僕の名前は、草加 煎餅(くさか せんべえ)
 17歳、高校二年生の独身。
 友達ゼロ。恋愛経験もゼロのゴミスペック男子だ。

 幼い頃から、吃音に悩まされている。
 人前で上手に話すことができないこともあって、友達はおろか、好きな女の子に話しかけることもできないでいた。

 あの日までは……。

 僕のクラスには、飛び切りの美少女がいる。
 高嶺 華(たかね はな)さんだ。

 ハーフの帰国子女らしく。
 長い銀髪を揺らせて、廊下を歩くだけで絵になるハイスペック女子。
 頭も良くて、学年では常に一位の成績を誇る。
 おまけに文武両道。
 所属している部活動のテニス部で、全国優勝まで導き出し、世界新記録まで塗り替えた。

 クラスの……いや、全校生徒の憧れの存在。

 僕なんかじゃ、一生話しかけられない女の子。
 そう思っていた。

 だが、運命は突然訪れた。

 昼休みが終わり、掃除の時間。
 僕は階段を一人でほうきで掃く。
 周りの男子は、真面目に掃除をせず、少し離れたところで、遊んでいる。

 僕が
「あ、あ、あ、みんな。そ、掃除しようよ……」
 なんて言うと、男子たちは嘲笑う。
「はぁ? なにいってか、わかんねぇよ。草加」
「ど、ど、ど、どうして。お、俺たちがやらないといけないわけ?」
「はっははは!」
 という具合だ。
 いつものことだから、慣れている。

 ため息交じりに、埃が溜まったちりとりを手に取る。
 その時だった。

「きゃあっ!」

 上の方を見ると、高嶺さんが階段の踊り場で、山のような教科書を持って、ふらついていた。
 片足でどうにかバランスを保っているが、時間の問題だった。
 このままでは、彼女の身が危ない。
 危険を察知した僕は、ほうきとちりとりを投げ捨てて、彼女の方へと駆け寄る。

 両手を広げて、しっかりキャッチする。
 はずだった……。

 一瞬のことだったから、よく覚えてないが。
 高嶺さんが僕に向かって、飛び込んでくるところで、映像はブチンと途切れてしまう。

 気がつけば、眼前はブラックアウト。
 視界はなにかで塞がれている。
 そして、すごく重い。

 一体、なにが起こったんだ?
 僕がゆっくり身を起そうとする。
 一筋の光りが、暗闇を照らす。
 チラッと目に入ったのは、ピンクのレース。

「ん、なんだ?」
「いやぁ! 見ないで!」

 またブラックアウト。

「ふごごご!」
 
 今度は鼻の穴まで塞がれてしまう。
 
「見ちゃいやぁ!」

 高嶺さんの声か……。
 ということは、僕の顔面にあるものは、まさか!?

「くっ、くっ、くっ……」

 またいつもの吃音症状が出てしまう。
 と思ったが、僕も動揺していたせいか、予想を遥に超える大声で、叫ぶ。

「くっせぇ!!!」

 静まり返る。

「な、な、な……なんですってぇ!」

 視界が元に戻る。
 いきなり景色が明るくなったので、眩しい。

 目の前にあったのは、ピンクのレースのパンティー。
 と、見たこともないぐらい顔を真っ赤にした高嶺 華さん。
 随分、興奮しいてるようで、肩で息をしている。
 パンツのことなんて、気にならないぐらい怒っているみたいだ。
 床に倒れた僕を仁王立ちで見下ろしている。

「あなた! 今、なんて言ったの!」
 ビシッと僕の顔を指差して、怒りを露わにする。
 突然の出来事で、僕もうろたえる。
「は、はあ!? そっちが落ちそうだったから、僕が助けてやったんじゃないか!」
 自分でも考えられないぐらい、スラスラと喋れている。
「助けてやったですって!? じゃあ、そ、その……臭いってなにがよ!」
 逆ギレだ。
 僕もカチンときた。
「臭いから臭いと言っただけだ! 君が勝手に自分の股間を僕の顔にくっつけるのが悪いんだろ!」
「なんですってぇ!」

 気がつけば、激しい言い合いになっていた。

「私のような可愛い女の子の、下着を拝んでおきながら……よくもまあ」
「自分で自分のことカワイイなんていう子なんて、ごめんだね!」
「あなた何様なの!?」
「君の方から股間を擦り付けて来たんじゃないか!」
「言わせておけば……あなた、名前はなんていうの!?」
「ふんっ! 同じクラスの生徒の名前も知らないのかい? 案外、記憶力悪いんだね。草加 煎餅だよ!」
「あなたねぇ……草加くんね、しっかり覚えたわ! 言っておくけど、今朝たまたまお風呂に入る時間なくて、下着を着替えなかっただけなんだからね!」
「あぁ、そうかい!」

 その日以来、僕たちは毎日、顔を合わせる度にケンカした。

「あ~! あなたは草加くん! 私のことを臭い呼ばわりした最低男!」
「なっ!? 高嶺さんのパンツが臭かったことは事実じゃないか!」
「また言ったわね!」
「ああ、何度でも言ってやるさ!」

 気がつけば、僕は吃音の症状が治まっていた。
 怒って喋るからかもしれない。
 彼女の前だと、本当の自分。
 本音で喋れていることに気がつくのは、それから半年後のこと。


「草加くん、あなた。成績悪すぎなんじゃない? 私が勉強を教えてあげるわ!」
「はぁ? なんで僕が高嶺さんに教えてもらわないといけないのさ!」
「あなたのレベルが低すぎるからでしょ! 私と一緒に歩けるぐらいの男になりなさいよ!」
「なんて失礼な言い方だ! いいさ、やってやるよ!」

 毎日、放課後の図書室で高嶺さんと猛勉強。
 おかげで僕は学年でトップの成績を手にした。

「フン! この私のおかげね! この調子で大学も同じ所をめざしさない!」
「上から目線だな! 高嶺さんは!」

 出会いは最悪だったけど、僕と彼女は建前のない関係になれた。
 本音で互いの悪いところばかり、指摘していたが……。
 もう言い尽くしたころ。
 良いところばかりが口から出てしまう。

「草加くんの真っすぐなところ……嫌いじゃないわ」
「僕も高嶺さんの裏では努力家なところ、嫌いじゃないよ」

 ~数年後~

「これ、受け取ってくれないか?」
 高嶺さんに差し出したのは、一つの小さな紙袋。
「な、なによ。急に改まって……」
 包装紙をきれいに開く。
 持ち上げてみせると、そこには真っ白なレースのパンティーが一枚。

 案の定、顔を真っ赤にして怒り出す高嶺さん。
「ちょ、ちょっと! まだあのことを引きずってるの!? 煎餅くん!」
 今では下の名で呼び合う仲だ。
「ふふ。違うよ、よく見てごらん、華ちゃん」
 パンティーの前部分にあるリボンを指差してみる。
 キランと輝くアクセサリー。
「こ、これって……」
 そうダイヤの指輪を予め用意しておいたのだ。

「結婚しよう」
 涙を流す華ちゃん。
「煎餅くん……答えはイエスよ」
 パンティーのリボンから、リングを抜き取ると、彼女の左薬指にすっと入れてみる。
「「ふふふ」」

 こうして、僕と彼女は最悪の出会いから、最高の夫婦へと関係を改めることが出来た。

 結婚後、間もなく、子宝に恵まれる。
 しかも双子だ。
 華ちゃんに頼まれて、僕が命名した。

 男の子には、九佐夫(くさお)
 女の子には、句紗子(くさこ)

 一軒家を購入し、毎年、表札の前で家族写真を撮る。

 草加 煎餅(くさか せんべえ)
    (はな)
    九佐夫(くさお)
    句紗子(くさこ)

「「「「はい、チーズ!」」」」

 隣りに立つ華ちゃんが、僕にだけ聞こえるような小さな声で呟く。
「私、あれ以来……毎日下着に香水をかけているのよ……」
 頬を赤らめる奥さんの華ちゃんは、世界で一番かわいい。
「ふふっ。でも、あのパンティーがなければ、今の僕たちはなかったよ」
「そうね」

   了