華に浪漫~夜伽のはずが溺愛されています~【完結】

「…未来?」

目元が真っ赤になっていた。顔を上げると京と視線が絡む。それを見るとまた、涙が流れた。咄嗟に本当のことを話していた。
話すべきではないことは理解していた。

「そうです。未来が見えるのです。京様を緋色の目で見たとき、京様がっ…血にまみれていたのですっ…どうしてそうなっているのかわからなくて。でも私の目は直ぐに同じ人物を見ることは出来ません。期間が必要なのです。京様の未来を変えるためにっ…見たのです、今」
「…そうか」

京は一瞬だけ目を大きく見開いたがすぐにいつもの顔に戻る。静かに、そしてつばきを安堵させるように落ち着いた顔を見せる。涙を指で拭いながら
「大丈夫、」と何度も何度も言ってくれた。つばきは深呼吸をしてからまた喋り出した。

だが、涙だけは止まってくれない。

「それで?どうして俺が血を流していたんだ」
「…京様が誰かをかばうような姿勢になっておりました。それが…私でした…。一瞬私が京様を刺したのではと思ったのですが、そんなことは絶対にありません。それに…逃げたという声が飛び交っておりました…誰が刺したのかまでは見ることが出来ませんでした…ごめんなさい…っ、私が刺されようとしていたのです。どうして庇ったのですかと未来の私が京様へ言っておりました。だから…っ京様が、」


ぶるぶると震えるつばきを京は強く抱きしめた。
そして言った。

「つばきは大丈夫だったのか。怪我はなさそうだったか」
「はいっ…私は怪我などしていないでしょう。だって…京様がっ…」

京がつばきを庇ったから、つばきの代わりに刺されたのだ。
あんまりだと思った。
自分のせいで京が死ぬかもしれないのだ。

(京様を愛している。愛しているから生きてほしい。私のせいで死ぬ可能性があるのならば…私は離れよう。京様から離れたら、死ぬのは私になるのだから)
しかし、京は言った。

「お前が無事ならば良かった」
「え…―っ」
「そんなに泣くことはない。俺がお前を守れた未来だったのだろう?それならば本望だ」

―どうして

そう言おうとすると、京は優しく微笑んだ。

「お前を愛しているからだ。だからつばきを守れるのならば…―本望だ」



どうしてこの人はこんなにも温かい眼を自分に向けるのだろうと思った。
京は泣きじゃくるつばきを落ち着かせるようにずっと抱きしめてくれた。
そのたびに彼を失いたくはないと強く思った。

「京様っ…―私は未来を変えたいのです、あなたのいない未来など想像すらしたくない」
「分かっている。俺だってできれば避けたいし、お前の話だとつばきが刺されそうになったのを俺が庇ったということだな。つまりお前が狙われているということだ、それは絶対に避けたい」
「それも確証はないのですが…血にまみれた京様が苦しそうにしながらも私を抱きしめておりました。私は『どうして庇ったのですか』と言っていたので…だから京様ではなく、私が刺されそうになったところを京様が庇ったのだと思うのです。私の目で京様が刺される瞬間は見ることは出来ませんでした。逃げた、とか医者とか…そう言った言葉も飛び交っていて…騒然としていました」
「そうか。分かった。時期も不明なのか」
「はい、時期がわからないのです。だから…その時がいつ来るのかっ…」
「大丈夫だ。とにかくつばきを刺そうとするほどに恨みを持つ人物を探して接触してくるのを防げばいい。そもそもつばきと関わりのある人物は限られる。護衛も多くしよう。屋敷に出入りできるのは限られた人だけにする。屋敷内で起こることならば対策は出来る」


まだ泣き続けるつばきにいった。

「だが、つばきが俺の前から離れることは許さない」
「…っ」

以前にも言われたその言葉につばきは無言で京を見つめた。

「もしもお前が俺のせいで危険に晒されるというのならば話は別だが、そうではないのならばそばにいてほしい。俺の方が今じゃお前なしでは生きていけないようだ」

そう言ってつばきの頬を撫でた。
それを聞いてまた、涙を零した。絶対にこの人を失いたくはない、何度もそう思った。そして同時に改めて自身が存在した理由を確信した。

―京様のために、私は存在した

自分がどうすべきか京の腕の中で考えた。絶対に未来を変えたい。変えねばならないのだ。








京が笑ってつばきに何か喋りかけようとしている。
それを見てつばきが京に近づこうとするが京が突然消えてしまった。
辺りを見渡しても誰もいない。京様、と何度も名前を呼び続けそのうち声が枯れ、涙も枯れ、その場に座り込む。

「つばき、つばき、」
「あ、…京様、」

目を開けると京が心配そうに眉根を寄せ、つばきの名前を呼んでいた。
夢だったようだ。安堵したと同時に直に来るであろう未来を予期しているのかと思うとぞっとした。
汗ばむ体を起こして京に笑顔を向けた。

「寝言が酷かった。俺の名前を呼んでいたようだが…」
「大丈夫です。心配かけてごめんなさい。嫌な夢を見ておりました」
何かを察したようにそうかと言った京はつばきに水をさし出す。それを受け取ると喉に流し込んだ。
「昨日は二度目の“未来”を見たせいで疲れたのだろう。今日はゆっくり休むんだ。幸い俺も休みだ」
「ありがとうございます」
「女中たちにも不用意な外出をなるべく避けるようみこから伝えてもらっている。彼女たちにも何かあるといけない。つばきの目のことについては、俺しか知らないから安心してくれ」

つばきは小刻みに頷いた。

昨日は二度目の京の未来を見ることが出来たが、直に来るであろう未来は京に命の危険があるということと、本来であればつばきが刺されるはずだった…という残酷な未来だった。
だが、京に本当のことを話すことが出来て心強いのも確かだ。もちろん自分のせいで、という思いもあるが一緒に乗り越えようとしてくれる京の姿勢に勇気を貰える。

「そうだ、今日は弟が屋敷に来るようだ」
「…環様ですね」
「あぁ、でもつばきは別に関わらなくていい」
「……」

環のあの冷たい視線を思い出すと背筋が粟立つ。彼はつばきを快く思っていないだろう。
つばきという存在を疎ましく思っているように感じた。

「つばき、お前の目はその人の未来を見ることが出来るんだな」
「そうです」
「でも“どの時期”の未来を見ることが出来るのかはわからないと」



「その通りです。なので…本当は京様に関わりのある人たちを緋色の目で見たかったのですが…一緒に生活している京様であればバレずにそっと緋色の目で見ることは可能かもしれませんが…あまり親しくない人を緋色の目で見るのはリスクがあります。例えばみこさんでさえ、緋色の目で見ることは難しいです。私の目は直ぐに緋色の光が消えるわけではありません。だから…緋色の目で見ていることがバレてしまったら逆に怖がらせてしまったりこの目の秘密がバレてしまう危険があります」

おそらく京はつばきに関わりのある人たちを緋色の目で見るという提案をしたいのだと思った。

以前までは京に関わりのある人物だと思っていたから、できればその人たちを緋色の目で見たかったがリスクがある。それに京に危害を加える瞬間の未来が見えるとも限らないのだ。
ちなみにこっそりではあるが、翔が以前この屋敷に来た際に背を向ける彼を緋色の目で見たことがあった。だが、翔の自宅で見たことのない人たちと談笑している姿しか浮かんでこなかった。
もちろんだからと言って翔が無関係の人物と断言できるわけがない。

「だから…本当に思うのです。こんな能力、本当は必要ないのです。いつの未来なのかも不明です。この目のせいで呪われた瞳を持っていると言われ…別に人の未来など知ったところでどうしようもないのに。でも、京様の未来を見てから考えが変わりました。私の能力で京様を救うことが出来るかもしれないのです。まぁ結局は私のせいで京様が危険に晒されてしまうのですが…」
皮肉なことだ、と思い自嘲気味に笑うと京がそんなことはないとはっきりと言った。
「その力のお陰で未来が変わるかもしれないんだ」
「はい…」
「それに…お前を初めて見たとき緋色に光る瞳を見て目が離せなかった。あの時死のうとして橋から身を投げようとしていたのに、あの目にはどうしてか希望が見えた気がしたんだ」

京はどこか遠くを見ながらそう言った。


♢♢♢
「ねぇ聞いた?今日は環様がお見えになるらしいわ」
「本当?珍しいのね!滅多に来ないじゃない。実の弟だって言うのに」
「そうでしょう?仲があまりよろしくないようよ」
女中たちがコソコソと話している内容に聞き耳を立てるわけではないが環という名前に敏感に反応してしまう。
廊下を拭きながら環について考えていた。

(彼はきっと私のことを疎ましく思っているはず…)

だが、華族である彼がそこまでするとも思えない。

「つばきさん、こっちを手伝ってくれる?」
「わかりました」

みこに呼ばれつばきは床掃除する手を止めた。
それから一時間程度経った頃だろうか、ごめんくださいと玄関先で声がした。
直ぐにそれが環の声だということは分かったが、つばきは関わるなと京から言われているからお茶出しもする予定は無かった。
雪が対応しているようだ。客間へ続く足音を聞きながらつばきは屋敷内の掃除をしていた。

京と何を話すのだろうかと思いながら、できれば環に接触することなく彼のことを緋色の目で見たいと思っていた。
見たとしても意味はないのはわかっているが、徐々に近づいているであろう“その時”を考えるとじっとしていられない。

つばきのせいで京が刺されるとなれば尚更だ。
厨房に行き、一息ついていると背後に気配を感じた。
ちょうどみこが戻ってきたのかと思った。だが、そこにいたのはみこではなかった。

「あ…っ、」
「やぁ、久しぶり」
「た、環様…」
「名前覚えていてくれたんだね、良かった。兄が急に結婚するっていうからどんな相手かと楽しみにしてたんだよ、あの夜はね」
でもねぇ、と環は軽く溜息を吐いて続けた。
環は洋装姿だった。京に似てスタイルも良くそして顔も整っている。それなのに放たれる雰囲気はまるで違う。前回会った時と同じ印象だ。

「こんな野良猫を拾ってくるなんてね」
「…っ…」

環はじりじりと距離を詰める。そのたびに一歩後ずさり何と返せばいいのか必死に考える。
その目はやはり冷たく、今にもかみ殺してくるような圧迫感を感じる。

「夜伽だったんだよね?一条家にとって君はマイナスでしかないってことわかってる?」
「分かって、おります」

ついに腰に木製のテーブルが当たる感覚があり、逃げられないと悟った。
しかし、ここで怯んでは相手の思う壺だ。
つばきは睨むように環を見上げる。

「そういう目、するんだ?へぇ、野良猫のくせに」
「何の用でしょうか。京様と会う予定ではなかったのですか」
「うん?そうだよ。ちょっとトイレ借りるねって言ってきたから早く戻らないと。でも今日は本当は君に会いに来たんだ」

環はそう言うと顔色を変えずにつばきの首筋に触れた。

一度触れられてしまえば、体は一切動かない。
いったい何を考えているのか不明なその目が好きではなかった。それなのに京に顔立ちが似ているから頭と心がついていかない。
環の手は真夏だというのに驚くほどに冷たい。

「何の用でしょうか」
低く、抑えるようにそう言うと環は笑みを消した。張り付いたような笑顔ではなく、能面のような顔を見せる。

「君、夜伽なんだよね?」
「今は違います」
「あぁ、そっか。妻になるって?はは、笑っちゃうなぁ」
環が固まるつばきに顔を近づける。
そして耳元で囁いた。

「身の程を知りなよ」

声も出せずにつばきは身を強張らせる。環の言うことは決して間違っていることではない。
華族の結婚に“勝手”や“自由恋愛”が認められるわけではないのだ。
「いやっ…」
環がつばきの首筋にかみつくようにキスをした。チクリと痛むそこに涙が出そうになった。
「夜伽だったのならこのくらい別に普通でしょ?どうせここに来る前だって体売ってたんじゃないの?」
「ち、違います…おやめくださいっ…、痛いっ…」
手首を掴まれ、テーブルの上に押し倒されたその時京の声がした。
ドンと大きな音がして怖くて閉じていた瞼をそっと開けると既に環の姿はなく、圧迫されていた手首も既に離されていた。

「京様…」
「環、すぐにここから出ていけ。つばきに指一本触れることは許さない」
上半身を起こし、ふらつく足で立つとそこには頬を腫らした環が倒れ込んでいた。
京は今まで見たことのないほどに怒気を孕む目で環を見下ろしいう。

「お前が何と言おうがつばきは俺の妻にする。それが気に入らないというのならば絶縁したっていい。俺は自分の人生は自分で決める」
「…へぇ。そう、本当に兄さんは変わらないな。こんな野良猫のどこがいいんだよ」
「それをお前に伝えてもどうせわからないだろう。早く出ていけ」
「分かったよ」

立ち上がると京を一瞥して脇を通り去っていく。その後ろ姿を見ながら呆然としていた。

「つばき、大丈夫か」

直ぐにつばきに近づき慌てるようにそう言った京は心底つばきを心配してるのが伝わってくる。

「すまない、つばきに接触させないつもりだったのだが」
「いいえ、大丈夫です。私は何も怪我もしておりませんし」

そう言ったつばきだったが、自分の手が震えているのに気が付いた。
それを見た京がもう一度すまないといってつばきを抱きしめた。

「環は…元々俺のことをよく思っていない。一条家の次男として色々思うところがあるのだろう。期待はいつも俺に向けられていたという家庭環境も相俟って捻くれた性格の弟だ」
「ええ、わかっております。私を押し倒した時、つい“痛い”と声に出してしまったのですがその時環様は躊躇したのです。おそらく、酷いことをしようとは思っていなかったのだと思うのです」
「何を言っているんだ。お前に恐怖を与えた男のことを庇うな」
そう言うと京はつばきの首筋についた“跡”に目をやりそこを何度も撫でた。


―その晩

「お前はどう思う」
「…それは、環様のことでしょうか」

肯定の目を向けられ、つばきはソファの上で思っていることをすべて話すべきか逡巡する。
文机に音もたてずに筆をおくと、京は立ち上がりつばきの隣に腰を下ろした。
結局環は追い出されるような形で屋敷を去った。
首筋にはまだ跡が残っており、みこにどうしたら消えてくれるのかきいたが時間が経過するのを待つだけだといわれてしまった。早く消えてほしい。

「環様は…おそらく頭の良い方かと思います。確かに私は恨まれているかもしれませんがそこまでするかどうか…」
「それは俺も同じ意見だ。ただ、実の弟とはいえあいつが何を考えているのかまではわからない。今日だってつばきに乱暴しようとした」
「それは…確かにそうです。しかし、環様に迷いがあったのも感じました。だから彼が私を殺そうとするというのは考えにくいのですが」
「だが、だからと言ってあいつを容疑者の中から外すということは考えていない」
「はい、それが正しいと思います」

環以外に自分を恨むものは誰だろう。

清菜もそのうちの一人だと思っている。
京は既に清菜含めた西園寺家にも焦点を当て何か動きがないか調べているようだ。
もしも清菜が何かをするとなればあの時と同じように誰か他の人間に頼むはずだ。
そしてそれを実行するとなれば、そのような人物に“接触”するだろう。
それを読んでのことのようだが、まだ動きはないようだ。
他には、と考えるが恨みというのは気が付かないうちに相手に植え付けてしまうこともあるだろう。

「京様、髪を切る予定はございませんか」
「それならば来週にその予定があるが」
「本当ですか、」

つばきは京の手を握って珍しく声を張り上げる。
(あの時見た京様は今よりも少し髪が短いように思ったわ。きっと、京様が髪を切ってから一か月以内に…)

「どうかしたのか」
つばきは今思っていたことを話した。一度目に彼を見たときも同じことを思っていたのだ。
「分かった。では予定通りに髪を切ってそれから特に注意しよう」
「はい」

安堵したのも束の間、京が突然つばきに覆いかぶさる。

「あ、…え、」
「その跡を見るとあいつの顔が浮かんで苛立つんだ」

あっという間に押し倒され、柔らかなソファの感覚と京の重みを感じながら首筋の後を手で押さえようとした。
だが、既に京に手首を固定されている。
「京様…ぁっ…」

京がつばきの首筋に顔を埋めた。そして、今日つけられた跡と同じ位置に唇を這わせ、チクリと甘い痛みが走る。


何度も何度もそこにキスをする京にすぐに息が上がってくる。
呼吸が浅くなるのを合図とするように京の手がいつの間にか外されている帯のせいで開けている足に這わせる。

「京様…、あっ…」

甘美な刺激に抵抗しようとも思わない。この快楽に身を任せたいと思うのだ。
これは京だからだ。
環に首筋に同じことをされた際は怖いとしか思わなかったが、京だと違う。
もっと、そう思ってしまう。
京が満足するまで首筋にキスをすると、その後つばきの耳を愛撫する。
それでも愛撫を続ける京にしがみついた。

「いつもよりも素直だな」
「い、いつも…っ…通りです…はぁ…、ぁ」
「夜は素直じゃないが」

そういっていつも見せない無邪気な顔をする京を見つめた。火照った頬を撫で、唇に指を這わす。
体勢を変え、つばきに愛撫を続けるその夜はとても長く感じた。つばきがいいといっても京はつばきを求めた。