青野先生が部屋を貸し出してくれて、届けを出してからは、ずいぶんと順調に撮影が進んだように思う。
 問題は主役のひとりの清水の演技力だったけれど。こいつはとにかく見目がいい。
 あまりに棒読みな演技に見かねて「もうしゃべるな」と言ったらムキになって食ってかかられたけれど、そのぶっきらぼうな表情や態度がやたらとカメラ映えするものだから、カメラを回し続けていたら、そのままいい絵が撮れてしまったのだ。本人は黒歴史だとさんざん文句を言っていたものの、この絵だったら大丈夫だろうとこのまま使うことにする。
 矢車さんは清水にやたらとおっかなびっくり接していたけれど、蓮見さんが緩和剤になったのか、こちらも少しずつ自然な演技に戻れる機会が増えていった。
 今日も校内で撮れる最後のカットを回している。
 空は雨がすっかりと拭われた透明な夕焼け。その下で矢車さんと清水は向き合っている。
 下手にセリフを与えて演技をさせるよりも、ただ空を仰がせる。俯かせる、横顔を見るというような単純な指示のほうが、清水はいい演技をしてくれる。
 矢車さんは逆に「もっともうすぐここを離れるって寂しさを滲ませて」「ここからもうすぐいなくなるって思わせて」とイメージを伝えたほうが、文学少女のせいなのかその演技をしてくれる。
 清水は制服をそのまま着せた。ズボンの穿き方や長さや太さ、それらにも時代や流行があるけれど、制服だったら女子のスカートの長さほども流行り廃りが目立たない。おまけに清水は顔立ちも髪の色もくっきりとしているから、制服の没個性感のほうが返って清水のよさを引き出していた。
 矢車さんは蓮見さんお手製のお嬢さん風ワンピース。サンダルにも流行があるから、できる限りどの時代でも普通にあるビニールサンダルで花を大きくあしらったものを使うことにした。
 矢車さんと清水がぽつんぽつんと歩く。不吉なほどに真っ赤な夕焼けの下、長い影。その絵を撮りながら、音を拾っていく。

「お別れだね。あと三日なんだ」

 そのセリフには望郷の念が見え隠れし、切なさがこみ上げてくる。アップで撮る矢車さんのしんみりした顔に、対比して無表情のままの清水。セリフを禁止したら、返って寡黙は金ともいうべき絵が撮れた。

「カット! お疲れ様!」

 私がパンッと手を叩いてカメラの録画ボタンを消した途端、清水は気恥ずかしそうに振り返り、矢車さんもはにかみながらこちらを向いた。

「あ、あの……ちゃんと撮れた?」
「うん。いい絵が撮れた。今からでも見せられるけど」
「え、演技が、ちゃんとできたかどうか自信なくって……」

 さっきまでどもらずにしゃべっていたとは思えないほど、矢車さんはつっかえつっかえしゃべるのに、蓮見さんは笑いながら彼女の頭をぽんぽんと撫でた。

「大丈夫大丈夫。百合ちゃんはずいぶんいい演技してたよ。なあ?」

 そう言って清水に問いかけると、清水はぶっきらぼうに言う。

「まあ、いいんじゃねえの?」

 これがツンデレというやつなのか。私はそう思いながら、矢車さんを着替えに向かわせる。

「でも、学校で撮るぶんはこれで、終わりなんだよね……他はロケするって言ってたけど、どこでするの? も、うすぐ、夏休み、だけど」

 矢車さんの問いに、私は「んー……」と頭を引っ掻く。私の隣を歩いている青田に「絶対に覗くな」と言ってから、カーテンを閉め切って空き教室に入ると、私はスマホをタップした。

「青野先生が、実家に帰るときに、そこをロケに使ってもいいよって」
「実家って……だい、じょうぶなの?」
「どうも先生、親戚が別荘に行く間、家の管理を任されてるんだって。お金持ち。だからそこの面倒を見るのと引き換えに、ロケに使っていいと」
「わあ……」

 ワンピースを脱ぎ、制服に袖を通した矢車さんは、はにかみながら手をポンと叩いた。

「わ、たし……合宿に全然参加したことなくって……は、じめての合宿だ……」

 そう嬉しそうに言うのに、私も頷く。
 小学校の頃の林間学校も、中学校のときの臨海学校も、参加したことはなかった。
 小学校の頃は元々映画のオーディションと被っていたから。中学校のときは嫌われているのにわざわざ地元から離れても、逃げ場がなくって針のむしろにさらされるだけだから行くはずがない。
 そうか。はじめて年相応のことをするのか、となんとなく思った。
 この学校は単位を取ればいいのが第一優先だから、部活もなんとなくやっているだけで団体戦みたいなものはない。映画部は賞を目指しているみたいだけど、あれはいわば個人戦だ。合宿の類だって存在しない。
 私は矢車さんと一緒にスマホを見ながら、青野先生の実家の場所を検索した。合宿の時期はちょうど地元で花火大会があるらしい。それに矢車さんは弾んだ声を上げる。

「浴衣、持っていってもいいかな」
「あれ。矢車さんは浴衣着れるの?」
「い、ちおうは。で、も……ひとりだけはしゃいでるのはちょっと……」
「なら私も着ようか?」

 自分で口にしておいて、思わず自分の口を疑った。いつもいつも、正論ばかり言っていた私が、人に合わせるようなことを言うなんて、本当にないからだ。
 矢車さんははにかんで頷く。

「う、うん。きっと駒草さんは似合うと思うよ。一緒に着ようね」
「うん」

 ふたりでそう言い合いながら、ようやく空き教室を出て、皆に合宿の話をしてから家路に着く。
 空き教室で待っていた青田は、少し楽しそうに夜空を見ていた。夏の空は気まぐれで、あんまりこの辺りだと星は見つからない。

『ねえ、撮った奴。編集するの?』
「できるところまではね。意外だった。清水はセリフは全然使い物にならないから、音を取るのも嫌だったのに、顔を撮ったら本当にいい表情するんだ。矢車さんは元々演技が上手いからね。加工するのが楽しみ」
『ふうん……ねえ、麻』

 青田は空に手を伸ばしながら言う。まるで金平糖に手を伸ばしているように見えるけれど、空に浮かんだ金平糖は、何キロなんてものじゃない。何千光年離れているから、人間が取れるものじゃない。青田は幽霊だけど。

『楽しい?』

 その音はなにを意味するのか、私にはわからなかった。

「うん」

 青田は心底嬉しそうな顔をするので、私はふいっと顔を背けてしまった。
 元々はこいつのわがままが原因ではじめたことなのに、どうしてこんな慈愛に満ちた、わかってますって顔をされるのか、意味がわからない。

****

 家に帰ったら、お母さんが夕食をつくっていた。
 お母さんは昔から栄養第一で、ご飯ははっきりいってあまりおいしくない。お母さんのつくった緑色のお弁当がクラスの子たちのお弁当のどれとも似ていなくって泣いたことは、今でも覚えている。
 ……合宿のこと、言わないと。私は口を開く。

「お母さん、夏休みに入ったら、合宿に行くから」
「麻。事後報告? あなた予備校は?」

 そう言われて、私は顔を曇らせた。
 お母さんは私が子役を辞めてからこっち、教育ママというタイプにキャラ変更しようとしたものの、私のせいで効を成していない。友達がいない上に成績悪すぎて、普通の高校にすら通えなかったからだ。

「……来年からでいいでしょ?」
「あら、麻はやればできる子でしょう? まだやってないからそんなこと言えるのよ。いい? 今はいい高校行って、いい大学に行ったら」
「やめてよ。お母さんはいっつもそればっかり」

 この人はいつもそうだ。
 自分が平凡だったから、どうにか子供を非凡にしようとする。
 絵を習わせた。でも私には絵の才能はなかった。
 子役にさせた。でも私には女優の才能はなかった。
 なら今度はいい高校に行かせていい大学に行かせようとした。でも残念。子役に人生の半分を奪われた私は、まともに学校生活が送れないのでした。
 今は大学に入ったと同時に就職活動だ。これだと私の高校生活はどうなるの。
 ようやく。私はようやく自分の人生を歩けそうなのに。
 お母さんはなおも私に口を開いた。

「麻、あなたは」
「……るさい」
「麻?」
「いっつもそれじゃない。もう放っておいて! 私の人生を台無しにしておいて! それを責めたら『私はあなたのためを思って』と言って泣くんでしょう!? 勘弁してよ! 私の人生返してよ! ようやく友達ができたの! したいことができたの! もうこれ以上私の人生を奪わないでよ!!」

 言いたいことを言ってまくし立てると、そのまま私は部屋に逃げ込んだ。
 部屋の鍵をかけたら、向こうからしばらくドンドンドンドンと叩かれるけれど、無視した。無視したままドアに背中を預けて、私はうずくまる。
 青田はドアのほうをちらっと見ながら言う。

『いいの?』
「あの人いっつもこうなの。私があの人の思い通りにならないと、『昔はちゃんと話ができたいい子だったのに』って泣くから」
『そっか……だから麻は、あんな絵が撮れるんだね。僕だったら、あんな絵は絶対に撮れないなって、横で見ていて思ったもの』

 そうしんみりしながら言う青田の言葉に、私は目を瞬かせながら彼を見る。青田は私の目を見て言う。

『麻は絵を撮るとき、いっつも影を追うんだよね。真っ昼間だったら光と影のコントラストを撮るし、夕方だったら夕焼けに伸びる影を入れる。絶対に光と同時に影を撮るんだ。僕だったらこうはいかないから、なるほどなあって思ったんだよ』
「あんただったら? あんただったらどう撮るの?」
『僕? まず撮るのは空かなあ』

 青田はそうしみじみと言うのに、私は思わず天井を見る。壁紙が剥がれかけた天井には、当然ながら空は見えない。
 そっか。青田の最初に撮る空だったら、影は落ちないんだ。空には、影ができない。

「あんただったら、もっと『空色』をいい映画にできたのかな」
『ううん。僕は原作者であり、あれの監督は麻だよ。君の撮り終えた映画を見たい』
「……こんなにぐちゃぐちゃしてるのに?」

 ようやく音の止んだドアを見て思う。それに青田は大きく頷いた。

『麻はいい映画が撮れるよ』

 そう言われた途端、なにかが緩んだような気がして、私は膝を抱えて、顔を埋めていた。
 私は、いろんなものが足りないし、不格好だ。それを鼻で笑って諦観を引きずって生きていたけれど、本当は違うんだ。
 本当は、誰かに肯定して欲しかった。
 不格好でもいい、要領がよくなくてもいい、不器用でもいい。
 私がいいと、肯定して欲しかった。
 まさかそれをしてくれたのが、私に取り憑いた幽霊だなんて、誰が思うの?
 私は、青田になにか言わないとと思ったけれど、結局はなにも言うことができなかった。
 照れ臭かったからというよりも、たったひと言でなんて足りないと思ったからだ。
「ありがとう」のひと言じゃ、私の気持ちは表せない。