まさか、脚本を残して死んだ幽霊を成仏させるためなんて本当のことは言えず、かいつまんで怪しくない部分を説明した。
 たまたま空き教室で映画部の脚本を見つけた。これの映画を撮りたいから、いろいろ勉強している。俳優が見つからないから困っている。あなたはイメージにぴったりだから撮りたい、みたいな。
 青田は私の横でうんうんと頷いている。

『そうだよね、麻は友達いないから』
「いい加減にしないと、これ反故にするよ」
『ひどいよっ』
「ひどくない」

 私がボソボソと青田と言い合っている中、矢車さんは困惑した顔のまま、さっきまで読んでいた脚本の表紙を眺めていた。ただでさえ経年劣化が進んでいた脚本は、私があれこれと書き込みを入れたせいで、いよいよ駄目になって、いつバラバラに分解されてもおかしくないところまで来ている。
 矢車さんは「あのう……」と口を開く。

「私、映画のことはよくわからないんですけど……」
「別に。私も少し囓ったことがあるだけで、詳しい訳じゃないし。でも撮ってくれるのに協力してくれたら嬉しい」
「でも……その。駒草さんが主演じゃ、駄目なんですか……?」

 そう言われて、私はきょとんとする。
 私はフレームの向こう側には行けなかった人間だ。人よりも撮影の場数は踏んではいるものの、私の出番はいつだってカット。カット。カットカットと続いていた。
 その私に、映画の主演が務まるとは思えない。そもそも、誰がカメラを回して、誰が演技指導すればいいんだ。私は首を振る。

「私じゃ駄目。演技しながら演技指導なんて真似、できないから。そもそもカメラを誰が回すの」
「あ……それも、そうですよね……」

 なにもしてないのに、おたおたする矢車さんはやりにくい。私は苛立つ気持ちと声を抑えながら、もう一度言い含める。

「あなただったら、一番いい絵が撮れると思うから」
「わ、たし……」

 矢車さんはまたも、おたおたとしながらそっぽを向いてしまう。
 ……なんでこんなにやりにくいんだろう。そうは言っても、仕方がないか。
 単位制高校に来る連中なんて、私も含めて、皆なにかを抱えているんだ。適当に世間話ができればまだいい。見ている番組、しているアプリ、年も背景もばらばらだったら、普通の学校でだったらできるはずの世間話なんてできっこない。だから皆、当たり障りなく、腹に一物抱えていても気付かないふりして生きるのが、この学校では必要なことだから。
 私は息を吐いた。別に怖がらせるつもりはない。

「嫌だったら断ってもいいよ? 他を探すから」
「こ、駒草、さん……!」
「なに?」

 私は今度こそ図書館を出ようとしていたとき、おたつきながらも、スカートの裾を掴みながらも、矢車さんは声を上げた。

「この脚本、本当に素敵で……最後、思わず泣いちゃって……で、でも。完成してないんだったら、これ、完成させないと見れないんだよね……?」

 ……言いたいことはわかるけど、矢車さんは感情任せにしゃべっているから、言葉が本当にたどたどしい上に、相変わらず呂律が回っていない。
 これは、撮影はじめるまでに発声練習させて矯正しないと駄目かもな。私はそう思いながら、口を開いた。

「うん、完成させないと、見られないよ」
「わ……たし……この、話が好きで……完成させないと、駄目だよね……? 私でよかったら、出、たいです」

 そこまで言い切ってから、矢車さんは顔を真っ赤にさせて、首をかくんと落としてしまった。
 ……しゃべるのが本当に苦手だろうに、ここまで自己主張したんだから、答えないといけない。

「……よろしく、矢車さん」
『やったやった、女優を確保できた!』

 青田はまるで自分の手柄のように飛び跳ねているのが癪だった。これは、私もあんたもなにもしてないだろうが。
 矢車さんに脚本を読んで、イメージをまとめてもらわないといけないから、慌ててコピー機で全部コピーして、ホッチキスで留めた。本当だったらきちんと製本して渡すべきだろうけど、そんなスキルは私にはない。

「これ、読んできて感想聞かせて。撮影のときに参考にするから」
「う、うん……」

 矢車さんはペコン。と頭を下げた。
 一緒の道ではないから途中で別れたけれど、ちらりと見た矢車さんは背中を丸めながら、大事に大事に脚本を読んでいるようだった。
 私の近くでは、青田が浮かれてくるんくるんと回っている。きっと皆に見えていたら、得体の知れないなにかを見る目で見られていたことだろう。

『やったやった、女優が見つかるなんて! あとひとり! あとひとり見つかったら、撮影ができる!』
「そうは言ってもね……あとひとりが大変なんだと思うんだけど。あんただって知ってるでしょ、うちの学校のこと」

 浮かれている青田がヘコむようなことだけれど、本当の話だ。
 うちの学校は単位制高校で、普通の高校とは違う。ここに通っているということは、皆多かれ少なかれ脛に傷を持っているのだ。
 矢車さんみたいに普通の子……まあ、あれだけ滑舌が悪いんだから、きっと訳ありだろうけれど……なんて珍しい部類だ。男子は、大概は不良崩れか、女遊びのひどい奴だ。そんなんを女だけでスカウトなんて、まず無理だろう。
 せめてどこかの女性劇団みたいに男装の似合う女子がいたらいいけれど、そんな子はうちのクラスにだっていなかった。ただでさえ、単位制高校では女子の数は少ない。他のクラスも考えたら、絶望的じゃないかと、ついつい思ってしまうのだ。
 私の言葉に、青田が『ふふん』と笑い声を上げる。なんで。私は半眼で青田を睨むと、青田は浮かれたまま笑っていた。

『本当に、麻は映画が好きだね。こんなに真剣に考えるなんてさ』
「……うるさい、あんたがうっとうしいから、早く成仏してほしいだけ」
『なんとかなるよ。風は吹きたいときに吹くし、吹かないんだったら待てばいいんだから』

 なんで唐突に詩人みたいなことを言うんだろう。
 青田を睨むと、青田は空の茜色の夕焼けを透かしながら、のんびりと空を仰いでいた。
 ……人に景色が透けて見えるなんてありえないもの、どうやったらフレームに収めることができるんだろう。
 未だにカメラは肉眼ほどに色を綺麗には映してくれないし、青田の姿は間違いなくカメラに収まらないってわかっているのに、私はそう思わずにはいられなかった。
 青田は、本当にずるい奴なんだ。

****

 次の日、学校に向かう。廊下はあちこちに喫煙スペースがある。禁煙ブームが続いているけれど、この学校の生徒の過半数は社会人で、なにかと事情で働きながら学校に通っている人が多い。だからストレス発散で吸う煙で、いつも廊下は霞んで見えた。
 教室は授業以外ではほとんど誰も会話をしないし、なんとなくしにくい雰囲気があるから、図書館前の廊下で落ち合うことにした。
 矢車さんは何度も何度も読み返したらしく、たった一日しか経っていない脚本がすっかりよれて型がついてしまっていた。

「おはよう、脚本読んでくれた?」
「う、うん……が、んばって……覚えた」
「そっか」
『すごいね!』

 青田はまたも目をきらきらさせてクルクルと回っている。視界の暴力だと、私はそっと首を逸らすと、矢車さんは「駒草さん?」とキョトンとした顔をした。
 頬を紅潮させている青田は、きらきらした目で矢車さんの手を取ろうとするけれど、透けているから当然手は掴めないし振り回すこともできない。

『すごいね! 一日で脚本覚えてくれるなんて! そんなに気に入ってくれたんだ!』

 青田が当たり前なことを言っているのに、私ははっとしてしまった。
 私にとって、脚本とは覚えて当たり前なものであって、逆に言ってしまえば覚えられないのは話にならないと言われていることだった。
 だって丸暗記しないことには、演技なんてできないし、演技の調整だってできやしない。そしてセリフは自分のセリフだけ全部覚えればいいってもんじゃない。相手と会話のキャッチボールをする以上、相手のセリフだって覚えないといけない。また読み合わせの段階で主演ふたりの波長に行き詰まりが生じれば、その都度脚本だって書き換えないといけなくなるから、その分覚えたセリフを一度全部忘れて新たに覚え直さないといけなくなる。
 私は青田が言う当たり前な褒め言葉を思い返して、口にしてみる。

「すごいね、ひと晩で全部覚えるなんて」
「えっと……本当に好きな本だったら、全部読んで、セリフとかも丸暗記できるんです……で、も……本当に、できる、かな?」

 やっぱりどもり口調がひどく、途中で雑音が混ざってなにを言っているのかが聞き取りにくい。私は脚本を確認しながら、矢車さんに言ってみる。

「まだ役者が足りないから、セリフの読み合わせくらいしかできないけど、私と一緒にやる?」

 そう尋ねてみると、矢車さんはビクビクと過敏な反応をしながらも、頷いてくれた。
 私も一応昔取った杵柄で、セリフの丸暗記くらいはしている。こうして、私たちはセリフの読み合わせをはじめたけれど。

「わ、たし……もうすぐ、転校するんだ」

 ……素人とはいえど、矢車さんの演技は本当にひどいものだった。
 第一にセリフこそ丸暗記しているものの、本当に丸暗記しているだけなのだ。棒読みもいいところで、その上滑舌があまりにもよくない。最初は私がやんわりと「もうちょっとはっきり言ってみようか」とやり直しを要求していたものの、こう何度も何度も続いたら、だんだんと腹が立ってきた。

「……矢車さん、脚本丸暗記は偉い。でも、声が出てない」
「あ……ごめんなさい」
「謝らなくっていい。喉で演技をしても声がかすれるだけで意味がない。腹から声を出して」
「ど、どうやって……!」
「こうやって!」

 私は思わず矢車さんの鳩尾に拳を押し当てると、当然ながら矢車さんは驚いた顔で、私の拳と鳩尾を見た。

「私の拳が動くくらいに、声を出してみて。喉から声を出さない。この当たりを意識してみて」
「えっと。うん。あ・え・い・う・え・お・あ・お……」

 ……うっかりしてたなあ。私は内心がっくりとした。
 私にとって、腹式呼吸は当たり前のことだった。どんなにフレームの向こう側に行けなくても、いつカメラで撮られてもいいように、腹筋と背筋は欠かさず行い、朝から早口言葉の練習をして、滑舌を鍛えるというのは日常茶飯事だった。ううん、今は子役でもなんでもないけれど、十年近い習慣は、しなくなったら気持ち悪くって、今でも日常の一部として行っている。
 矢車さんは脚本の丸暗記ができるくらいだから、やる気はあるんだろう。ただ、役者をする上での基本的なことはなにひとつできていない。
 一生懸命声を出す矢車さんのおかげで、私の拳もだんだんヒクヒクと動きはじめた。いい具合。そのまま彼女が一生懸命声を出していると。

「こら! こんなところでいったいなにやってるんだ!」

 突然大声で怒鳴られて、私たちはきょとんとして振り返る。
 こちらにズカズカとやってきたのは、工事現場でよく見るつなぎを着た大男だった。熊みたいにずんぐりむっくりしているけれど、腕も肩も筋肉が張っているのがわかる。きっとうちの学校でよくいる、働きながら学校に通っている人だろう。
 その人は肩を怒らせながら私の手首を握り、ひょいと持ち上げてくる。……痛い痛い。この人、見た目通りに力が強い。

「こら! 女の子同士で喧嘩はいかん!」
「……え?」
「はい?」