一人になって、ようやく一息つけたような気がする。
今日は色んなことがありすぎて、まだ頭が混乱していた。
星夜と約束した日のことは一日たりとも忘れたことはなかった。
なかったけれど、まさか「迎えに来る」ということが、自分を花嫁として迎えるという意味だとはまったく思っていなかった。
まだ夢の中にいるように、ふわふわとした心地がする。
あんなに美しい人に「花嫁」だと紹介され、気分が高揚しないというほうが嘘になる。
数年前、一回しか会ったことのない人のことをどうしてここまで信用してしまったのか分からない。
しかも、彼はあやかし。家族からはずっと恐ろしいものだと言い聞かせられてきたというのに。
けれども美桜は、星夜なら信じてみたいと思った。
自分を見る彼のあたたかい眼差しが、偽りだとは思えなかった。
もしかしたら、この人ならば私を救ってくれるかもしれない。
あの地獄のように苦しかった日々から。
美桜が思いにふけっていると、扉が開く音がして後ろを振り返った。
見ると、何人かの女中が冷たい目で美桜を見下ろしている。
見たところ、あやかしではなく普通の人間のようだ。
その敵意のこもった数々の瞳に捕らえられ、美桜は思わず一歩後ずさった。
この人達の目は、似ている。
自分を蔑み、虐げてきた家族と。
「はっ、こんな娘が花嫁ですって?」
「服なんて、ボロボロじゃない。」
「なんでこんな子が、星夜様に選ばれたわけ?」
女中達は、星夜がいないことをいいことに次々と美桜に罵倒の声を浴びせかけていく。
「見てみなさい、髪なんてほら」
そう言って女中の一人が美桜の髪を引っ張り上げる。
痛みに声をあげた美桜を見て、女中達がくすくすと笑い声をあげた。
「ぎしぎしで、手入れなんか一切されていないじゃない。星夜様の花嫁として恥ずかしくはないのかしら。ねぇ?」
「ほんと彩華(さいか)様という素敵な婚約者がいらっしゃったっていうのに、なぜこんな娘なんですの?」
「……え?」
呆けた声を出す美桜を見て、女中は馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らした。
「あら、ご存じなかったの。なら教えてさしあげますわ。星夜様にはねぇ、彩華様という婚約者がいらっしゃったんですの。とてもお美しく気品があって、あなたなんか到底足元にも及ばない素敵な方なのよ。」
「本当でしたら彩華様とご結婚する予定でしたのに。…自分のご身分を分かってらっしゃらないのですか。」
「そうだ、私達が髪を切ってさしあげましょうか。少しはマシになるかもしれませんよ。…ねぇ、ハサミある?」
女中の一人がハサミを持ってきて、髪を切ると言い出した女中に手渡す。
「…嫌…やめてください。」
「あら、遠慮しなくてもよろしいわ。これは私たちの厚意なのですもの。あなたが少しでもマシになるための、お手伝いですよ。お、て、つ、だ、い。」
嘲るように笑う女中が、ゆっくりとハサミを近づけてくる。
切られる!と思わず諦めて目を瞑った、その時。
「何をしているの?」
部屋の空気を切り裂くような、低い声が響き渡った。
「……紬様。」
美桜の髪を切ろうとしていた女中の手がぴたりと止まる。
紬の顔を見て、みるみるうちに顔を真っ青に染めていった。
紬はさきほどの花のように愛らしい顔とは一変、刃物のような鋭い目つきで女中を睨めあげる。
「こ、これはその……」
「何をしているのかと聞いているのです。」
「だ、だってこの娘が、花嫁だなんて!こんなにみすぼらしい恰好をしているんですよ。彩華様がいらっしゃったのに、どうして星夜様はよりによってこんな娘を……」
「そうですよ、こんな女、星夜様には釣り合いません!!」
次々に罵倒を浴びせる女中に、紬はすっと目を細める。
「それはあなたたちが決めることではないでしょう。選ばれたのは星夜様です。」
冷え冷えとした声に、女中は一斉に黙りこくる。
紬は美桜の近くに跪くと、そっと手を差し伸べてくれる。
美桜がゆっくりとその手に自分の手を重ねると、腕を引かれ立ち上がらせられた。
「私は星夜様直々に、美桜様の付き人を任されているのですよ。星夜様にとって大事な方は私にとっても大事な方。ですのでこの方を侮辱するということは私や星夜様に対しての侮辱と捉えますが、よろしいですの?」
「……そんな、紬様!!」
「もう一度聞きます。それ以上この娘に何かをすれば私に対しての侮辱と捉えますがよろしいですか?」
「…っ申し訳ありませんでした。」
女中達は悔しそうに唇を噛みしめると、早々に部屋を出て行った。
部屋に二人きりになると、紬は心底申し訳なさそうに深く頭を下げてきた。
「美桜様、大丈夫ですか?女中達が失礼なことを…本当に申し訳ありませんでした。後で星夜様からきつく叱っていただきますわ。」
「い、いいえ!何もされなかったですから。大丈夫です!そんな頭なんか下げないでください。」
美桜が胸の前で手を振ると、紬はふっと表情を緩めた。
そしてそっと包み込むように、美桜の両手を握ってくる。
「美桜様はお優しいのですね。ありがとうございます。」
「そんなこと……」
「美桜様をお守りするのが私の役目ですので。もう女中達のことは大丈夫だと思いますが、もし今後何かあればすぐに私に言ってくださいね。今日は疲れたでしょうから、ゆっくり休んでください。」
「はい。」
美桜の返事を聞くと、紬は花の咲くような笑顔を浮かべて部屋を出て行った。
やはり、紬さんはいい人だわ。
星夜の婚約者だったという彩華のことは気になったが、それよりも紬が庇ってくれたことが嬉しかった美桜は、ぽかぽかとした気持ちになりながら寝支度を進めていった。
今日は色んなことがありすぎて、まだ頭が混乱していた。
星夜と約束した日のことは一日たりとも忘れたことはなかった。
なかったけれど、まさか「迎えに来る」ということが、自分を花嫁として迎えるという意味だとはまったく思っていなかった。
まだ夢の中にいるように、ふわふわとした心地がする。
あんなに美しい人に「花嫁」だと紹介され、気分が高揚しないというほうが嘘になる。
数年前、一回しか会ったことのない人のことをどうしてここまで信用してしまったのか分からない。
しかも、彼はあやかし。家族からはずっと恐ろしいものだと言い聞かせられてきたというのに。
けれども美桜は、星夜なら信じてみたいと思った。
自分を見る彼のあたたかい眼差しが、偽りだとは思えなかった。
もしかしたら、この人ならば私を救ってくれるかもしれない。
あの地獄のように苦しかった日々から。
美桜が思いにふけっていると、扉が開く音がして後ろを振り返った。
見ると、何人かの女中が冷たい目で美桜を見下ろしている。
見たところ、あやかしではなく普通の人間のようだ。
その敵意のこもった数々の瞳に捕らえられ、美桜は思わず一歩後ずさった。
この人達の目は、似ている。
自分を蔑み、虐げてきた家族と。
「はっ、こんな娘が花嫁ですって?」
「服なんて、ボロボロじゃない。」
「なんでこんな子が、星夜様に選ばれたわけ?」
女中達は、星夜がいないことをいいことに次々と美桜に罵倒の声を浴びせかけていく。
「見てみなさい、髪なんてほら」
そう言って女中の一人が美桜の髪を引っ張り上げる。
痛みに声をあげた美桜を見て、女中達がくすくすと笑い声をあげた。
「ぎしぎしで、手入れなんか一切されていないじゃない。星夜様の花嫁として恥ずかしくはないのかしら。ねぇ?」
「ほんと彩華(さいか)様という素敵な婚約者がいらっしゃったっていうのに、なぜこんな娘なんですの?」
「……え?」
呆けた声を出す美桜を見て、女中は馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らした。
「あら、ご存じなかったの。なら教えてさしあげますわ。星夜様にはねぇ、彩華様という婚約者がいらっしゃったんですの。とてもお美しく気品があって、あなたなんか到底足元にも及ばない素敵な方なのよ。」
「本当でしたら彩華様とご結婚する予定でしたのに。…自分のご身分を分かってらっしゃらないのですか。」
「そうだ、私達が髪を切ってさしあげましょうか。少しはマシになるかもしれませんよ。…ねぇ、ハサミある?」
女中の一人がハサミを持ってきて、髪を切ると言い出した女中に手渡す。
「…嫌…やめてください。」
「あら、遠慮しなくてもよろしいわ。これは私たちの厚意なのですもの。あなたが少しでもマシになるための、お手伝いですよ。お、て、つ、だ、い。」
嘲るように笑う女中が、ゆっくりとハサミを近づけてくる。
切られる!と思わず諦めて目を瞑った、その時。
「何をしているの?」
部屋の空気を切り裂くような、低い声が響き渡った。
「……紬様。」
美桜の髪を切ろうとしていた女中の手がぴたりと止まる。
紬の顔を見て、みるみるうちに顔を真っ青に染めていった。
紬はさきほどの花のように愛らしい顔とは一変、刃物のような鋭い目つきで女中を睨めあげる。
「こ、これはその……」
「何をしているのかと聞いているのです。」
「だ、だってこの娘が、花嫁だなんて!こんなにみすぼらしい恰好をしているんですよ。彩華様がいらっしゃったのに、どうして星夜様はよりによってこんな娘を……」
「そうですよ、こんな女、星夜様には釣り合いません!!」
次々に罵倒を浴びせる女中に、紬はすっと目を細める。
「それはあなたたちが決めることではないでしょう。選ばれたのは星夜様です。」
冷え冷えとした声に、女中は一斉に黙りこくる。
紬は美桜の近くに跪くと、そっと手を差し伸べてくれる。
美桜がゆっくりとその手に自分の手を重ねると、腕を引かれ立ち上がらせられた。
「私は星夜様直々に、美桜様の付き人を任されているのですよ。星夜様にとって大事な方は私にとっても大事な方。ですのでこの方を侮辱するということは私や星夜様に対しての侮辱と捉えますが、よろしいですの?」
「……そんな、紬様!!」
「もう一度聞きます。それ以上この娘に何かをすれば私に対しての侮辱と捉えますがよろしいですか?」
「…っ申し訳ありませんでした。」
女中達は悔しそうに唇を噛みしめると、早々に部屋を出て行った。
部屋に二人きりになると、紬は心底申し訳なさそうに深く頭を下げてきた。
「美桜様、大丈夫ですか?女中達が失礼なことを…本当に申し訳ありませんでした。後で星夜様からきつく叱っていただきますわ。」
「い、いいえ!何もされなかったですから。大丈夫です!そんな頭なんか下げないでください。」
美桜が胸の前で手を振ると、紬はふっと表情を緩めた。
そしてそっと包み込むように、美桜の両手を握ってくる。
「美桜様はお優しいのですね。ありがとうございます。」
「そんなこと……」
「美桜様をお守りするのが私の役目ですので。もう女中達のことは大丈夫だと思いますが、もし今後何かあればすぐに私に言ってくださいね。今日は疲れたでしょうから、ゆっくり休んでください。」
「はい。」
美桜の返事を聞くと、紬は花の咲くような笑顔を浮かべて部屋を出て行った。
やはり、紬さんはいい人だわ。
星夜の婚約者だったという彩華のことは気になったが、それよりも紬が庇ってくれたことが嬉しかった美桜は、ぽかぽかとした気持ちになりながら寝支度を進めていった。
