美桜が屋敷に来てから一週間。


この屋敷に来てからというもの、美桜はとても大事に扱ってもらっていた。


特に紬は、申し訳なくなるほど美桜によく尽くしてくれる。


髪型やお化粧の方法まで丁寧に教えてくれ、当初の自分からは見違えるほど…と言っては過言かもしれないが、少なくともかなりマシな身なりになった。


ただ紬はかなりの過保護で、例えば少しそこまで買い物に行くだけだというのに「人間である美桜様がお一人でいたら何があるか分かりません!」と言って必ず付いてくる。


少々行き過ぎではないかとは思うけれど、これまで友達と呼べる人が茉奈しかいなかった美桜にとっては、嬉しいことであった。


もちろん、星夜も妖をを含めた他の人達も美桜には良くしてくれている。


一時は美桜に酷い仕打ちをした女中達もいたが、星夜にこってり絞られたせいか今ではすっかり丸くなり、だいぶ美桜に対しての嫌悪の色も消えていた。


そう、"ほとんどの人は"美桜に優しくしてくれている。



「星夜様、さきほど星夜様宛に手紙が届いておりました。」


星夜と談笑をしていると、背後から生真面目そうな声がかかり、振りかえった。


少し長めの橙色の髪が後ろで一つに束ねられ、知的そうな印象を受ける。


「ああ、斗真(とうま)。ありがとう。」


星夜と同じくらいの年か、少し下くらいだろうか。


彼は美桜のことはいないかのように目を合わせず、まっすぐ星夜のほうに視線を向けている。


斗真と呼ばれたこの人は、星夜の側近である。


尻尾が生えているので、おそらく星夜と同じ妖狐なのだろう。


星夜には及ばないけれど、顔立ちは人間離れしていてとても整っている。


「斗真さん、こんにちは。」


美桜が頭を下げて挨拶をするが、返事は返ってこない。


顔を上げると、斗真は眉を潜めているだけでふいっと顔を反らしてしまった。


分かってはいたことだけれど、なんとなく寂しい気持ちになる。


そう、最初に来た時から斗真は美桜にそっけない態度を取っていた。


なぜここまで嫌われてしまっているのか、分からない。


星夜の側近の方だから、本当は仲良くしたいのに…。



「こら、斗真。美桜にきちんと挨拶しなさい。俺の花嫁なんだぞ。」


「………こんにちは。」


星夜に促されてなんとか挨拶をしてくれたが、その口調はそっけない。


斗真は「では」とさっさと会話を切り上げるとすたすたと去ってしまった。


その背中を見送った星夜は、はぁとため息を吐いた。


「美桜、斗真が失礼な態度を取ってしまってすまない。…あいつは特に人間嫌いなんだ。」


「ううん、気にしてないよ。…でも斗真さん、私以外の人間の方には普通に接してるよね?」


「そりゃ、ここの人達は付き合いも長いからね。最初のうちはかなり尖っていたよ。」


「そう、なんだ。」


「今では妖も人間も共存できているけど、昔はかなり妖と人間との間で色々あったのは聞いているだろう?あいつは前に人間に襲われて母親を殺されたことがあってね、それからはかなり人間不信になってしまったんだよ。」


「…そんな。」


美桜は思わず口を両手で押さえた。


妖と人間との間に色々あったのは知っていたが、まさかそんな斗真さんにそんな過去があっただなんて。


それならば、斗真が美桜にあの態度を取るのも頷けてしまう気がした。



星夜は仕事があるというので美桜も部屋に戻ろうとすると、まるでタイミングを図ったかのように向かいの部屋から紬がひょこっと顔を出した。


いつから聞き耳を立てていたのだろう…。


紬は腰に手を当てて、なぜかぷりぷり怒っている。


「もう!星夜様ったら、美桜様にいつまでも黙っているわけにはいかないのに。」


「……え?」


きょとんとする美桜の服の裾を、紬が軽く引っ張る。


そして内緒話をするかのように、耳元に唇を寄せた。


「斗真様は、星夜様の婚約者であった彩華様のことがずっとお好きだったのですわ。」


「えっ」


「彩華様が婚約されると聞いて、斗真様は嘆いておられました。けれど相手が星夜様だと知って、ご自身の想いは心の内に仕舞われておられたのです。」


「……。」


「斗真様が人間嫌いという星夜様の言葉は嘘ではないのですが…それよりも斗真様は、星夜様が美桜様と結婚されるということをまだ受け入れられていないのだと思いますわ。やっと星夜様とのことをお認めになられるようになった矢先のことでしたから。」


「斗真さんの気持ちは……星夜は知っていたのよね?」


震える唇でなんとか問うと、紬はこくりと頷いた。


「ええ、知っておられました。けれどご両親が決めた許嫁ですから、星夜様も従うしかなかったのでしょう。」


「……そう。」


しだいに顔を曇らせていく美桜を見て、紬は慌てて胸の前で手を振る。


「そんな顔なさらないでください!美桜様にそんな顔をさせるためにお話したのではないのです。妖界では、ご両親に決められた婚約は本来は絶対なのです。それでも星夜様は、美桜様をお選びになったということですわ。ご両親に刃向かってでも貫き通した想い、その意味がお分かりになりますね?」


「……はい。」


正直、喜んでいいはずの紬の言葉は美桜の耳には入ってきていなかった。


彩華という女性は聞くところによると才色兼備の美女らしい。


彩華ではなく、なんのとりえもない私なんかが星夜の花嫁になってしまっていいのだろうか。


星夜が私に話してくれなかったのは、実はまだ彩華という女性に恋心があるからなのではないか。



愛されるということを知らずに育ってきた美桜の弱い心の中を、そんな卑屈な思いが簡単に覆っていってしまった。