯物を干していると、背後で足音が聞こえた。
美桜は洗濯物をかけようと干し竿に手を伸ばしかけていた手をぴたりと止める。
ゆっくりと振り向くと、そこにはいつになく機嫌が良さそうな沙紀の顔があった。
なんとなくその顔が不気味に感じられ、思わず美桜は一歩後ずさった。
「お、お母さん、ごめんなさい!もう洗濯物は干し終わるので……」
いつものように怒鳴られると思った美桜が怯えたように言うと、沙紀はにっこりと笑みを浮かべる。
これまでは決して見せることのなかった笑みを。
「あぁ、それはいいのよ。ほらこの前言ったでしょう?あなたに婚約者を紹介するって。」
すっかり頭の中から抜けていた美桜は、思わずえっ、と惚けた声を出す。
「下に来てるから、洗濯物干し終わったら早く降りてきなさい。」
沙紀の言葉は聞こえてはいるのだが、まるでザルに流れる水のように美桜の耳をすり抜けていく。
「返事は?!」
ぼんやりと何も答えられないでいる美桜に、沙紀は苛立ったように声を荒らげる。
「……はい。」
やっとのことで蚊の鳴くような声でぽつりと答えると、沙紀は満足気に笑みを浮かべて機嫌よく階段を降りていく。
取り残された美桜はずっしりとした気分で、洗濯物を干すしかなかった。
美桜が洗濯物を済ませ重たい足取りで下に降りると、すでに両親と妹はリビングに揃っていた。
義父も胡桃も、なにがそんなに楽しいのか、笑い声をあげて談笑している。
例の婚約者(母が勝手に決めた人だが)になるだろう男性は、後ろを向いているので顔は確認できなかった。
美桜がリビングに顔を出すと、一斉に家族が視線を向けてくる。
義父の壮一が、立ち上がって美桜を手招きした。
壮一は美桜に手をあげることはないが、どんなに沙紀と胡桃にいびられようが見て見ぬふりをし、空気のように視線さえも合わせようとしない。
今日はやたらと機嫌が良いらしく、たっぷりと脂肪を蓄えたお腹を揺らして笑っている。
「おぉ、美桜来たか。こちらが儂の弟の息子で名前は笹森義孝(ささもり・よしたか)だ。義孝、うちの娘の美桜だよ。」
「叔父さん、ありがとうございます。」
父にお礼を言ったその男性が、美桜の方を振り返った。
狐のような糸目で、細身の男だった。
目の感じが義父に似ていて、にやにやと胡散臭い笑みを浮かべている。正直、印象は良くない。
舐め回すように美桜を見る義孝の目付きがなんだか気持ち悪く思えて、思わず美桜は距離を取るように後ろに下がった。
そんな美桜を、義孝は面白そうに見つめた後、手を差し出してきた。
「初めまして、義孝といいます。」
丁寧な口調で挨拶をした後、義孝は手を差し出してくる。
美桜は一瞬迷ったが、おずおずとその手を握り返した。
その様子を、壮一は満足気に頷きながら見ている。
「じゃあ、儂らはもういいだろう。後は夫婦になる2人で水入らず話でもするといい。…沙紀、胡桃、出るぞ。」
役目は終わったとばかりに壮一はそれだけ言い残し、沙紀と胡桃と一緒にさっさとリビングを出ていってしまった。
あっという間もなく取り残された美桜は、彷徨うように視線をうろうろとさせる。
そんな美桜が心底おかしくてたまらないといった風に、目の前の男はくっくっと笑った。
「ふぅん、あんた初心なんだね。いかにもおしとやか~って感じ。まっ、その方が燃えるけど。思った以上にいい玩具になりそうだ。」
さきほどの丁寧な言葉とは打って変わって横暴な言葉使いに、美桜は困惑する。
「……っ」
呆気にとられて何も言えないでいる美桜に笑いながら近づくと、義孝はぐいっと美桜の顎を持ち上げる。
「なに、怯えてんの?ひどいなぁ。俺はあんたの夫なんだけど?」
「……そ、ん……」
そんなこと両親が勝手に決めたことでしょう、と反論したいのに目の前にいるこの人物が怖くて言葉が出ない。
喉に何かがつっかえたかのように。
「叔父さんも叔母さんも、厄介払いができてさぞかし喜んでるだろうなぁ。それになーんにも取り柄のないあんたを嫁にもらってやるんだから、感謝してほしいくらいだ。」
そう言って壮一は美桜の頬を撫でる。
瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が立った。
……嫌だ。
この人と夫婦になんてなりたくない!
本能的にそう思った美桜は逃げようと踵を返す、が。
あっけなく義孝に腕を引っ張られ、その胸の中に収まってしまう。
「……やっ!!」
抵抗を試みるも、当然男の人の力に適うはずがない。
暴れる美桜の両手を軽々と片手で壁に押さえつけると、義孝はゆっくりと顔を近づけてきた。
顎を掴まれていて、反らすこともできない。
嫌……!キス、される……!
こんな人に、私は人生を捧げなくてはいけないのだろうか。
人生の伴侶になる人は、自分が心から愛する人でありたい。
そんな囁かな夢が、残酷に打ち砕かれていく。
あぁ…私の一生はこんな感じで終わっていくんだな。
もう、どうでもいいや。
諦めて瞼を閉じた美桜の頭に、ふと思い浮かんだ人物。
絶対に迎えにくると力強く言ってくれた、琥珀色の美しい目をした男の子…星夜。
穏やかに微笑む愛しい人を想い、一粒の涙が頬を伝う。
その涙が、手首につけてある鈴にぽとりと落ちた。
それに呼応するかのようにちりん、と涼し気な音が鳴った、その瞬間。
「美桜から離れろ。」
鋭く低い声が、どこかから響き渡った。
美桜は洗濯物をかけようと干し竿に手を伸ばしかけていた手をぴたりと止める。
ゆっくりと振り向くと、そこにはいつになく機嫌が良さそうな沙紀の顔があった。
なんとなくその顔が不気味に感じられ、思わず美桜は一歩後ずさった。
「お、お母さん、ごめんなさい!もう洗濯物は干し終わるので……」
いつものように怒鳴られると思った美桜が怯えたように言うと、沙紀はにっこりと笑みを浮かべる。
これまでは決して見せることのなかった笑みを。
「あぁ、それはいいのよ。ほらこの前言ったでしょう?あなたに婚約者を紹介するって。」
すっかり頭の中から抜けていた美桜は、思わずえっ、と惚けた声を出す。
「下に来てるから、洗濯物干し終わったら早く降りてきなさい。」
沙紀の言葉は聞こえてはいるのだが、まるでザルに流れる水のように美桜の耳をすり抜けていく。
「返事は?!」
ぼんやりと何も答えられないでいる美桜に、沙紀は苛立ったように声を荒らげる。
「……はい。」
やっとのことで蚊の鳴くような声でぽつりと答えると、沙紀は満足気に笑みを浮かべて機嫌よく階段を降りていく。
取り残された美桜はずっしりとした気分で、洗濯物を干すしかなかった。
美桜が洗濯物を済ませ重たい足取りで下に降りると、すでに両親と妹はリビングに揃っていた。
義父も胡桃も、なにがそんなに楽しいのか、笑い声をあげて談笑している。
例の婚約者(母が勝手に決めた人だが)になるだろう男性は、後ろを向いているので顔は確認できなかった。
美桜がリビングに顔を出すと、一斉に家族が視線を向けてくる。
義父の壮一が、立ち上がって美桜を手招きした。
壮一は美桜に手をあげることはないが、どんなに沙紀と胡桃にいびられようが見て見ぬふりをし、空気のように視線さえも合わせようとしない。
今日はやたらと機嫌が良いらしく、たっぷりと脂肪を蓄えたお腹を揺らして笑っている。
「おぉ、美桜来たか。こちらが儂の弟の息子で名前は笹森義孝(ささもり・よしたか)だ。義孝、うちの娘の美桜だよ。」
「叔父さん、ありがとうございます。」
父にお礼を言ったその男性が、美桜の方を振り返った。
狐のような糸目で、細身の男だった。
目の感じが義父に似ていて、にやにやと胡散臭い笑みを浮かべている。正直、印象は良くない。
舐め回すように美桜を見る義孝の目付きがなんだか気持ち悪く思えて、思わず美桜は距離を取るように後ろに下がった。
そんな美桜を、義孝は面白そうに見つめた後、手を差し出してきた。
「初めまして、義孝といいます。」
丁寧な口調で挨拶をした後、義孝は手を差し出してくる。
美桜は一瞬迷ったが、おずおずとその手を握り返した。
その様子を、壮一は満足気に頷きながら見ている。
「じゃあ、儂らはもういいだろう。後は夫婦になる2人で水入らず話でもするといい。…沙紀、胡桃、出るぞ。」
役目は終わったとばかりに壮一はそれだけ言い残し、沙紀と胡桃と一緒にさっさとリビングを出ていってしまった。
あっという間もなく取り残された美桜は、彷徨うように視線をうろうろとさせる。
そんな美桜が心底おかしくてたまらないといった風に、目の前の男はくっくっと笑った。
「ふぅん、あんた初心なんだね。いかにもおしとやか~って感じ。まっ、その方が燃えるけど。思った以上にいい玩具になりそうだ。」
さきほどの丁寧な言葉とは打って変わって横暴な言葉使いに、美桜は困惑する。
「……っ」
呆気にとられて何も言えないでいる美桜に笑いながら近づくと、義孝はぐいっと美桜の顎を持ち上げる。
「なに、怯えてんの?ひどいなぁ。俺はあんたの夫なんだけど?」
「……そ、ん……」
そんなこと両親が勝手に決めたことでしょう、と反論したいのに目の前にいるこの人物が怖くて言葉が出ない。
喉に何かがつっかえたかのように。
「叔父さんも叔母さんも、厄介払いができてさぞかし喜んでるだろうなぁ。それになーんにも取り柄のないあんたを嫁にもらってやるんだから、感謝してほしいくらいだ。」
そう言って壮一は美桜の頬を撫でる。
瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が立った。
……嫌だ。
この人と夫婦になんてなりたくない!
本能的にそう思った美桜は逃げようと踵を返す、が。
あっけなく義孝に腕を引っ張られ、その胸の中に収まってしまう。
「……やっ!!」
抵抗を試みるも、当然男の人の力に適うはずがない。
暴れる美桜の両手を軽々と片手で壁に押さえつけると、義孝はゆっくりと顔を近づけてきた。
顎を掴まれていて、反らすこともできない。
嫌……!キス、される……!
こんな人に、私は人生を捧げなくてはいけないのだろうか。
人生の伴侶になる人は、自分が心から愛する人でありたい。
そんな囁かな夢が、残酷に打ち砕かれていく。
あぁ…私の一生はこんな感じで終わっていくんだな。
もう、どうでもいいや。
諦めて瞼を閉じた美桜の頭に、ふと思い浮かんだ人物。
絶対に迎えにくると力強く言ってくれた、琥珀色の美しい目をした男の子…星夜。
穏やかに微笑む愛しい人を想い、一粒の涙が頬を伝う。
その涙が、手首につけてある鈴にぽとりと落ちた。
それに呼応するかのようにちりん、と涼し気な音が鳴った、その瞬間。
「美桜から離れろ。」
鋭く低い声が、どこかから響き渡った。
