「山下さん、今日暇? 今から皆でカラオケに行くんだけれど」
近付いてきた人気者グループの御坂さんからは、フワンといい匂いがした。化粧の独特の匂いだけでなく、フルーツ系のフレグランスが香っているんだ。私はそれに「あ……」「う……」とどうにか言葉を探し出す。
悪い子ではないと思うし、むしろいい子なんだと思うけれど。彼女と同じグループの人たちが怖くて、私はなかなかそのグループに近付けないでいる。
「ご、めん……いい……」
「そっかあ。じゃあ今度気が向いたら一緒に行こうね」
「う、ん……」
どうにか絞り出せた声は、緊張で尻すぼみな音がした。
廊下では賑やかなグループの声が響いている。
「山下さん誘ったの? というよりあの子がオッケー出したの見たことないのに、懲りないねえ」
「だっていっつもひとりで可哀想じゃん」
「そういうのよくないよ。いい子ちゃんっぽくって」
そう言われてしまい、しゅんとした。
いっつもこうなんだ。私は人前に立ったら、途端に緊張してしゃべれないし、頭が真っ白になって言葉が出なくなってしまう。人見知りとか緊張し過ぎとかいろいろあるんだろうけれど、とにかく思っていることを口に出せないせいで、最終的には「変な子」扱いされて浮いてしまっていた。
それでも中学までは知り合いがいたから、なんとかグループに入ることができたけれど。高校に進学したら、校区や偏差値の関係で知り合いなんてひとりもいなかった。しゃべることがまともにできない私は、当然ながらひとりでご飯を食べ、ひとりで休み時間を過ごしている。
本当はカラオケだって好きだし、プリントシールを撮るのも好きだけれど、友達とはできないんだ。
それでもやっぱりカラオケが好きな私は、なんとか学校の子に会わないように自転車漕いで学校から三駅ほど離れた場所の大型カラオケ店で、フリータイムで歌を歌っていた。
「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」
「はい、フリータイム、まだ取れますか……?」
「いけますよ。サイドメニュー注文なさいますか?」
「ええっと……フライドポテトお願いします。あとホットの緑茶を」
「かしこまりました」
喉によさそうだからという理由で、フライドポテトを注文し、温かいお茶を頼んだ。悩んだ末、喉を痛めないようにとアイスティーをドリンクバーで汲んでから、部屋に辿り着いた。
パネルと睨めっこし、発声用に歌い慣れている曲を三曲ほど入れてから、今練習している曲を三曲ほど続けて入れる。あとは喉の調子と相談しながら歌おう。
私がそう算段を付けながらマイクの電源を入れた。マイクを掴んだときの重みを感じると、解放されたように思える。
イントロと同時に、私は歌いはじめた。
カラオケに行くのは、喫茶店よりも密室だから長いこと話ができる、仕事や宿題、内職をするのにスペースが最適という人もいるけれど、私は正直その手の人の気持ちがわからなかった。
どうしてカラオケ屋に来ているのに歌わないんだろう。なんのためにマイクがあって、いい音ができる最新のカラオケマシンがあるんだろう。
全身を楽器にして、ビリビリと感じる音。鼓膜がブワリと膨らみ、音を精一杯拾っている。声を上げれば上げるほどに、喉から伸びやかに声が出てきてくれるような気がする。
一曲目を歌い終え、二曲目のイントロの部分でアイスティーを飲んでいたところで、ドアが叩かれた。
「お待たせしましたー、ご注文のフライドポテトに、緑茶になりま……あ」
「え……?」
いつもだったら、会釈をして注文の品を置いているのを見ながら、マイクの電源を入れて歌いはじめるんだけれど。今日に限ってはそれができなかった。
お盆に注文の品を載せてやってきた彼の顔には覚えがあった。
黒い髪をワックスでおしゃれにセンター分けにし、セットしていると気付きにくそうで気付かないというあまりにもナチュラルに髪を外跳ねにしている。毛穴がわからない肌はいったいどうやってケアしているのかわからないほどに、ツルツルピカピカしている。
クラスでも人気者グループにいながら、どこのグループとも要領よくお付き合いしている東雲くんだ。
見られた。ひとりでカラオケに来て、無茶苦茶歌を歌っているのを見られた。しかも……わざわざ三駅離れた場所で歌っているのを。
私はひとりでショックを受けていた。
普段だったら自分の十八番の曲で、いつでも歌えるのに、今日ばかりは歌う気が削がれてしまっている中。
東雲くんは「わりぃっ!」と手を合わせてきた。
「今日のこと、頼むから誰にも言わないでっ! なっ!?」
「……すみません、ごめんなさい。ひとりでカラオケに来ててすみません……」
「えっ?」
「えっ?」
てっきり、ひとり寂しくカラオケに来ているのを見られて、関わりたくないのかと思ったけれど。東雲くんの慌てふためきようはなんか違うようだ。
「……うちの学校、バイト禁止だから。なにか言われるかとばかり」
「……そうだったの?」
「うん、マジ」
常日頃から、学校で目立たず騒がず過ごしているせいで、そもそもなにがどう校則違反なのかがわかっていなかった。でもそっか。学校で目立っている子たちは、学校の校則を案外気にしているのか。私はひとりで衝撃を受けていた。
「……言う人、いないよ?」
「ごめん、そういうリアクションに困るようなこと言わないで」
何故か注意されてから、東雲くんはなにかをサラサラ書いて、テーブルに置いて行った。
「マジで頼む。これ、連絡先」
「え……うん?」
見てみたら、それは通信アプリのIDだった。私とアプリで連絡して訴えるほど、バイトが見つかるのが嫌だったのか。
日頃から、人気者グループの人は、堂々としていて格好いいな、と遠巻きに眺めていたから、そういうことをいちいち気にするんだなあと思いながら、とりあえず私はポチポチとIDを登録しておいた。
****
フリータイムが終わり、私は支払いを済ませてカラオケ屋を出ようとしたら、入り口には東雲くんが立っていた。
「よっ」
「……えっと、どうも」
なんだろう。私はひとりカラオケをしている弱みを握られるんだろうか。そう思ってビクビクしていたら「あー……」と東雲くんは首の裏を引っ掻いた。
「俺がバイトしてるの、マジで黙ってて欲しいんだわ」
「……別にいいけど……なんで?」
「うち、下にあとふたりいるんだけど。俺がどうにか公立校愛かったからいいけど、他ふたりがやりたいこととか、どうも私立じゃないとできないっぽいから、家にお金入れてるんだわ」
「はあ……」
私の下手くそな相槌でも、気にすることなく東雲くんは話しかけてくる。
なんでも、弟ふたりはどちらも運動がよくできるけれど、運動部にはお金がずいぶんかかるらしい。でも冷静に考えれば、専用ユニフォーム代とかすぐに靴がボロくなるから買い替えとか遠征費とか、遠巻きに見ている分にはよくわからずとも、たしかにかかるんだ。でも中学生だったらバイトもできないから、自分の部費はもっぱら親任せになる。
だから長男である東雲くんは、人気者グループに入って要領よくあちこちのグループから情報を取ってきて内申点を確保しつつ、こっそりバイトをして、弟さんたちの部活用の費用を稼いでいたらしい。
「……弟さん思いなんだねえ、東雲くん」
「ブラコンとか思った?」
「……私は、兄弟姉妹いないからよくわかんないけど、家族が自分の夢を応援してくれるのって、すごいなと、思うよ……」
「ふーん。ところでさ、山下。物は相談なんだけど」
「な、なに?」
自分語りからいきなり私に話を振って来たのに、私の頬は引きつった。
やっぱり脅迫されるんだ。学校にばれないようにわざわざ遠くにバイトに来てたのを私に見られたから……。
人気者グループは、ひとりふたりだったらそこまで悪い人でもないんだけれど、集団になった途端にいきなり暴力的になる。あれはいったいなんなのかわからないけれど、人数がたくさんいて気が大きくなっているんだろう。本当に怖いから、その手の人たちに目を付けられないように生きてたのに。
私がひとりで被害妄想に明け暮れていたら、東雲くんが口を開いた。
「お前無茶苦茶歌上手いな!」
「…………はい?」
「いやあ……すごいな。カラオケ屋に行ったら気持ちよく歌ってるから口出ししにくいけど、すっごい音外しているのとか、なにを歌っても全部念仏に聞こえるようなのとか聞かされるんだけどさあ……山下の歌、ライブ会場レベルで上手かった」
私は彼の言葉に、目を瞬かされていた。
「……私、脅迫されてるの? 褒められてるの?」
「えっ、なんで山下を脅迫しないといけないの? いやあ、ああいうのって、動画SNSに流さないの?」
それに私はますます困惑してしまう。
最近は歌が上手い子なんかは、動画SNSに投稿して歌を聞いてもらうらしいんだけど、あそこはプロ並に上手い人がたくさんいる。そんな中で歌っても上手いと言われるとは思えなかった。
「べ、別に……」
「でもひとりカラオケだともったいなくない?」
「で、でも……ランキングだと、上位だし……」
「えっ、マジ?」
カラオケは機械によっては全国規模で採点されて、ランキングが載ったりする。喉を休める時間を確保するつもりもあって、積極的にランキングに登録して、そのランキングが上がっていくのを眺めていた。
世の中には歌が上手い人がたくさんいるんだなあと思って、それを眺めていたけれど。
私の言葉に、東雲くんは興奮したように頬を赤く染めた。
「それすっげえじゃん! ますます動画SNSをつくるべきだって! 俺もフォローするし!」
「え」
「もしかしたらそれでコラボできたり、お金もらったりできるかもしれないし」
「待って」
「もし山下がそういうの苦手なんだったら、俺が録音して、それを流してもいいけど。俺が動画SNS管理って形で。それでお金もらうの。どう?」
どうって言われても。私はいきなり自分が趣味で歌っていた歌がすごいから、動画SNSに投稿すべきたとか、それでお金をもらうべきだと言われても、いまいちピンと来ない。
そこまでの価値があるとは思っていなかったから。
でもなあ……。
山下くんはお金が必要で、私はひとりで歌を歌う時間が必要だった。
そしてそれはどちらも学校の子たちに知られたくない。
「……私、自分が歌を歌っていること、人に大っぴらにしたくない」
「ああ、そっか。顔出しとか怖いもんな。ごめん」
「……だから、私が歌を歌ってるってことを、黙ってくれてるんだったら、いいよ」
「……マジ?」
私は頷いた。途端に東雲くんは私の手を取って、ブンブンブンと振り回した。
「ありがと! じゃあ一緒に稼ごうな!」
「……稼げるほどのことは、アカウントつくったくらいじゃありえないんじゃないかな」
「大丈夫だって! 山下の喉はいけるから!」
なにがそこまで東雲くんが高く買ってくれているのかはさっぱりだけれど、こうして私たちはふたりで合同の動画SNSのアカウントをつくって、ふたりで育てていくこととなったのだ。
****
私は動画SNSのアカウントをつくったときに東雲くんに飲ませた条件は三つだった。
ひとつ。顔出しNG。ただでさえ私は、人前でしゃべるのは苦手だ。東雲くんとなんとかしゃべれているのは、彼が聞き上手な上に、私がたどたどしくしゃべっても、急かさないでくれているから会話が成立しているのだ。緊張するとなったら、歌うどころかしゃべれなくなるために、そこだけは絶対順守してもらった。
ひとつ。選曲は私に選ばせて欲しい。もちろん東雲くんが「これ歌って」と言ってきた中で歌える曲だったら歌うけれど、さすがに私も早口が過ぎて呂律が回らなくなるような曲は歌えないし、高低の差が激し過ぎる歌も歌えない。やけに東雲くんがおだててくれているけれど、全部の曲は歌えないとだけは伝えた。
そして最後のひとつだけれど。
曲を録音して投稿するのは東雲くんに頼むけれど、私は彼と一緒には歌えないとだけは伝えておいた。長年培ってきた上がり症を舐めないで欲しい。人の気配があるだけで肩に力が入り過ぎて、全然声が出なくなってカスッカスの音しか出なくなるから。
私が条件を取り付けた際に、それらを通信アプリで全部読んだ東雲くんは、ポンポンスタンプを送ってきていた。どうもスマホの向こうで大笑いをしているらしい。
【りょうかーい。本当に面白いな、山下は】
【笑いごとではないんだけど、私にとっては切実】
【じゃあ動画をアップする際は、背景使おうか。魚眼レンズっぽい画像加工できるアプリを使えば、近所の写真もそれっぽくなると思う】
そう言いながら東雲くんが送ってきたのは、加工アプリでたしかに魚眼レンズっぽく見えるし、近所の公園のハナミズキの写真も、なんとなくMVみたいでおしゃれだ。
【すごいね。洒落てる】
【こういうのは得意だから。なら最初の曲考えようか。それに合わせてこっちも写真を撮るから】
まるでノートを取る際にどのペンを使うかとか、友達と交換する友チョコにどんなラッピングをするかとか、曲と写真の組み合わせを考えるのはすごく楽しかった。
結局最初に歌う曲は、私がうっかりと注文の際に聞かれてしまった私の練習曲で、アップテンポなアニメソングだった。
録音は東雲くんがバイトの際にデジカメを渡すから、それで録音することになった。スマホで録画もできるけれど、スマホの電源が切れてしまったら意味がないから、らしい。
別に私が映る訳ではないけれど、次にひとりカラオケに行く際は、いつものシャツにデニムという普段着過ぎるものから、もうちょっとだけ可愛いものを探して着てみることにした。
「……私と東雲くん、カラオケ屋以外に接点がないもんなあ」
東雲くんとはアプリを挟んでやり取りをしているからなんとかなっているのであって、アプリなしで直接話すのはできない。
おまけに学校では互いに秘密を黙っておこうということで、特に親しくしゃべってもいないのだから。
結局選んだのはチュニックに八分丈の白いパンツで、いつもよりもちょっとおしゃれくらいのものだった。
知り合いがいないのを見計らってからカラオケ屋に入ると、東雲くんが手を振って待っていた。
前はバイト服を着ていたけれど、今日はスポーツ用品店のロゴの入ったパーカーにデニムというスポーティーな格好をしていたのは、なんだか新鮮だった。
「いらっしゃい! 今日はバイト休みだから!」
「……こ、んにちは。でも、家にバイト代入れないと駄目なのに……いいの?」
「稼がせてもらうからさ。ちなみに今はフリータイム品切れになったんだけど、どうする?」
「えっと……」
正直、一発撮りで大丈夫とは思うけれど、不安だから二時間取っておいた。ふたり分二時間で部屋を取ってから、ドリンクを注文する。
そして東雲くんはポンとスマホでの録音の説明をした。
「それじゃあ、歌歌ってる間、俺はドリンクバーに行ってくるから。その間に録音な。ここを押したら録音できるから、終わったらここ押して。あとは家に帰って動画加工してから、SNSに上げるから。上げたら、アプリで連絡する」
「う、うん……よろしく、お願いします」
「頑張れよー」
そう言い残して、東雲くんはドリンクバーに飲み物を汲みに行ってくれた。
私が取り付けた約束を守ってくれているのにほっとしながら、私は曲でふたりで決めたアニメソングを入れ、それを流す。
アニメの本放送だけでなく、何度も音楽番組で流れたから、誰でも知っている歌だ。でも、高低の差が激しく、上手く歌うにはテクニックが必要。ただ、上手く歌えるとひどく気持ちいい。
マイクの電源を入れたと同時に、曲のイントロがはじまった。
私は東雲くんのスマホの録音アプリの電源を入れてから、一気に歌いはじめた。歌っている間は、ただ全身が楽器になった錯覚に陥り、どうしたらより声が伸びるのか、どうしたらもっと楽しく歌えるのか以外が、頭からすっかりと消え去る。
一曲歌え終えたあと、私はほう……とひと息ついてから、スマホのボタンを押した。これで大丈夫なのかな。
私はそうドキマギしながら、次の曲をどうしようと悩んでいると「お待たせしましたー」と声がしてドアが開いたので、私は「ひいっ」とビクついた。私が震えているのに東雲くんは苦笑する。
「ドリンク取りに行ってただけだろう? そこまで怖がるなって」
「ご、ごめんなさ……」
「いや怒ってないけどさ。で、曲は録音できた? これ聞いていい?」
「う、うん……」
私はなにを言われるんだろうと、ビクビク震えながら見守っていた。音はかなりクリアに撮れていて、伴奏もばっちりだ。その曲を聞きながら、東雲くんは指を唇に当ててじっと聞き入っている。その指の爪先に、私は思わずドキリとした。
男の子の爪はもっと分厚くって飾り気なしかと思っていたけれど、東雲くんは爪先まで磨き抜かれている。人気者グループの人は皆こういうものなんだろうか。
私が密やかに感心している中、東雲くんは「はあ~……」と息を吐いたのに、私はまたしても肩を跳ねさせる。
大したことなかったって言われたらどうしよう。私、ただ本当に、歌を歌うのが好きなだけで……。ひとりでグルングルンとネガティブなことばかり頭に浮かんでは消えを繰り返していると、東雲くんはポツンと言った。
「山下。お前ほんっとにすごいな?」
「……へえ?」
「この曲。誰でも知ってるポピュラーな曲だから、最初にこの曲選んでおけばとりあえず聞いてもらえるだろう程度に思ってたけど。これは誰でも聞くだろ。無茶苦茶上手いじゃん」
「え……えっと……」
「前に通り過ぎたときは、ちょっとしか聞けなかったけど。はあ~、全部通しで聞いたらほんっとにマジで上手いな、すごいなあ、山下」
前にも増して褒めちぎってくるのに、私の全身はカチコチになる。
……これは、調子に乗ってもいいところなんだろうか。これくらい誰でも歌えると思って黙っておくべきなんだろうか。ここはむしろ、ありがとうと言うべきところなんじゃないか。
なんとか口をもごもごさせて、東雲くんに言おうとするけれど、上手く言葉が出てこない。でもそんな私を、東雲くんはじっと待ってくれた。
「落ち着けって。なにも取って食ったりしないから」
「ご、ごめ……」
「悪くもないのに謝るのもなし!」
「…………っ」
「もしかしなくっても、木下。褒められ慣れてないのか?」
それに、私は思わず頷いた。
元々取り柄がないと思っている。人前に立ったらすぐに上がってしまい、大抵のことは失敗してしまうし、歌だってひとりでなかったら歌えない。当然音楽の授業で歌を歌うテストのときだって、緊張のあまりに歌詞も曲も抜け落ちてしまって赤っ恥を掻くことのほうが多くて、歌うのが好きなんて家族以外には言っていない。
東雲くんは「ふーん」と腕を組んだ。
「もったいない。とりあえず、今日アカウントに曲上げるから、もしなんかあったらいつでも言ってくれな?」
「あ、うん」
こうして動画SNSに東雲くんが曲を上げてくれることになったんだ。
****
【曲上げたよ。他のSNSでも宣伝したら、結構な人が見に来てくれている】
そう東雲くんが言ったので、私は怖々と尋ねた。
【私の名前言った?】
【言ってない言ってない。さすがに嫌がってるのに名前なんて上げないよ】
東雲くんが教えてくれたアドレスを見ると、私の歌がたしかに流れていた。東雲くんの撮った魚眼レンズ風の花の写真に合わせて、私の歌が流れている。
気を遣ってくれたのか、コメント欄が閉じられている。本当にいろいろ考えてくれたんだな。私がひと通り感心していたら、またアプリがピコンと鳴った。
【どうだった?】
【すごかった。私の歌じゃないみたい】
【いやいや、あれはどう聞いても木下の歌だよ。お前の曲、ノイズだけ取ればそのまんま使えたもん。本当にすごいよ】
動画のことはよくわからないけれど、東雲くんがそう言っているのならそうなんだろう。私は何度も何度も【ありがとう】とお礼を言ってから、自分の動画を眺めていた。
本当に私が歌を歌っているだけの動画だけれど、画面を通して聞くと、なんだか違う気がするし、くすぐったく感じる。それをしばらく眺めてから、私はスマホの電源を落とした。
それからというもの、私は東雲くんとたびたびカラオケ屋で落ち合い、歌を歌っては動画を上げるようになった。相変わらず教室では話をしないし、大して目も合わないけれど。誰にも知られずに秘密を共有しているというのは、少しだけロマンがある。
私が授業の準備をしてから、ぼんやりとスマホを眺めていたら、普通のグループの子たちがしゃべっているのが耳に入った。
「最近さあ、すごい歌い手が現れたんだって」
「ふーん。どんな人?」
「素人なんだけれど、歌無茶苦茶上手いよ。私んとこのアカウントに流れてきたの」
そう言いながらスマホから流れてきた歌に、私は心臓がドクンと跳ねた錯覚を覚えた。
その歌は、昨日東雲くんと上げたばかりの曲だった。誰も私が動画を上げていることなんて言ってないのに。一応東雲くんに確認したら「バイトのことがばれるかもわからないのに、木下以外にカラオケ屋に行くようなこと言ってない」と言っていたから、東雲くんも動画の宣伝はしていても、その動画を上げているのが私たちだとは公言していないはずなんだ。
うわあ……どこかでばれたらどうしよう。私はひとりでガクガク震えている中、人気者グループからひょっこりとその子たちに声がかけられた。
「ああ、それ歌ってるの私」
御坂さんの言葉に、私は思わず信じられないものを見る目で見てしまった。御坂さんはその子たちとしゃべっていて、私のことなんてちっとも気にしてないけど。
え、でも。これ。私の歌……。
でもその子たちはあっさりと信じてしまった。
「えっ……すごい! 御坂さん歌上手いね! これ、プロみたいに聞こえるもん!」
「本当! でもどうして顔出してないの?」
「うーん、家が厳しくって、ネットに顔出しすんなって言われてるの。だから匿名で」
「写真サイトでも動画上げられるけど、そっちは使わなかったんだ?」
「あれさあ……登録がいろいろ面倒だからさあ」
すっかりとその子たちは信じ込んでしまっているのに、私は暗い気分になってしまった。
あの歌。私の歌なのに。たしかに歌っている声としゃべっている声が全然違ったら、誰が歌っているのかなんてわからないし、逆に言ってしまえば言ってしまったもの勝ちになってしまう。
すっかりと意気消沈してしまい、その後の授業では、当てられてもまともに答えられない。塞ぎ込んだまま、授業が終了した。
私は鞄に荷物をまとめ、ホームルーム終了と同時に学校を出る。
「はあ……」
おかしなこと言わないで。
このアカウントは、私と東雲くんのものだから。そうひと言言ってしまえばよかったけれど、そうなったら絶対に「なら証拠として歌ってみせて」と言われてしまう。あんな人の中で歌うのは無理だ……そうなったら、本当のことなのに「目立ちたがりの大嘘つき」呼ばわりされてしまう。
でも……。本当にそれでいいの? 私と東雲くんで育てたアカウント。私が歌って、東雲くんが私の歌を加工して、写真を撮って加工してアップしてくれている。ふたりでつくってきたアカウントを、詐称されちゃって本当にいいの?
わかっているけれど、私は全然しゃべれない上がり症で、御坂さんは友達がたくさんいる人気者だ。どっちの言うことを信じるかなんて、火を見るより明らかじゃない。
ひとりとぼとぼと家に帰る中、スマホがピコンと鳴った。なにげなくスマホを見てみると、東雲くんからだった。
【今通話大丈夫?】
どうも御坂さんの話は、東雲くんのほうにも届いたらしい。そりゃそうだ。彼はいろんなグループの人と交流があるし、同じクラスなんだから、嫌でも彼の耳にも入るだろう。
迷った末、通話だったらそこまでどもらないだろうと【うん】と返事をした。
その直後、通話が入る。
「もしもし」
『木下、大丈夫か? なんか御坂がいろいろ嘘ついてるけど』
東雲くんの声は、本当に気遣わしげだった。その言葉にほっとし、さっきまでの胸中のぐちゃぐちゃしたものが、喉からついて出る。
「ごめんなさい……私が、ちゃんとその場で反論できてたらよかったのに……御坂さんが嘘ついているの、咎められなかったんだよ……せっかく、東雲くんがつくってくれたアカウントだったのに」
『いや、俺は木下使って稼ごうとしているだけで、俺全然苦労してなくないか? むしろこれ、木下がもっと怒ってもいいところだろ』
「でも……私と御坂さんだったら、絶対に御坂さんのことを信じる人のほうが多いし……
私、あんな大勢の場所で、歌なんて歌えない……今だって、東雲くんに録音を渡すのが精一杯で、人がいたら怖くて歌えないのに……」
あまりにも情けない言い訳しか言えず、その情けなさで胸が詰まり、とうとう私の喉から嗚咽が漏れ出してしまった。泣いたってどうにもならないし、東雲くんだって困ってしまうでしょう。わかっていても止める術がなく、私がしゃくり上げている中、大きな足音が聞こえてくるのに気付いた。
「木下……!!」
スマホと背後、同時に同じ言葉が届いた。振り返ると、東雲くんがいた。すっかりと見慣れてしまった彼の姿を見たら、安心したのと申し訳なさで、ますます涙腺が緩んで、子供のように大声を上げて泣いてしまう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「あーあー、だから、なんも悪くないのに謝るのも泣くのも止めろって! そもそも、木下なんも悪くないのに、なんで謝るんだよ。御坂のこと、俺だって止めきれなかったのに」
「だって……東雲くん家の事情あるから、バイトのこと言えないじゃない。だから私たち、学校では他人のふりしてるんでしょう? お互い様だよ……」
「本当に、木下マジでいい奴なんだからさ、だから頼むから、これ以上自分を卑下すんの止めてくれよ……なっ?」
手を合わされて頼まれてしまうと、東雲くんをこれ以上困らせたくなくて、私は小さく頷いて目をパチパチとさせてから、涙を拭った。
「でも……どうしよう。これ」
「まあ、大袈裟に騒ぐことなく、今は普通にしてようと思うけど。でもどうする? 新曲歌えるか?」
既にカラオケで歌って、五曲くらいは溜まっている。御坂さんが自分の歌だって言い張るのがもやもやするだけで、歌さえ歌えれば私は充分だった。
「歌いたいな……また」
「了解。じゃあ、御坂の言動は無視して、歌を上げていこうか」
「うん」
こうして、私たちは御坂さんの言動を無視して、そのまんまアカウントを削除することもなく、歌の定期更新に励んでいった。
でも……思いがけないことが私たちを待ち構えていて、困らせてしまうこととなったんだ。
****
【ちょっとこれ見てみ。マジでアカウント消すかどうか考えないといけない】
ある日私が宿題をしていると、唐突に東雲くんからアプリのメッセージが入った。張られているアドレスを訝しがりながら見て、私はびっくりする。
それはひと言SNSのアドレスであり、キラキラとしたネイルで女の子だとわかるアカウントが見えた。
【新曲歌いました~♪】
そのアカウントが宣伝している動画アカウントは、どこからどう見ても、私と東雲くんのものだった。
どう考えてもそのひと言アカウントの持ち主は御坂さんで、よりによってあの子はネットでまで大嘘をついていたのだ。
わざわざネットでまで嘘つかなくってもいいのに。なんで私から歌を盗ろうとするの。やめてよ。人気者だったら、無神経になにをやってもいいの。
悲しいよりも、悔しいよりも「なんでそんなことするの?」という虚無が勝り、なんとも言えない不愉快さが胸中を占めていった。
でも。その中で御坂さんのアカウントにあれこれ話しかけている人が目に入った。
【突然失礼します。『ひるドキッ』のADアカウントです。いい歌声ですね。よろしかったら火曜コーナーの『ご近所の金メダリスト』で取材をしたのですが、よろしいでしょうか?】
それは地元ローカル局のお昼番組のアカウントからの申し出だった。
私は思わず東雲くんにメッセージのやり取りをしているアドレスを付けた上で、メッセージを送った。
【どうしよう……御坂さんがテレビに取材されてる。これ、マジでアカウント消したほうがいいかな?】
【はあ!? いくらなんでも、地元でわざわざ嘘だってばれるようなことはしないとは思うけど】
【私たちの育てたアカウントなのに……どうしよう……】
私がもっと早くに「やめて」「それは私たちのアカウント」と言えればよかったのに。でも、私。そんな人前で歌えないよ。
しばらくしたら、唐突に通話が入った。
「はい……」
『木下。お前歌えるか?』
「え……?」
『あれはお前の歌だろ。いくらなんでも、それを御坂に取られていい訳ないし、御坂はあそこまで歌えないよ』
「で、でも……私。人前で歌えない……」
『木下、お前気付いてたか? 俺としゃべっているときは、そんなにどもらなくなったこと』
そう言われて、私は思わず自分の口元に手を当てる。
……いつもは、本当にしゃべるのが駄目で、上手くやり取りすることができなかったのに。いつの間に東雲くんとちゃんとしゃべることができるようになったんだろう。
私が考え込んでいる間に、東雲くんが語りかけてきた。その声色はひどく優しい。
『大丈夫だ。お前の歌はすごいよ。ちゃんと歌える。人前でだって、大丈夫』
「東雲くん……私」
『乱入しよう。どうせ御坂のことだから、テレビ局の前で歌うって宣言するから』
「……うん」
テレビ局の前で歌うなんてこと、私にできるのかな。ただでさえ人前で歌えないのに。でも。
私は東雲くんがつくってくれたアカウントを見た。
アカウントのコメントひとつひとつが、【歌うっま!】【プロみたい】【オリ曲歌わんの?】と温かい。
このアカウントを盗られて、本当にいいの? 私たちふたりで育ててきたのに。
……やっぱり嫌だな。そう思ったら、心が決まった。
歌う曲は、御坂さんに合わせる。
これは、私の歌声だ。
****
案の定というべきか、御坂さんに取材が入ったことは、教室の皆が知っていた。
「すっごいじゃん! 映見、もしかするとデビュー決まっちゃうかもよ?」
「すごくないすごくない。ローカル局で一曲歌うだけだし」
「でも今だったらネットでローカル局の番組も見られるもん」
人気者グループの皆がやんややんやと喝采している中、御坂さんだけは顔を引きつらせている。それを見ていると、人気者って大変なんだなとアカウント盗られているのに、少しだけ同情してしまった。
だって、人気者は常に人気になる情報を振りまかないと、いつまでも人気者ではいられないから。
そうこうしている間に、御坂さんが友達と一緒にカラオケ屋に行くことになった。私と東雲くんは一緒にそのカラオケ屋に行くことになったとき、私と彼の接点を知らない面々は当然ながら怪訝な顔をした。
「あれ、東雲。いつの間に木下さんと仲良くなったの?」
「うーん、いろいろ」
「マジぃ?」
カラオケ屋の前には、当然ながらテレビ局のスタッフが来ていた。
「今日はよろしくお願いします」
「お願いしまーす」
いろいろ打ち合わせをして、御坂さんがカラオケを歌うシーンを撮ることになったけれど。私はそれをハラハラしながら見ていた。
彼女が歌う曲は、今まで私たちのアカウントにアップしたことのない曲だ。上手いことには上手いけれど。
(……私のほうが上手く歌えるって言ったら、失礼なんだろうな。きっと)
私はそう思いながら、皆で拍手をしているのを見ていた。
周りも少しだけ首を傾げている。
「なんかアカウントと声違わない? 録音のせい?」
「えー……そんなことないよぉ」
御坂さんが痛々しい。あの子は多分いい子だけれど、目立ち方を間違えてしまったんだ。
私がちらりと東雲くんを見ると、東雲くんは小さく言った。
「木下、かましてやれ」
私は周りを見た。
テレビ局のスタッフも「もうちょっとリラックスして」と言って御坂さんを撮り続けている。綺麗なストレートヘア、爪先までピカピカに磨き抜かれてて可愛くって、友達思いの優しい子。でも、ずっと人気者でいるために、いろんなネタを拾い続けないといけない女の子。
対して私は、可愛くもなければ優しくもない、東雲くんの影に隠れてなかったら、ひとりで歌うことしかできない。
このギャラリーの前で歌うのは、もし私たちのつくったアカウントがかかっていなかったら無理だった。
私が迷わず空いているマイクに手を取り、電源を入れた途端に、周りがぱっとこちらに視線を寄せてきた。
怖……くない。怖くない。大丈夫。
喉が突っ張りそうになるのを堪える。
「木下さん? 今撮影中で」
「……こ、れは。私たちのアカウントだから」
「えっ?」
御坂さんが困惑したように、こちらを見てきた。
あなたのことは嫌いじゃない。でも、あなたがアカウント盗ったのは、嫌だから。
イントロがはじまった途端に、なにかがプツンと切れた。今まで「無理」「駄目」「人怖い」と思っていたのが嘘のように、膜一枚隔てられたかのように、気持ちが静かになる。
私の歌が、一気に弾けた。
途端に周りがぎょっとしたようにこちらを凝視してきた。
なぜかこの中で、東雲くんだけ満足げに腕を組んで頷いていた。これはいわゆる後方彼氏面という奴ではないのか。
一曲が永遠にも思えた。でも、そんなことはなくて、あっという間だった。
歌を終えた私がプツン、と電源を切った途端に、テレビ局の人は大興奮だった。
「すごい! まさか可愛い子と地味な子でギャップを見せてくるなんて!」
地味……。わかってはいたけれど、本当にそういうこと言うんだな。私がもやもやしていたら、御坂さんが「木下さんすごい!」と拍手をしてきた。
「これは、木下さんのアカウントですから」
「え……?」
「私が友達になりたくってやったことですから」
「は……?」
そう言い張られたら、周りもなあなあでなんか納得してしまったし、テレビ局の人たちも丸め込まれてしまった……ううん、多分丸め込まれたというより、そっちのほうがギャップで面白い絵になると思っただけだと思う。
帰りに皆で別れたあと、当然ながら東雲くんが御坂さんに苦言を呈した。
「御坂ー、あれはいくらなんでもない。木下の歌い損じゃん」
「どうして東雲が木下さんの歌上手いって知ってるの」
「だってあのアカウント管理しているの俺だし。歌ってるのは木下だけど」
「へあ?」
御坂さんは私と東雲くんを交互に見た。
「もしかして……ふたりは付き合って」
「違う」「ちがいますっ」
ほぼ同時に声が出たので、御坂さんは噴き出した。
「うん、ごめん。でも……木下さんと一緒にカラオケに行きたかったのは本当だよ」
なんというか、可愛い子って得だなあと思った。
彼女のしたことは、世間一般だったら許されないことなのかもしれない。でも私は彼女にほだされてしまったし、ふたりに目標を伝えた。
「あの……東雲くん。アカウント削除してもらっていいかな?」
「ええ……まさかテレビに出るのが嫌だった?」
「と、いうより……人前で歌っても大丈夫だって、ようやく自身ができたから、今度オーディションに出てみたいの」
そう言って、近所にやってくるのど自慢コンテストの宣伝をスマホで見せてみた。
それに、東雲くんと御坂さんは顔を見合わせた。
「おう、かましたれかましたれ」
「頑張って、木下さん」
「うん」
しゃべるのが苦手で、上がり症。それでも歌だけは好きだった。
私の好きなものが、私に友達をつくってくれた。
なんか人気者って大変なんだなと傍から見て思っていたけれど、同じ轍を踏まないように、今度は自分の足で頑張ってみるよ。
<了>