相変わらずもうひとりの主人公に見合う役者は見つからないものの、それ以外だったら撮影ができるようになってきた。
 蓮見さんは大柄で力持ちだけれど、意外と繊細な仕事も長けていて、いちから衣装を仕立てるのは無理でも、買ってきた安い服をそれっぽく見えるように飾りを付け直すくらいはできて、量販店で安く買った衣装も、『空色』のイメージに合うように平成初期の雰囲気に仕立て直すくらいはできた。

「す、ごい……」

 平成初期に流行ったお嬢さん風のワンピース。この今だと絶妙にださい感じを、既製品の服に刺繍を施してそれっぽく仕立ててくれた蓮見さんに感謝だ。
 蓮見さんはのんびりと頷く。

「ひとり暮らしだと、自炊もボタンの縫い付けも自分でやらないといけないからなあ。ジーンズもアップリケするとあんまりにダサいから、刺繍でダメージジーンズみたいに誤魔化す術でマスターしたんだけど、それっぽく見えたらいいなあ」

 ……そんな技術、自力で覚えられるもんなんだろうか。私はちらっと青田を見ると、青田は浮かれて、見えないのをいいことに矢車さんの真横に行って、勝手に手でフレームをつくって、その中に矢車さんを映し出してる。

『うんうん、イメージぴったり! 力仕事手伝ってくれたら嬉しいなって思っただけだったのに、まさかこんなすごいことができるなんて! いやあ……麻、人徳が全然ないから、こんないい人連れてこられるなんて思ってもみなかったよ!』
「人徳ないとか余計。あと矢車さんに近過ぎ、離れて」

 私が小さい声でパクパクと青田に文句を言っていても、青田は矢車さんの回りをぐるぐる回って、ついでに背景も手に収めて、『うんうん』と唸っている。
 この映画馬鹿は、セクハラも映画撮影のために必要って思ってるんだったらぶん殴ってやらないと。……殴れるかはともかく、気分の問題だ。
 矢車さんはというと、ワンピース姿で恥ずかしそうだ。

「あ、の……私、未だにちゃんとしゃべれなくって……大丈夫、かな……?」

 そう相変わらず引きつった声で言う。でも、私が課したレッスンのおかげで、前よりも大分声が出るようになったことだけは事実だ。
 私は矢車さんの近くに寄ると、拳を彼女の腹筋に乗せる。

「しゃべってみて」
「あ、うん……あ・か・ん・ぼ・あ・か・い・な・あ・い・う・え・お……」
「前よりもくっきりと声が出せるようになってる、大丈夫」
「う、うん……」

 元々怖がりらしくって、すぐにどもるけれど、どもらない彼女の声は本当に澄んでいるし、ちゃんとマイクで拾って撮りたい。私はそう思いながら、ちらっと空を見た。
 今日は天気予報では一日晴れだと言っていた。
 木漏れ日がそよいで、いい具合に影が落ちている。私は手持ちのカメラでそれらを撮影しながら、矢車さんに「少しだけ化粧しようか」と提案する。

「化粧……?」
「このまま撮ってもいいけど、カメラのフレームを越えると、地肌はどうしても色がくすむから。少しだけ色を添えて映えさせるようにするの」
「わ、かった……」

 自分でデジカメとはいえど、カメラを持ってみてわかったのは、肉眼では拾える色が、カメラのフレーム越しだとなかなか拾えないということ。
 例えば淡いピンクでも、フレーム越しではその淡さを拾いきれずに白くしか映らないことだってある。だから化粧して、フレーム越しでも肌の色を際立たせるように撮るのだ。
 青春ムービーなんだから、肌の色、浮かんだ汗、光と影のコントラストは必要最低限撮らないといけない部分だ。
 私はカメラから一旦手を離し、代わりに鞄からポーチの中身を取り出して、矢車さんの肌を撫ではじめた。
 つるんとした化粧っ気のない肌に、BBクリームを薄く塗りたくると、上からパフでたっぷりとパウダーを塗る。肌に立体感が出るように整えてから、最後に口にうっすらと限りなく彼女の肌色に合うルージュを選んで差す。
 それを横目で見ていた蓮見さんは、顎を撫でていた。

「はあ……すごいな、こういうのをナチュラルメイクっていうのかい?」
「ナチュラルメイクって、限りなく素肌に見えるように塗ってるだけで、工程が全然ナチュラルでもなんでもないんですけどね。そうです」

 私が鏡を見せると、矢車さんはびっくりしたように鏡を持っていた。

「すごい……どうして、駒草さん、こういうことできるの……?」

 そう言われてしまったら、私も困ってしまう。
 こんなフレーム越しのことを気にするような化粧スキル、普段使ったら厚化粧過ぎてしょうがない。子役時代、私みたいなカメラに背景としてすら収めてもらえない場合は、当然ながらプロのメイクさんがついてくれる訳もなく、親が施すか自分で化粧を覚えるしかなかったから、時間の惜しさで自分で化粧して学んだテクニックだ。映画撮影なんてはじめなかったら、こんなテクニックのことすら忘れていただろう。
 私は矢車さんに問いかけにどう答えようと考えた末に、「やろうと思えば誰にでもできるよ」とお茶を濁した。

『麻はせっかく映画を撮るのを手伝ってもらえるんだから、もっと甘えたらいいのに』

 まるでむくれた子供のように言う青田の言葉を聞き流して、私は再びカメラを構えた。
 たくさんシーンを切ったけれど、学校内で撮れるものは撮ってしまったほうがいい。今から撮るのは、最初のシーン。
 夏休み開始直後に、転校することを告げるシーン。
 私は何度も何度も矢車さんに指導してから、イメージ通りの場所に立たせる。

「それじゃ、アクション!」

 私がパチンと手を鳴らすと、さっきまではにかんでいた矢車さんの顔がすっと引き締まる。彼女も役に入ってくれたんだろうと思って、ほっとする。
 私はカメラを通して、矢車さんの演技に目を細めた。
 矢車さんはぷらんぷらんと影がそよぐ中歩き、こちらのほうに振り返る。
 もう矢車さんではない。
『空色』の主人公だ。

「私、転校するんだ」

 たったひと言のシーン。その間に、カメラでどんどん彼女のアップを撮っていく。
 肌に木漏れ日の光が反射して、つるんと頬を照らし出す。
 そよぐ木漏れ日に、プリーツのスカート。彼女の髪の先も揺れ、一歩歩くたびに絶妙な影を落としていく。
 あまりにイメージ通りのシーンで、ようやく「カット」と口を開こうとしたとき。
 矢車さんの影に異物が入った。

「あぁん、もう。うるさいんですけどっ!?」

 甲高い男の声に、私は音を拾ってしまわないよう、慌ててカメラの電源を落とす。
 さっきまで演技していた矢車さんも、突然の声を肩をぴゃっと跳ねさせて振り返ってしまった。せっかくいい演技ができていたのに、これじゃ次いつ演技に入れるかわかったもんじゃない。
 こちらのほうにズカズカと近付いてきたのは、ダルンダルンに制服を着崩した、金髪の男子だった。顔の造形が日本人離れしていて、ハーフかなにかかと察する。

「なに? 私たち、さっきからずっとここ使ってたんだけど」
「ここは俺が先客。なんで勝手にカメラ回してんだよ、SNSにでも上げるのかよ」
「別に上げないけど」
「ええ……? マジで……?」

 なんだろう、この絶妙に絡みにくい間の男子は。私自身が絡みやすいかといえば、答えは否だと思うんだけど。
 矢車さんはこの手の男子が苦手なのか、ぱっと蓮見さんの後ろに隠れてしまった。蓮見さんは頬を引っ掻いて男子に声をかける。

「あー、すまんなあ。映画撮影してたんだよ」
「はあ? 映画?」

 男子はぴくんと眉を持ち上げる。そして「はんっ」と鼻で笑った。

「誰も見ない映画撮って、人の邪魔か。暇人だな」

 それに青田は頬を膨らませる。

『なんでそんなこと言うのさ! そりゃ先客いる場所で撮影はじめたこっちが悪いけど!』

 私は、その男子に文句を言う気にもなれなかった。ただ、「そう」とだけ言ってから、蓮見さんの後ろで脅えている矢車さんに声をかける。

「矢車さん、撮影いけそう?」
「え……っと……んと……」

 こりゃ、この男子がどいてくれないと撮影続行は無理っぽい。私は再び男子のほうに顔を向けて切り出す。

「いつ?」
「はあ?」
「いつ撮影終わったら納得してくれるの? 今日を逃したらしばらく晴れはないから、今日中に撮れる部分は撮っておきたい」
「おま……追い出そうとしてるのわかんないのかよ?」
「ここって学校でしょ? 生徒は立入禁止区域以外は自由に行き来していいと思うんだけど。それともあんたは委員かなんかの権限で私たちを追い出せるの?」

 矢継ぎ早に男子に言葉をぶつけたら、さすがに男子もひるんだみたいだ。こちらには運よく体格のいい蓮見さんもいるし、女子に暴力振るおうなんて思わないだろう。
 男子は一瞬呆気に取られたような顔をしたあと、「ちっ」と舌打ちをした。

「……終わったらどけよ」
「ありがとう」

 男子はぷいっと背中を向けて校舎のほうへと戻っていった。矢車さんはまだ蓮見さんの後ろで震えている。私は矢車さんの傍に寄ると、彼女は視線をあっちこっちへと向けている。……重傷だ。
 私は溜息をついてから、矢車さんと向き合う。

「あいつはいなくなったから。撮影に戻ろう?」
「う……うん……」

 私はさっきの男子を殴りたくて仕方がなかったけれど、そのむかつきは切り捨てた。
 あの男子は、少し前の私に似過ぎていて、イライラしたんだ。