男子は「清水雷」と名乗ってくれたので、一応名前はわかった。私は蓮見さんに「ふたりのフォローお願いできますか?」と頼んでから、職員室へと向かっていった。
 青田は私の隣で何度も空き教室のほうを見比べながら、不思議そうに首を傾げる。

『もう映画部のほうには行かないんだよね? どういう風の吹き回し?』
「蓮見さんも指摘してくれたけど、責任者がいるのといないのだったら大違いだから、私たちの責任者になってくれそうな人を探そうと思って。清水はそこまでやな奴じゃなかったから仲間に加わってくれたけど、今後清水みたいにイチャモンを付けてくる奴がいるかもしれないから、保険をかけておこうと思って」
『ふうん、麻が責任者じゃ駄目なの?』
「私だったら人望ないし。見つけた矢車さんと蓮見さんがいい人で、清水がやな奴じゃなかっただけだよ。部活だったら顧問が責任取ってくれるし、課外活動でも手伝ってくれるから、そんな人いないかと思って」
『うーん、つまりは部活創設って感じ?』
「映画部は既にあるから、部活っていうより同好会創設になるのかな。できるのかできないのか聞いておこうと思って」
『はあはあ、なあるほどねえ』

 うちの担任はあまりやる気がないし、他の先生も似たり寄ったりだ。担任以外の教師は非常勤が多くって、他の学校と掛け持ちで授業やってるんだから、部活の監督なんてしてくれないだろう。
 うちの学校にいて、責任取ってくれそうな人っていないのかな。
 こういうときだけ、大人を頼らないといけないのが、我ながら情けなくは思うけど。
 私は職員室に向かい、担任に声をかけた。

「すみません。うちの学校って同好会はつくれないんですか?」
「はあ……? 駒草は手のかからない生徒だと思ってたけど」

 そう言われたのに、私はカチンと来るけど堪える。この人からしてみれば、面倒事を持ってくる生徒イコール手のかかる生徒なのだろう。
 青田は相変わらず隣で職員室をマジマジと眺めているのを横目に、私は尋ねる。

「先生に教えてもらって映画部に行ってきたんですけど、私の撮りたいものは撮ってないってことですので。映画を撮る同好会ってなったらいいなと思ったんですけど。校内で撮影するにしても、今は活動中だからって、人避けもできますし」
「とはいってもねえ……部活や同好会つくったって前例、うちにはないよ?」

 言われるとは思っていたけど、担任は本当に乗り気ではない。厄介事を抱えて給料が増えるものでもないから、穏便に無難に過ごしたいのだろう。
 本当に腹が立つ。イライラしたものがお腹につっかえて煮えたぎっているけれど、私はできる限りそれをおくびに出さずに担任を見た。担任はやる気のない声で続ける。

「ときどき夢や希望持って部活創設を言い出すのもいるんだけどねえ……まあ、一年だけだったらいいけど、二年三年と続けてくれないと、学校としてもその部や同好会を認知できないしねえ……ぶっちゃけ、部活や同好会を登録するのも、抹消するのも、すっごく面倒なの。だからある部でお茶を濁して欲しいんだけどねえ……映画部に籍だけ貸してもらうとかじゃ駄目なの?」

 この人は……。私はこめかみに手を当てていた。
 残念ながらこの人は、子役時代に私の担当をしていたマネージャーによく似ていた。できるだけ責任を取りたくない、できるだけ私生活に関わって欲しくない、おいしいところだけかすめ取りたいっていう、やる気のない大人の見本市だったような人だった。
 さしずめ、今回の一件もなあなあのままで片付けてしまいたいんだろう。
 仕方なく、私はぺこりと頭を下げた。

「いえ、映画部とは活動方針が違いますし、向こうも大会がありますから、申し訳ないです」
「ああそう? じゃあ頑張ってね」
「ありがとうございます」

 口先だけだったら、本当にいくらでも言える。昔のマネージャーの言動を思い出して、苦虫を噛み潰したような思いをしながら、職員室を去って行った。
 湿気でペタペタと鳴る廊下を歩きながら、私は眉間を撫で上げる。青田はその隣で呑気に歩いている。

『本当ドラマに出そうなほどの小物だったね、あの先生』
「私、ドラマはあんまり見ないからわかんない」
『あれ。麻は映画は好きなのにドラマは見ないの?』
「今時、ドラマを見ない人間は珍しくもなんともないけど」

 テレビ全盛期の頃を知っている青田からしてみれば、今やネットにSNSが謳歌を極めている現代の事情がわからないんだろう。テレビも新聞も嘘ばっかりだから、ネットニュースを見ながら、初出典を探さなかったら、なにが嘘でなにが本当か見極められない混沌とした時代だというのに。
 私は「でもどうしよう」とつぶやく。

「味方になってくれる先生っているのかな。うちの担任みたいなのがデフォルトなのに」
『ふうん、ドラマがない弊害だねえ』
「なにそれ?」
『理想の象徴っていうのが、たとえ偶像でもいないっていうのは、結構つらいことだと僕は思うよ』

 そんな哲学的なことを言われても、現状を変えることはできないのに。私がそうぼんやりと思いながら図書館を通り過ぎるとき。
 図書館から先生が出てきた。現国の青野先生で、図書館司書も務めている。うちの学校は図書館を利用する生徒がほとんどいないから、少し通えばすぐ青野先生に顔と名前を覚えられてしまう。
 青野先生はこちらに「あら?」と声をかけてきてくれた。

「駒草さん、最近せわしないわねえ。図書館で矢車さんを口説き落としてたと思ったら、職員室でなんか面白そうなことやってて」
「え……先生見てましたか?」
「うちだと仕方ないかもしれないけど、自主的に青春謳歌しようとする子って稀少だから、面白そうねえと思って見てたの」

 青野先生は今図書館から出てきたばかりだから、先生が見ていたのは私が映画部を探しているときかなとぼんやりと考える。青野先生はにこにこと笑う。

「さっきは担任の先生にフラれてたみたいだけど、他に当てがあるの?」
「ないです。だからどうしようと困ってました」
「うち来る? 部屋のひとつくらいだったら貸し出せるけど」
「はい?」

 青野先生の言葉の意味も意図もわからず、私は思わず青田と顔を見合わせると、青田は目をキラキラとさせていた。

『ドラマがあるっていいね。こういう先生も見つかるんだから』

 こいつは前向きなんだろうか、後ろ向きなんだろうか。私はそう思いながらも、本当に他の当てもないから「よろしくお願いします」と頭を下げて、事情を説明した。

****

 さすがに映画を完成させないと青田が成仏できそうもないということには触れなかったけれど。昔の映画部の脚本を見つけた。その脚本を使って映画を完成させたい。ようやく配役が揃ったけど、部活動や同好会活動としては学校は認めてくれそうもないというところまでを伝えたら、青野先生はくすくすと笑った。

「そうねえ、正攻法でいったらたしかに学校は許可を下ろしてくれないわね。担任の先生だってクラス単位以外のことで責任は取りたくないでしょうし」

 そう言いながら青野先生が歩くのに私はついていく。図書館の中に戻ったと思ったら、奥にあるドアの鍵を開ける。図書館に通っていても、開いている現場を見たことがなかったから、ここがなんの部屋なのかわからず素通りしていた。

「はい、どうぞ」
「……うわあ」

 私が間抜けな声を上げ、青田は興味本位で辺りを見回す。そこは背表紙の剥がれた本やページの取れた本が大量に積まれていた。作業台らしい大きなテーブルにはテープやのりが並び、これらの本を修繕しているのがわかる。
 そうか、ここって本の修繕室だったんだと、今更気付いた。普段閉め切っているのも、破損した本のページが風で飛ばされないようにするためだったら納得だ。

「こんな部屋、私たちで勝手に使っていいんですか?」
「いいのよ。この辺りの本はひとりじゃ修繕が難しいから放っておいてるから。本をこれだけ処分するのにもお金が必要だしね」
「ありがとうございます……でも。私たち、勝手に映画を撮っていいんでしょうか?」

 私は担任があまりにも乗り気じゃないことを思い出す。だからと言ってあの方向性が全く合わない映画部に籍だけ置かせてもらって撮影するにしても、十中八九揉めるのが目に見えている。
 それに青野先生は「ああ、大丈夫じゃないかしら?」とくすくす笑う。どうにもこの先生はいい加減だけれど、担任ほどやる気がないというのとはタイプが違うらしい。

「別に予算が欲しいんじゃなくって、学校公認で撮影したいんでしょう?」
「あ、はい……」
「だったらこうしましょう。クラスメイトの交流会ということで」
「……はあ?」

 青野先生が言い出した突飛なことに、私は面食らった。青野先生はゆったりと笑う。

「学年やクラスが違うから問題になりそうって思った?」
「そもそも、一緒にいるの年齢もクラスもバラバラで……」
「うちの学校じゃ普通のことだけどねえ。そもそも学校って、勉強して帰るっていうのが目的じゃないんだけど、そこんところが抜けているというか」
「はあ……?」

 このいい加減な人から教育論が飛び出るとは思ってもいなかったので、私は何度目かの「はあ?」を返したら、青野先生がくすくすと笑う。

「学校って、元々コミュニケーションを覚える場よ。でもこの学校は学校の目的上仕方ないかもしれないけど、訳ありの子ばっかりで肝心のコミュニケーションが不足している子が多い。もちろん、今はスキルを磨いて、インターネットで仕事をするという方法はいくらでもあるけど、それだけじゃコミュニケーションを学ぶことはできないでしょう? 例えば映画を撮りたいだったら、映画部をさしおいて大会出るとかなんとかで絶対に揉めるけれど、これが『交流したい』だったら、学校としてもむしろ推奨していることだから止めることはできないのよ」

 そう言ってくすくすと笑う青野先生に、私はポカンとした。
 芸能界の端っこにいたときも、世渡り上手な女優さんでそういうことを言う人はいた。多分相手はこちらのことを覚えていないだろうけど、その人たちは今も荒波の芸能界で生き残っている。
 嘘も方便ってことをきちんと教えてくれる大人は貴重だ。
 私は青野先生にお礼を言って、職員室に戻って担任に報告、皆に言いに向かった。
 気のせいか、足取りが軽くなってきている。

『よかったね、協力してくれる人が見つかって』
「うん。なんだろう、これ」
『手応えを感じているんじゃなくって?』
「あ、それだ」

 今までは、なにをやっても壁打ちと変わらなかった。
 なにを頑張っても報われなくって、報われないのが普通だから、これ以上頑張れないって、そう諦めていた。
 いくら練習しても、オーディションにより端役に追いやられる。監督の匙加減ひとつで、簡単にカットされてしまうような役なのに、だ。
 フレームの向こう側への憧れだけを残して、私は芸能界をクビになった。
 学校に行っても、共通の話題がないから会話が成立しない。学校にまともに通ってなかったし、読んでいるマンガも見ているアニメも、やっているゲームすらわからない私には、針のむしろと変わりがなかった。
 可愛げのない私はまともに友達もつくれないし、なにもかもが思い通りにいかないのが普通だった。
 今までがそうだったから。きっとこれからもそうなんだろうと、そう思い込んでいた。
 青田と出会って、映画をつくってみようと動いてからは違う。
 役者を揃えようとしたら、次から次へと上手い具合に転がって、撮影できる環境が整った。学校の許可も青野先生のおかげで裏技でクリアできた。
 こんなに上手くいっていいんだろうか。私はついついそう思ってしまう。

「あ」

 空を見上げたら、天気が少し晴れて、大きな虹が出ていた。
 私は思わずスマホを取り出して、それをカメラで撮っていた。空がくっきりとしてきたから、明日からはまた、撮影が再開できそうだ。
 清水がちゃんとセリフを覚えてくれたらいいけど。矢車さんとちゃんと波長が噛み合ってくれればいいけど。私がそう思いながらようやくスマホから顔を離したとき。
 青田は虹を透かしてこちらを満足げに見ていることに気付いた。

「なによ、その顔」
『ううん。麻が楽しそうだから』
「……私、そんなにはしゃいで見えた?」
『それが当たり前だと思うんだよ。だって麻は、全部を『どうせ』って諦めているように見えたから』

 それに私は答える言葉を持っていなかった。
 だって本当のことだ。今まで私は、自分はなにも持っていないってそう思っていた。全部が徒労に終わっていたから、これからもそうなんだろうと思っていたから。
 自分にいつもブレーキをかけていたはずなのに、こんなにアクセル切って交渉したり提案をしたりって、今までの人生でした覚えがない。
 高校生って、こういうもんだったっけ。
 青田は、私がぼんやりと思う中、虹を透かしたまま空に手を伸ばしていた。

『だってさ、今日と明日は空の色が違う。太陽の光が違う。花が咲いたって雪が降ったって、同じ日は二度とないのに。麻ってば暗い顔でイライラしてばっかりだったんだもの。僕はそんな麻が、ようやく楽しいって思ってくれたのが嬉しいし……羨ましいなあって思うんだよ?』

 それに私は青田を見る。
 青田は私に映画を完成させて欲しいと頼んでからは、カメラワークも監督業も、全部私に任せっきりで、自分であれこれと提案しない。
 ううん、できないのかもしれない。
 だって青田は体がないから、自分が撮りたいっていう具体的な方法を伝える術がない。青田はこれだけ感情豊かにあれこれと表現していても、もう先がない。もう成仏する以外にこの世に爪痕を残すことすらできない。
 私は、こんな生き物をカメラに残すことすらできない。

「ねえ……あんたが撮りたいものって、どんなものだったの? 私の脚本の解釈、このまんまで大丈夫なの?」
『うーん……麻の初監督作品に、僕がとやかくは言いたくないなあ』

 そう言って、青田は儚く笑った。こいつは本当にずるい。
 私にたくさん楽しいもの綺麗なもの素敵なものを持たせて、自分はいなくなってしまうんだから。
 青田は私に言う。

『だからさ、映画が完成したら、皆に見せる前に真っ先に僕に見せてよ』
「……まだ、全カット撮り終わってもいないんだけど」
『編集作業があるじゃない。そこで全部終わったら、一緒に見ようよ』

 そう言って、小指を差し出してきた。
 私は辺りを見回し、誰もいないのを確認してから、ちょんと青田の小指に自分の小指を絡めた。感触だってないし、ただの指切りごっこだ。でも。
 たしかに私と青田は約束をしたんだ。