◇

「出席とるぞー。休みは居ないな」


「あのさぁ、先生出席とかいる?それに、めんどくさくないアマトの机残してたら。紛らわしいから早くどかせばいいのに」


 可奈子がそう言うとみんなの視線が一斉に天都の机に集まる。


「それは、そうだけど…」


 このクラスで可奈子に逆らえる者は居ない。
 先生までもがこの調子なのだ。
 そんな中でも天都はにこにこと笑顔のまま。
 なんで、笑顔でいられるんだこいつは。
 そのうちのいくつかには私に刺さる視線もあって、可奈子は口角をあげてにやにやと笑っている。
 これは、私にもなにか言えといっているのだろうか。


「可奈子、始業終わるのおそくなるだけじゃんそんな突っかかっても。先生、だからそんなことより早く始業終わろう。興味ないような朝の連絡とかいらないから」


 なんとか出した声のせいで全員の視線が私に集まる。
 なぜか今の数秒だけで喉がカラカラになってしまった。
 こんなに喋るの下手だったかな。
 目だけ動かして周りを見渡す。
 怪訝に眉を寄せる顔、笑いがにじみ出ている顔、心配そうに見る顔、興味もなくとりあえず見てくるような顔。
 今はすべての顔がそんな顔をしてこちらを向いている。
 私はそんなにひどいことを言っただろうか。
 私の中での「普通」と周りの「普通」は違うんだ。
 そんなの、なにが普通だよ。
 最低なことを言っていることなんか分かっている。
 でも、そうやってして人間は自分の立場を示すのだ。
 誰も声を上げないと言うことは、それだけ私の立場が高いということ。
 唯一、私が今を生きていることを示してくれるものなのだ。

  ◇

「空、次の授業私絶対寝るから! でも絶対起こさないでよね」


 2限目の終了のチャイムとともに可奈子が言ってくる。
 前の黒板をちらりと見る。
 「化」という紙がぺたりとはられている。
 化学基礎かよ、めんどくさ。
 あんなに弱い磁石なのに、その紙はうんともすんとも動かない。
 アニメで言う激弱キャラクター的存在。

 『玖森さんそっくり』

 脳内で響いた、誰かわからない声。
 私が、激弱キャラクター?
 そんなことあるはずない。
 だって私は、十分強い。
 このクラスの中では1、2を争うのではないかと思うほど立場が高いし強い。
 誰も私に反撃することができないということがそれを表してくれているのだから。


「はいはい」


 頭をかきむしりたい気持ちで返事をする。
 多分とてもひどいであろう顔を可奈子に見られると絶対大声で笑う。
 可奈子視界に私が映らない程度に顔を背ける。
 鈍い音をしたチャイムがなる。
 ぞろぞろと座り始めるクライメイト。
 音を聞いておしゃべりを中断する女子たち。
 急いで教科書を借りに走りにいく男子。
 その中で一人、窓から微動だにしない天都。
 あいつ、なにやってんの。
 ぼーっと観察していると、教科担任のナガセが耳をふさぎたくなるくらい高い声で扉をくぐってきた。
 うるさいな、もう四十路も擦り切れたくらいだろ。
 そして、天都に触れることなく授業が開始した。
 なんであいつはなにもいわれないんたろう。
 まるで居ないみたいに触れられることなく授業が開始してしまった。
 そんなこともおかましなしにあいつを見る。
 すっと天都が視線を流す。
 すると、ばちりと目があった。
 やばい、ばれた。
 目をそらそうとしても、なぜかそらせられない。
 どんよりした雲を吸い取ったかのようにそこが見えない瞳。
 物憂げに浸っていた顔から、笑顔が現れた。
 なんで私を見て笑顔になるんだよ。
 これでも私は頭がいいし、物覚えはいいほうだ。
 そんな私でも覚えていないとなれば、相当な影の薄さだと思っていた。
 だが、整った輪郭に、少し細長い目、薄い唇、なにより、その吸い込まれそうな瞳、
 こんな顔のやつ、見かけたら忘れるだろうか。
 いや、昔は髪が長くてよく顔のパーツが見えなかっただけの説もある。
 天都、千歳。
 私の隣の席の天都千歳。
 ズキンと頭にしびれが走る。
 私の脳にとってはタブーな内容だったらしい。
 一瞬にしてご機嫌ななめになってしまった。
 最近はこの正体不明の頭痛がする機会が多すぎて頭もなれてきた頃だ。
 別にうるさくなくなってきたわけでも、痛くなくなってきたわけでもないが。
 昔のことを考えようとするとズキズキと脳が痛む。
 しかも、思い出せないのはほんとに2ヶ月ほど前のことなのだ。
 学校、天都、教室、隣。
 ズキン、ズキン、ズキン、ズキン。
 うるさい。
 ズキズキとうるさい。
 耳障りが悪くて仕方がない。
 静かになれ。
 もう思い出そうとするのはやめるから、頼むから静かになってくれ。


「大丈夫? 玖森さん」


 声がしてばっと顔をあげると、先程まで窓の近くにいたあいつが立っていた。
 心配そうに覗き込んでくる顔から背ける。


「先生ごめん。体調悪いからちょっと休んでくるわ」


 そう言い残し、天都の手首を掴み教室を出る。
 あの整っている顔は見たくない。
 醜いくらいにきれいで端正で。
 すっとするような冷たさが残っている手首。
 そらそうか。
 どれだけ暑い季節でも、風に長時間あたっていると寒くなるに決まっている。
 手首をつかんだまま、屋上へ続く階段まで連れて行く。
 その階段の上の方で止まる。
 そして問い詰めるように天都を見る。


「あんたは、私の何なの?」

「クラスメイト…」


 少し低くつぶやく天都。
 恨みが残っているような、妬んでいるような、でも、助けてほしそうな声。
 わけわかんない。
 なんでクラスメイトなのに話しかけてくるんだよ。


「君は、なぜかいつも辛そうだから。今の立場を保つのに。だから、僕が君を…」


 "今の立場を保つのが辛そう"
 その言葉で頭に血が上ってしまった。
 気がついたら、静かな階段で叫んでしまっていた。


「馬鹿なこと言うな! 私は、辛そうなんかじゃない…! お前なんかより、十分充実している」


 手を高く振り上げてしまう。
 こんなことはだめだと思う自分と、まぁこいつならいいかと思う自分が喧嘩する。
 

「いいよ、叩いても」


 そうやって笑顔で言うものだから、一発くらいなら許してくれる。
 本人がそう言っていたのだ。
 そう自分に言い聞かせて、私はもう一度右手を高く上げ、あいつの顔をめがけて振り下ろす。
 あと10センチ、5センチ、3センチ…


「ほら、玖森さんにはできないよ」


 天都は、私の手が来ても微動だにしなかった。
 なのに、私の手は近くでピタリと停止している。
 何かに操られているかのように手が動かない。


「なんで…」

「だって君は、本当はとても優しいんでしょ」


 そんなことない。
 私は、お前がいいと言ったから、お前を殴ろうとしたんだぞ。
 いくら本人がいいと言っても、流石にだめだ。


「お前は、馬鹿なのか? 少しも避けようとも、私を責めようともせずに」

「ねえ、お前とか、あんたとかじゃなくて、ちゃんと名前で呼んで」

「わけわかんない…」


 きちんと目を見て、少し拗ねたように言う。
 私の言葉は聞こえていなさそうだ。
 目を背けたくなるような深い瞳。
 一瞬でも気を緩めると、その不透明なようで透明な目に吸い込まれてしまいそうだから。
 でも、その瞳にだめだと言われているような気がして断れない。


「天都」

「ありがとう、空」


 それは、名前を呼んだことへのありがとうなのだろうか。
 窓に切り取られた大きな空をその細目な瞳で眺めている。
 もっと他のことも含まれているんじゃないだろうか。