「あー!くそっ、おもしろくない!」


斗真はだんっ!と目の前の机を叩く。


その拳は怒りでぷるぷると震えている。



斗真は昔から人と関わることが苦手で、一匹狼だった。


友達というものがいたこともなく、当然周りが好きな子がどうのと盛り上がっている中一人だけ冷めた目で見ていた。


両親は優しかったし、両親さえいればずっとこのまま一人でいいとさえ思っていた。


一人の方が気楽だ、誰かが隣にいることさえ鬱陶しい。


そんな斗真だったが、ある日転機が訪れる。


いつものように学校から帰った斗真が「ただいま」と玄関のドアを開けると、父親の叫ぶ声が聞こえてきた。


尋常ではない切羽詰まった声に、斗真は靴を放っぽりだして声の聞こえる方へ駆ける。


どうやら台所の方から聞こえるようだった。


台所に近づくにつれ、異様な臭いが漂ってくるのを感じた。


鉄のような…そんな嫌な臭い。


それが何を意味しているのか、幼い斗真には知る由もなかった。


でも、台所に顔を出したところで、斗真は急ブレーキをかけた車のようにぴたりと足が止まった。


「……あ……あ……」


そこには服が赤く染まった母親と、それを抱きかかえる父親がいたのだった。


斗真にはその光景を見ても何が起きているのかは一切理解できなかったけれど、本能では無意識におぞましさを感じ取っていたのだろう。


その手足は、恐怖でぷるぷると震えていた。


斗真に気付いた父親が、ぐしゃぐしゃになった顔で斗真を見つめる。


「…斗真…母さんが…人間に、殺された。」



ニンゲン。


その存在は、斗真でも知っていた。


人間は悍ましい生き物で、時には面白半分であやかしを殺す奴らもいるということを父親から聞いたこともある。


だけどそれはあくまでも言い伝えであって、身近でそんなことが起こるとは思わないだろう。



お母さんのお気に入りのあの服は、たしか藤色だった。


なのに今目の前に倒れている母の服は…なぜか赤い色になっている。


なんでだろう…そしてなんでお母さんは動いていないの…?


ニンゲンに、コロサレタ…?から?



気づいたら家を飛び出していた。


後ろから父親の声が聞こえた気がしたけれど、気にせず走った。


走って走って走りまくって、疲れ切った斗真はどこか知らない街に来ていた。


もう、家も分からない。帰る術もなかった。


そのままずるずるとそばにあった電柱にもたれかかるように崩れ落ちた。


今は真冬。雪も降っていてかなりの寒さだった。


なのにそのまま家を出てきちゃったから、何も持っていない。お金だってない。


このまま、凍えて死んじゃうのかな。


でもそれでもいい。…もう、なんでもいい。


そう思って、ゆっくりと瞼を閉じた時。



「……大丈夫かい?」


そんな斗真の頭上に優しい声色が降ってくる。


「……」


人と関わることが嫌いな斗真は、いつものように何も答えず声をかけてきた人物に睨みつけてやろうと思って顔を上げた。


その、つもりだったのだが。


「……!」


目の前にいる人物と目が合った瞬間、斗真は思わずその琥珀色の瞳から視線を離すことができなくなってしまった。


あやかしですら見惚れてしまうほどの美しさ。


自分とさほど変わらないだろう年齢なはずなのに、超越した色気。


声色は優しいのに、その中に感じる威圧感。


そのすべてが、斗真を魅了してしまった。



「帰るところがないの?それなら家においで。」


普通だったら見知らぬ人から声をかけられても断っていただろう。


付いていくだなんて考えられない。


だけど斗真は、吸い込まれるように「はい」と頷いてしまっていた。



星夜は斗真にとても優しく接してくれた。


彼に事情を話すと、家は探してあげるから気持ちが落ち着くまではいくらでも家にいて良いと言ってくれたのだった。


斗真にとって星夜は大きな存在となった。


星夜の側近として、右腕として、彼の力になりたい。そう思うようになっていった。


だから、星夜から家が見つかったと聞いた時も心は決まっていた。


正直、妻を失なった父親が気がかりではあった。


家に帰りたいという気持ちがまったくなかったわけではない。


だけど、星夜の元で、星夜に仕えたいという気持ちの方が大きかったのだ。


その気持ちを星夜に素直に伝えると、最初はきょとんとした顔をしていたけれど、快く受け入れてくれた。


その後父親と会う機会を儲け、父は無事に戻ってきた息子を見て心底安心した様子だった。「お前までいなくなるかと思った」と涙ながらに抱きしめてくれた。


父に自分の今の気持ちを素直に伝えると「斗真の好きにしなさい」と笑顔で納得してくれたのだった。


それからはずっと俺は星夜様の側近として、星夜様のために動いてきている。



屋敷での生活に慣れてきたある時、星夜から彩華という女性を紹介された。


彩華は西洋人形のように整った顔立ちをしており、亜麻色で艶やかな長い髪をした、品のある美しい女性だった。斗真が彩華に惹かれるのに時間はかからなかった。


それまで恋愛には無縁だった斗真は、初めての感情に心が躍った。


3人で談笑することも増え、斗真は囁かな幸せを感じていた。


その頃は彼女が星夜の婚約者だということを知らなかったので(そもそも最初はそうではなかったのだが)、斗真は純粋に彩華への気持ちにのめりこんでいった。


だから彩華が星夜の婚約者になったと聞いた時には少なからずショックを受けた。


だけど、それも一瞬のことだった。


彩華に好意を寄せていたのは本当だが、星夜にとっては何よりも星夜が大切な存在であり、何よりも星夜と彩華の二人なら心から祝福できた。


美しい二人で、お似合いだと思っていた。


……なのに。



「なんであんな小娘が!…星夜様はどうしてあんな女をお選びになったのか。」


彩華との婚約を破棄したと思ったら、星夜は自分の花嫁だと新しい女を連れてきた。


もちろん星夜の決めた相手である、最初は心から応援しようと思っていたのだが。


入ってきたのは、どこにでもいるような平凡な女だった。しかも、よりによって人間だという。


母さんを殺した、人間…。


それまで封印してきた憎しみが、美桜という女が来たことで一気に復活していく。


ここで暮らすに連れて良くしてくれる人間もいるということを知ったから最近では嫌悪感は薄れてきていたが、星夜の花嫁となると別である。


美しい星夜の隣にいる人だ、相手もそれなりの女性じゃなければ斗真は納得ができなかった。



「俺は絶対に認めない。」


斗真は、ぎりっと歯を噛みしめるのだった。