きっと美鈴にまた詰め寄ったのだろうと推測出来た。
出来れば、美鈴の方から話を切り出してくれたらと願っていた。
しかし、美鈴の口から十五年前の未遂事件の話は語られる事はなかった。
ある日、美鈴の妹の美香ちゃんが会社に俺を訪ねて来た。
「慶さん、ちょっと相談があって、時間ありますか」
「うん、これから昼飯食おうかと思っていたから、一緒にどお?」
「本当ですか、嬉しい」
その時、美鈴が俺の忘れ物を届ける為、会社に来ていたことなど想像も出来なかった。
社長室の前でおれと美香ちゃんの姿を見た瞬間、まるで美香ちゃんが美鈴が訪ねてくる事をわかっていたかのように、急に俺に抱きついて来た。
「慶さん、お願い、可愛い妹の寂しい気持ちをちょっとでいいから慰めて、好きな人に振られてしまったの」
美香ちゃんはそう言って、俺から離れようとはしなかった。
この時、まさか美鈴が見ていたなど思いもよらない事だった。
そして、この一連の行動は美香ちゃんの策略だったのだ。
美鈴と連絡をとり、俺の忘れ物を届けることを確認した美香ちゃんは、会社で美鈴と待ち合わせをしたのだろう。
わざと俺に抱きつく姿を見せるために……
私は咄嗟の出来事に戸惑ってしまった。
二人の姿に背を向けて、エレベーターへ駆け込んだ。
受付の女性に慶さんの忘れ物を渡してもらえるように頼んで会社を後にした。
「失礼致します、社長、奥様が先程お見えになりまして、忘れ物を届けてくださいました」
「えっ?美鈴が来たの?今どこにいるの?」
「既にお帰りになりました」
「そう、ありがとう」
美鈴、なんで社長室に顔を出してくれなかったんだ。
俺に直接渡してくれればいいのに。
まさか美香ちゃんが来てた時だったのか?
俺は美香ちゃんに対して疾しい気持ちはないが、抱きつかれた時居合わせたのなら誤解されても言い訳出来ないと後悔した。
俺は美鈴にすぐに電話した。
「美鈴?忘れ物届けてくれたんだな、ありがとうな」
「はい」
電話口の美鈴は元気が無い様に感じた。
「社長室まで来ればよかったのに……」
「あっ、行ったんですが……」
「えっ?来たなら声かけてくれたら良かったのに」
俺の問いかけに美鈴の返事はなかった。
「美鈴?」
「もう、切りますね、お仕事中ですよね」
そう言ってスマホは切れた。
美鈴の様子が気になったが、仕事中でどうする事も出来ず、帰宅してから美鈴と話をすればいいと軽く考えていた。
仕事が終わり、マンションへ向かう社用車の中で美鈴に電話をした。
しかし、美鈴のスマホは電源が入っていないメッセージだった。
「あれ、美鈴どうしたんだろう」
「社長、どうかされましたか」
「うん、美鈴のスマホの電源が入っていないんだ」
俺は急に心配になり美鈴の待つマンションへ急いだ。
「美鈴、美鈴」
部屋は真っ暗で、美鈴の姿はなかった。
どこへ行ったんだ。
俺は美鈴を探し回った。
まさか、またマンションの裏庭か?
マンションの裏庭に行ってみると、美鈴はぽつんとベンチに座っていた。
「美鈴!」
美鈴は俺の呼びかけにびっくりした様子で振り向いた。
「家出にしては随分と近いな」
美鈴に近づくと、目に一杯の涙を溢れさせて、俺を見つめた。
「美鈴、帰ろう、もう俺お腹ぺこぺこだよ」
そう言って両手を広げると、美鈴は迷いもせず、俺の腕の中に飛び込んで来た。
俺は美鈴を強く抱きしめて「心配したんだぞ、俺の側から離れるな」そう言って美鈴のおでこにチュッとキスをした。
美鈴は俺の背中に腕を回しギュッと抱きしめた。
「美鈴、もしかしてヤキモチ妬いてくれたのか?」
「えっ?」
美鈴は急に俺から離れて狼狽えた姿を見せた。
「美香ちゃんとはなんでもないよ、確かに抱きつかれたけど、俺はなんとも思ってないから」
「でも……」
「でも何?」
「美香に迫られたら嫌だと思う男性はいないと思います」
「確かに美香ちゃんは魅力的だけど、俺は美鈴がいいな」
「真莉さんだって元彼女だったわけだし、誘われたら……」
「美鈴、俺の事そんなに信用出来ないのか」
俺はちょっとムッとした態度をわざと見せた。
「俺は誰にでも着いて行くような男だと思ってたのか」
「そんなことはありません」
「俺はこれでも一途に美鈴を思って来たんだけどなあ、二十年だぜ」
「でも、私はあの時の私とは違います」
俺は美鈴の口から語られるまで待つつもりだったが、俺が気にしていないことを早く伝えないと、美鈴は自分を責めて俺の前から姿を消しかねないと思った。
「美鈴、十五年前の未遂事件の事を気にしているのか?」
「えっ?どうしてそれを……」
俺はゆっくり深呼吸をして語りはじめた。
「俺は初めて美鈴に拒絶された時、何か美鈴に取って忘れられない過去のトラウマがあるんだろうと、調べさせて貰った、俺は事実を知った上で美鈴とこれからの人生を歩んで行こうと心に決めたんだ」
美鈴は驚いた表情を見せた。
「慶さんは気にならないんですか、たとえ未遂とは言えども、望まない形での見ず知らずの男性が……」
そこまで言いかけて、美鈴の手が小刻みに震え出した。
「もう、言わなくていいから」
そう言って、俺は美鈴を抱き寄せた。
そして、美鈴と見つめ合い、一瞬唇が触れた。
美鈴の唇が微かに俺の唇を求めた、俺も透かさず美鈴の唇を求めた。
俺の心臓はバクバクと音を立てた。
そして、マンションへ向かった。
食事もせず、朝までお互いを求めあった。
美鈴は俺のキスに可愛らしい声を漏らした。
「美鈴、愛してる」
「慶、大好き、大好き」
「ああ、美鈴、俺の側を離れるな、俺だけ愛してくれ」
美鈴は俺の愛撫に拒絶は見せず、自分の気持ちに素直に従った。
美鈴の首筋から鎖骨へ俺の唇は美鈴を求めた。
「美鈴、俺もう我慢出来ない、俺を受け入れてくれ」
美鈴はこくりと頷いた。
でも美鈴の苦痛な表情が気になり、もしかしてと美鈴に確かめた。
「美鈴、もしかして初めて?」
美鈴は恥ずかしそうに頷いた。
「ごめん、俺ばかり気持ちが高揚しちゃって、少しずつ、ゆっくり進んで行こうな」
「はい」
この日は朝までキスの雨が降り続き、止むことはなかった。
朝、私は目が覚めて、隣で慶さんが寝ている事に驚きを隠せなかった。
昨夜の慶さんとの抱擁に身体がまだ熱りが冷めない。
じっと慶さんの寝顔を見ていると、慶さんが目を覚ました。
「おはよう、美鈴」
「お、おはようございます」
「いいな、美鈴が隣に寝てると、またしたくなっちゃうよ」
「へ、変な事言わないでください、慶さん、もう起きないと遅刻です」
「慶でいいよ」
「恥ずかしいです」
「恥ずかしいって、昨夜あんなに慶、慶って言ってたけど」
「もう、知りません」
私はベッドから起き上がり、キッチンへ向かった。
朝食を済ませて、慶さんは会社に行く支度を始めた。
部屋のドアに手をかけて、私の方を振り向いた慶さんは「行ってきます」と言って、おでこにキスをした。
えっ?なんでおでこなの?
戸惑っている私を置き去りにして慶さんはドアのむこうに消えた。
ガチャっとドアの閉まる寂しい音だけが耳に残った。
「慶」
私は彼の名前を呟いた。
やっぱり、思っていたほどの気持ちの昂りは感じられなかったのかな。
慶は若いし、もっと情熱的な方が好みなのかな?
私じゃ慶を満足させられないんだ、きっと。
私は落ち込む気持ちをどうする事も出来ずにいた。
俺はキスだけで昂る気持ちを収めることは出来ずにいた。
いや、ずっとこのままと願ってはいたが、美鈴の感じてるであろう表情、気持ちが昂っていると思われる声、そして何より俺の名前を囁く唇、俺の高鳴る鼓動は止まることを忘れていた。
美鈴は本当に俺を心の底から求めていてくれたのだろうか。
俺はある男に連絡を取った。
精神科医の都築光三十歳。俺の兄貴だ。
戸倉家の長男なのに、さっさと医者になると宣言して家を出て行った。
都築総合病院の娘と結婚して都築の姓を名乗っている。
「兄貴、久しぶり、慶だけど」
「おお、久しぶりだな、お前結婚したんだってな」
「うん、入籍だけ」
「式はあげないのか?」
「そのうちな、親父の具合が良くないんだ」
「そうか、親父も年だからな」
兄貴と連絡取るのは久しぶりだった。
兄貴は家出同然だったからだ。
「ちょっと兄貴に精神科医として相談があるんだ」
「お前、具合悪いのか?」
「俺じゃないよ」
「かみさんか」
「ああ」
「いつからだ」
「十五年前から……」
「そうか、中々精神科の病は難しいからな」
「美鈴が二十五歳の時、未遂だったが襲われそうになったんだ」
兄貴は黙って俺の話に耳を傾けていた。
「ずっと男性との付き合いから遠ざかっていたらしい、俺は美鈴と二十年振りに再会した時、事件のことは知らずにいた、初めて美鈴を抱きしめた時、思いっきり拒絶されて、俺は美鈴の過去に何があったのか調べて、事件のことを知ったんだ」
「おい、お前美鈴ちゃんと五歳の時会っていたのか?」
「ああ、俺は五歳の時から美鈴と結婚したいと思っていたんだ」
「結婚してから夫婦生活はどうなんだ」
「ずっと寝室は別だった」
「今もか」
「いや、昨夜はじめてベッドを共にした」