「以前店の前で人が刺される事件があったのはご存じですよね」
「ええ、物騒ですよねぇ」
「桐谷静の恋人のことは知っていますか?」
「ああ、話題になっていますよね、三神メイサでしたっけ?」
「三神メイサとは別に恋人がいることはご存じで?」
「えっ!二股ってことですか!やだー」
「この店には桐谷静のサインがたくさんありますね。以前彼が来たらしいじゃないですか」
「ええ、そうですね、以前来ていただいたんですよ」
「どういうツテで?」
「それは企業秘密ですよ」
「桐谷静の恋人がこの店で働いているから?」
「んもー、記者さんったら誘導尋問がお上手だこと。ここだけの話、実は私が大ファンなので知り合いに頼み込んでもらったんですよ。あ、これ他の店には秘密ですからね。絶対ですよ。あっ!もしかして桐谷静の二股の相手って私なのかしら?だとしたら光栄だわぁ」
葉月の明るい声と記者の愛想笑いはその後しばらく続いたが、やがて埒が明かなくなったのか、記者の方が根負けて「今日はこのくらいで……」などと言って帰っていった。
「あー、しつこい男だった」
ため息とともに仕事に戻った葉月は、高くしていた声のトーンを落とす。
「店長、すみません。私のせいで……」
「社員を守るのも上の仕事よ。気にしないで。それより桐谷静が二股してるとか、その相手が私だとか、嘘言っちゃったわ。ごめんね」
「いえ、いいんです。ありがとうございます」
葉月の温かさが嬉しくて春花は目頭をじんわりさせた。
本当に、良い職場で働いている。自分の蒔いた種なのにこんなにも守ってもらって贅沢ではないだろうか。ありがたいと同時に申し訳なさが込み上げてきて、春花は胸が押しつぶされそうになった。