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「何故か空だけ、僕のことが見えるっていうこと」


 天都から聞いた数々の話に開いた口が閉まらない。
 私は知らず知らずのうちにここ2ヶ月ほど学校を休んでいたという事実、天都が悪いと憶測でいった私の発言で天都が自殺してしまったようなものだという事実、色々ありすぎてわからない。
 少なからず、天都を苦しめていた原因は私にもある。
 百私が悪いわけはないとはいえ、天都の自殺した日、自殺の後押しをしたのは確実に私と言えるだろう。
 天都が悪いと言って死の歯車を回してしまった。
 私は、なんてことをしてしまったのだろう。
 天都を苦しめて、なのに自分はのうのうと生きていて。
 自殺するほど辛かった天都に、辛かったことを話て。
 天都は私の話をどんな思いで聞いていたのだろう。
 全くもってわからない。
 今度は私が死にたくなってしまう。
 大切な人を傷つけた。
 もう私は天都の顔も見られない、一緒には、いられない。
 こんな事実を知ってしまったから。
 「空」と天都がわたしの名前をゆっくり呼ぶ。


「悲しいことは、思いっきり言おう。辛いことは思いっきり言おう。一人で抱え込まなくて、雨が一緒に流してくれるよ。」


 そう言って優しく包み込んでくれるように言う天都。 
 その視線は外で降っている小雨に向いている。
 いつの間に降り始めていたのだろう。
 朝は天使の階段があったのに。
 それに、そうやって言ってくれるその優しさが今は目に痛くて。


「その雨もいつかは止む、止まない雨はないよ。でも、天都の心に降った雨は、もうやまないよ…私が降らせた雨は、もう、止むことが無いんだよ…」

「僕は、それでもいいよ。
空は、本当は、繊細で優しい。そうやって分かったから。だから、僕の雨で、空の辛いことも悲しいことも、全部流してあげるから。」

天都の心は、きれいすぎる。天都の中で降っている雨は、とても透き通っている。どこの水よりも清くて、優しい。
それに触れると、荒んだ心が浄化されていく気がしてしまうから。
全てを許してくれているような気がしてしまうから。

「だから、そんなに自分を責めないで。僕は、僕の雨は、空の辛いことを洗い流すために使いたい。空の辛いことを雨と一緒に流してあげたい。そうすると、自然と心の雨が、止む気がするんだ。雨がやんで、太陽の光が雲間から漏れ出して、曇でも、晴れでも雨でもない、微妙な天気。だけど、これくらいが丁度いいんだよ。暗すぎるより、明るすぎるより、中間でいいんだよ。だから、空の気持ちを全部吐き出して。僕のここから降り注ぐ雨をすべて使い果たして、空の辛いことを全部浄化して、流すから。だから、聞かせて。空の気持ちを。僕はずっと、空の味方だから」


 私はまっていたのかもしれない。
 私の味方だよと行ってくれる人を、ずっとずっと待っていたのかもしれない。
 いつ手放されるか分からない混沌の渦の中で手を差し伸べてくれる人を。
 こうやって、許してくれる人を。
 記憶も徐々に戻り始めてくる。


「私は、怖かったのかもしれない…天都の人生を奪ってしまったって思って。あのとき、私がちゃんと調べましょうっていっておけば、天都はこんなことにならなかったのかもしれないのに…」


 私が単なる憶測で適当にあしらってしまったが故に起きてしまったこと。
 私の言葉一つで一人の人間の命を奪ってしまったということ。
 それは、何にも代えがたい重みがあった。
 私はそれを一人で抱え込んでしまっていた。
 波も紗良も皆、このことをいっていたんだと。
 あんなに心配してくれていたのに、私は振り払っていたのだと。


「それに、こんなことをしたのに、無理やりにでも記憶から消していた自分に一番腹が立つ。自分が嫌だからって一人で抱え込んで、挙句の果てに頑張って忘れようとするとか、最低じゃんって思って、そうすると、自分がすごく情けなくって、腹が立つ。もっと、考えていればよかった…」

「空。その重石を僕にも少し分けてくれないかな?」


 そう言って目を見てくる天都。
 話の途中に私の目を切れ長の瞳だったり、人を惹き付けるような目といっていたけれど、あまとのほうが人を惹き付けるような目をしている。


「二人で持てば、重くないよ。まぁ僕が四分の三くらいはもらうんだけどね」


 そう言って天都は私の胸の前辺りから何かを持ち上げて、自分の心に入れるような仕草をする。
 「ほらこれで分けっこね」と笑う天都を見ていると、自然と心が軽くなった。


「空。無理して今の立場にいる必要はないよ。多分、今の立場が変わっても、着いてきてくれる友達は必ずいるよ」


 一拍おいて言葉を付け加える。


「だって、空はすごく魅力的だから」


 天都の言葉に照れながらも素直に受け取る。
 顔を見られると笑われると思って、ふと窓の外に目が向く。
 あっと声が漏れる。


「天使の階段」

「あぁ、やっぱり来ちゃうか。そうだとは思ってたんだけどね。」


 そう言って天都は空中に足を出す。
 かすかな光が、天都の足元に見える気がする。


「ごめんね、どうやら、あちら側から迎えに来たみたい。」


 一歩目の段のようなところから天都が言ってくる。
 そこはもう地に足がついていない。
 天都は、少し困った顔で笑ってからまた見えない階段を登る。
 急いで追いかけようとしても私はその階段を上がれない。
 待って、待って…天都。

ー言わなきゃちゃんと伝わらないなんて、不便だよねー

 天都が言っていた言葉が脳でフラッシュバックする。
 今ここで言わないと、天都はもう一生帰ってこれないかもしれない。
 もう一生会えなくなるかもしれない。
 いや、かもしれないじゃない。
 もう一生会えない。
 だから、今、言わないと。
 天都の、心に届く大きさで。


「天都待って!!」


 びくりと肩を震わす。
 振り向いた天都は、眉を下げて笑っていた。
 私の大好きな笑顔で笑っていた。


「ごめんね、空。僕はそろそろ、行かないといけないから。でも、嬉しかった。もうこの世にはいない僕を必要としてくれて」

「天都、ここに残ろう…? みんなが見えなくても、私は見えるから。だから、お願い…」

「空。これだけは覚えてて。僕は、空の味方だよ。空が僕を忘れても、僕はずっと君を見てるらから。ありがとう、空」


 私が忘れても、なんてそんなこと、言わないでよ…

ー空、僕はどこにもいかないよ。空を見届けるまでは、どこにもいかない。だから、笑って?空が辛かったら泣いて、そして精一杯笑って、もう大丈夫ってー

 どこにも行かないって言ってたじゃん。
 私はまだ未成熟だよ。
 まだ、精一杯笑えてないよ。


「僕、空と出会えて幸せだなあ。死んだあとでも、遅くないんだね」


 そう言いながら階段をトントンと登っていく。
 私はそれに追いつくことができない。
 天都の背中がだんだん小さくなっていく。
 あと少しで消えてしまいそうな距離。
 天都が振り向く。
 なぜだか、とてもきれいに見えた。
 天都の優しい笑顔が、全てが。


「ありがとう空。それじゃあまたいつか出会えたら、この重石は返すとするよ。じゃあ、ばいばい」


 そう言って顔を背ける直前、天都の瞳から涙が一滴、こぼれたような気がした。
 次の瞬間には、もう彼はいなかった。
 明るかった階段から一瞬で光がなくなる。
 階段から窓の外を見る。
 天使の階段だ。
 いつもより、優しくくすんでいて、でも、優しく透き通っている。
 ありがとう、天都。
 私は、なんてその場では言えなかったけれど。
 それでもやっぱり、天都は特別だ。


「天都、天都千歳…」


 忘れないように何度も口に出す。
 大切な名前を忘れたくなんかないから。
 大切な時間を忘れたくないから。
 本当の天都を自分だけでも覚えていたい。
 お願いだから天使様。
 映画やドラマのように、覚えていさせて。


「天都千歳…! 天都千歳……って、誰…?」